自分の進路に悩むというのは、若者だけの問題ではなく、年齢を問わず、全く平等である。
年配の人でも、悩むとはまでは言わなくても、今後進む道が気にならないとしたら、もう、あまり生きていないのかもしれない。
ところが、「では、今後、自分は何をしたら良いか?」と言われたら、ほとんどの人が分からない。
なぜなら、皆さんが行ってしまった学校というものは、大切なことを自分で選択しないように教育する場所だからだ。
「そんなことはない」と言う人もいるかもしれないが、絶対にそうである。
だって、「この教師の授業を受けるべきか?」「この科目を勉強すべきか」「そもそも学校に行くべきか?」という最重要な事柄を全く選択出来ないのだから、いったいどの口が、「選択する能力を殺す教育なんかしていない」と言えるだろう。
もちろん、全く選択能力を伸ばしてこなかった子供に、そんなことを選択させると問題も出てくるが、それでも選択させた方がマシなのである。
日本では、大学を出ても自分で選択する能力をほぼ全く持たないので、どんな仕事をさせられるか分からないが大企業に入るといった大馬鹿を平気でやるのである。
実際、大手企業の経理社員に、「なぜ経理をすることにしたの?」と聞いたら、「配属されたから」という、信じ難い答を普通に聞くのであるから、日本は終わっている。
コロナウイルスワクチンを国民全員分用意するなんて総理が言っているが、まともな選択が出来るなら、そんなもの打つはずがない。
そういえば、昨日のテレビで、現場に関わる高度な専門家が「私は絶対打たない」と言っていたが、マスコミを通じ、政府が「打て」と言ったら、普通の人々は打ってしまうのだろう。
私も会社からインフルエンザワクチンの接種を強要されていたが、そんなもの、少し頭を働かせれば、罪のない「嘘も方便」の範囲で逃れることが出来るはずである。
さて、学校や政府に対する文句は本当はどうでも良く(相手にしてやるものか 笑)、正しい選択をするにはどうすれば良いかを考えないといけない。
正しい選択は、よほど簡単なことでない限り、頭で考えて出来るのではない。
「お茶を飲むか、ビールを飲むか?」なら、頭で考えて判断すべきだろう。
しかし、頭が役に立つのは、その程度なのだ。
「カレーかパスタか?」となると、もはや、頭で考えると、悩んでしまい、後で、「パスタにすれば良かった」とか言い出すのである。
このレベルになれば、もう、勘とか、フィーリングとか、「好きなA子さんがパスタだから」とか、たまたま「パ」という字が目に入ったから「パスタ」みたいに選ぶと良いのである。
日常で、そんなことを積み重ねているうちに、感覚が鋭くなったり、良い偶然が起こるようになって、考えなくても良い選択が出来るようになる。
大手企業に入れるのに、ちょっと気になる小さな会社や、あるいは、なんとなく、そんな気になって、うどん屋に就職したら幸せになるかもしれないのである。
結婚出来なくて悩んでいる人というのも、考えるべきないことを、人間の小さな頭で考えるからうまくいかないのである。
なんとなく行きたくなったコンサートに、普通なら行かないが、「行きたいなあ」という感情に従って言ったら、素晴らしい人と出会って幸福な結婚をする・・・そんなものなのである。
だいたい、仲の良い夫婦に出会いを聞いたら、ほとんどが、あまり記憶にないくらい「たまたま」なのである。例えば、大学生の時、たまたま同じところでバイトをしていたなどである。
では、良い「たまたま」が、どうやったら起こるかというと、良い気分の時である。
良い気分でいる時間が長い者ほど、良い「たまたま」を沢山、そして、とびきりの「たまたま」を得られる。
「いや、私は嫌なことがあると引きずるタイプで、気分が良い時が少ないのです」などと言うなら、それは、地獄への直行便に乗っているのと同じだ。
気持ちを切り替えて、悪い気分を早く消し、良い気分になるのは自分の責任である。
いや、人間の責任は、それだけなのである。頭で考える癖が強い人には信じ難いだろうが。
「いつまでも悪い気分のままだと、腕の1本、脚の1本ももらうぞ」と、後ろで悪魔が言っているのである。
私は、気分が悪くなることがあったら(1日に何度もあるだろう)、ライブでの初音ミクさんの抜群の腰のキレを思い出し、気分を良くしようと思う。
ミクさんとライブの全てのスタッフの方々には、Special Thanks と言うしかない。
ミクさんの腰のキレを見れなかったら、私は腕の20本、脚の30本も失っていたに違いない。
個人的には、「マジカルミライ2019」の『キレキャリオン』でのミクさんの腰のキレが最高と思う。
今日は、初音ミクさんの13回目の生誕日なので、今夜は「マジカルミライ2019」のblu-rayでフィーバーしようと思う。
