ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2020年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

奇跡を何度でも起こす方法

ドストエフスキーの『賭博者』という中編小説がある。
実は私は読んでおらず、偉大な宗教人類学者の植島啓司氏の、多分『賭ける魂』だったと思うが、その本で『賭博者』の粗筋を見ただけだが、深い印象を持った。
(尚、植島啓司氏がなぜ「偉大な」宗教人類学者だと私が認識しているかというと、彼が65歳位の時と思うが、初音ミクさんのライブに初めて行き、「お水取り」という仏教の壮大な行司に匹敵するほどであったと語っておられたからだ。いや、それがなくても偉大な方で、彼の本は全て素晴らしいので読むことをお薦めする)

『賭博者』の中で、あるおばあさんがルーレットで初めてのギャンブルをする。
そのおばあさんはずっと0(ゼロ)に賭け続けて大勝し、大金を得た。
だが、しばらくしてから、そのおばあさんは、またルーレットをし、同じように0に賭けるが、今度はボロ負けした。

ギャンブルの中には、プレイヤーのテクニックや経験が勝敗に影響を与えるものもあると思うが、ほとんどは偶然の運で決まる。
その中でも、ルーレットは完全に運でしかなく、そのおばあさんのように、0に賭け続けて一晩で大金を稼ぐことはあり得ない。
もし、確率論を超えた成績を上げるなら、それは超常現象ということになる。
超能力で偶然の確率を有意に変えて見せたと主張する者は、過去に沢山いたが、それが実証されたことは、おそらくないと思う。

だが、私は、そのおばあさん並か、ひょっとしたらそれ以上の現象を何度も見たし、その多くは私が意図的に起こした(あるいは起こさせた)と言うしかないものだった。
その1つに、私が中学1年生の時、1枚のコインを使って1人で出来るゲームを考案したものがある。
そのゲームは、勝率50%になるはずが、私は100連勝してから、もうしなくなった。
しかし、しばらくしてやってみたら、やはり半分しか勝てなかった。
最初にやった時、何かが起こったのだ。
だが、その頃には、私は何度もそんなことを経験していたので、別に驚きもしなかった(内容は、このブログでも何度も書いたが、今回は省略する)。
つまり、超常現象、あるいは、超能力は確かに存在する。
だが、それを客観的に証明出来るかとなると、多分、無理だろう。
しかし、確率50%どころか、ルーレットで0を出すことすら確率的に及ばないことも、何度も実現した。
そんなことを奇跡とか言うのだが、やはり、奇跡は起こり得る。

自分の利益のために、奇跡を起こせるかと言うと、普通は無理と思う。
だが、何度かご紹介したが、教育学者の七田眞さんが、正真正銘の事実として紹介した、こんな話がある。
あるホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と1日中、1週間か2週間唱えていたら、宝くじで1億円が当たった。
そのホームレスの男性が、七田さんの会社に電話し、「こんなことやっても良いのか?」と尋ねたら、対応したスタッフは「良い」「人の役に立つように使って欲しい」と言ったらしい。尚、その後、そのホームレスの男性は、同じことをして、また1億円当てたのである。

では、奇跡を起こす決め手は何だろう?
それは、普通で申し訳ないが、強い想いだったり、集中力だったりすると思う。
「こうあって欲しい」と本気で思ったことは必ず実現する。
ただし、不自然というか、作り物の強い想いでは駄目なのだ。
自然発生的に起こるものでなくてはならない。
例えば、『フランダースの犬』で、ネルロがルーベンスの絵を見たいと思った純粋な衝動のようなものである。
そして、心に抵抗がないことも必要だろう。
たとえ悪事であっても、それをする者が葛藤を感じていなければ、成功してしまうのである。
それを、完全に意図的に起こすことは難しい。
だが、それに近いことなら、割と簡単に出来る。
1つは、英国の世界的作家コリン・ウィルソンがいろんな本で書いているが、こんなものである。
「ペンの先などに10秒間ほど強く集中し、不意に集中を解く。これを数回繰り返す」
もう1つは、『強くなる瞑想法』のカバーに、有名作詞家の阿久悠さんの言葉として書かれていたが、「息を吸って止める」である。
その時に、奇跡を起こせる精神状態に近くなっており、ある程度のことは実現すると思う。












