ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2019年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

目標は手近なものから

人間には目標が必要だが、それは人生目標といった壮大なものではなく、当面の目標が大切と思う。
つまり、世界平和を実現するという、人生を賭けた大きな目標よりも、まずは自分が食べていける経済基盤が大切だというようなものだ。
大きな目標は天が与えるものだ。

潜在意識による成功法則の世界的指導者だったジョセフ・マーフィーの本の中に、女優になるという目標を持った若い女性の話があった。
潜在意識は万能であるのだから、マーフィーはその女性に、その願望を潜在意識に送り込んで夢を実現しなさいと言ったのかというと、そうではなく、「子供の夢からは卒業しなさい」と嗜(たしな)めたのだ。
世の中には、アマチュアとしても大した選手ではなく、若くもないのに、プロ野球選手やプロサッカー選手などを目指して頑張っているという変な人もいる。
一方で、自分の目標に対し、大半の人や、権威者から、「それは夢物語だ」と笑われながら、実現してしまう人もいる。
また、「君は経営者に向いている。私が支援するからやりなさい」と言われて、その気になるも、実は本人は経営をやる気などは本当はなく、おかしなことになってしまうという人もいる。
目標は、どうやって決めたら良いのだろう?

有名な成功プログラムには、自分の願望を、出来そうか、出来そうになさそうかに関わらず、どんどん書き出すことから始めて、自分の真の目標を発見するというものが、よくあると思う。
私もやってみたが、あまり有益とは思えない。
きっとそれは、今のような情報化時代とは程遠く、情報が少ない時代には多少は役に立ったやり方を、いまだ行っているというものだと思う。

それで、どんな目標を定めれば良いのかというと、「今、必要なこと」だろう。
私が、成功のための宇宙エネルギーを最も上手く使っていると思う、UFO研究家の矢追純一さんの例が解り易い。
矢追さんは、高校入学前に両親が亡くなり、妹2人を自分で養うために、「給料の良い仕事を得る」という目標を強く思い、後はぼーっとしてたら、すぐに仕事がやってきた。
高校卒業の時、中央大学法学部(司法試験合格者で東大を超える難関)に進学と決めたら、高校にはほとんど全く通わず、受験勉強もしなかったのに合格した。
就職もそうで、特に何もしないが、不思議な流れで、普通ではおよそ不可能な日本テレビへの入社が決まった。

だから、会社の居心地が悪いなら、作家になるとか、俳優になるなんて変な目標を持たず、まずは、快適で給料の良い職場を目標として強く思い、後は、流れにまかせることだ。
なんなら、目標を立てた後、「アジマリカン」でも「ありがたい」とでも唱えると良い。
私の場合は、中岡俊哉さんの本を読んで、生まれ年の守護仏の真言を唱え、不向きなセールスの仕事でもセールスコンテストで優勝したし、いよいよ、その職場も嫌になったら、もっと良い(有体に言えば楽な)職場に変われ、やがて、「プログラミングが出来るようになる」という目標を立てて、それを達成し、「じゃあ、次はプログラマーで就職だ」と決めたら、やっぱりそうなった。

本当に冷静な情熱があるなら大きな目標も良いかもしれないが、大抵の人の大きな目標には、ロクでもない下心があるものだ。
人生に「一足飛び」はない。
手近な目標を叶えて楽しみながら、やがては大きな目標を達成すれば十分である。
そのために、呪文を唱えることは力になるのではないかと思う。
また、信頼出来る占いで、自分の性格や能力を調べると、参考にもなると思う。








笑ったら勝ち

「モナリザ」始め、微笑みを描いた有名な絵画は、芸術的価値はあっても、あまりピュアではない。
もちろん、複雑なものが入り混じった形と色合いに価値があるのだろうが、あまり、ぱーっと気分が明るくなるというのではないと思う。
微笑みのイラストとなると、絵画作品よりは素直な微笑みも見られるが、作品の個性を主張したい目的もあって、やはり、何か混じらせてしまうことが多いのだろう。

