ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2020年01月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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東京オリンピックから始まったW.ルスカの悲運

56年前の1964年の東京オリンピックでの大事件とも言える出来事に、柔道無差別級で、オランダのアントン・ヘーシンクが金メダルを獲得したことがあった。
日本の柔道関係者は、唖然茫然としていたようだ。
今では考え難いが、日本の柔道選手が外国の選手と戦う際、古い順に、
・怪我をさせるな
・気をつけていけ(ナメるな)
・負けるな
で、当時はまだ、「怪我をさせるな」の段階だったと思われる。
東京の次のメキシコでは、柔道はオリンピック種目から外れ、その次のミュンヘンでは、あのオランダのウイリアム・ルスカが登場した。
以下の内容は、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』を参照した。

実は、1964年の東京オリンピックの、オランダでの国内予選でも、ルスカは全勝しており、世界選手権優勝者であるヘーシンクと共に東京オリンピックに出場するのが当然であった。
だが、おそらく政治的な理由で、ルスカは代表を外された。ルスカは娼婦と暮すナイトクラブの用心棒だったのだ。だが、その仕事だって、ルスカの師の(やはり不遇な柔道家)ブルーミングが、仕事がなく経済基盤がないルスカ(実際に娼婦のヒモだった)を不憫に思い、善意で紹介したものだった。
ルスカは落胆したが、まだ24歳だったので、次のメキシコを目指すが、先程も述べた通り、メキシコでは柔道は競技種目から外れた。
そして、32歳になったルスカは、最後のチャンスであるミュンヘンに出場し、無差別級と重量級の2つにエントリーする。
東京オリンピックの時とは、選手層・・・特に日本人以外の選手の躍進が凄まじかった。
東京オリンピックでの重量級の出場選手は9名だったのに対し、ミュンヘンでは26名だった。
しかし、日本でも修行を重ねたルスカは見事、両方で優勝し、後にも先にもただ1人、オリンピック柔道で2つの金メダルを獲得した。
だが、ヘーシンクがオリンピックで優勝したことで億万長者になったのとは全く違い、娼婦のヒモに戻っており、柔道バカのルスカには、ヘーシンクのような勲章は与えられず、道場を開くことすら出来なかった。
ルスカは、新渡戸稲造の『武士道』に心酔する、ある意味、純粋な武道家だった。
娼婦のヒモになったのは修行に打ち込むためだったと思われるし、柔道以外のことは分からなかった。
その後、ルスカは日本で、アントニオ猪木と試合をすることになるが、その裏側の詳細は、上でご紹介した、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』が面白かった。

日本でも、オリンピック出場選手と、紅白出場歌手の選考の不透明性がよく話題になる。
それらのことは、私は全く興味がないが、オランダでのルスカの扱いには、その本の情報が本当なら理不尽を感じる。
ツイてるヘーシンクと、ツイてないルスカだが、生涯を通じてそうだったようだ。
武道家を目指すルスカが、オリンピックを通じてスターになるという願望を持ったこと自体が間違いかもしれないが、現代においては、他に取り得がなかった若いルスカにそれを求めるのは酷というものだろう。
インターネット等の情報テクノロジーが発達した現代においては、マスコミの表舞台に立つべきではない。それは、権威と関わるなということだ。
米津玄師さんは、本意とはとても思えないが、2018年の紅白歌合戦に中継とはいえ出場したが、やはり、2019年は断ったようだ。
そして、スポーツや格闘技の分野でも、大企業やマスコミと関わる必要がなくなるアイデアを出す者が出てくるに違いないし、もう実践している人もいるかもしれない。
今や、誰もが放送局を持っているようなものだし、良いものであればSNSで拡散する可能性が高い。
もう、正直者が馬鹿を見ない。
ルスカを現代の反面教師として見るのも良いかもしれない。
それも含め、いろんな意味で、『完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)』は一度読むと良いと思う。








