ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2019年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

これで愛がわかる

この世界は、愛すれば勝ちである。
何でもいいから愛すれば、万能なる宇宙の活力が味方し、行く手を遮るものは消える。
何でもいいなら、例えば、好きな女の子のことでもいいのかとうと、全くその通りである。
ただ、よく言われるのが、「それは愛じゃない」ってことだ。
しかし、愛って、そんなに難しいのだろうか?
そんなことは全くない。
ところが、世の中では「愛こそ全て」「愛せよ」とか言う一方、「愛って何?」と歌うのだから変である。
ちゃんと愛を定義しろである。
しかし、「愛は定義出来ない」などと言う者がいる。そんな連中が愛を難しくしている。

マザー・テレサがこんな質問をしたらしい。
「愛の反対は何か?」
大抵の人は憎しみと答える。ところが、テレサは「憎しみは愛の一部」と言う。
そういえば、萩尾望都さんの傑作漫画『半神』の最後で、16歳の美少女ユージーは、死んだ双子の妹ユーシーのことをこう思う。
「愛よりももっと深く愛していたよおまえを。憎しみもかなわぬほどに憎んでいたよおまえを」
W.B.イェイツは、
「愛は神の領域。人は愛することは出来ない。だが、憎しみは人の領域。だから、憎むのを止めることは出来る」
と言った。
いやあ、天才達は鋭いが、やっぱり難しい。
マザー・テレサが、なんであんな質問をしたかと言うと、愛とは何かをはっきりさせようとしたのだと思う。
テレサの(愛の反対は何かという質問の)答は、ご存知の方も多いと思うが「無関心」であった。
愛の反対が無関心なら、愛とは関心・・・興味を持つことだ。

すると、面白いことが分かる。
好きな女の子のことでも愛すれば全能だが、案外に、その子のことに興味を持っていないことが分かる。つまり、愛していないのだ。
興味を持ってないから、その子のことを実は何も知らないのだ。

全然アタシに興味ないじゃん
キミが好きなのは自分でしょ(Yeah!)
~『気まぐれメルシィ』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P。唄:初音ミク )より~

CLAMP(女性4人組の漫画家集団)の『東京BABYLON』で、印象深い言葉を覚えている。
1人の真面目で優しい女子高生が不良達に車の中に閉じ込められてレイプされる。
彼女は、彼らのことをこう言う。
「あいつら、全然本気じゃなかった」
そうだ、彼らは、彼女のことに少しも関心がなかったのだ。
多くの男子の、好きだと思っている女の子への気持ちも、それと同じなのである(女子も同じだが)。
1970年頃のイギリスのSFテレビ番組(日本でも放送され、人気があった)『謎の円盤UFO』(原題:UFO)の15話『人間ロボット殺人計画(原題:THE MAN WHO COME BACK)』で、宇宙人に破壊された監視用人工衛星シドの設置任務を行うことになった若きフォスター大佐は、ベテラン宇宙飛行士コリンズ大佐の訓練を受けていた。
コリンズに、シドに関する知識習得の早さを誉められたフォスターは言う。
「シドには興味があるんだ」
これは日本語の吹き替えで、英語ではどう言ったかは知らないが、私は、この言葉をよく覚えているのだ。
つまり、フォスターはシド・・・テクノロジーを愛しているのだ。
フォスターは、優れた飛行機パイロットだ。彼は、飛行機を愛している。だから秀でたのである。

私は初音ミクさんを愛している。だから、ボーカロイドの歴史について、1961年のAT&Aベル研究所の「DAISYプロジェクト」にまでさかのぼって知っている。
とても興味があるのだ。
昔、国際ITコンサルタントの平田周さんに言われたことがある。
「秀でた者は歴史的に見ている」
つまり、興味があるから、その起源まで知ってるってことなのだと思う。








