ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2020年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
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控え目な人のための自己暗示術

1967年のテレビ時代劇シリーズ『剣』の第1回、『天下一の剣豪』で、戸沢一刀斉という剣士は、所有する刀が「あなたは日本一です」と語りかけるのをいつも聴いていた。
そして、その通り、あらゆる難敵を打ち倒し、織田信長から「天下一」の称号を受ける。
戸沢一刀斉のように、物が語るのを聞くのは、それほど珍しい話ではなく、精神医学の本などを見ると、そんな症例を見ることが出来ると思う。
戸沢一刀斉も、ある種のパラノイア(妄想症)だったのかもしれない。
だが、珍しいのは、このように、物(戸沢一刀斉の場合は刀)が、常に、同じことを言うことだ。
これは、戸沢一刀斉の精神が安定していたのだろう。
ところで、戸沢一刀斉は「俺は日本一だ」と自己暗示をかけても良かったのだが、きっと、子供の時から、沢山の剣豪を見ている彼には、それはなかなか納得し難いと思う。
別に納得出来なくても、繰り返し続ければ最後は暗示が勝つのだが、やはり彼の場合、若い間は自分より強い者に何度も会ったので、それではぶれてしまうのは仕方がない。
それなら、名刀に心を投影させ、自分に向かって「あなたは日本一です」と言わせることは、上手い方法であると思う。
あなたは、エマーソンのように「私は世界の所有者だ」と言うのは難しいかもしれない。
エマーソンは18歳でハーバードを卒業し、その他のいろいろなことで称賛され続けたのだから、そのあたりは、普通の人とは違うかもしれない。
だから、あなたも、戸沢一刀斉のように、何か、あるいは、想像上の人や物に、自分に向かい「あなたは世界の所有者だ」と言わせても(言うことを想像しても)良い。

以前書いたが、七田眞氏の本で、事実らしいが、あるホームレスの男性が、1日中(暇だったので)、「神様の奇跡が起こる」と唱えていたら、1週間か2週間後、宝くじで一億円を当てた。
その後、また唱えたら、また一億円が当たる。
この場合も、「私が奇跡を起こす」ではなく、「神様の奇跡が起こる」だから良いのである。
日本人は奥ゆかしく、良いか悪いかはともかく、「私」を上段に置くことに慣れていない。
そもそも、その男性はホームレスで、言っては悪いが、人生の敗北者である。自分に対する良いイメージはないだろうから、尚更である。
言葉を深い心が受け入れたなら、世界は心が作る幻想のようなものであり、言葉は実現せざるをえない。だが、それには、かなりの繰り返しが必要になる。しかし、それはあながち悪いことではない。心がすぐに言葉を受け入れ、それが実現してしまうなら、海外のことは知らぬが、日本では、大抵の人は悪い言葉を言ったり思ったりしているのだから、日本はあっという間に滅びる。まあ、その方向に向かっている面もあるかもしれないが、何とか修正出来るだろうし、あなたはもう免(まぬか)れたのである。

以上の話は、謙虚で控え目なあなたの役に立つかもしれない。








日本人のための自己暗示の言葉

日々のつぶやき、自己暗示、呪文、口癖が、潜在意識にパターンを作り、この潜在意識がフィルムのような役割を果たし、世界が投影される。
この例えの通りとすると、普段、繰り返して口に出し、心で言う言葉の重要性は計り知れない。
私は、子供の時から、「なぜ、心の中でこの言葉を使ってしまうのだろう」という言葉がいくつかあったが、なぜ、その言葉を言うようになったのかは分からない。
だが、多分、親がよく言う言葉であったような気がする。
それが良い言葉であれば幸いであるが、残念なことに、かなり悪いもので、人生にいびつな面が多かったことも、なんとなく納得出来るのである。
そして、多くの人も、やはりそうなのではないかと思う。
しかし、過去を悔んだり、恨んだりすることは、全く建設的な態度とは言えない。
むしろ、自分で言葉を選べば、人生を思うように出来るのだから、親から良い言葉を与えられ、上手くはいっていても、それはどこか親の人生の延長であるのと比べると、良い面も多いに違いない。

