「人は見かけによらない」というのは、「人を見くびるな」という意味と言って良いと思うが、それは、見くびる方が悪いのである。
つまり、本当は優れた人間なのに、その人を見下すとしたら、見下す者のレベルが低いだけのことだ。
愚かな人間にとっては、釈迦もイエスも見下す対象に違いない。
そして、実に、優れた人間とは、人を見下さない人間、つまり、優越感を求めない人間のようだ。
それはそうと、昔、書店に来ていた時、「精神世界」と書かれたコーナーに若い女性客がいて、ジョセフ・マーフィーの『あなたにも超能力がある』を見ていた。
実に駄目そうな女性だった・・・と言う者が(上に書いた通り)駄目なのだが、そもそも、超能力を得ようなんて者は駄目に決まっている。
駄目な人間の特質とは、根気がないことであるが、超能力なんてものを欲しがるのは、それがあると根気がなくて済みそうだからだ。
美人になりたいなんてのも、美人は根気がなくてもやっていけると思うからだろう。
まあ、一応、『あなたも超能力者になれる』を見ていた、その女性は駄目な人としよう。
だが、別に不思議なことではないが、もし、その女性が、その本を買い、20回も読めば、駄目でなくなり、超能力も得られたのである。
だって、そんなことが出来るなら、根気を持てたからである。
どんな本でも良いって訳ではないかもしれないが、その本自体は、日本語タイトルの付け方は悪かったかもしれないが(そんなタイトルがウけた時代だった)、良い本である。
数年前、ものすごく駄目な男に、ひょんなことから、ディール・カーネギーの『人を動かす』を読むことを薦めてしまったら、そのまるで駄目男君はその気になって、読んでくれた。
そこで私は「百回読め」と言ったら、彼は「読む」と言う。
百回とは言わないが、20回でも読めば、彼は駄目男でなくなっていたはずだ。
しかし、十数回読んだと彼が自己申告した後、しばらくして聞いてみたら、「読んでません」と言う。
やはり彼は駄目なやつだった。
彼の駄目の唯一の原因は根気のなさである。
「本ばかり読んでいてはいけない」というのをよく聞くし、私もずっとそう思っていたが、それは、読み方が足りない場合のことで、そうでないなら、本ばかり読んでいても良いのである。
世界を創造するのは精神だからだ。
デカルトが『方法序説』の中で、「昔の物語を読むのは良いことだが、読み過ぎてはいけない」と言った根拠は、時代遅れになるからだが、「かぶれて」時代遅れな言動をするなら、やっぱり、読み方が足りないのである。
と言って、必ず、時代遅れの時期が来るのではないが、根気のない者は、確かにそうなり易い。ただし、根気が出来てくれば、そんなことはなくなる。
まあ、少しの間、時代遅れになるのも良いだろう。
しかし、年配者がスマートフォンを使いたがらないのも、年のせいでこらえ性がなくなっているのが原因だろう。新しいことをマスターするには根気がいるからね。
若い者は、面白いことのためなら、少しは根気を発揮するのである。しかし、少しの場合が多いのだろう。
より根気がいるパソコンを使わない若者は増えているし、まして、パソコンで実用的なことをするのはもっと根気がいる。
名の通った本で、そんなに悪い本はない。
20回も読めば、状況は変わるはずである。
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つまり、本当は優れた人間なのに、その人を見下すとしたら、見下す者のレベルが低いだけのことだ。
愚かな人間にとっては、釈迦もイエスも見下す対象に違いない。
そして、実に、優れた人間とは、人を見下さない人間、つまり、優越感を求めない人間のようだ。
それはそうと、昔、書店に来ていた時、「精神世界」と書かれたコーナーに若い女性客がいて、ジョセフ・マーフィーの『あなたにも超能力がある』を見ていた。
実に駄目そうな女性だった・・・と言う者が(上に書いた通り)駄目なのだが、そもそも、超能力を得ようなんて者は駄目に決まっている。
駄目な人間の特質とは、根気がないことであるが、超能力なんてものを欲しがるのは、それがあると根気がなくて済みそうだからだ。
美人になりたいなんてのも、美人は根気がなくてもやっていけると思うからだろう。
まあ、一応、『あなたも超能力者になれる』を見ていた、その女性は駄目な人としよう。
だが、別に不思議なことではないが、もし、その女性が、その本を買い、20回も読めば、駄目でなくなり、超能力も得られたのである。
だって、そんなことが出来るなら、根気を持てたからである。
どんな本でも良いって訳ではないかもしれないが、その本自体は、日本語タイトルの付け方は悪かったかもしれないが(そんなタイトルがウけた時代だった)、良い本である。
数年前、ものすごく駄目な男に、ひょんなことから、ディール・カーネギーの『人を動かす』を読むことを薦めてしまったら、そのまるで駄目男君はその気になって、読んでくれた。
そこで私は「百回読め」と言ったら、彼は「読む」と言う。
百回とは言わないが、20回でも読めば、彼は駄目男でなくなっていたはずだ。
しかし、十数回読んだと彼が自己申告した後、しばらくして聞いてみたら、「読んでません」と言う。
やはり彼は駄目なやつだった。
彼の駄目の唯一の原因は根気のなさである。
「本ばかり読んでいてはいけない」というのをよく聞くし、私もずっとそう思っていたが、それは、読み方が足りない場合のことで、そうでないなら、本ばかり読んでいても良いのである。
世界を創造するのは精神だからだ。
デカルトが『方法序説』の中で、「昔の物語を読むのは良いことだが、読み過ぎてはいけない」と言った根拠は、時代遅れになるからだが、「かぶれて」時代遅れな言動をするなら、やっぱり、読み方が足りないのである。
と言って、必ず、時代遅れの時期が来るのではないが、根気のない者は、確かにそうなり易い。ただし、根気が出来てくれば、そんなことはなくなる。
まあ、少しの間、時代遅れになるのも良いだろう。
しかし、年配者がスマートフォンを使いたがらないのも、年のせいでこらえ性がなくなっているのが原因だろう。新しいことをマスターするには根気がいるからね。
若い者は、面白いことのためなら、少しは根気を発揮するのである。しかし、少しの場合が多いのだろう。
より根気がいるパソコンを使わない若者は増えているし、まして、パソコンで実用的なことをするのはもっと根気がいる。
名の通った本で、そんなに悪い本はない。
20回も読めば、状況は変わるはずである。
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