ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2021年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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人間最大の幸福

勇気と自信、どちらが大切かというと、それは自信だと思う。
自信がなければ、本当の勇気なんて出ないからだ。

まあ、なけなしの勇気を振り絞って、震える足で一歩を踏み出すことから始めないと自信が得られないと言いたい人は多いと思う。
確かに、経験のない、世間知らずの自信など、偽物だと言うのも頷ける。
しかし、エマーソンは、経済的な苦労など知らない少年の方が、世間で苦労している大人より、ずっと自信があると言う。
とはいえ、おぼっちゃんが全て自信があると言っている訳ではなかろう。
それに、学校というのは、子供達に自分が無力だと思い知らせ、自信を失わせる場所だと言って間違いないので、今は、ほとんどの少年は自信がない。
でも、少年や少女は自信を持っているべきなのだ。

成績が良いから自信があるように見え、確かに、優等生が傲慢だったりするが、傲慢であること自体が自信がない証拠なのだ。
「〇〇だから自信がある」なんてのは偽物だ。
本当に自信がある者に、その自信の根拠なんてない。
根拠なき自信が本物だ。
妄想の自信なんてのも確かにあるが、妄想の自信を持っている者には、その妄想が根拠なのである。
つまり、現実だろうが妄想だろうが、それを根拠とする・・・言い換えれば、何かに依存している自信は本物の自信ではない。

ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の『I have confidence(自信を持って)』という歌の中に、こんな歌詞がある。

Strength doesn't lie in numbers
Strength doesn't lie in wealth
Strength lies in nights of peaceful slumbers
When you wake up Wake Up! It's healthy!

最初の2行を訳せば、単純に、

強さは数ではない
強さは富ではない

で良いだろう。
3行目が難しいのだが、以前、NHKでは、3,4行をまとめて、「ぐっすり眠って元気いっぱい」としていた。
まあ、無難ではある。
だが、3行目は実に大切だ。
直訳すれば、「強さは平和な眠りの夜」であり、あまり意味が通らない。
しかし、このままが真理だ。
なぜなら、どれほど金や名誉や権力がある者でも、人間の最大の願いはぐっすり眠ることなのだ。
何もなくても、夜、ぐっすり眠ることが出来れば、それで幸福なのである。

安らかな眠りの中には、世界はない。
世界は心が作り出す幻想なのだが、安らかな眠りの中には心はないからだ。
つまり、幻想を作り出す心がない時が幸福であり、それが最強なのだ。
ただ、魂と密着した純粋な心はあっても良い。
魂と密着した純粋な心から離れた心の部分を自我と言う。
自我が消えている、あるいは、脇に退いた状態が無敵であり、その時、揺るぎない本物の静かな自信に満ちている。

自我を消すためには、荘子は「是非好悪を捨て、いっさいをなりゆきにまかせよ」と言い、それは正しいが難しい。
ラマナ・マハルシは、常に、自分に「私」と呼びかけよと言ったし、中村天風は、常に肛門を引き締めよと教えたが、これらも出来やしない。
そこで、たとえば、祝詞を唱えるのが効果が高いようだ。日本人の特権である。
いや、実際は、方法は沢山ある。
念仏とか、真言とか、数息観とか。
その中で、短い「トホカミエミタメ」という祝詞を、静かに、ゆっくり、丁寧に唱えることは、日本人だけに与えられた強力な秘法である。








人間力とは決断力

人間の「力」を計るバロメーター(本来は気圧計、晴雨計のことだが、現在の状態を示すものという意味)となるのは「決断力」である。
人間にとって、決断ほど重要なものはない。
決断力があれば、必ず成功する。
決断力とは、「断固として決め、それを必ず実行する」力と言って良い。

アニメなどでも、「ああ、このヒロインは力がある」と思わせるのは、彼女が決断する場面である。
『魔法騎士レイアース』で、マジックナイトになることを要請された3人の少女のうち、即座に「マジックナイトになる」と決断したのは獅堂光だった。
また、それから間もなく3人が殺されかけた時、獅堂光は、「約束したんだ。マジックナイトになるって。約束は守らなくちゃ駄目だ」と言って、危機に際しても諦めずに抗った。
『灼眼のシャナ』では、まだ人間の11歳くらいの少女だったシャナが、紅世の輩という怪物に殺されかけた時も、「決めた。私はフレイムヘイズになる」と言って、この絶体絶命のピンチでも決して諦めなかった。