KayのAI書。5月30日発売。
新型コロナウイルス後の世界は、それまでの世界とは一変し、AIが電気のように普通に使われるデジタルワールドになるのだと思います。
電気を使わなかった者が電気を使った者に全然敵わなかったように、AIを味方に付け、AIと一体化し、AIで能力を拡張した者が、新しい世界で自由に生きられる可能性が高いのだと思います。
本書は、数学やプログラミング、難しいAI理論が分からなくても、AIを使えるようになることを目指して書きました。

日本でも世界でも非常識なことをしない

有名人が言った有名な言葉の悪影響にはクラクラしてしまう。
その悪影響の大きさと、その矯正の難しさを考えると、ゾっとするからだ。

昔、竹村健一氏が言った「日本の常識は世界の非常識」は、日本人の中に深く浸透した。
日本人は、確かに、「日本の常識」を疑ったが、捨てたのは「人間の常識」だった。
これは、ウケるかもしれないが笑えない。

竹村氏の主張は、正しくは、「日本の慣習は世界の非常識」だった。
だが、この言い方ではインパクトが弱いのだと思う。
それで、ウケるために、「日本の常識は世界の非常識」と言ったのだと思う。
もっとも、たとえ、「日本の慣習は世界の非常識」という言葉にしたところで、この言葉が定着すると、結局は、「美しい慣習」を捨てることになるのだと思う。
人間とは愚かなものである。

ところが、どれほど勉強し、訓練し、経験を積み、あるいは、天才であろうと、庶民が人道的常識を持たずに成功することはない。
ただし、生まれさえ良ければ、人道的常識などなくても成功するし、むしろ、人道的常識は邪魔である。
今のところは・・・

竹村氏よりもっとずっと昔、新渡戸稲造氏は、西洋の女性に、
「日本人は宗教を持たずに、どうやって子供に常識を教えるのか?」
と言われ、よく考えた末、
「日本には宗教と異なる精神的支柱がある。それが武士道だ」
と結論し、名著『武士道』を英語で書いたらしい(国内で出回っている日本語版は翻訳)。
だが、あの女性の言った道徳は、常識的な人道のことであり、新渡戸が『武士道』で説いた深い思想のようなものではない。
その女性が言った、「子供に道徳を教えるための宗教」がキリスト教だとしよう。
もしかしたら、キリスト教にも偏見がある・・・あるいは、誤解して偏見を持ってしまうといったことは確かにあるかもしれない。
しかし、それでも、人道的常識を教えるには有効だと認めざるを得ないと思う。
もし、それを教えずに、何の指針も与えなければ、人間は楽な方に行きたがるので、人々は自分の都合だけ考える放埓(勝手気まま)な性質を持ってしまうことは、今の日本人を見ればよく分かるだろう。

ソフトブレーン創業者で、世界的ビジネスコンサルタントである宋文州氏は、『英語だけできる残念な人々』で、
「特定のグローバル・スタンダードなんてものはない。徹底したローカル化こそ真のグローバル・スタンダードだ」
という、国際ビジネスの要諦を見事に示したが、これは、あくまでビジネスの話である。
つまり、英語がグローバル・スタンダードだとし「英語が常識」と言ったところで、ベトナムでビジネスをやる時、英語だけでやっていける訳がない。
そもそもが、英語が母国語の地域なんて、せいぜいが世界の5パーセントに過ぎない。
アメリカのまともなビジネスマンは日本ではちゃんと「コンニチハ」と言う。
「日本の慣習は世界の非常識」ではあるが、「世界の慣習」なんて存在しないのだ。
宋氏は、楽天の三木谷浩史社長は「ただの英語マニア」と言い、日本語で質問した記者に英語で返答するのは「滑稽」と言うが(まあ、たまたまその時、三木谷氏の機嫌が悪かったのだろうと信じたいが)、それは、英語がそれほどのものでないと言いたかったのだろう。ただし、宋氏は中国人で、英語も日本語も堪能だ。

