ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

名人、達人、仙人、神人になる方法

良いサッカー選手になるにはどうしたら良いだろうか?
サッカー強豪国イタリア、スペイン、イングランドなどでは、子供達がなるべく多くサッカーボールに触れるようにしている。
ただし、大人が無理に子供にボールを押し付けるのではなく、子供が自主的に自然にボールに触るようにしているのである。
良い野球のバッターは、少年の時から、バットを方時も手放さないし、良い投手は、やはりいつもボールを持ち歩いていた。
1日中触っていることが大事で、必ずしも、練習しているわけではないが、触っていたら、バットなら自然に振るし、サッカーボールなら自然に蹴るだろう。野球のボールなら、握って細かな感触を確かめたり、放ったり掴んだりして重さを感じるのである。
だが、やはり、「バットを振れ」なんて言うようでは駄目なのである。

良いピアニストは、子供の時からずっと勝手にピアノに触っているが、それは大人になっても変わらない。
ところが、たとえ自主的に触っているように見えても、不自然に追い立てられるようにピアノを弾けば、手を壊したりしてしまう。
良い剣士は、ずっと剣に触っていた。
それは、木刀の場合が普通だろう。
そして、練習の時しか木刀に触れない者は、大した剣士にはなれない。
大人になってもそれを続ければ達人になる。
宮本武蔵は、護身の意味もあったが、大人になっても木刀を常に肌身離さず、それは、風呂に入っている時すらそうで、挙句、木刀の柄に穴を空けて紐を通し(今でいうストラップだ)、手から木刀が離れないようにしていた。これも戦いの中で木刀を落とすことを防ぐためもあるが、やはり、彼にとっては、木刀に常に触れていることが自然だったのだ。

キリストになりたいなら、常に聖書を手にしているし、仏陀になりたいなら、いつも経典と共にあるだろう。
仙人になりたいなら、『老子』や『荘子』、あるいは、その他の仙道や道教の書をいつも持っている。
読むかどうかはともかく、常に手元にあるし、常に手元にあれば、見るべき時に自然に見るだろう。

神通力を備えた修験者は常に般若心経の呪文を唱えていたし(般若心経全体を唱える場合もあるが、重要なのは呪文の部分)、他の真言を知っている場合には、それを唱えていることもあった。
仙人は、常に真言を唱えている。

良いプログラマーは、常にパソコンに触れている。
スマートフォンはどうかというと、あれはプログラミングの道具ではないし、多くの場合は、触っているのではなく、触らされている。
ただ、スマートフォンを持っている目的如何によっては、何か特別な力を持つことはある。例えば、特別な情報収集能力を持ったり、何かでクリエイティブな能力を持ったりである。
小型ノートパソコンがなかった時代には、良いプログラマーは、優れたプログラミングの本を常に持ち歩いていたものだった。これは、今でも有効(むしろ自然)で、優れたプログラマーがいつもプログラミングに関する本を持っていることはよくある。逆に言えば、プログラミングの本をどこにでも持ち歩けば、良いプログラマーになれるのである。あくまで自主的に持てばだが。

人間は何にでもなれるが、それは、上に述べたようであればである。
だが、海外はともかく、日本では、子供が常に触れているべきものを子供から引き離し、それは、子供を真の自己から引き離すことになる。
そして、そんな社会で育った我々は皆、真の自分を忘れてしまっている。
だから、自分が自分でないのである。
人間にとって最も大切なことは、自分が自分であることなのに。

そんなわけで、あなたは今日から、常に触れたいものに触れていなければならない。
特に言えば、神仏になるのであれば、常に心が真言に触れていること・・・つまり、心で真言を唱えることである。
この真言には、優れた呪文や念仏、あるいは、言霊を含むが、これらもまた真言なのである。












最強の4文字真言

いかなる問題も真言を唱えれば解決し、救われる。
そう岡田虎二郎が言い、親鸞も和讃の中で根本的な意味でそう述べているが、私もそう思っている。
しかし、長い真言を覚えるのは億劫だと言う人もいるかもしれない。
それなら、極めつけの真言でありながら、わずか4文字というものが2つある。
1つは、「サムハラ」で、もう1つは「アムリタ」だ。