所詮(しょせん)は数の勝負

イチローがなぜ、誰よりも優れた選手だったのかというと、誰よりも長時間練習したからだ。
とはいえ、昔のスポ根漫画のように、鉄のバットで鉄のボールを打つようなことも、ロッキーのように、雪山で重いものを運んだ訳でもなく、練習そのものは、およそ野球選手なら誰でも出来るものだった。しかし、それを誰よりも長時間やったし、シーズンオフで他の選手が休んでいる時でも、「好きで」練習していた。
「時間より練習の質が大事だ」というのも、その通りだが、今どき、どの選手も良い練習をしている。ただ、筋トレのような、短時間で効果を上げる練習が好きな選手が多くて、結果、身体を駄目にしてしまうが、イチローは筋トレはしなかった(彼が使っていたトレーニングマシンは、一般で言う筋トレマシンではない)。
「所詮は時間」なのだ。

私が、「所詮は数」と思い知ったのは、セールスマンをしていた時だった。
セールスマンは口がうまく、いろんなセールステクニックを持った人が、ある程度は成績を上げるが、最高の成績を上げる人というのは、誰よりも沢山訪問する人だった。
私がセールスをしていた会社で全国トップのセールスマンは、非常に口下手で、およそセールスマンに似合わない大人しい人だった。だが、それが彼に幸いした。
「どうせ自分はセールスが下手。他の人に勝つには件数で稼ぐしかない」と悟り、誰よりも数多く訪問したのである。
例えは悪いが、ナンパの達人が、声をかける女の子がことごとくなびくかというと、それはとんでもない誤解で、半端ない数の断りに耐えて声をかけ続けてこそ、ナンパに成功するのである。数の前には、イケメンも普通の顔も、あまり差はない。

正確ではないかもしれないが、斎藤一人さんが、著書で、「上場(会社が株式公開すること)するにはどうすれば良いか」に対し、「上場する」と口に出して言えば良いと書いておられた。それだけにして、余計なことをその何倍も書かなければいいのにと思うが、それだけでは本にならないのだから仕方がないだろう。また、斎藤さんは千回と数を指定しておられたが、数は多ければ多いほど良い。「上場する」と言った数が多い方が勝つのである。
昔のNHK大河ドラマ『毛利元就』で、戦国大名で知将の尼子経久(あまごつねひさ)が、元就に、「策多ければ勝ち、少なければ負ける」と言ったのを私はよく覚えている。
だが、そのドラマでは、その教えに従って、元就が行う策がことごとく成功したように描かれてたのは駄目だった。
実際は、1つ成功する裏に何度もの失敗もあり、失敗した時のリスク管理が大切なのだが、そんなお話は面白くないのだろう。
そのドラマでの「策略家」元就の成功は、セールスで言えば、訪問する家で全部売れるようなものであるが、それはどんなセールスの達人でも無理で、1つのセールスが成功する裏には、沢山の断りがあるのである。
だが、言葉で「上場する」には失敗はないので、数多く言えば良い。
では、我々はが何をすれば良いかというと、自分の目標を言葉にして言えば良いのである。
「体重を60kgにする」「Pythonをマスターする」「ネットで月百万円稼ぐ」でも良いが、多くの成功法則では、過去形(あるいは過去完了形)で言うのが良いとされるので、「私の体重は60kgだ」「私はPythonをマスターしている」「私のネット収入は百万円だ」などでも良いが、あまりこがわらず、自分が良いと思うようにやれば良いと思う。
しかし、イエス・キリストもまた、「願い事はかなったと思えば叶う」と、過去形が推薦のようだ。
だが、数多く唱えれば良いと福音書に書かれてはいないが、これは、感情を込めてクドクド唱えるなということと解釈したい。
斎藤一人さんも書いておられたと思うが、言葉は、感情を込めず、淡々と唱えるのが良いのである。








【勉強法対決】AI vs アイザック・ニュートン

アイザック・ニュートンの勉強法を興味深いと思ったことがある。
ニュートンは、何かの本(例えば、デカルトの数学の本)を学ぶ際、最初から読んでいき、解らなくなったところで、その本の勉強をしばらく止め、また最初から読んだ。
すると、2回目は1回目より先に行ける。
それを繰り返せば、いずれ、1冊読み終わり、内容をマスターしている。

現代のAIの主流であるディープラーニングも、そんな学習をする。
ただ、ディープラーニングの場合は、本に例えれば、最初から1冊読み切ってしまうのだが、本と違って、最初の方と終りの方に差異がないデータで学ぶから、それで良い。
それを、何百、何千回と繰り返し、遂に、内容をマスターしてしまう。