「日本の常識は世界の非常識」と言う者が、セクハラ、パワハラといった、常識以前の人道的常識を侵すことがいくらでもある。
セクハラ、パワハラは分かり易くはあるが、自分がそれをやってることに気付かない者も多いだろう。
以前、何かの番組で、若い女性タレントが、有名なお笑いタレントの浜田雅功氏にお尻をつかまれて抗議すると、浜田氏は「こんなん、当たりまえや」と言ったと言う。
その女性タレントは、顔は笑ってたが、目は笑ってなかったと思う。多分、その後、その女性タレントは消えていると思うが、どうだろう?
浜田氏は、元々は自分が理不尽な目に遭いながら、挫けず頑張ったから成功したのであり、善意で言えば、その女性タレントにも「このくらい耐えないと、この世界でやっていけない」という意味もあったのだと思うし、それも確かにそうである。
ただ、そんな「世間の話」はさておき、普通の人は、人道的常識なしに成功することはない。
浜田氏は、特別なバイタリティーの持ち主で、普通の人ではない。
そして、新型コロナウイルスは、浜田氏のような人も特別な人ではなくなる世の中にしていくと思われる。
それは、悪くない世界である。
だから、我々は、真の人道的常識を身に付ける必要がある。













KayのAI書。5月30日発売。
難しい機械学習・ディープラーニングの本に挫折した人にお薦めします。
ExcelがインストールされたWindowsパソコンがあれば、数学、プログラミング、難しいAI理論なしに、自分で機械学習・ディープラーニング型AIを無料で作れます。
ソニーの画期的な無料のAI作成アプリNNCを使います。
楽しく実習出来るよう、なるべく面白いテーマを考えました。
実習で使うデータを作れるExcelマクロを無料ダウンロード出来ます。

来るべき本当に楽しい未来

新型コロナウイルス後は、どんな世界になるのだろうか?
我々は、インフルエンザウイルス同様、コロナウイルスとも共存することになる。
コロナウイルスに対する抗体だのワクチンだのと言っているが、インフルエンザウイルスと同様、コロナウイルスも変化するだろうから、やはり、抗体はあまり有効でなく、ワクチンも効くかどうかは分からない。
私は、インフルエンザ・ワクチンの接種は一切していないが、ワクチンが効くことはあまりない。
要は、インフルエンザ同様、感染しないことが大事で、そのためには、他人に近寄らないことだ。
これまで、少なくとも、日本人は群れ過ぎたのである(海外でも同じかもしれないが)。
今後は、自主的に他人と距離を取ることが、ソフィスティケート(洗練)された人間の特徴と見られるようになるだろう。

もう、今の形の学校やオフィスは時代遅れになる。
学校は確実に不要になるし、今の教育関係者は、上に行くほど単なる迷惑な存在になる。
そして、真に強いチームは、弱いつながりの中で構築されるものであることが分かるようになる。
日本でよく見られる、べったりくっついた集団は、チームではなくグループである。
グループは要らないので、グループであることを強要される学校や、サラリーマン社会は、遠くなく(あるいはすぐに)消えていくことになるのである。

学校・・・というものはなくなるが、学習の場では、様々な年齢・国籍・能力を持つ者同士が、群れることなく、弱い交流をして学びあう。
仕事では、チームというのは、確かに集まって話し合うことが必要なマイルストーン(中間目標地点)が存在することもあるが、普段はSNSやリモート会議での交流で十分である。

まさに、今すでにある、コロナと共存ずるために最適な行動や考え方が、理想的な未来社会のスタンダードになる。
そこはまさに、快適で生産性が高く創造的な場である。
農林水産業や生産業等の、物作りの現場では、人間とAIが張り合うのではなく、AIは人間を拡張する道具となり、人間の仕事は楽なだけでなく、適切な工夫を凝らせるので、仕事は創造的で非常に楽しいものになっていくだろう。
そして、人々は、リアルに手足を使う仕事と、バーチャル空間で行う仕事を行き来することになる。
リアルだけ、バーチャルだけで能力を高めることは出来ないからだ。
試験の点が良いだけの教科書人間は全く不要で、現場を楽しめ、現場で役立てる人間でなければならないのである。
だから「先生」なんて呼ばれる者はいなくなるだろう。
逆に言えば、今の「先生」は無用なのである。

