ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2020年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

Special Thanksを送りたい人達

自分の進路に悩むというのは、若者だけの問題ではなく、年齢を問わず、全く平等である。
年配の人でも、悩むとはまでは言わなくても、今後進む道が気にならないとしたら、もう、あまり生きていないのかもしれない。
ところが、「では、今後、自分は何をしたら良いか?」と言われたら、ほとんどの人が分からない。
なぜなら、皆さんが行ってしまった学校というものは、大切なことを自分で選択しないように教育する場所だからだ。
「そんなことはない」と言う人もいるかもしれないが、絶対にそうである。
だって、「この教師の授業を受けるべきか?」「この科目を勉強すべきか」「そもそも学校に行くべきか?」という最重要な事柄を全く選択出来ないのだから、いったいどの口が、「選択する能力を殺す教育なんかしていない」と言えるだろう。
もちろん、全く選択能力を伸ばしてこなかった子供に、そんなことを選択させると問題も出てくるが、それでも選択させた方がマシなのである。

日本では、大学を出ても自分で選択する能力をほぼ全く持たないので、どんな仕事をさせられるか分からないが大企業に入るといった大馬鹿を平気でやるのである。
実際、大手企業の経理社員に、「なぜ経理をすることにしたの?」と聞いたら、「配属されたから」という、信じ難い答を普通に聞くのであるから、日本は終わっている。
コロナウイルスワクチンを国民全員分用意するなんて総理が言っているが、まともな選択が出来るなら、そんなもの打つはずがない。
そういえば、昨日のテレビで、現場に関わる高度な専門家が「私は絶対打たない」と言っていたが、マスコミを通じ、政府が「打て」と言ったら、普通の人々は打ってしまうのだろう。
私も会社からインフルエンザワクチンの接種を強要されていたが、そんなもの、少し頭を働かせれば、罪のない「嘘も方便」の範囲で逃れることが出来るはずである。

さて、学校や政府に対する文句は本当はどうでも良く(相手にしてやるものか 笑)、正しい選択をするにはどうすれば良いかを考えないといけない。
正しい選択は、よほど簡単なことでない限り、頭で考えて出来るのではない。
「お茶を飲むか、ビールを飲むか?」なら、頭で考えて判断すべきだろう。
しかし、頭が役に立つのは、その程度なのだ。
「カレーかパスタか?」となると、もはや、頭で考えると、悩んでしまい、後で、「パスタにすれば良かった」とか言い出すのである。
このレベルになれば、もう、勘とか、フィーリングとか、「好きなA子さんがパスタだから」とか、たまたま「パ」という字が目に入ったから「パスタ」みたいに選ぶと良いのである。
日常で、そんなことを積み重ねているうちに、感覚が鋭くなったり、良い偶然が起こるようになって、考えなくても良い選択が出来るようになる。
大手企業に入れるのに、ちょっと気になる小さな会社や、あるいは、なんとなく、そんな気になって、うどん屋に就職したら幸せになるかもしれないのである。

結婚出来なくて悩んでいる人というのも、考えるべきないことを、人間の小さな頭で考えるからうまくいかないのである。
なんとなく行きたくなったコンサートに、普通なら行かないが、「行きたいなあ」という感情に従って言ったら、素晴らしい人と出会って幸福な結婚をする・・・そんなものなのである。
だいたい、仲の良い夫婦に出会いを聞いたら、ほとんどが、あまり記憶にないくらい「たまたま」なのである。例えば、大学生の時、たまたま同じところでバイトをしていたなどである。

では、良い「たまたま」が、どうやったら起こるかというと、良い気分の時である。
良い気分でいる時間が長い者ほど、良い「たまたま」を沢山、そして、とびきりの「たまたま」を得られる。
「いや、私は嫌なことがあると引きずるタイプで、気分が良い時が少ないのです」などと言うなら、それは、地獄への直行便に乗っているのと同じだ。
気持ちを切り替えて、悪い気分を早く消し、良い気分になるのは自分の責任である。
いや、人間の責任は、それだけなのである。頭で考える癖が強い人には信じ難いだろうが。
「いつまでも悪い気分のままだと、腕の1本、脚の1本ももらうぞ」と、後ろで悪魔が言っているのである。
私は、気分が悪くなることがあったら(1日に何度もあるだろう)、ライブでの初音ミクさんの抜群の腰のキレを思い出し、気分を良くしようと思う。
ミクさんとライブの全てのスタッフの方々には、Special Thanks と言うしかない。
ミクさんの腰のキレを見れなかったら、私は腕の20本、脚の30本も失っていたに違いない。
個人的には、「マジカルミライ2019」の『キレキャリオン』でのミクさんの腰のキレが最高と思う。
今日は、初音ミクさんの13回目の生誕日なので、今夜は「マジカルミライ2019」のblu-rayでフィーバーしようと思う。








