出展も曖昧になってしまったが、好きな話がある。
江戸時代、修行を積んだ武士が、ある町人を見て、その目付き、立ち居振る舞いに、これはただ者ではないと感じ、お前は何者かと尋ねた。
しかし、町人は、自分は何ら特別な者ではないと言うが、武士が納得しないのを見て、こんなことを言う。
「私は子供の時から臆病で、それをなんとかしたいと思い、毎日、夕刻になると墓場に行きます」
おそらく、それを、この町人は10年以上はやっているのだと思う。
ほとんど1日も欠かさず。
このようなことでも、毎日の積み重ねが、人間に特別なものを与え、きっと、何らかの力や運すら与えるのではないかと思う。
毎日、自主的にやっていることがあるか、ないかが重要である。
「学校に行ってる」「会社に行ってる」とは言っても、行かない休日も少なからずあるはずだ。それに、それは「行かされている」ところが多く「行かなくていいけど行っている」ものではない。
イチローは、球場が閉められている日以外は、練習に行ったし、自宅では毎日必ずトレーニングをしていたと思う。
村上春樹さんは、学生時代、毎日必ず原稿用紙10枚を書いてたらしい。ただし、11枚以上は書かなかったようだ。「毎日必ず」が大切なのであろう。
将棋棋士の藤井聡太さんや羽生善治さんも、きっと毎日、何かやっているはずだ。将棋に関わることであることは間違いないだろうが、聞いてみたいものである。
天才といったところで、それがなくては力は発揮されないし、逆に言えば、自主的に毎日やっていることによって天才になるのだろう。
子供の時、あるいは、せめて若い時に、毎日、自主的に何かをやっている者は幸運であるが、大抵は、親か誰かに、「そんな下らないことはやめて、勉強やスポーツをやれ」と言われるのだ。
言うまでもなく、彼らの言う勉強とは試験の成績につながる勉強で、スポーツとは、挨拶代わりに「スポーツはやってますか?」と聞かれて、体裁良く即答できる、例えば、「少年野球チームに入ってます」などだ。
「初音ミクさんと歌作ってます」「ナイフ投げやってます」なら、冷笑されたり、顔をしかめられたりするし、そんなのはまだマシで、仮に一生懸命説明しても、質問者からは、「で、つまるところ何やってるって言うんだい。俺に分かるように言え。・・・つまり、何もやってないんだね」とか言われる者もいるだろう。
馬鹿は相手にしないことだ。
こんな話も好きだ。
ある人は、「私は何も大したことはしてこなかったが、死んで閻魔様の前に出たら、トイレのスリッパはきちんと揃えていたと言うつもりだ」と言っていた。
ただし、この話を聴いて、自分も小さなことをやろうと思う者に、あまり良い感じはしないものだ。
このスリッパを揃えてきた人は、気の向いた時だけやったのではなく、失敗したら殺されても文句なしくらいの信念でやっていて、一生一度も破らないに違いないのだ。
毎日やることは、「私はこれをやっているから大丈夫」と思えるものが良い。
もちろん、初めはそう思わなくても、長く続けているうちに、そう思えるようになるものが良いだろう。
私は四股踏みをやろうかと思っている。単なるマイブームかもしれないが・・・
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江戸時代、修行を積んだ武士が、ある町人を見て、その目付き、立ち居振る舞いに、これはただ者ではないと感じ、お前は何者かと尋ねた。
しかし、町人は、自分は何ら特別な者ではないと言うが、武士が納得しないのを見て、こんなことを言う。
「私は子供の時から臆病で、それをなんとかしたいと思い、毎日、夕刻になると墓場に行きます」
おそらく、それを、この町人は10年以上はやっているのだと思う。
ほとんど1日も欠かさず。
このようなことでも、毎日の積み重ねが、人間に特別なものを与え、きっと、何らかの力や運すら与えるのではないかと思う。
毎日、自主的にやっていることがあるか、ないかが重要である。
「学校に行ってる」「会社に行ってる」とは言っても、行かない休日も少なからずあるはずだ。それに、それは「行かされている」ところが多く「行かなくていいけど行っている」ものではない。
イチローは、球場が閉められている日以外は、練習に行ったし、自宅では毎日必ずトレーニングをしていたと思う。
村上春樹さんは、学生時代、毎日必ず原稿用紙10枚を書いてたらしい。ただし、11枚以上は書かなかったようだ。「毎日必ず」が大切なのであろう。
将棋棋士の藤井聡太さんや羽生善治さんも、きっと毎日、何かやっているはずだ。将棋に関わることであることは間違いないだろうが、聞いてみたいものである。
天才といったところで、それがなくては力は発揮されないし、逆に言えば、自主的に毎日やっていることによって天才になるのだろう。
子供の時、あるいは、せめて若い時に、毎日、自主的に何かをやっている者は幸運であるが、大抵は、親か誰かに、「そんな下らないことはやめて、勉強やスポーツをやれ」と言われるのだ。
言うまでもなく、彼らの言う勉強とは試験の成績につながる勉強で、スポーツとは、挨拶代わりに「スポーツはやってますか?」と聞かれて、体裁良く即答できる、例えば、「少年野球チームに入ってます」などだ。
「初音ミクさんと歌作ってます」「ナイフ投げやってます」なら、冷笑されたり、顔をしかめられたりするし、そんなのはまだマシで、仮に一生懸命説明しても、質問者からは、「で、つまるところ何やってるって言うんだい。俺に分かるように言え。・・・つまり、何もやってないんだね」とか言われる者もいるだろう。
馬鹿は相手にしないことだ。
こんな話も好きだ。
ある人は、「私は何も大したことはしてこなかったが、死んで閻魔様の前に出たら、トイレのスリッパはきちんと揃えていたと言うつもりだ」と言っていた。
ただし、この話を聴いて、自分も小さなことをやろうと思う者に、あまり良い感じはしないものだ。
このスリッパを揃えてきた人は、気の向いた時だけやったのではなく、失敗したら殺されても文句なしくらいの信念でやっていて、一生一度も破らないに違いないのだ。
毎日やることは、「私はこれをやっているから大丈夫」と思えるものが良い。
もちろん、初めはそう思わなくても、長く続けているうちに、そう思えるようになるものが良いだろう。
私は四股踏みをやろうかと思っている。単なるマイブームかもしれないが・・・
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