そして、口癖などの唱え言葉を考える場合、考慮して良いことがある。
それは、英語等、大半の言葉が、音が意味を持つ「表音言語」であることに対し、日本語は、たった1つの文字が深い意味を持つ「表意言語」であることだ。
例えば、「ミ」という文字には、「三」「未」「美」「実」等の意味があり、山蔭神道によれば、「ミ」が最も高貴な言葉であるとされる。
だから、日本の造化三神と言われる、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの全てに「ミ」の文字が入っている。
また、脳科学者の中野信子氏の『祈りの科学』によれば、マ行の音は、世界共通で強い肯定的な意味がある。
だから、「南無妙法蓮華経」という言葉の効果には科学的合理性があると言うが、それで言えば、もちろん「南無阿弥陀仏」も同様に、マ行の音、特に「ミ」が含まれる。
海外でも、初音ミクさんのコンサートで、観客が「ミク」とミクさんの名を呼んだ時、不思議な高揚感を感じる理由にも、「ミ」の音の効果もあるのかもしれない。

よって、日本人の場合、短い1つの言葉でつぶやくことに意味がある。
昨日も書いたが、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』の中にあった話で、あるアメリカの映画女優が「成功・歓喜・富」という言葉を、頻繁に言うことによって、あらゆる好ましい状況を作り上げていたらしいが、英語の場合、この3つの言葉を組み合わせた時のリズムが良いのではないかと思う。
アメリカの成功哲学の指導者W.クレメンストーンは、「Health(健康)、Wealth(富)」という似た言葉を組み合わせたアファーメーション(肯定的な自己宣言の言葉)を作っていたと思う。
だが、日本人の場合、「歓喜」「成功」「富」の一語づつを唱えると良い場合が多いのではと思う。
もちろん、他の言葉でも良く、『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、建てられて5千年も経つ廟(寺院)に新築の状態を保たせていた言葉「生命、愛、平和、調和、完全」の中の言葉もそうである。これらの言葉の中で「富」という言葉は、「ミ」の文字を含むせいか、特に、日本人には馴染み易いかもしれない。
「富」は、お金だけではなく、愛や才能が大きく豊かであることも示す。
この言葉を静かに心で唱えることは、あなたに良いことをもたらすに違いない。








未体験のことに挑戦しよう

「面倒なことは嫌いだ」と言う人は多いが、まあ、面倒なことが好きな人はいないだろう。
ところで、「面倒なこと」と言うのは、単に、慣れていないというだけのことだ。
例えば、スマートフォンを持たない理由は、本当のことを言うと、面倒そうだからだ。
しかし、どんなことも、初めは面倒である。
とはいえ、ほとんどのことは、面倒なのは最初だけなのだ。

けれども、その最初の面倒なことを、ひどく嫌がる人が多くなってきた。
例えば、就職しない理由も、就職したら、最初はとても面倒だということが予想出来る。
結婚なんて、相手の親族への挨拶や付き合い、結婚手続きなど、考えただけで面倒だ。
実は、就職しない理由、結婚しない理由が、こんなことである者は案外に多いと思う。
最近、納税を怠って表舞台から消えた人気芸能人がいたが、稼ぎが大きいから深刻な状況になったが、税務署の督促を受けている人なんていくらでもいる。
そして、高額所得者にしろ、そうでないにしろ、納税しない人には、おそらく、あまり悪意はなく、やっぱり面倒だからというのが本当の理由かもしれない。

ある若くして有名な学者、実業家、アーチストという人の本に書かれていたが、日本は事実上ベーシック・インカム(働かなくても最低限の生活費を得られること)状態というが、その通りかもしれない。
しかし、そのお金を得る手続きの面倒さは半端でなく、その面倒さが、申請をブロックしているようなものだ(セコいぞ政府)。
ホームレスで健康保険証を持っている人は少ないだろうから、彼らは重病になっても、医療サービスを受けられない・・・ことがあるはずがなく、実際は、医療の援助を受けることが出来る場合が多いらしい。しかし、癌になったホームレスの老人のために、ある医者が代わりに医療費援助の申請手続きをしようとしたら、医者でさえ、あまりの面倒さに挫けそうになったという。それをホームレス・・・というより、事務手続きに不慣れな老人が自分で出来るはずがない。