決断力がある者は迷わない。
特に、些細なことであれば即決する。
ところが、飲食店で食事をする時の注文すら、ぐずぐずいつまでも迷っている者がいる。
挙句、店員に「これはどんな料理ですか?」「お薦めは何ですか?」と尋ねる始末だったりする。
そんなの、注文して食べれば分かるし、注文して食べない限り分からない。
決断力がない者は迷う。
迷う者は弱い。
弱い者は、他人の決定に従うことになる。

迷うことと、じっくり考えることは全く違う。
じっくり考える者というのは、決断のための指標や基準があり、その指標や基準による条件が成立すれば「やる」、しなければ「やめる」となる。
だが、迷っている者は、指標や基準がなく、誰かに決めてもらいたがる。

そして、迷うと弱くなる。
迷っている者にはスキがあり、悪霊が憑りつき易いのだ。
常に迷えば、沢山の悪霊がくっついてしまい、もうどうしようもない状態になる。
決断出来る基準を持たなければならない。
たとえば、ある優れた人物は、飲食店で注文する際は、メニューの1番上のものと決めているそうだ。
無論、1番上のものが明らかに不適切であれば2番にすれば良い。
しかし、1番で決定的な不都合がないのに、1番か2番で迷うことは決してない。

迷わない練習をすれば良い。
スーパーでお弁当を買う際、「これが美味しそうだけどあれも良さそう」と迷う人がいるし、いつまでも迷っている人もいる。
こんな時も、「基準は何か?」と考え、それをすぐに決める。
「500円以下」「野菜が多い」などだ。
そして、これは些細な選択なのだから、一番最初に見たものが条件に合っていそうなら、他を見ず、即座にそれに決めるのである。

昔、京セラの社長だった稲盛和夫氏が、ヤシカという会社を買収する時には、非常に迷ったそうだ。
この場合は、京セラの発展はもちろん、ヤシカの従業員にとって、この買収が悪いものにならないかと考えないといけないのだから、迷うのは当然である。
しかし、決断しなければならない。
この時、稲盛和夫氏は、後によく知られるようになった「私心なきか」と考えた。
そして、「私心なし」と分かれば、買収自体には、京セラにとってもヤシカにとってもメリットが大きいことは分かっていたので、即座に決断した。
「私心なきか?」という基準を稲盛和夫氏がどうやって持ったのかは知らないが、インドに伝わる壮大な物語である『ラーマーヤナ』の最後に、こんな話がある。
『ラーマーヤナ』とは、「ラーマの物語」という意味で、ビシュヌ神が転生したラーマという英雄が、魔王ラーバナの軍団と戦う物語である。
最後に勝利を得たラーマだが、美しい伝統に従い、敗れた魔王ラーバナにこうべを垂れ、教えを請うた。
その時、ラーバナがラーマに教えたのが、「私心があるならやってはならない。私心がなければすぐにやりなさい」だったのだ。

決断のための基準がないと、いつまでも決められず迷ったり、決めても早計ということになる。
だが、些細なことであれば、最初は早計に決めても、それで痛い目に遭って経験を積めば、自分の基準(確率などとも言う)を持てるだろう。
ある程度力がつけば、稲盛和夫氏のように、あるいは、ラーマのように、「私心なきか」を基準としても良いだろう。

尚、迷いの人生を送ってきて、沢山の悪霊に憑りつかれて駄目になっているなら、神社でお祓いとか、尊いお守りを持つとか、祝詞を唱えるとかすると良い。
私は最近、『お清めCDブック』という本に付いているCDの、テクノロジーと融合したボーカロイド祝詞が気に入っている。電子版を買っても、CDと同じ内容の音源をダウンロード出来る。








エリナー・リグビーすら救われる方法

ビートルズの『エリナー・リグビー』で歌われるような最低の惨めな人間は、どうやって生まれ、どうなるのかは分からないが、今も昔も、存在することは確かだ(未来にはいなくなることを願うが)。
エリナー・リグビーは女性で、年老いても、ボロで着飾って王子様を待ち続ける哀れな女だ。
そして、彼女はそのまま死んでしまう。
果たして、エリナー・リグビーのような人間を救えるだろうか?