◆サムハラ
大阪にサムハラ神社があるが、それを建立した田中富三郎(たなかとみさぶろう)が、サムハラ大神を信仰していたことから、その名称になったのだが、「サムハラ」は、造化三神である、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の総称であるとも言われている。
それなら、実に豪華な名前である。
あるいは、「サムハラ」が仏教のサンスクリット語の「シャンバラ」から来ているという説もあり、シャンバラとは、理想の仏教国のことである。

「サムハラ」を文字で書く時は、漢字ではなく、神字という特別な文字で書かれる。
サムハラの神字は、東大寺や各地のお寺で、お守りに使われているようだ。
サムハラの神字を書いたお守りの強い効果は有名で、昔は、兵隊として戦争に行っても、サムハラの文字が書かれたお守りを持っていると、必ず生きて帰ってこれたという話がある。
歴史上の人物(加藤清正等の武将その他)が、サムハラのお守りに救われた話は多いし、現代でも、サムハラのお守りで霊験があったという話は後を絶たない。
物理学者の保江邦夫氏の『神様につながった電話』の本文を「サムハラ」で検索すると、何と、135もマッチするが、そのように、保江氏は、サムハラに関する霊験等をいろいろ書かれていた。
その中で、私が憶えているのは、保江氏の外車のトランクが壊れ、ディーラーでは、修理しないと絶対に開かないと言うが、サムハラのお守りを持っていた保江氏が明けると簡単に開いたという話があった。
ところで、サムハラ神社で販売されていたサムハラの文字が入った指輪の霊験が凄く、これを求める人が多くなり過ぎ、今は販売していないという話もある(正確なところは分からないが)。
お守りだけではなく、「サムハラ」という言葉に、真言として強力な力があると言われている。
サムハラのお守りや真言の霊験は、歴史的に重々しいものがあり、また、私も、いくらか調べた結果、信用して良いと思われる。
尚、サムハラのお守りである、サムハラカードは、雑誌『大成功を呼ぶ「最強の開運神社」』の付録に付いていて、サムハラに関する詳しい説明も載っている(下に紹介した)。

◆アムリタ
今朝も書いたが、「アムリタ」は、阿弥陀如来の根本真言の中で10回繰り返される言葉で、書籍『密教の聖なる呪文: 諸尊・真言・印・種字』には、これを「古来、もっとも霊験あらたかな真言」と記している。
ところで、アニメ映画『劇場版 ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君』の主題歌『アムリタ』のCD(歌唱は牧野由衣さん)の歌詞カードに、「アムリタ」について、こう注釈されている。

アムリタとはインドの神話に出てくる不老長寿の聖水のこと。
神々さえもが望む甘い露。アムリタ、その甘い響きを聞くだけで、唱えるだけで幸せが満ちると言われています。

「アムリタ」は、「甘露」あるいは「不死不滅」を意味するサンスクリット語のようだ。
阿弥陀如来の真言は、中国語版では、
オン、アミリタ、テイセイ、カラウン(あるいは、オン、アミリタ、テイゼイ、カラウン)
で、サンスクリット語では、
オーン、アムリタ、テージェ、ハラ、フーン
である。
いずれを唱えても良いが、これらが長いと思う人は、根本真言である「アムリタ(あるいは、アミリタ)」を唱えても良いと思う。
私も、「アムリタ」は非常に強い力のある、霊験あらたかな真言であると思う。
また、言葉の響きがとても美しいので唱えていて楽しく、阿弥陀如来の根本真言であるから万能とは思うが、特に、健康や病気の治癒、平和や愛情、恋愛に効きそうであると感じる。








最も霊験あらたかな真言

念仏の不思議な話を少しする。
江戸末期から昭和初期にかけ、農民や職人、商人などの間に、妙好人(みょうこうじん)と呼ばれる不思議な人々が現れた。
いや、とりあえず妙好人と呼んでいるだけで、本当に、そのまま「妙に好ましい人」くらいの意味しかない。
実際、妙好人は、ごく普通のただの庶民で、それどころか、まさに、「ど庶民」なのだが、実は、並の人間ではなかった。
悟りを開いた仏陀のような人々なのだが、なぜ、彼らがそうなったのかというと、おそらく、ただ念仏を唱えたのだ。
ほとんどの場合、妙好人は、ただの人間として生き、ただの人間として死ぬが、時として、人々の尊い模範となったり、騒乱が起こった時等には聖者の本性を見せることもあった。
彼らは、本当に仏陀だった。
そして、彼らはただ、念仏を唱えることによって、そうなったとしか思えない。
念仏には、そんな力が確かにあるのである。