歌の力

私が小学3年生の時、クラスに、よく、歌を口ずさんでいる男の子がいた。
人のいない所でははっきり歌うこともあったが、普段は軽く歌い、口を閉じてメロディーだけ小さく響かせることもあった。
私は、彼のことを、もっと重要視すべきだったと深く思っている。
今、思い出しても、彼は普通の子供ではなかった。
極めて特別で特殊な存在だった。
実際、今思い出しても、その後に出会った普通の大人よりもずっと落ち着きがあるように思う。
もし、あのままでいけば、今頃、さぞや大人物になっていると思う。
ところが、なぜか、彼の名前を思い出せないのは、やはり、名前のついた普通の人ではないような気がしているからだと思う。
私は彼に、「なぜいつも歌を歌っているのか?」と尋ねたことがある。
彼の答は、「楽しいじゃない?」だった。
実際、彼は、いつも楽しそうだった。
彼の歌は、本当に「口ずさむ」もので、他人に聞かせようという意図はなく、自分のために歌っていた。
もっと正確に言えば、「自分の気分を良くするために」歌っていたし、それは成功していたのだ。
これは、極めて重大な事実である。

成功や幸福の秘訣が「気分」であることを知っている人は、あまりに少ない。
それどころか、古今東西の成功哲学や精神指導書を見ても、そのことについては、あまり書かれていない。
だが、真に成功している人、真に幸福な人は、例外なく、自分が気分が良くなることを実践しているのである。
最大の真理を言えば、「自分の気分を良くする術を持つ者が勝ち、そうでなければ負ける」のである。

だが、これも認識すべき事実だが、多くの人・・・おそらく庶民の大半は、自分の気分を悪くすることは頻繁に行うが、自分の気分を良くすることは、ほとんどしないのである。
いや、やっているつもりの者もいる。
例えば、弱い者いじめをすれば気分が良いと思っている者は多いし、他人に損をさせた分、自分が得をしたら気分が良いと思っている者も少なくない。
奇抜な動画を投稿してアクセス数が多いと気分が良いのだと思っている者、ツイッターでフォロアーが増えたら気分が良いと言いたい人も多いはずだ。
しかし、そんなもの一瞬であり、より強い刺激・・・もっと弱い者いじめをし、もっと得をし、もっと馬鹿な動画を投稿をしてアクセスを取り、もっとフォロアーを増やすために自分を偽る・・・が必要になり、 それは実際は辛いことなので、本当は気分はどんどん悪くなり、成功や幸福からどんどん遠ざかるのである。

私のあの小学校の時のクラスメイトのように、歌を口ずさむだけで気分が良くなる者こそ神の化身である。
気分が良い時には、魂の周波数が上がり、それが、幸福な出来事を現実世界に創造するのだと思う。
良い気分と、望ましいと感じる具体的イメージが結び付けば、そのイメージが実現する。
例えば、良い気分と共に、良い就職とか、楽しい職場とか、理想の恋人とか、やりたかった事業のイメージを持てば、そのまま実現するのである。
ただ、良い気分でいる時間が問題で、悪い気分である時間より圧倒的に多い必要がある。
そのためには、自分で自分の気分を良くする術がなくてはならない。
そして、人間である限り、悪い気分になることは避けられないので、そんな時、良い気分に出来るスキルが必要なのだ。
そのスキルとは「気分を変える」スキルであり、これを持つか持たないかだけが人生を決める。
「気分を変える」ための、光線銃のように手軽だが強力な武器が、微笑むことと、ガッツポーズをすることだ。
それだけでも良いし、自分独自の必殺技を持っておくことも悪くない。