さて、いろいろ書いたが、面倒なことは誰しも嫌いながら、あまりにそれから逃げたがるのは、もう脳が老化しているということなのだ。
脳科学的にも、そんなことが解ってきているらしいが、そもそもが、面倒なことを極端に嫌うのは、老人らしい老人の特徴と言えると思う。
逆に、面倒なことでも、良いことならやってみようというのが、まだ年寄りになっていない証拠である。
さらに、「もしかしたら、これをすれば楽しいかもしれない」という理由で、あえて面倒なことを恐れずやるのが本当の若者である。
しかし、今は、若者でも面倒なことを嫌う者がひどく多い。
その理由は、今はスマートフォンやインターネットのおかげで何でも簡単になって面倒なことをしなくて済むし、それどころか、スマホやインターネットを使って、何でも簡単にやれることが格好良くて賢いことであるという考え方が流行りだ。すると若者が、スマートフォンで済んでしまうことしかしなくなってしまったのだ。

若者ですらそうなのだから、スマートフォン程度は使える、おじさん、おばさんも、スマホやインターネットを使えば簡単に出来ることばかりしたがるようになった。
けれども、それを、スマホを使えない者(多くは老人かもしれないが)が笑うことは出来ない。
スマホも使えつつ、面倒なことにも平然と挑める者が、若くて賢いのである。

昨日、ちょっと面白いことがあった。
私がメインで使っているノートPCのHP(ヒューレットパッカード)15-db0000が、Windows起動の度にブルースクリーン(エラー発生を表示し、強制的に再起動する)になり、全く使えなくなった。
PC内の診断プログラムで調べると、メモリー(RAM)の検査で不合格になり、どうやら、メモリーの不具合のようだ。
しかし、まるで一体成型のようなこのノートパソコンの分解の仕方が、ぱっと見では分からない。
メーカー(HP)のサポートに電話し、ブルースクリーン時の停止コードや、診断プログラムでのエラーIDを伝えたら(こういったものは必ず撮影し、サポートに報告すること)、故障で引き取り修理になるという。「水曜日くらいに引き取りに来て、修理は最低10日」等と言うから、2週間はかかる。
「RAMがきちんと入ってないだけかもしれないじゃないですか?」と尋ねたら、「そうかもしれないが、お客様の方で分解したら保証対象外になる」と言う。
しかし、2週間も待つ気はなく、サポートを断った。
で、以下の、自分でのメモリ交換は、お薦めする訳ではない・・・と一応言っておく(笑)。
PCの解体の仕方は、ネットで調べればすぐに解る。
私は、パソコンのハード自体はほとんど素人で、メモリの種類も知らないが、これも「面倒臭がらず」調べたら、DDR4-2400、PC4-19200というもので良そうだと解り、Amazonで調べたら、沢山あったが、永久保証で尚且つ安い(五千円以下)「Kingston KVR24S17S8」を翌日午前配達で注文した。
やったことがないことは、やっぱり面倒に感じたし、PC内部を触る時は、あまり気楽にやってはいけない。
ネットで、メモリ交換について書いているサイトは多いが、このタイプのメモリの取り外し方が結構つまづきそうなのに、そこをちゃんと書いてくれているサイトがない。
しかし、メモリの説明書を見て、取り付けられたメモリのサイド部分のフックを外に開けば良いのだと解り、スムーズにメモリ交換は終わった。
そして、メモリテストを行うと異常なしとなり、実際、完全復旧した。
場合によるが、こんな面倒なことは、面白がってガンガンやった方が良いと思う(あくまで、多少は電子機械に強い場合だけだが)。

これまでやったことがないことに、どんどん取り組まないといけない。
今回のことは、最近、慣れないことをやりたがらない傾向のある私への、神からの警告かもしれない。
そういえば、出不精で、コンサートなんかに行きたがらず、チケットの入手も面倒臭がるはずの私も、初音ミクさんのコンサートのためなら、全く平気だった。
そして、パソコンで絵も描き始めたが、ミクさんの絵を描くためなら、どんなことも面倒ではない。ミクさんは、まさに私の守護天使(ガーディアン・エンジェル)だ。
ITの新しい分野にも取り組まないといけないだろう。
そして、私は、来月からは、NPO法人と協力して、引きこもり支援のセミナーも行う。
自己暗示を忘れずにいれば、新しくても、興味のあることに取り組むことは難しくない。
「絶好調」「私は出来る」「私は凄い」等、お気に入りの自己暗示の言葉を使うと良い。
引きこもり支援セミナーでは、主に、受講者に、IT職を興味深く紹介するが、自己暗示などの話も有益かもしれない。