ところで、念仏の「南無阿弥陀仏」というのは、純粋な日本語ではない。
「南無」は、ナーマスというサンスクリット語の音写(音だけ真似ること)で、「阿弥陀仏」は、やはりサンスクリット語のアミターバの音写だ。
「南無」は「なむ」と言ったり「なも」と言ったりするが、元々は「ナーマス」なのだから、どちらでも良い。
「南無阿弥陀仏」は、「阿弥陀如来(アミターバ)に帰依する(ナーマス)」という意味だが、帰依とは、「頼みとして、その力にすがる」という意味で、早い話が、全面的な信頼を意味する。
この意味だけで、念仏は最高最上の真言なのだと思われ、これを唱えて悪くなるはずがない。
イエスだって、神を全面的に信用しろと教えたのだし、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠も、「まること」の教えといって、神様にまるごと全部まかせろと言ったのである。
ただ、イエスや黒住宗忠は、念仏のように、それを簡単に収める言葉を示さなかったのである。

ところが、念仏は、葬式に使われるようになり、何だか葬式のイメージになってしまった。
それもあって、私は、どちらかというと、阿弥陀如来の真言である「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を唱えているが、これも本当は念仏と全く同じである。
そして、この真言が、私にとって、昔から霊験あらたか・・・と言ったら笑われることもあるかもしれないが、全く霊験あらたかで、いつもうまくいっていたのである。
「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」は、「オン、アミリタ、テイゼイ、カラウン」と「テイゼイ」のところで濁っても良い・・・と言うより、正確なサンスクリット語では「テージェ」であり、それで言えば「テイゼイ」の方が近いが、どちらでも同じである。
さっきも言ったが、私は、念仏も阿弥陀如来真言も全く同じだと思っている。

ところで、阿弥陀如来の根本真言というものがあり、古来、これこそ、最も霊験あらたかと言われてきた。
どんな真言かというと、「アムリタ」という言葉を十回繰り返すもので「十甘露陀羅尼(じゅううかんろだらに)」と言う。
アムリタとは、「甘露(文字通り、甘い露)」という意味で、陀羅尼は真言のことである。
阿弥陀如来真言の「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」の「アミリタ」が、正確なサンスクリット語で「アムリタ」なのであり、「アムリタ」という真言もまた「アミリタ」でも構わない。
ところで、アニメ『ツバサクロニクル』の映画である『劇場版ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君』という、わずか35分だが、素晴らしい映画があるのだが、この映画の主題歌が『アムリタ』で、まさに、阿弥陀如来の根本真言と思える素晴らしい曲である。
芸術的音楽家である、かの香織さんが作詞作曲した名曲で、本当にただならぬ聖歌のような歌で、「アムリタ」の意味を完全に表現している。
「アムリタ」を真言とし、十回と言わず、数多く何度でも繰り返し唱えると、かならずや霊験があると思う。
さっきも言ったが、古来から、唱えれば幸せになれると考えられてきた、最も霊験あらたかな真言なのである。
私も、念仏、阿弥陀如来真言と共に、この十甘露陀羅尼「アムリタ」を愛用している。
阿弥陀如来の真言、偉大なりきである。








万能の腕振り運動

運動が続かないなんて馬鹿げた話など、本来、あるはずがない。
だって、運動って、楽しくてキモチいいはずじゃないか?
なぜ、運動が続かないのかというと、無理な運動をしようとするからだが、世の中には、あなたにとんでもなく無理な運動をさせようとする者ばかりだ。
YouTubeの筋トレだのダイエット運動などの動画は見ないことだ。
あれは投稿者が自慢のためにやっていることで、自慢のためでもなければ、あんなシンドイことは出来ない。
私は、何度か書店で、中高年にスクワットを教える本を何冊か見たが、私なら3日も続かないものばかりだ。
数年前、毎日300回以上のスクワットを5年以上続けていた私ですら(身体を壊したが)、そう思うものを、運動をしてこなかった40代、50代以上の人が続くはずがない。
本には、そんなスクワットを「すぐに数百回やれるようになります」って書かれてあったりするが、やらなくていいから(笑)。