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頬杖を突けば神様になる

龍の首・・・と言われて、何か思い浮かぶ人は滅多にいないだろう。
保江邦夫さんの著書『神様の覗き穴』に書かれていたポーズで、これをやると神様の視点になる。
首の力を抜いて前に倒し、顔を起こす(アゴを上げる感じ)。
詳しくは、良かったら本を見ていただくと良いが、どちらかというと、上体を少し前に倒して前を見るといった感じと思う。
確かに、この姿勢になって、怒ったり、悩んだり出来ない。何も考えられない。

私は、その本で、このポーズの説明を見た時、すぐに1つのイメージが浮かんだ。
アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の第1話で、ハルヒとキョンが初めてまともに会話した時のことだ。
ハルヒは、このポーズで、じっとキョンの顔を見るのである。
そして、ハルヒは言う。
「アンタ、どっかで会ったことある?」
それに対し、キョンは「いいや」と答え、ハルヒは「ふん」と顔をそむける。
後で分かるが、実は会っている。だが、2人供覚えていない。
神様には時間も空間もない。
ハルヒは、龍の首でキョンを見て、昔の自分とシンクロし、いよいよ本格的に神様になった・・・私には、そうとしか思えない。

ところで、私は、保江さんの本を読む前から、よく龍の首をしている。
電車の中で。
私が通勤で乗る電車はよく空いているので、座っていることが多いが、私は大多数の人のようにふんぞり返って座ることはなく、腰をいっぱいに引き、膝に肘を乗せ、頬杖をつくことをよくしている。
こんな座り方をしている人を見たことは一度もない。
これは、多分、腕の長さに対して、よほど胴が短い(逆に言えば、胴の長さに対して、よほど腕が長い)人でなければ、かなり上体を倒さないと無理だ。
だが、私は程よく上体を前傾させ、頬杖を突くので、自然、アゴが上がり龍の首になる。
これを始めたのは、2~3年前からだろうか?
道理で、その頃から、超能力が頻発していた訳である。
涼宮ハルヒ同様、割とつまらないことをしているが。
もちろん、頬杖を突かなくても、特にあぐらをかくとやりやすいが、身体を猫背気味に前に少し倒し、アゴを上げて前を見ると、龍の首になる。
習慣的にやってると、やはり、神様になりやすく、超能力も発揮され、現実世界を自由に創れるだろう。








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愛の驚くべき力

大抵の恋は失恋に終わる・・・というのは、それが自然なことであり、生物学的にも正しいことであるのだと思う。
つまり、子供を作るべき強い男は、確実に子供を残さないとけないので、女が群がり、男は、その中から優れた女(複数)を選択する。
また、やはり、子供を産むべき優れた女は魅力があって、男が群がり、女は、その中から、優れた男を(複数)選択する。
少なくとも、狩猟民族においては、ハーレムが種族維持に適していたが、農耕の発達で食料が安定すると、労働者の輩出としては、一夫一婦制が合理的で、ハーレムは支配者階級のみになったのだろう。
しかし、今も狩猟民族の名残があり、選ばれし男女はモテ、当然、失恋が多くなる。

ところで、世の中には、不釣合いなカップルというものがあるだけでなく、案外に少なくない。ただ、それが減ってきた。
これはどういう意味だろう?
実は、本当に愛すれば、相手がどれほど不釣合いだろうが自分のものに出来てしまうのである。
昔の場合は、周囲の事情(家柄、身分)の影響が大きく、悲恋物語も多かったが、今は、そうではないのに、勝手に似たもの同士でくっついてしまう。
しかし、やはり、本当に愛すれば、接する機会がない場合はどうか分からないが、近くにいる相手なら、誰でも自由に選べる。