だが、私やあなたも、エリナー・リグビーとそう変わらないのではあるまいか?
それなら、エリナー・リグビーが救われないなら、我々も救われない。
エリナー・リグビーのような人間は、もしかしたら過去生からかもしれないが、深い業(悪業)を持っているのだと思ってしまう。
若くまだ元気があるうちは、自分の力で何とかしようとする場合もあるが、足掻けば足掻くほど裏目に出る。
だが、一時的には上手くいくことがあり、「とうとう報われた」と思って涙を流して狂喜しても(この気持ち、分かるだろうか?)、すぐに得たものは全て奪われ、それでもまだ、容赦なく奪われる。
こういう人間のばあい、特別な方法で、悪業を浄化しなければならないが、それを本当にやってくれる人にはなかなか巡り合わない。
下手したら、偽物に騙され、もっと酷いことになるが、そんな者が多いのである。
そこで、そんな人間は、やはり「断ち物」をするのが良い。
断ち物とは、禁欲による願掛けである。
断ち物では、自分の一番大きな欲望を生贄として捧げる最上のものでなくては、深い悪業を浄化出来ない。
酒が死ぬほど好きで、毎日浴びるように飲みたい人がいるが、そんな人の場合、完全に禁酒することが必要になる。
美食を何よりの楽しみにしている場合なら、もう一生、グルメは諦めるしかない。
ナボコフの小説『ロリータ』に登場するハンバート・ハンバートのような深刻な少女性愛者であれば、美少女に近付かず、少女の性的な写真や絵も見ないようにしなければならない。
そこまでやらないと、積もり積もった悪業は浄化されない。
ただし、「世の中の弱い者のために戦うことが生き甲斐」という場合は、それは欲望ではないのだから、大いにやれば良いが、本当は名誉欲のためにやっているというなら、自分は表に出ず、完全に隠れてやれば良い。

だが、なかなか上手くいかない場合は、強い浄化のエネルギーを持つと思われる文や絵や音があるので、それを使うと良いだろう。
一応、以下に、良いと思われるものを紹介しておく。








行き詰まった人生を打開する

子供の学校の成績は、親の経済力に比例する。
それは、子供に快適な勉強部屋を与えたり、知的好奇心を刺激するようなものを買い与えたり、学費が高い良い塾に行かせてやれるということもあるが、それよりも、経済力がある親は、ものごとを上手くやるコツを知っているし、子供を賢く導く能力と精神的余裕がある。
また、経済力がある親は、子供にとって良い手本になる。
経済力がある人間の生活は、規則正しく、節制を心がけて暴飲暴食をせず、日常の行為や言動にも思慮があり、さらに、毎日読書するなどの、良い習慣がある。
そりゃ、親が毎日飲んだくれている姿を見るか、毎日1時間静かに読書している姿を見るかの差は大きい。
また、経済力がない親は、困った偏見を持っている場合も多いが、それが、子供の精神的傾向に長く悪い影響を与える。

世の中が面白くなく、人生は辛く、惨めに生きている者は、大抵の場合、ロクな親に恵まれなかったということだ。
そんな原則に合わない例として、素晴らしい親ではあるが、親が病気になったり事故にあったり、何らかの不運な出来事があったということもあるし、また、人間性は悪いのに経済力がある親(サイコパスに多い)もいるが、これらの場合は、別の意味で、子供は親に恵まれなかったことになる。

親に恵まれなかった者の大半は、良い人生を送ることが出来ないというのは、本当は言ってはならない残酷な真実である。
他にも、ロクでもない教師にばかり当たったとか、極端に酷い教師に当たるという不幸もある。

子供の時に心が歪んだり、心に闇を抱えてしまうと、その影響は長く、多くの場合は一生続く。
そんな人間は、まともなやり方では、健全な子供時代を送った人間には敵わない。
下手をすれば、一生日陰者だし、それどころか、社会で生きる気力を失くす恐れもある。

どうも、このままいくと、行き着く先は地獄だなと思ったら、放っておいたら、実際に間違いなくそうなるので、何とかしなければならない。
その場合、神秘主義のようなものに走る者がいるが、それだけでは成功率は低い。
良い神秘主義なら、普通の人を超えるほどの逆転をする可能性もあるが、良い神秘主義に出会い、それに良い取り組みが出来るというのは奇跡に近いのではないかと思う。