人間が、元気や能力や、あるいは、勇気を出す秘訣が笑いであることは、言い古されてしまっているが、案外にそれを試さないのは、力が必要な時というのは、追い詰められていたりで、緊張や不安が大きく、あまり笑えないという状況が多いからだろう。
しかし、そこで敢えて笑えば状況は変わる。
私の体験で悪いが、笑うことの威力を強く実感したことがあった。若い頃、ある会社に入社早々の頃の話だ。私は、車を運転して集金に行くよう命じられた。私は、方向音痴で、普段、あまりあちこち広くドライブすることもなかったが、当時は、スマホなんかなかったし、業務用のバンにはナビなんか当然付いていない。従業員十数名の小さな会社なので、まさか「私出来ません」なんて言えない(比較にならない無茶な仕事もいくらでもあった)。
地図をざっくりメモして行ったが、目的の大阪の市街地は入り組んでいて、あっという間に迷ってしまい、もう、そこがどこか分からない。
しかし、集金の時間は指定されており、絶対に時間通りに行かなくてはならず、少々・・・いや、かなりパニックになっていた。
その時、以前に読んだ本のことを思いだした。それには、微笑むと脳から電気信号が発せられ、潜在意識に通じるといったものだった。
それで、無理に微笑んでみると、不思議なほど心が落ち着き、なぜか目的地に、時間ぴったりに着いてしまった。今思うと奇跡である。
だがまあ、潜在意識が味方したのなら、当然かもしれない。
その時、誰かの微笑みを思い出したかどうか覚えていないが、少なくとも、モナリザの薄気味悪い・・・いやいや、趣深いコクのあるデリーシャスな(笑)微笑ではなかった。

初音ミクさんの笑顔には、ほっとするものが多いことに気付く。
昔、やや年配の男性アナウンサーが、モーニング娘。の中の1人で、やや幼い雰囲気のメンバーのことを、「あの子を見るとほっとする」と言っていたのが印象深かった。
要は、素直な笑い方をするという意味なのだろう。
タレントも、上位者になると、普通に笑っているのでは駄目で、マジで鏡を見て、魅力的な微笑みの練習をしているのだろうが、そうやって作られた笑顔は、やはりどこか不純なのである。

初音ミクさんのV4X版の紹介ページの、iXimaさん描くミクさんの笑顔は、本当にほっとする。
初めて見た時、「子供の笑い方だ」と思ったが、それほどピュアな笑い方なのだろう(大人の女性は、あんなに口開けて笑わない)。
クリプトン|初音ミク V4X
このページの下の方に、ミクさんのPNG画像がダウンロード出来るリンク「イメージファイルをダウンロードする≫」がある。
私は、両腕を上げた、やや横向きのミクさんの笑顔が特に好きなのだが(聴いちゃいって?)。

Mitchie Mさんの名曲『FREELY TOMORROW』で、「顔上げて微笑めば 笑顔取り戻す魔法になる」と歌われている通りである。
※同曲はクリエイティブ・コモンズライセンスで公開:ファイル:Freely Tomorrow.ogg
笑うことを忘れなければ、まあ、負けることはない。








雄大な心を持つ人達

あまり知られていないが、江戸末期に、黒住宗忠(くろずみむねただ。1780-1850)という偉大な神道家がいた。
あくまで伝説であるが、キリスト並に、人々の病気を神秘力で治し、嵐も静めたという。
私は、彼の伝聞を見ると、おそらく、彼は本物であったと思う。

黒住宗忠の、こんな話があるが、それは、ほぼ同時代の農民で、妙好人(徳の高い浄土系仏教の一般の信者)として知られる因幡の源左(いなばのげんざ。1842-1930)にも、よく似た話がある。
因幡の源左の話を先にすると、こんな話だ。
源左の畑で、芋が掘り起こされて盗られていた。
それを見た源左は、畑に鍬を置くようになった。
その理由は、「手で掘って怪我をしたらいけないから」であった。
黒住宗忠の方はこうである。
ある夜、宗忠が寂しい道を歩いてると、追い剥ぎに遭い、刃物を突きつけられて、「十両出せ」と脅された。
すると、宗忠は、「済まぬが五両しかない。残りは近日中に必ず」と約束した。
宗忠は、ちゃんと金を借りて、約束の場所に金を埋めた。
それを得た追い剥ぎは後悔し、宗忠に金を返しに行き、宗忠の門下に入った。