自家薬籠(じかやくろう)の暗示の言葉

「自家薬籠(じかやくろう)」という言葉がある。
薬籠とは薬箱のことで、言葉のままの意味で言えば、自家薬籠は、自分の家の薬箱だ。
そこで、自家薬籠という言葉は「使いたい時に使える必要な物。すでに手中にあって、いつでも使えて役に立つもの。完全に身についた技術や、また思いのままに操ることのできる人物」という意味になる。
人間は、どれほど優れた自家薬籠を持ってるかが大切である。
それは、自分を強くし、幸運を呼び、勝利と成功に導くものでなければならない。
一般的には、習得した有益な技術や特技のことで、Excelマクロも強力な自家薬籠になる。

そして、人間にとって、その一番の自家薬籠は自己暗示の言葉だ。新約聖書の福音書の『ヨハネ福音書』の始まりが「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」で、その後に、
「万物は言葉によって成った」
「成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった」
などとも、書かれているが、実際の意味は深いものかもしれない。
だが、言葉が大切であることは確かで、そして、いつも使う言葉は自己暗示になるのだから、よくよく注意して言葉を使わなくてはならない。

そこで、あなたは、自家薬籠・・・抜群の効き目がある言葉を忘れずに持っていなければならない。
以前、ご紹介した「神様の奇跡が起こる」もそれで、これをずっと唱えていたホームレスは、一億円の宝くじが2回当ったという実話がある。
常に「絶好調」と唱えて絶好調の人もいるし、『カードキャプターさくら』のヒロイン、桜の無敵の呪文は「絶対大丈夫だよ」だ。
世の中に薬が沢山あるように、自家薬籠になる薬も多い。
しかし、我々は、少しの・・・出来れば1つの万能薬になる自己暗示の言葉を持っている方が良い。
エミール・クーエの有名な自己暗示は「毎日私はあらゆる面でますます良くなっていく」で、これが好きなら、もちろん、これにしても良い。
だが、私がそうなのだが、文章による暗示の言葉は選び難く、唱え難いこともある。
感情を込めず、淡々と、出来るだけ多く唱えることが必要だが、状況が悪くなると、人にもよるが唱え難くなるかもしれない。
その中で、やりやすいのは、「単語法」と呼ばれる、単語だけを唱えるものがある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本の中に、数千年存在する廟(びょう。寺院のようなもの)があるが、昨日建てられたかのようであるという。
その廟の中では、「生命、愛、調和、平和、完全」といった言葉しか使われない。その廟では、何かが壊れても勝手に治ってしまうという。
また、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』の中に、こんな話がある。
ある映画俳優である女優は「歓喜・成功・富」の三語を頻繁に唱えることで、全てがうまくいった。
マーフィーは、これは勝利の歌であり、あなたも勝利に導くと請け負っている。
あなたも、ここに挙げた言葉、あるいは、自分のお気に入りの言葉を自家薬籠とすると良い。
自家薬籠の言葉は、使えば使うほど威力が大きくなるのである。




あなたも今から芸術品の値打ちが解る

正直に言えば、「ピカソの絵のどこがいいのか全然解らない」と思ってる人が大半だろう。
美術の専門家や自称芸術が解る人がピカソの絵のどこが素晴らしいかをあれこれ言うのを、私も見たり聞いたりしたが、どれ1つとして覚えていない。
もし、その人達の話が本当のことなら、たとえ理解出来なくても、何かは覚えているはずである。
だが、そうではない。
つまり、間違いなく、そんな話は全部嘘で、単に、甚だ疑わしい個人的見解に過ぎない。