今日、8月31日は初音ミクさんの生誕日で、2007年に生まれて13周年になる。
昨年の8月31日は、幕張メッセ(千葉県)でのミクさんのライブ「マジカルミライ2019」の2日目で、私は朝から新幹線で関東に向かい、午後2時頃に海浜幕張駅に着いた。
ホテルにチェックインし、まずは、マジカルミライ2019の企画展を見て、午後5時からのライブのために、幕張メッセ国際展示場3番ホールに入った。
4曲目のOrangestarさんの『快晴』という曲が、切ない歌なんだろうが、とても明るい歌で、「泣いていたって空は晴れるよ」の歌詞とメロディーのマッチングが抜群で、ここを思い出すだけで、いつでも気分が良くなる気がする。
私もこれで、小学3年生の時のクラスメイトの神の子の真似が出来そうだ。
『快晴』は、元々はIAさんが歌っていたが(YouTubeでもIAさんバージョンを見つけ易いと思う)、どこか陰のある歌が多いIAさんが、これほど明るく歌った歌も珍しいような気がする。
この歌に関してだけは、IAさんとミクさんの区別がすぐにつかないほどであると私は感じる。
いずれにしても、歌や音楽は良いものであると深く思う。
【YouTube】Orangestar - 快晴 (feat. IA) Official Music Video









自己開発プログラムもセミナーも根本的に間違っていた

もし、セミナービジネスをやりたいなら、こんなふうにやれば良い。
と言うより、多くの有名セミナー講師は、このようにやっている。
まず、アメリカ発の自己開発プログラム(伝統ある優れたものはCDの音声教材が多い)を購入する。
もちろん、日本語化されている。そもそも、多国語化されているものでなければ信用がない。
値段はいろいろだが、100万円を超えるものも珍しくない。
それを、毎日少なくとも1時間、可能なら、数時間かけて勉強(と言っても聴くだけだが)する。
そして、その内容を、あたかも自分オリジナルのようにパクって・・・良い言い方をすれば、アレンジして自分が教えるのである。
実際、それで、かなり儲けているセミナー講師もいる。
私の知り合いにもそういう人がいて、その講師は私にもやるよう勧めてくれたが、幸か不幸か、その人が薦める成功プログラム(かなりの値段だった)に、あまりのめり込めなかったのでやらなかった。
ただ、悪いプログラムではなく、それなりに勉強になったし、トップクラスの多くの事業家やスポーツ選手、芸能人にも沢山の愛用者がいる。

面白かったのが、その自己開発プログラムを聴いているうち、かつてセミナーを受講した有名セミナー講師が、その自己開発プログラムまんまに喋っていたことに気付いたことだった。
確かに、そのセミナー講師独自の部分も付け加えていたが、根本は、その世界的自己開発プログラムである。

セミナーとか自己開発プログラムの中には優れたものもあるのだと思うが、それらを利用して本当に成功する人というのは、既にかなりの実力をつけていたり、特別な才能がある人で、平凡な普通の人が、それで成功することは、ほぼ全くない。
逆に、害がある場合も多いはずで、平凡な人間の場合は、害がある場合の方がずっと多いような気がするのである。

ところで、自己開発プログラムとセミナーの中で感じた面白いお話を取り上げる。
その(講師が自己開発プログラムをパクっていた)セミナーで、講師が、
「聖書には『初めに言葉ありき』と書かれているが、それは嘘です。正しくは、『初めにイメージありき』です。鮮明にイメージしたことが実現するのです」
と言った。
だが、聖書を引用することが多いことで知られる、アメリカの有名な成功書の著者、フローレンス・スコーヴェル・シンは、言葉が何より大切であると言い、今はどうか知らないが、斎藤一人さんなんかも、そう言っていたような気がする。
イメージ重視の密教の空海と、念仏という言葉以外は捨てた法然との違いのような感じもある。
金持ちになった自分をイメージすれば成功するのか、あるいは、「私は豊かだ」と自己宣言(アファーメーションいう)すれば成功するのか?
両方、駄目である。
だから、セミナーや自己開発プログラムで、凡人が成功することはない。
先程も述べたが、成功する人は、セミナーやプログラムを利用する前に、必要なものを得ているのである。