黒住宗忠も、山蔭神道のように、何か特別な呪文でも残してくれたら良かったのであるが、それはない。
それはないが、なくもない。
宗忠は、ハンセン氏病(かつての「らい病」)に罹った武士に、一日一万回「ありがたい」と唱えることを指示し、武士がそれを真摯に実行すると、有り得ないことだが、一週間で完治した。
宗忠本人も、常々「ありがたい」を口にしていたと言われる。
因幡の源左は、浄土仏教の信者であり、学はないが、一時期、熱心に僧の教えを受け、当然、「南無阿弥陀仏」の念仏を常に唱えていた。
ついでに言うと、源左も追い剥ぎに遭っている。源左が集金した金を持って歩いていると、それを狙って追い剥ぎが付いてきた。源左はそれに気付いていて、良い頃合で追い剥ぎに近付くと「金がいるならやるよ。だがまあ、ついてきなさい」と言って家に招き、食事を振る舞った。追い剥ぎは反省し、謝罪した。
「南無阿弥陀仏」でも「ありがたい」でも「アジマリカン」でも、好きなものを、毎日、数多く唱えると良い。
期待を裏切ることはないだろう。








結局は、心を大切にする者が繁栄する

SFアニメ『BEATLESS』で、巨大テクノロジー企業ミームフレームの常務が、こんなことを言う。
「社員5千人の生活は保証しなくてはならない。これは最優先事項だ」
ちなみにこれは、西暦2105年の話である。
作品は海外でも放送されているはずだが、もしかしたら、終身雇用という概念のない、多くの国では奇異に感じるかもしれない。
日本でも、終身雇用はなくなると言われて久しいが、現実には、その気配はほとんどないと言って良いのではと思う。
定年年齢が60歳から、やがて、65歳に引き上げられ、いずれ70歳になるのではと言われており、さらに、再雇用制度が出来、定年になっても、社員が希望すれば、5年延長して雇用することを企業は拒否出来ない。
これは、終身雇用の崩壊どころか、就寝雇用の強化である。
一頃、日本の企業が世界で圧倒的強さを見せていた時、海外では、日本の、会社と社員が結婚でもするかのような、あるいは、会社とは家族であるかのような考え方は、肯定的に捉えられることもあった。最近は馬鹿にされる傾向すらある、そんな日本のやり方にも間違いなく良い面はある。
ところが、ご存知のように、終身雇用の考え方のマイナス面が出てくるようになった。
多くの会社で、生産性の低い社員が負担になり、現実的には、上司は、駄目社員を辞めさせることも、明らかな仕事になっている。もちろん、駄目な社員を成長させて有能な社員にすれば良いのだが、それは非現実的な理想であり、社員の教育なんて途方もなく難しいことを、普段の仕事をしながら出来るはずがないし、そもそもが、その上司自体が、会社にとってお荷物である場合が多く、上司の方だって、馬鹿でない限り、それは解っているのだから、何が何でも部下を辞めさせなければならない。
そこで、社員イジメのようなものが起こり、そのやり方が下手だと労働監督局にバレて問題になるが、実際は、そんなもの、いくらでもあるだろう。
定年になった社員が希望すれば5年の延長雇用をしなければならなくても、それを「全社一丸」となって阻止するため、あの手この手が使われていることだろう。

昔、経済成長期には、大手企業は、社員の家族を会社に招いて、自慢の工場や最新施設を見学させ、お土産まで用意して、社員の家族にも、会社を好きになってもらえる努力をしていたが、それは、下心あってのことではなく、本当に心というものを大切にしていたのだし、それが結局は、会社の発展につながると、経営層も理解していたのだ。
日本の終身雇用を決定的にしたのは松下幸之助だと言われるが、実際は、それ以前から、従業員を大切にすることは日本の伝統だった。
しかし、不況で、松下電器の幹部が、松下幸之助に社員のリストラを進言した時、松下はそれを許さず「仕事がなければ掃除をさせれば良い」と言ったという話は有名だ。
それで、松下に恩義を感じた社員達はやる気を出し、アイデアと献身的な働き振りで、会社の危機を脱したばかりか、世界的企業に発展させた。