とはいえ、「あれをやらないといけない」「これもやらないといけない」なんて、あくせくする必要はないし、あくせくしてはならない。
仕事や人生を楽しんでいれば、自ずと、必要な場所に導かれるようになる。
だから、大切なことは、人生に対する姿勢である。
リラックスし、楽しく、ワクワクすることをやろうとする感性を持つ必要がある。
今はまだピンと来ない人が多いかもしれないが、楽しむことが仕事である。
もう、確実に、そんな時代に移行するのである。
地球は滅びず、それどころか、発展するために、新型コロナウイルスが来たのであり、古い人間には、これが生物兵器に見えるのは仕方がないのかもしれない。













KayのAI書。数学講師Mr.Φとの共著です。
基本的に、数学、プログラミングは不要ですが、数学的理解に興味があれば、Mr.Φによる詳しい解説を見ることが出来ます。
また、モンティ・ホール問題や囚人のジレンマなどの有名な推測問題をシミュレーションする簡単なExcelマクロ(VBAプログラム)が無料ダウンロード出来ますので、「AIを習得するついでに」プログラミングを勉強しても良い訳です。
本当のプログラミング教育なんて、こういうふうにやらないといけないのだと思います。
多様に活用出来る楽しい本だと思います。
文系でも大丈夫ですので、全国の高校・大学に常備していただきたく思います。

信頼すれば信頼される

「飼い犬に手を噛まれる」という言葉があるが、それは、噛まれた者に問題があると考えて良いだろう。
このことわざは、本当に犬のことを言ったのではなく、面倒を見てきた自分より格下の人間のことを指すが、噛まれた者というのは、噛んだ者を見下していたり、支配したり、干渉し過ぎたり、自分の信念を押し付けようとしたのである。
犬や猫だって、度を越して自由を制限したら、噛まれて当然である。

本物の愛を持って接すれば愛を返してくれるし、信頼や尊重もそうである。「こんなに愛してきのたのに」「こんなに信頼していたのに」「こんなに面倒を見てやったのに」と嘆く者は、実際は、愛しても、信頼してもおらず、面倒を見ていたのも、本当は利己心でやっていたのであろう。

もし、安倍総理、あるいは、政府が国民に信頼されていないとしたら、それは、安倍総理(や政府)が国民を信頼していないのである。
ところで、スウェーデンでは、新型コロナウイルスの感染があっても、都市封鎖をせず自由に移動出来、営業自粛を求めず、学校も開校している。
50人以上の会合を禁止するなど、最低限の規制はあるが、後は、各自がソーシャル・ディスタンスを意識することを求める・・・早い話が「やたら群れるな」と注意する程度である。
これは、政府の方針が集団免疫を獲得することにあるからだが、やはり、国民を信頼しているのである。
確かに、スウェーデンの新型コロナウイルス感染者、特に、死亡者数は近隣国に比べ多いが、こんな言い方は良くないのだろうが、それでも、現在のところ、感染者は2万人、死者数は2300人で、スウェーデンでは自殺者は日本や韓国のように多くはないが、癌や交通事故で死ぬ人に比べれば、はるかに少ないのである。
そして、トータルで言えば、スウェーデン方式が正解なのではないかと考える人も少なくない。
また、スウェーデンでは医療崩壊の危機が見られないことが特筆に価する。
元々、スウェーデンは医療サービスの水準が高いのだが、回復者が多く、重篤化する割合が少ないのである。

スウェーデンでは「群れない」という一番大切なことを、国民に強制せず、重要性を説明した上で、後は信頼してまかせたである。
結果、親しい者同士が交流する場合は、案外に密着するが、全体的には「群れない」のである。
方や日本では、スーパーのレジ前では、黄色い線が描かれているので間隔を空けるが、買い物中は平気で近寄ってくるし、道や公共の場所で群れて長時間騒ぐなど、幼稚な者が多いように感じる。
信頼されない者、信頼しない者は堕落し、勝手気ままな自己中心主義になるのである。
まずは、自分が何かを信頼しなければ状況は改善しない。