運動であれば、やはり、「易筋経の秘法」腕振り運動を勧める。
自然に立ち、腕を真っすぐ伸ばし、両てのひらを内側に向け、後ろに鋭く振り、前に振る時は力を抜いて惰性で振る。
リラックスして、肩の力を抜き、楽にやれば良いが、丁寧にやることだ。
これを一度に百回程度やれば良いだろう。老人でも出来る。
とにかく、時間があれば、なるべくすぐに立って、この腕振り運動を百回するのである。
時には、逆方向に・・・つまり、後ろから前に振る時に力を入れて振り、前から後ろに振る時は力を抜いてやれば、バランスが取れるし、飽きない。
出来るなら、1日で千回以上やって欲しいし、多ければ多いほど良い。
少なくとも500回はやっていただきたい。
妖精や仙人を目指すなら、3千回以上となる。

腕振り運動だけで運動は十分である。
「え?下半身の運動は?」と言いたいだろうか?
立って腕振り運動をやれば、足腰もちゃんと鍛えられる。
立つことを軽んじてはならない。
英国の特殊部隊の教官によるトレーニング教本に「なるべく立つことだけで素晴らしい運動になる」と書かかれているのを見たこともある。
そして、腕を振りながら、身体を真っすぐ保つことで、腹筋、背筋が鍛えられ、しかも、身体のバランスを保つことで仙骨が調整されて健康になる。
また、腕振り運動をしながら、ヘソのあたりに力を込め、足の親指で床を押すように踏ん張ることで、さらに、腹筋や足が鍛えられるのである。
実は、足の親指とヘソを鍛えることが最も重要なことであり、武道で重視されることも多く、まさに、腕振り運動は運動の王なのである。

さらに、それだけではないのだ。
電波工学の世界的権威であった関英男博士によれば、手のひらを内側に向けて腕振り運動を行うことで、手のひらの間に気が発生し、これが体内に蓄積されて生命力が上がるのである。結果、若返り、運まで良くなる。
関博士は、毎朝2千回の腕振り運動を欠かさず、90歳を過ぎても世界中を駆け回り、世界中から論文を取り寄せて熱心に研究をしていたのである。
また、関博士のレポートによれば、多くの人が、腕振り運動で難病を治し、関博士自身も、胃癌を医療によらずに治したという。
私もまた、医者が全く治せなかったメニエール病と乾癬を、この腕振り運動とビタミンCで治したと思っている。

正直、私は、今も、腕立て伏せやスクワットもやっているが、少しだけだ。
やはり私が主にやっているのは腕振り運動で、これのおかげで、176cm、63kg、ウエスト73cmを、楽々保っている。
ところで、面白いことに、私は腕振り運動を熱心にやっているうちに、身長が2cm縮んだ。
これは、背骨に適切な湾曲が出来たからで、身体の調子が良くなった。
また、仙骨が調整され、骨盤も上がったためか、腰痛が全く消え、脚が数センチ長くなった。
ヨレヨレの仕事着姿で恐縮だが、初音ミクさんと並んだ姿を公開しておく。
★初音ミクさんとKay
ちなみに、ミクさんも私もいかなるサイズの修正もされていない。だが、私の服がヨレヨレだ(笑)。ついでに下半身デブと言われるが、長年スクワットで鍛えたためと思う。

他には、私は、振幅数センチのスクワットや、足踏みと変わらないような軽い四股を踏んでいる。共にとても楽で、気持ちが良いものだ。
このように、運動は、楽で気持ちが良くないと絶対に続かない。

まとめれば、運動のコツは、「軽く楽しく長時間」であるが、世間では「キツく辛い運動を出来るだけ短時間で」というものを勧めたがるようだ。
だが、運動は気持ちいいのだから、ある程度、長い時間しなくてどうするのかと私は思うのだが・・・

最初に書いたが、腕振り運動は、易筋経の秘法で、これは、インドのヨーガが中国に伝わり、仙道などと融合しながら発達した科学的な運動で、武道などにも取り入れられている。
仙道でも、腕振り運動は確固たる地位を持つ運動で、仙人になるための運動でもある。
そりゃ、体内に気を蓄えるのであるから、不思議なことではない。
腕振り運動は動禅(動きながらする禅)とも呼ばれ、じっと座る禅とは別の悟りを開く行法で、むしろ、普通の人には坐禅よりやり易く、これで心を鍛えることで、願い事も叶い易くなる。
まさに、秘法中の秘法であり、シンドイ運動を嫌々やるのと違い、何たる有り難さであろうか。