答は何か?
こんなこと、バラして良いのか不安だが(笑)、答は「初めにも終わりにも、気分(フィーリング)ありき」である。
どういうことかというと、子供の時、親に、気分の切り替え方を教えてもらった人が成功するのである。
一方、親が、「気分悪いなあ」「気ぃ悪いわあ」「ムカつく」と平気で言うなら、その子供は一生、底辺の奴隷である。
もし、そんな親に育てられたなら、全力で、気分の切り替え方を身に付けるべきだ。
それに役立つ成功のための一曲は、オスカー・ハマースタイン2世作詞の『私のお気に入り(My Favorite Things)』だ。
この曲は、映画『サウンド・オブ・ミュージック』で最初に登場し、その後、世界中の多くのアーチストがカバーした。
歌詞を英語で覚え、忘れずにいると、その気になれば、何でもうまくいく。
個人的には、Mitchie Mさんの『FREELY TOMORROW』が良く、特に、「マジカルミライ2014」で初音ミクさんが歌うのを見て聴くのが一番であると思う。
本日は、初音ミクさんの生誕日(8月31日)のイヴ(前夜祭)であるので、早速、blu-rayを視聴しようと思う。








行動、努力は全く不要

心がどうやって生じるのかは謎だ。しかし、確かに存在する。
現代ではまだまだ一般的な、デカルト的物質科学によれば、心は、脳の電気的、化学的作用であり、別に神秘的なものではない。
ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者が、堂々、そう断言するのを聞いたこともある(個人的にはショックであった)。
量子力学分野の量子脳理論では、心は脳の量子力学的機能で生じるようだが、これはまだ仮説で、やはり、脳が主体であるのだと思われる。ロジャー・ペンローズのツイスター理論などがある。
新しいところでは、電子が心を持っているので、その総体である人間に心があるのは当然という論もある。数学者の岸根卓郎氏や、物理学者の山田廣成氏らが、そのようなことを言っている。
面白いのが、形態波動エネルギー研究所の足立育朗氏が、超高度生命体から得た情報によれば、魂を構成しているのは、電子なしの原子核、つまり、陽子と中性子であるのだそうだ。

興味があれば、上記を参考に調べていただければと思うが、むしろ重要なことは、心は、精神的にイメージを作るだけでなく、物質世界を作ることである。
もちろん、これはまだ一般的ではないかもしれないが、最先端の科学では、そう考え始めているのではないかと思う。

心が世界を作るということは、かなり昔から賢者達が当然のこととしていた。
現代では、ナポレオン・ヒルが百年近く前から、それを確認済の事実として述べ、彼の論は、主に、事業家の間で実践され、それが成功哲学と呼ばれている。
ヒルの他にも、ジェームズ・アレン、ジョセフ・マーフィー、ラルフ・ウォルドー・トライン、その他、著名な成功哲学の指導者がいるが、彼らの成功哲学は、知っている人は知っているが、関心のない人は、ほとんど知らないといったものだ。
日本でも、明治・大正の時代に、岡田虎二郎が独自に実践的な成功哲学を構築し指導していた。
その中で、虎二郎は、「努力、克己、忍耐は全く不要」と言ったが、このことが、成功哲学を分けるものであると思われる。
つまり、心が世界を作ることは認めながら、行動や努力が必要と考える指導者もいれば、そうでないと言う指導者もいる。
もっと細かく言えば、多大な行動や努力を必要とするというものから、一切の行動や努力は不要というものまである。
そして、つまるところ、努力とは何か、行動とは何か論にまで及んでしまい、ややこしい話になってしまうのだが、もう言ってしまえば、行動、努力は一切不要である。
このことを「基本的に行動や努力は不要」とか「一般的に言う行動や努力は不要」と言った、必要あってのことであろうが、逃げを打った曖昧なことを言う指導者も多い。
だが、そんな訳の分からない言い方を好まないなら、やはり、行動、努力は全く不要である。
「では、ずっと寝ていればいいのか?」といったことを言い出す者は、そもそも、真面目でないのだから、放っておけば良い。
というより、ずっと寝ている方が、よほど、行動、努力であると思える。
喉が渇いた時に水を飲むことは、厳密に言えば行動であるが、努力とは言わないとは思う。しかし、そんな愚にもつかないことを言い出すのは、やはり真面目でないのである。