そんな原理を、面白いことに、『美少女戦士セーラームーン』の1年目のアニメで見事に表現していた。
地球征服を目論む悪の組織から派遣された戦士ネフライトは、ある目的のために、大阪なるという名の中学2年生の少女に近付き、彼女を手懐けるべく親切に振舞い、見事、彼女の好意を得る。
ところが、大変なことが起こってしまったことに、視聴者はあまり気付かない。
大阪なるはネフライトを本気で好きになってしまう・・・つまり、愛してしまう。
するとどうなるか?
本当の愛は、相手を動かしてしまう。
物理学者で合気道の達人、保江邦夫氏によれば、合気道の真髄では、戦う相手を愛すれば、相手を自在に操り、相手は抵抗出来ないのだという。
相手がごっつい空手家の場合、これはなかなか愛し難いが(笑)、愛さないとボコボコにされてしまうので、なよっとしながら愛してしまうと、楽勝らしい。決して、気持ち悪くて相手の戦意を奪うのではなく(笑)。
愛の力で、大阪なるに影響されてしまったネフライトは、悪の組織を裏切り、殺されることになる。
悪の組織の妖魔がネフライトを魔性の枝で貫いた時、大阪なるは、ネフライトを救おうと、その枝を抜こうとするが、妖魔達は、それを見て嘲笑い、「それは人間の力で抜けるものではない」と言う。「人間の力では」ということは、それがたとえプロレスラーであってもという意味と思える。
ところが、普通よりもか弱い少女のはずが、ネフライトを救うことを決して諦めない大阪なるは、なんと、その魔の枝を引き抜いてしまい、これには、妖魔達も驚愕する。
これが愛の力であり、それをこれほど見事に現した作品は、アニメでも名作映画でも、そうは見ることは出来ない。
また、こんな印象的な場面もあった。
悪の組織から逃亡中、大阪なるはネフライトに、「チョコレートパフェ、好き?」と尋ねると、ネフライトは苦しい顔で「好きだ」と答える。
すると、なるはクスっと笑い、「嘘ばっかり」と言う。
ネフライトがチョコレートパフェ自体を知らないことはお見通しでわざと聴いたのだが、ネフライトはマジで答えた。それも、なるの狙い通りだ。
あの時のネフライトの顔と声は忘れられない。
あれが、悪の組織のエリート、ネフライトを変えてしまった、大阪なるの本物の愛の力だった。

鳩山由紀夫さんは、家訓的な「友愛」で人を動かし、総理大臣にまでなったが、非難されながらも、今でも、中国や韓国を、策略的な意味ではないが動かしている。
あれが、演技でなく、本当の愛から出ているものであれば、案外・・・というのも失礼だが、良い結果になるかもしれない。









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やっぱり愛は強かった

学校での、先輩教師による後輩教師に対するイジメが世間をにぎわせているが、程度の差こそあれ、ありふれた話だし、そういったことは今後もなくならない。
明日は我が身である。
自分は良いポジションにいるから大丈夫ということはない。上には上がいるし、上ほどイジメは過酷になる。仮に、人間として一番上に行ったら、その時は、強い悪霊や悪魔にイジめられる・・・というのは、比喩でも何でもなく、そのまま受け取って構わない。

では、どうすれば、イジメ・・・というか、下等な人間に攻撃されずにいられるのか?
実は、攻撃出来ない人間というのはいる。
まず、愛してくる人は攻撃出来ない。
ただし、「愛=愛する、マイナス、愛されたい」である。
幼児の場合、「愛されたい」部分がまだ大きいので、攻撃に弱いのである。
「こんなに愛しているのに」攻撃される人もまた、「愛されたい」方が大き過ぎるのだ。
無論、愛されたいのは当たり前であるが、それよりも多く愛さなければならない。
『キング・オブ・キングス』という映画で、イエス・キリストが暴漢に襲われた時、イエスが暴漢を抱きしめると、暴漢は子供のような笑顔になってイエスに身をゆだねた。
イエスが、その暴漢を愛したからだ。
このように、直接、相手を愛すれば、確かに、相手は攻撃出来ない。
しかし、イジめてくる相手を愛することは、我々には難しい。
ところが、直接でなくても、何かを本当に愛していれば同じなのである。
猫でも、自然でも、地球でも、クラスの美少女でも、初音ミクさんでも。
ただし、自分が死んで消えて、忘れられ、見られなくても愛するのでなくては、本当の愛ではないが。