年配の人でも、悩むとはまでは言わなくても、今後進む道が気にならないとしたら、もう、あまり生きていないのかもしれない。
ところが、「では、今後、自分は何をしたら良いか?」と言われたら、ほとんどの人が分からない。
なぜなら、皆さんが行ってしまった学校というものは、大切なことを自分で選択しないように教育する場所だからだ。
「そんなことはない」と言う人もいるかもしれないが、絶対にそうである。
だって、「この教師の授業を受けるべきか?」「この科目を勉強すべきか」「そもそも学校に行くべきか?」という最重要な事柄を全く選択出来ないのだから、いったいどの口が、「選択する能力を殺す教育なんかしていない」と言えるだろう。
もちろん、全く選択能力を伸ばしてこなかった子供に、そんなことを選択させると問題も出てくるが、それでも選択させた方がマシなのである。
日本では、大学を出ても自分で選択する能力をほぼ全く持たないので、どんな仕事をさせられるか分からないが大企業に入るといった大馬鹿を平気でやるのである。
実際、大手企業の経理社員に、「なぜ経理をすることにしたの?」と聞いたら、「配属されたから」という、信じ難い答を普通に聞くのであるから、日本は終わっている。
コロナウイルスワクチンを国民全員分用意するなんて総理が言っているが、まともな選択が出来るなら、そんなもの打つはずがない。
そういえば、昨日のテレビで、現場に関わる高度な専門家が「私は絶対打たない」と言っていたが、マスコミを通じ、政府が「打て」と言ったら、普通の人々は打ってしまうのだろう。
私も会社からインフルエンザワクチンの接種を強要されていたが、そんなもの、少し頭を働かせれば、罪のない「嘘も方便」の範囲で逃れることが出来るはずである。
さて、学校や政府に対する文句は本当はどうでも良く(相手にしてやるものか 笑)、正しい選択をするにはどうすれば良いかを考えないといけない。
正しい選択は、よほど簡単なことでない限り、頭で考えて出来るのではない。
「お茶を飲むか、ビールを飲むか?」なら、頭で考えて判断すべきだろう。
しかし、頭が役に立つのは、その程度なのだ。
「カレーかパスタか?」となると、もはや、頭で考えると、悩んでしまい、後で、「パスタにすれば良かった」とか言い出すのである。
このレベルになれば、もう、勘とか、フィーリングとか、「好きなA子さんがパスタだから」とか、たまたま「パ」という字が目に入ったから「パスタ」みたいに選ぶと良いのである。
日常で、そんなことを積み重ねているうちに、感覚が鋭くなったり、良い偶然が起こるようになって、考えなくても良い選択が出来るようになる。
大手企業に入れるのに、ちょっと気になる小さな会社や、あるいは、なんとなく、そんな気になって、うどん屋に就職したら幸せになるかもしれないのである。
結婚出来なくて悩んでいる人というのも、考えるべきないことを、人間の小さな頭で考えるからうまくいかないのである。
なんとなく行きたくなったコンサートに、普通なら行かないが、「行きたいなあ」という感情に従って言ったら、素晴らしい人と出会って幸福な結婚をする・・・そんなものなのである。
だいたい、仲の良い夫婦に出会いを聞いたら、ほとんどが、あまり記憶にないくらい「たまたま」なのである。例えば、大学生の時、たまたま同じところでバイトをしていたなどである。
では、良い「たまたま」が、どうやったら起こるかというと、良い気分の時である。
良い気分でいる時間が長い者ほど、良い「たまたま」を沢山、そして、とびきりの「たまたま」を得られる。
「いや、私は嫌なことがあると引きずるタイプで、気分が良い時が少ないのです」などと言うなら、それは、地獄への直行便に乗っているのと同じだ。
気持ちを切り替えて、悪い気分を早く消し、良い気分になるのは自分の責任である。
いや、人間の責任は、それだけなのである。頭で考える癖が強い人には信じ難いだろうが。
「いつまでも悪い気分のままだと、腕の1本、脚の1本ももらうぞ」と、後ろで悪魔が言っているのである。
私は、気分が悪くなることがあったら(1日に何度もあるだろう)、ライブでの初音ミクさんの抜群の腰のキレを思い出し、気分を良くしようと思う。
ミクさんとライブの全てのスタッフの方々には、Special Thanks と言うしかない。
ミクさんの腰のキレを見れなかったら、私は腕の20本、脚の30本も失っていたに違いない。
個人的には、「マジカルミライ2019」の『キレキャリオン』でのミクさんの腰のキレが最高と思う。
今日は、初音ミクさんの13回目の生誕日なので、今夜は「マジカルミライ2019」のblu-rayでフィーバーしようと思う。