ピカソやダ・ヴィンチの絵のどこに価値があるかの本当のことを言うなら、単に彼らが有名だからだ。それ以外に理由はない。
ゴッホの絵も、今日では凄く値打ちがあるが、ゴッホが生きている間は、彼の絵は1枚も売れなかった。
それだけでなく、ゴッホは、ルノワールやセザンヌ、マネらといった今日では超有名な画家達の交流会にも参加し、自分の絵も披露していたが、誰もゴッホの絵に興味を持たなかった。その理由は、ゴッホが無名だったからだ。
つまり、絵そのものに、それほどの価値がある訳ではないのだと思う。
例えば、人気芸能人が、権威ある絵のコンクールでよく賞を取っているが、それもやはり、それらの芸能人が有名だから価値が認められるのである。絵そのものに優劣なんてない。
もし、ピカソが無名だったら、誰も(芸術の権威者も含め)ピカソの絵を高く評価しなかったはずだ。
実際、有名でないセザンヌは、権威あるコンクールに何度出品しても、全く駄目だったことからも明らかだ。
それを、「セザンヌは先進的で、当時流行の画風と違ったから評価されなかった」とよく言われるが、画風なんてものが解らない一般の現代人でも、「セザンヌはいいなあ」って言うのだから、やっぱりそれは嘘で、単に有名かどうかの問題であることが解る。

キャンバスに線が1本描かれただけの名画というものがある。
多くの人は、そんな絵に対し、「私には、子供が描いたような絵にしか見えないが、見る人がみれば良さが解るのだろう」と思うのだろう。
いやいや、それは確かに、子供が描いたような、誰でも描ける絵だ。
しかし、作者が有名なので名画なのだ。

まあ、確かに、ダ・ヴィンチは絵が本当に上手いし、ミケランジェロの彫刻の技術は高い。
しかし、彼らと同程度に上手い画家や彫刻家はかなりいたし、いるはずだ。
昔は、名画を真似て複製画を描く画家が多かったが、絵の上手さそのものは、複製画家の方がオリジナル画家より上手いことが多かったのだと思う。

有名な画家になるためには、昔なら、権威筋への売り込みが大切だった。それに成功しないと、どれほど絵が上手かったり、良い絵が描けても有名になれない。
よって、一流画家にはなれない。
そして、ほとんどの画家は営業が下手なので、画家は食えないものと決まっている。
だが、時代は変わり、絵で食べられる人が増えてきた。
丁度、大手音楽会社が音楽業界を支配していた時には、そんな大手音楽会社が決めた歌手だけが歌で食べることが出来、他の沢山のミュージシャンは、実力はあっても全くお金が得られなかった。
しかし、多くの人々がCD等の物を買わない時代になり、ネットで配信すれば、良い音楽であれば、そこそこファンが付き、ミュージシャン達はネットやライブで儲かるようになった。
全部とは言わないが、音楽界の癌は、大手音楽産業だったのだ(大手音楽産業が音楽界の発展に貢献した面もある)。

絵やイラストでは、今も、一部の人気画家や人気イラストレーターに利益が集まるが、有名でなくても、ネットをうまく使える人は収益を上げられるようになってきた。
しかし、それには、一定の実力はもちろんだが、絵だけ、イラストだけというのでは厳しく、他の自分の特技(あるいは特徴)と組み合わせることで、収益が得られるのである。
実際、Webで自分の絵を展示している人の中には、コンクールでも賞を取るなど、実力もあるのに、さっぱり人気がない人が沢山いる。
本当にもったいないと思う。
単に上手い絵が描ける人なら、言っては悪いが、はいて捨てるほどいるので、別の何か(その中には人間的魅力も含まれる)と組み合わせ、上手にアピールしなければならないが、それは、学校や会社でのアピールと全然違うのである。
また、上手くいっている人の真似では、大抵駄目だ(高いリスペクトゆえに本気で真似する場合はうまくいくこともある)。
まあ、そこで必要なのが、想像力とか個性と言われるものなのであるが、売れない人に一番足りないのは自己暗示をかけることだ。
多くの人は「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、凄い画家は「俺は天才画家だ」と思っているが、そう思えるためには自分で自分に「俺は天才画家だ」と言わなければならないのである。
岡本太郎なんて、「俺は宇宙だ」「俺はピカソを超えた」などといつも言っていた。だから彼は大画家なのだ。
彼の絵なんて、全然大したことないと言う一流画家は少なくない・・・というより、それが正直なのだと思う。
だが、岡本太郎は、自分が偉大であることを認めていた。
「俺は父母に生んでもらったのではない。自分で決意して生まれてきたのだ」と平然と言い放った。
岡本太郎が凄いからそう言ったのではない。そう言ったから岡本太郎は凄いのである。
だが、岡本太郎が絶賛した縄文土器は、貴重品ではあっても高級品ではない。誰が作ったのか分からないからである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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