ところで、多くの成功哲学(潜在意識の法則や引き寄せを含む)の決定的な欠陥が、心が世界を作ると言いながら、心の最大の機能である感情を扱い損ねたことだった。
簡単に言えば、成功法則で最も大切なことは、気分であるということだ。
いや、言われなかった訳でないし、特に、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』では、最重要なこととして述べられているが、この本の読者すら、多くは、それを見逃す。
なぜなら、これまでの世界の権力者達が、庶民の気分というものを徹底的に無視、あるいは、抹殺してきたからである。
それで、一般の人間は、自分の気分を重視することを否定的に捉えるようになってしまったのである。
だが、宗教的なもの、哲学的なもの、科学的なものを含め、心が世界を作ることについて学ぶ場合、気分が一番ということを基本に置かないと何も分からないと思う。
















アメリカ人になるという選択

こんなことを述べると、「とんでもないことを言う」と言われるかもしれないが、私は、日本はアメリカの属国になるのも手であると思う。
今の日本は、もう国の体をなしておらず、政府は国民の幸福に関心がなく、また、政府構成員のあまりのIT音痴は、看過出来るレベルではない。
税金の多くが無駄になっているが、アメリカの属国になれば、それはかなり改善されるはずだ。
今であれば、まだ日本は、アメリカにとって魅力のある国であり、良い条約を結ぶことが可能だが、後20年経てば(実際は10年と思う)、アメリカにその気になってもらえないだろう。その場合は、中国に極めて不利な条約で属国にさせられるかもしれない。

属国と言っても、日本人のアイデンティティを持ちたければ持てるし、皇室も、完全とは言わないまでも護られる。
例えば、スイスと、その保護国であるリヒテンシュタインの関係に近いかもしれない。
スイスは、リヒテンシュタインの主権の一部を行使するが、ご存じのように、リヒテンシュタインは完全な独立国家だ。
スイスは、1人当たりGDP世界2位(日本は26位)の、実質的な力のある経済大国で、リヒテンシュタイン国民は、スイスの保護国にならなかった場合と比べ、はるかに幸福なのである。

昔、新庄剛志さんが、ニューヨーク・メッツに入団する際、テレビCMで、アメリカ国家を歌いながらいかにもアメリカっぽいファーストフードを食べる様子が格好良く、「もう日本人じゃないんだ」というテロップが実に映えていた。
そんなふうであっても良いし、日本人でいたいなら、それでも良いのである。
過去には問題があったが、今では、アメリカは先住民の権利や思想をちゃんと重んじている。つまり、アメリカは賢くなっている。
そもそも、アメリカは多くの人種から構成され、今更、日本人がどれほど入ってもどうということはまく、むしろ、アメリカの人種問題に日本が積極的に貢献し、良い結果を出すべきなのである。

個人的なことを言えば、私は、子供の時から、自分が日本人であるという想いは全くない。
子供の時から、オリンピックやサッカーワールドカップで、良い試合や演技を楽しむことはあっても、日本をことさら応援する気は全くなかったし、むしろ、マスコミが日本チームや日本選手をことさら称賛することに、非常に違和感を持っていた。

H.G.ウェルズは百年以上前から、地球国家の思想を持ち、1933年の『世界はこうなる』で、その思想を詳述している。もちろん、その通りが良いと言うのではなく、世界は良い意味で1つになることが人類の目標であると言えると思う。
そうであるなら、どの国家、種族、民族に属すかより、人間としての個性を重視した方が良いのだが、特に日本では、国がその大きな障害になってしまっている。

もはや、日本政府に期待出来ない以上、今のうちに、日本国民がアメリカとの統合を訴え、それを実現させることが、日本だけでなく、アメリカ、そして、世界の幸福のための大きな力になる。
だが、多くの人が懸念するように、日本が沈むだけの国家であるなら、時期を逃せば、日本も、アメリカも、そして、世界が不幸になることを回避するのは困難になるかもしれない。
もはや、十分に考えることが出来ることであり、こうあるべきと思うなら、速やかに行動すべきだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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