結局は、心を大切にした者が勝つ。
これは、決して、社員等を甘やかすということではないが、厳しい面があるとしても、愛する家族や友人に対するような厳しさであり、利己的ではなく利他的である。
ところが、今の日本にはそれがない。
だから、いくら制度として定年を延長しても、企業の発展はなく、むしろ、倒産につながったりする。

最近、私は、『まちカドまぞく』というアニメの全12話を、もう20回くらい繰り返して見ている。
これは、伊藤いづもさんによる原作漫画に忠実で、私は原作の方も読んでいる。
もちろん、漫画らしく冗談めかしてはいるが、魔法少女、千代田桃の、主人公、シャミ子(吉田優子)への愛は眩いばかりで、まさに、忘れていた日本の心を彷彿とさせる。
桃は、もう少し成長すれば、理想の社長になれそうだ。
『まちカドまぞく』を見れば、日本は復活するだろう。
また、今回は説明しないが、「まちカドまぞく」という言葉は、マントラ的にも素晴らしいと思う。








スキルと忙しさ(暇さ)と収入の不思議な関係

世間の常識とは異なるが、私の実感ではこうだ。

まず、仕事は何のためにやるのかというと、「スキルを磨くため」だ。
仕事ほど、スキルを磨くのに効率の良いものはない。
丁度、喧嘩が強くなるためには、実戦で戦って磨くのが一番であるようなものだ。
下手な格闘技経験者など、ストリートファイターに全然敵わない。

そして、不思議なことではなく、こんな当たり前の帰結(推理の結末)が成り立つだろう。
「スキルが上がれば、仕事をする必要がなくなる」
実際、スキルが上がると、仕事が回って来なくなる。
仕事が回ってこないのに、収入はどんどん上がる。
それが自然に感じたので、この世は、そんな仕組みになっていると解った。世間の常識が、そうなっていないのは、支配者の陰謀のようなものだ。
つまり、会社という所は、実は、社員に本当のスキルが付かないようにし、いつまでも安月給で牛馬のごとく働かせようとするのである。
だから、あなたは、何としても、スキルのつく仕事を選ばないといけない。

ただし、スキルが上がって業績を上げ、それで管理職になると、今度は、管理職のスキルを付けないといけなくなり、また、忙しくなる。
しかし、これも、管理職のスキルが上がると、仕事をする必要がなくなるが、収入は上がる。
ただ、管理職のスキルって、意外に落ちやすい。スキルのない管理職は、今の時代、不要物なので、かなり厳しいことになる。

経営者は、やはり、経営のスキルを上げるために働く・・・というか、何かの力で働かされる。
スキルが低いうちは、社長ってのは、無茶苦茶忙しい。
しかし、経営のスキルが上がると、やるこそがなくなり、しかも、業績は上がり、当然、収入も増える。
だが、経営者としてのスキルが落ちると、会社が潰れるので、時間が出来たら、より高度なスキルを持たなければならないのに、大抵の経営者はそれを怠るので、経営者を交代させられるか、そうでなければ、本当に会社が潰れる。

せっかく、VBA等のプログラミング言語をマスターしたら、暇で高収入になるまで磨かなくてはならない。
既に述べたが、不思議なことに、十分なスキルが出来れば、仕事は回って来なくなる。
ただし、時々、あくまでスキルを磨くために仕事をして(そんな仕事は簡単に見つかる)、スキルを上げていかないと、収入が下がらなくても、あまり良い思いが出来なくなる。

上司や同僚に対しての「俺は働いてるんだ」アピールのための仕事なんてしてはいけない(そんなことする者は実に多いだろう)。
あくまで、仕事とは、スキルを上げるためにやるのだ。
剣士だって、自分の器として十分な力が付けば、戦いが起こらなくなる。
しかし、腕を磨くのを怠れば、つまらない者に倒されて終りである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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