愛って難しいかというと、全然難しくない。
愛とはなんぞや、ラヴとの違いは何ぞや、アムールは違うぞ・・・などといったことに耳を貸してはならない。
愛とは、「愛してる」と言うことである。心で言っても良い。
はじめに言葉ありきである。
初音ミクさんを愛すると言葉で言えば、もう愛しているのである。
愛は強いよ~(笑)。
原辰徳監督は「ジャイアンツ愛」なんて言ってるから優勝しちゃう。「ソフトバンク愛」まで持ってたら、日本シリーズでも勝てたのだが、今回のは、それを教えるめの(原さんだけじゃなく、ファンみんなに)天の采配だったのである。
ある事業家が「儲かってしゃーない」と言うので、「どうやったら儲かるのですか?」と聴いたら、彼は、「結局、人間関係」と言う。
しかし、根本的には、彼が関係者を愛しているから儲かるのである。
スティーブ・ジョブズは「テクノロジー愛」、ビル・ゲイツは「BASIC愛」で儲かったのだ。
橋本健博士は、ゲルマニウムに「可愛いやつだ」と言い続けたから大発明を連発した。
湯川秀樹博士は、素粒子が可愛くて仕方がなかったのだ。
言葉で言えば良いのである。嘘でもいいから(笑)。
「お金を愛す」なんて言い続けたら儲かるよ。私は言ってないから、あんまし儲からないが、まあ、十分あるし。
何と言っても、日本語の「愛」は完璧である。音が正しいのだ。アイという音で悪い言葉なんか絶対に作れない。
「愛してるぜ」なんて言いまくる芸人はウザイかもしれないが、案外に落ちぶれないものである。









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内なる魔術師を解放すれば全能である

2つの重要な情報について語る。

1つは、人気がある精神療法のNLP(神経言語プログラミング)の創始者の1人、リチャード・バンドラーの本で見た覚えがあることだ。
自分の過去を映像で思い返す時には、2つのやり方がある。
1つは、その映像の中に自分がいるもの。
もう1つは、映像の中に自分はおらず、自分の視点で思い出している。
普通に考えれば、後者の自分視点で思い出す方が自然だ。だって、実際には、それしかないのだから。
しかし、前者の、自分が映像の中にいることも少なくないと思う。

2つ目の情報は、コリン・ウィルソンの『フランケンシュタインの城』に書かれていたものだと思う。
自分の中には「魔術師」がいる。
そして、今、自分の五感で感じている世界というのは、その内なる魔術師が一瞬で作ったものだ。
これは、ウィルソンの意見とかではなく、多くの名のある研究者達の報告である。

この2つを組み合わせると面白い。
世界を創る「内なる魔術師」は、自分の外に移動することが出来るのだ。
いや、実は、魔術師は、我々の理解を超えた存在で、大きさや形がなく、自分の内にも外にも、宇宙のどこにでも存在している。
そして、世界を生み出し続けている。
こんな話にピンとくる人は多いと思う。
模様のない、白や黒の壁を見た時に特に多いような気がするが、小さなドーナッツ状(人によっては多少違うかもしれない)の赤い沢山の光が動き回っているように見える。人によっては、赤でないかもしれない。
この光の模様が、魔術師が世界を創るのに使うマテリアル(原材料)である。
ただ、実際は、このマテリアルは非常に小さなもので、電子より小さい何かかもしれない。
それが、話題のヒッグス粒子であれば、ヒッグス場の形はシャンパンボトルの底の形をしているらしいし、色も赤とは言えないが、そう感じるのかもしれない。
まあ、ここらへんは興味があれば調べると良いと思う。
内なる魔術師は、生きた模様を使って、あるいは、生きた模様と意思疎通して世界を創っている。
そして、魔術師とは本当の自分なのである。

なぜ、偉大な魔術師たる自分が世界を自分の思う通りに創れないのかというと、自分視点の場合、脳の影響を受けるからで、脳には、様々な情報が詰め込まれているが、その多くが有害なものだ。
だから、自分から抜け出し、自分が見えるように考える・・・一般的には客観視する方が力を発揮し易い。
何でも、武道の達人の教えでは、敵の頭の後ろが見えれば勝てるそうで、これは、脳から抜け出した自由な魔術師の視点なのだろう。
考えることをやめ、魔術師を解放すれば全能なのである。








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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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