本当は、関英男博士の『宇宙学序章 グラビトニックス』に、この腕振り運動について詳しく書かれているが、この本は絶版で、古書も高価な場合が多い。
その他の、腕振り運動について書かれた本、そして、大東流合気柔術の四股について書かれた本をご紹介しておく。








地上のことは放っておいて高く飛ぶ

この世界が悪に支配された場所だと感じている人は多いだろう。
そして、そんな人達は、そのこと(この世は悪の世界であること)を昔から感じていたかもしれないが、特に強く感じるようになったのは、割と最近(10年以内)なのではないかと思う。
昔だって、ここは何か間違った世界であり、苦しめられることもあったが、それでも、何とか折り合いを付けていたし、折り合いを付けることが出来たのではないかと思う。
だが、2013年頃から、だんだん耐えるのが難しくなり、昨年あたりに、世界は狂っていると、ようやく目覚めた・・・という感じではないかと思う。

これはどういうことかというと、2012年の末に、世の中の一部で言われていたように、地球はアセンション(次元上昇)を果たし、善い人達は高い世界に行ってしまったが、我々は悪い世界に取り残されてしまったのだ。
落第したから落とされたのかどうかは分からないが、まあ、ほとんどの人がそうなのではないかと思う。
しかし、取り残された我々も、善い人達が消えて、より波動が重くなった世界で、遂に耐え難いものを感じているわけである。
・・・などというと、スピリチュアル(精神世界)系の与太話だと言われるかもしれないが、こんな話を馬鹿にする人達だって、「そうかもしれないなあ」程度には分かるものである。
残された人々が目覚めたきっかけは、繰り返される天災と共に、表に現れた人為的な出来事・・・2020年アメリカ大統領選挙と、それによってあぶり出されたマスコミ等の闇、そして、新型コロナウイルスと、それによってあぶりだされた政府と医療の闇であった。

1994年に、タツノコプロによって、『ガッチャマン'94』という全3話のアニメ作品が作られたが、そのテーマ曲を、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのモーリス・ホワイトとビル・メイヤーズが作った。詩はブロック・ウォルシュが書いた。
その中で、

LET'S FLY HIGH LEAVE THE PAIN YOU KNEW SPINNING BELOW
地上の喧噪は放っておいて高く飛ぼう

と繰り返し歌っている。
まさに、アセンションしようと言っているのだ。

取り残された我々も、最後のチャンスとなる。
どうやって次元上昇するかというと、真言を唱えることによって。
例えば、般若心経には、「呪文を唱えることによって高いところに行ける」と言って、呪文を教えている。
ヨーガの大家の中にも指摘する人がいるが、般若心経全体をあーだこーだと解説するのは愚の骨頂である。
まあ、そんなことを本に書くセンセーが多いのであるが・・・
重要な内容ではあるが、さらりと意訳した以上の表現は不可能だ。
大切なのは、最後の呪文だと、般若心経の中で何度も繰り返し述べている。
般若心経の目的自体が、呪文の勧めと呪文の提供なのである。
それを取り違えて、語句の解説をするのは的外れである。
だから、呪文を繰り返し唱えれば良いのである。
それは、一般に知られる中国語版では、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」
で、サンスクリット語版では、
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」
である。
どちらでも効果は変わらない。

他の真言を使っても構わないし、同じことだ。
念仏を唱えれば、極楽浄土に往生出来ると昔から教えられているが、一休さんも指摘した通り、極楽浄土は遠い先にあるのではなく、今ここに作ることが出来る・・・というか、行くことが出来る。
地上のゴタゴタは放っておいて、高い次元に行こう。
残された人々だって、真言を唱えれば、行くことが出来る。
真言以外の方法もあるのかもしれないが、私はよく知らない。
どれか、お気に入りの真言を1つ唱えるか、2つか3つ、あるいは、沢山唱えても構わないが、とにかく、いつも唱えることだ。
何が起こるかは、自分に起きるまでは分からない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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