子供の時に不運だった者は、まずは、特化型で一点突破を目指さす以外、良い方法はない。
つまり、何か1つを超人的に出来るようになることだ。
とはいえ、極端を考えてはならない。
例えば、グレン・グールドのように、ピアノ以外は最低の人間だが、ピアノだけは人類の歴史の中でも屈指だったというほどになる必要はないし、なれない。
それに、あり過ぎる才能もまた不幸の元で、グールドも少しも幸福ではなかった。
特化するのも、特殊な分野が良い。
空手を頑張るといったところで、普通の修行者相手に連戦連勝というのですら、なかなか難しいし、そんな程度じゃ、「ただの空手が出来る人」である。
空手の中でも、特定の技能を超人的に磨くとか、空手のようなポピュラーな武道ではなく、ほとんど知られていないが優れた格闘技をやるような感じである。
コンピュータープログラミングでも、JavaやPythonといった、使う者の多いものではなく、LispやPrologやSmalltalk、あるいは、もっと珍しいForthをやるなどである。
言っておくが、Forthをやれというのではない。「あなたがやれと言ったからやります」というのではなく、人生の全ては自己責任であることを認識し、自分で調べること。そんな姿勢も大切・・・いや、物凄く大切で必須である。
人に道を決めてもらおうとするのは、やはり、ロクでもない親から引き継いだ最悪の性質なので、そこだけは抗う必要がある。
武道やプログラミングだけでなく、音楽においても、珍しいが素晴らしい楽器の演奏に取り組むという手もある。

どうしても勝ちたいと思い、しかも、そのために他人を頼らない心構えがあれば、神は見放さないものである。
そして、どんなことでも1万時間やれば、勝てる力を得られる。
効果的なものに特化するほど早く力がつくが、それでも、1万時間をかけて、より高い力を目指すべきだろう。
下に挙げた本は、どれも良いヒントになると思う。
特に、人生に行き詰まった人にはお薦めする。








簡易な死の体験

人間は、無になれば、全て思いのままになるが、これをもっと分かり易く言えないだろうか?
案外にこう言った方が良いかもしれない。
「空っぽになれば満たされる」
求めよ、そうすれば、与えられると言ったところで、こちらの器が一杯なら、与えられても受け取れない。
そして、ほとんどの人の器は、下らないもので満たされ、素晴らしいものを受け取れない。
「俺には何もない」というのは落伍者の定番のセリフだが、そんな者こそ、つまらぬものを一杯持っているものだ。
愚か者は、「俺には尊いものは何もないが、下らないものは一杯ある」と言い直すべきである。

では、まず、器を空にしなければならない。

ある大物武道家の世間に知られている顔は偽物だったが、彼が喧嘩の達人であったことは確かで、その道は極めていた。
その武道家(喧嘩屋)に、「喧嘩必勝の秘訣は?」と尋ねると、その無敗の喧嘩屋は、
「命を捨てなさい。先に命を捨てた方が必ず勝ちます」
と答えた。
その武道家は、自分は素手で、真剣を持った剣術の達人と決闘をしたことがあるらしい。
勝ち目はない。
武道家は、「よし、死のう。だが、せめて相打ち」と思って突進した後の記憶がない。
我に帰った時、剣術の達人は、目の前で伸びていた。

死を体験したら神になる。
ラマナ・マハルシにも、黒住宗忠にも、死の体験があった。
また、自分では死に気付かなかった者もいる。
では、簡易な死の体験を起こす簡単な方法を述べる。
多くの達人が、同じことを教えている。
「しばらくの間(十秒間程度)、全力で緊張する。その後、一気に緊張を解く」
うまく緊張する方法を決めれば良い。
コリン・ウィルソンの場合は、ペン先などの鋭利なものに集中することを薦めていた。それに十秒間全力で集中し、その後、一気に集中を解くことを、何度も繰り返すのである。
こんな変わった方法を考案した人もいた。
五円硬貨をテーブルなどの上に立てて置き、その穴に爪楊枝を通す。当然、五円硬貨に爪楊枝が触れたら、硬貨は倒れてしまうので、大変に緊張するが、見事、通し終えた時に緊張が解ける。
また、こんな合理的な方法もある。
思い切り息を吸い、息を止めて、身体のどこかの筋肉に十秒ほど全力で力を込め、その後、一気に力を抜く。力を入れるのはどこがいいとかは別にないが、手を思い切り握っても良いし(片手でも両手でも良い)、肛門とその周辺に力を入れると緊張し易い。
本気で緊張する機会が何度もある、医者(特に手術の時)、武道家、軍師などが、高次の精神に目覚め易いのも分かるように思う。
『荘子』の「養生主編」第二話の包丁(ほうてい)の話に、緊張を解いた後に宇宙(あるいは道)と一体化する印象的な話がある。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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