本は、最初の方と終りの方では内容が違うので、必ずしも、最初に通読する必要はない。
そして、ニュートンは、その本をいったん読むことを止めても、別のことを勉強したり、あるいは、自然を観察したり、何かを考えたりしていたのだと思う。
それは、ディープラーニングには出来ない勉強だ。
確かに、AIは、固定された(同じような)情報であれば、人間とは比較にならないほど速く、数多く繰り返すことが出来る。
とはいえ、やはり、AIが学ぶ範囲は狭いし、多様性に欠ける。

ところで、ニュートンだって、「解らなくなった時点で、いったんその本の勉強を止める」といっても、案外に、放置する時間は短かったかもしれない。
そして、前の方の部分を特に数多く繰り返し、その中にある法則を掴み取るのであるが、重要な基礎は前の方に書かれてある場合が多く、ニュートンは基礎を柔軟な形で習得したのだと思う。
だが、現代の学校で流行の短気集中型学習では、基礎が深く定着せず、せいぜいが受験には役に立つが、実用的なことが出来る力はつかないと思う。
私は、ディープラーニングの良い面も意識しながら、ニュートンのように勉強しようと思う。
短期間に詰め込むような学校式の勉強は避け、あまり一生懸命やらず気楽で良いが、例えば1日1回は必ずテキストを開こうと思う。
これなら、何でもマスター出来るだろう。








ルーティンのない成功者はいない

ラグビーで、五郎丸さんがボール・キックの前に必ず取るポーズのような儀式的な行いを「ルーティン」と呼んで注目されたが、すっかり忘れられた。
スポーツの一流選手でルーティンを持っていない人はいない。
ただ、目立たなかったり、プレイ中ではなく、控え室や、あるいは、自宅の中で行う人も少なくない。
そして、実際は、スポーツの分野でなくても、実力者でルーティンを持たない者は、まずいないだろう。

昔、著名な事業家であった邱永漢さんが、著書に、成功した町のサラ金業者の社長に会った時のことを書かれていたが、面白いルーティンの話があった。
そのサラ金社長は、冷酷無慈悲な金の亡者だと多くの人に思われていたかもしれない。そのサラ金社長が、邱永漢さんの前で、パーンと拍手を打ったので、邱永漢さんは大いに驚いたが、そのサラ金社長は、「私が儲けさせてもらっているのは神様のおかげだと思って」いることから、感謝や敬いの意味で拍手を打つらしい。
そのサラ金社長は本も出しているが、邱永漢さんほどの人が来たに関わらず、プレゼントせずに定価で売ったというから驚きであるが、そんなケチでがめつい人間にも、ルーティンはあり、それが神の加護を呼ぶのかもしれない。

癖とかジンクスと言われるものもルーティンで、例えば、縁起を担いで靴下や靴を左右どちらから履くかにこだわる人がいる。
それによって、安心したり、気分がノったり、集中したり出来るのだが、おそらく、一流の場合ほど、潜在意識の助け(これが神の助けかもしれないが)を呼び起こすのだと思われる。
名医の中には、手術前にお祈りをする人もいるらしい。
作詞家の阿久悠さんは、ヒット曲を作る時は、必ず、簡単な瞑想をしたという話もある。
一方、平凡な能力しかない者の場合はルーティンが見られない。

仕事に限らず、食事の前に、日本人なら「いただきます」と言ったり、クリスチャンならお祈りをするのもルーティンで、それを必ずきちんとする人は、どこか違い、きっと運も良いのだろうと思う。
就寝の前に家族に「おやすみ」を言ったり、言う相手がいないにも関わらず、そう言う人もいるが、それがおかしなこととは感じられないと思う。そんな人の方が、人生がうまくいってそうだという根拠がない予想・・・つまり、直感的にそう感じるのではないだろうか?
ルーティンは、頻繁に行うものもあれば、1日1回という場合もあるが、とにかく、ルーティンを1つも持たない人は、きっと「心を締める鍵」がなく、脆かったり、弱かったりする面が大きいように思える。

歴史的なプロテニスプレイヤーであったジミー・コナーズは、「テニス選手には2種類いる。ウィンブルドンのタイトルを持っている者とそうでない者だ」と言い、著名な心理学者アブラハム・マズローは「偉大な人間とそうでないない人間の違いは1つだけで、それは至高体験があるかないかだ」と言ったが、それよりも大事と言うか、それらの基になっていることが、「人間には2種類がある。ルーティンを持っている者と持たない者だ」になるのではないかと思う。