初めに、自分より格下の人間に対する信頼や愛について述べたが、本当は、自分より上の存在に対しても同じなのである。
自分より高位の人間、偉大な人間だって、本当に信頼しているなら信頼を返してくれるし、本当に敬っているなら、敬ってくれるものなのである。
さらにそれは、自然や運命、そして、神といったものにまで及ぶ。
『歎異抄』という書物からは、親鸞の阿弥陀如来に対する強い信頼が感じられる。
法然は努力して阿弥陀如来を信頼したが、親鸞は努力なしにそれをした。
その精神には教わるところが多いと思う。













ブログオーナーKayの易しいAI実践書。
ExcelがインストールされたWindows10パソコンに、ソニーの無料アプリ、NNCをインストールすれば、自分で機械学習型AIを作れます。
必要なデータ作成を行うExcelマクロ(Excel2016以上で動作確認しています。保証はしませんがExcel2000以上で動くと思います)が無料でダウンロード出来ます。
Excelマクロで、簡単な足し算、掛け算、素数判定の問題作成から、モンティ・ホール問題、シュレディンがーのエイリアン(オリジナル作品)、囚人のジレンマなどのシミュレーションを行い、データを作成出来ます。

こんな時こそ必殺の切り札

人生の切り札、魔法の杖を持てただろうか?
それさえあれば、新型コロナウイルスが蔓延しようが、経済が破綻しようが、人々が暴徒化しょうが、平然としてられるという必殺の光線銃だ。
それは、普通は自分で磨き抜かなければ威力がないが、手に入れ方によっては、アラジンの魔法のランプのごとく、何の努力もなく自分のものになる。
ただし、アラジンが魔法のランプを手に入れたのは偶然ではなく、彼の、ほんの少し高貴な魂が引き寄せた必然だった。
それは、あなたでも可能だ。

磨き抜いたということでは、ルー・テーズのダブル・リストロック、木村政彦のキムラロックがある。
実は、ほとんど同じ関節技だ。
ルー・テーズはプロレス史上最高のプロレスラー。
彼は、そのダブル・リストロックで何百回と救われたという。
確かに、プロレスはスポーツではなく、試合前に結果は決まっているが、八百長ではなく、そんなショーなのだ。
だが、ショービジネスが全て契約通りに行われるとは限らず、時に馬鹿がいて、シナリオを裏切ってきたが、そんな時でも、テーズは必殺ダブル・リストロックがある限り安全だった。この技は軍隊でも実戦の切り札として採用されていることがある。
木村政彦も同じだったが、力道山との「世紀の一戦」では、引き分けの契約がありながら、力道山に、必殺の掌底(しょうてい)打ちを、こめかみに不意打ちで食わされKOされた。

昔の中国の倶胝(ぐてい)という僧は、どんな相談を受けても、人差し指を1本立てるだけだった。
それだけで名僧として通用した。
そして、死ぬ時、言ったという。
「私は天竜先生から教わった一本指の禅を、生涯かけても使い切れなかった」
この一本指の禅が、倶胝の必殺の切り札だった。

このブログでも何度も紹介したが、世界的教育学者の七田眞氏が「正真正銘の事実」として著書に書かれていたホームレスの必殺の切り札は、
「神様の奇跡が起こる」
という呪文だった。
仕事も住むところもなかったが、暇はたっぷりあったそのホームレスの男性は、1日中、「神様の奇跡が起こる」と唱え続け、宝くじで1億円を当てた。
それも2回も。

自分が心から信じられること・・・それは、心に肯定的感情を起こすはずである・・・であれば、もう絶対、何でも良い。念仏でも、「アジマリカン」の呪文でも、大祓詞でも、般若心経でも。
「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も、吾往かん。 」(孟子)
である。
尚、「縮(なお)くんば」は、「正しい」という意味ではあるが、それよりも、「気分が明るい」という意味に取った方が良いと私は思う。
真に正しいことは、心に陰がなく、明るいのである。












KayのAI書(数学講師Mr.Φとの共著)。2020年5月30日発売。

AIを取り入れると、かつて電気を取り入れた企業や家庭が、それまでの企業や家庭と全く違うものになったように、ビジネスも個人生活も革新されます。
確かに、グーグル・アシスタントで、その一端が可能になりましたが、今度は、自分で作るAIという超高性能な武器を持つべきです。
それにお金は要りません。どんな人にも、そのきっかけを与えられることを願って書きました。
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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