私はウイルスにはビタミンCで対応する

ニュースサイトを見ると、新型コロナウイルスの、中国での感染者は5900人で、死亡者は132人に達したという。
日本国内では、3人の感染者が確認されているらしい。
今のところ、全体から見れば極めて小数であり、特に、日本でどれほど不安に思っている人がいるかは分からないが、誰しも、大なり小なり、関心は持っているかもしれない。

笑われるかもしれないが、私は、ウイルスや微生物による脅威に対しては、ビタミンCの大量摂取で対応する心積もりである。
Webを調べれば分かるが、このようなことを言う者は、馬鹿にされることも多いようだ。
ただ、私も、別に、人にお薦めする訳ではなく、長い調査と思索から、個人的に、他の方法よりは正しいと思っているだけである。

量子化学者ライナス・ポーリングは、研究により、数多くの病気にビタミンCが有効であるとし、ビタミンCで癌を治癒した例も多いと思われ、現代でも、癌の治療として高濃度ビタミンCを摂取することで効果を上げていることを医学者が述べている書籍もある。ポーリングは、人類で唯一、単独でノーベル賞を2度受賞し、(以下Wikipediaからの引用)イギリスのニューサイエンティスト誌による「史上最も偉大な20人の科学者」として、アルベルト・アインシュタインと共に選ばれた唯一の20世紀の科学者でもある。ネイチャー誌のミレニアム・エッセイの著者であるGautam R. Desirajuは、ポーリングをガリレオ、ニュートン、アインシュタインに続くこの1000年で最も偉大な思想家、思弁家の一人であると2000年に主張している

とはいえ、私は別に、ポーリングが偉い科学者だから信じるというのではない。
ところが、面白い理由から、ポーリングは信じられるのである。
その1つは、これほど偉大な化学者でありながら、化学や農学を専攻する大学生にすら、名を知らない人がいくらでもおり、まして、一般の人には、ほとんど全く知られていない。
まあ、一般の人は、教科書とニュースに出てこないことは知らないものであるが・・・
そして、もう1つの理由は、ポーリングをいくら馬鹿呼ばわりして批判しても、全く安全で、非難される心配はない。
全く変な理由に思えるだろう。
これはどういうことかと言うと、権威と一切関わりを持たないということなのだ。
それどころか、権威によって貶められてるフシすらある。

あくまで一説であるが、ポーリングは、ほとんどの病気がビタミンCを初めとするビタミンで治ることを示したため、製薬会社に敵視された。
ビタミンCは極めて安価であり、そんなもので病気が治っては、製薬会社も医療業界もたまらない。
そして、アメリカでも日本でも、医学は国家と協調関係にあり、医学には国家の権威が与えられているが、それをポーリングは根こそぎ否定したのであるから、日陰者になるのは仕方がないし、実際、苦境にあったようだ。
三石巌さんという、ポーリングとも親交のあった物理学者がいる。彼は60歳の時、大学病院の主任教授に、白内障のため、2~3年で失明すると宣告されたが、その教授は治療しようとはしなかったという。そこで、三石さんは自分で治そうと決意し、白内障はビタミンCの不足であることを突き止め、「浴びるように」ビタミンCを摂取するべきと考え、その通りにしたら、完全に治ってしまい、90歳を過ぎた30年後もはっきり見え、スキーもしていた。
このことは三石さんの著書『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』に書かれているが、この本の序文は、渡部昇一さんが書かれている。
医学というものが、どういうものか、このエピソードでも分かるし、私自身、そして、私の身近で、医学に反することをして致命的な病気が治った例は沢山ある。
ただ、すっかり、マスコミを通じて権威者に教育され、医学の権威を信じきって疑わない人も多いが、そんな人に宗旨替えを迫る気はない。

ビタミンCがウイルスに対抗出来ることを語る医学者や、その実例を示す情報を見たこともある。
しかし、それよりも、普段からビタミンCを摂取し(他にある程度の食の節制と運動)、完全な健康体を保っていることや、ビタミンC摂取時の感覚から、おそらく、ポーリングや三石さんの言われることは正しいと個人的に感じているのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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