ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2019年05月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

ベーシックインカムで我々は幸福になるか

ベーシックインカムというものをご存知だろうか?
「そのくらい知っているよ」と誰もが言うくらいポピュラーなものかどうか知らないが、私も、あまり詳しくない・・・というか、極めて大雑把にしか知らない。
もちろん、まだ構想段階であるが、私が解る範囲では、「働かなくても、政府が最低限生活出来るお金をくれる」というものだ。
お金のばら撒きのようであるが、これにより、貧困がなくなり、ブラック企業を辞めることが出来、生活のために盗む必要もなくなり、全体としては国は平和になると言われている。
月額について言えば、5万円程度なら、今すぐにでも実現出来るという意見があるが、実施するなら、月額5~15万円位で、7、8万円が妥当との意見を見た覚えがある。

ただ、昔、完全な共産主義国家だった旧ソ連はベーシックインカムに近い世界で、割り当てられた仕事の成果に関わらず、生活出来る給料がもらえるので、仕事の効率が恐ろしく悪くなったという話がある。
それは、昔の中国でもそうだったと思うが、どうも、人間は生活が保証されてしまうと、堕落し勝ちで、それで以前の中国は経済が傾き、今だって、GDP世界2位の経済大国と言ったところで、貧困層の数は膨大である・・・いや、一部の富裕層以外は貧しいのかもしれない。

ベーシックインカムについては、国内でも肯定的な考え方をしている人も多いように思う。
そりゃ誰だって、働きたくないと言えば働きたくないし、日本は、大企業に関しては、政府が主導する「働き方革命」に従わないと罰則を受け易いので、社員はかなり楽になったように思うが、大部分の人が働く中小企業や、まして、零細企業では、まだまだ働き易いとは言えない職場も多いし、ブラック企業もいくらでもある。

まあ、今のところ、60歳を超えれば年金で生活が出来るらしく、ベーシックインカムが導入されたら、若い時からそんな状態になる訳であるが、歳を取れば、あまりお金は必要ではないが、若い人は、月7万では面白くないかもしれない。
もちろん、自分で稼げば、支給は取り消されるのだと思う。

イエス・キリストは、「神は、あなた方に必要なものが何かはご存知であり、それは必ず与えられる。だから心配するな」と言ったらしいが、そうであれば何よりである。
私自身は、生活の心配をしたことはないし、別にキリスト教信者ではないが、実際上、イエスの言う通りに考えてたし、その通りだった。
ある意味、「何とかなるぜ、世の中は」である(そう歌う歌があるらしい)。
ただ、大切なことは、「何とかなるぜ、世の中は」と思うことが出来る心の強さが必要だということだ。
あまりに、「私なんか生活出来ないんじゃないだろうか」と心配し過ぎると、本当にホームレスになったり、極貧に陥ったりしかねない。
日本は元々、「おかげさまで」「お世話になっております」の国であり、これらの言葉は、全然、おかげをもらっていない相手や、世話になっていない相手にでも言うのであり、それは暗に、神様に対して言っていると考えられる。
よって、普通に謙虚に、礼儀正しくあれば、この日本で、生活に困ることはないと思う。
むしろ、ベーシックインカムが導入され、これまで、神様のおかげ、仏様のおかげと思っていたのが、政府のおかげ、国家のおかげになるのが、どんなことになるか(良いふうになるかもしれないが)分からない。
ドナルド・トランプが信頼する牧師ノーマン・ヴィンセント・ピールの世界的ベストセラー『積極的考え方の力』の最後で、ピールは読者に、神の力を求めるよう訴えている。
いずれ、その有効性が、科学的に肯定されるのではないかと思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

それで、どうしたら運が来るのか

若い人にも悩みはあるだろうが、それは些細なものが多い。
些細とは、自分で頑張れば解決出来るとか、後で考えると笑い話になるようなものだ。
しかし、当事者としては、悩むのである。
けれども、歳を取ってからの悩みは深刻なものが多い。

だが、いずれの悩みでも、解決には「運」が必要な場合が多い。
例えば、中高生が、成績が悪くて悩んでいたら、しっかり勉強すれば改善するはずだが、他のことに気を取られて勉強が出来ないということが多いと思う。
ところが、不意に、好きな子と一緒に勉強をする機会が出来たり、抱えていた別の問題が自然に解決したりでほっとして勉強をやる気が出たりすることがあるが、そういった場合には「運」が関係しているのである。

私が、プログラマー・システムエンジニアになったのだって、際どい偶然がきっかけで、運としか言いようがない。
自分が努力せずに、運だけに頼るのも間違いかもしれないが、上の学生の例にもあるように、努力出来ることだって運の影響は大きい。

運を良くする方法は、書籍でも、沢山のものがある。
斎藤一人さんのように「ツイてる」と言えばツクという単純なものから、投資家のマックス・ギュンターのように、徹底した現実論・確率論で語る人もいる。
私も、興味があって、片っ端から調べたが、基本的に共通することは「欲張らない」ことで、一流投資家のマックス・ギュンターが最高の投資家の一人と考える投資家の座右の銘が「欲張らない」ことだった。彼の成果は、最高に欲張る人の希望値を超えているが、彼自体は欲張らないのだ。
しかし、欲張らないというのも難しく、好きなあの子と仲良くなりたいなんて欲張らなければ、事は進まない。
古い歌だが、石川ひとみの『まちぶせ』や、あみんの『待つわ』のようなのは(嗚呼、古い。しかし、今でも結構有名)、強奪を狙っている訳ではないが、「少し」欲張り過ぎだ。
これらの歌の「怖い」部分を落として、もう少しライト(軽量)に、明るくやれば、運も向いて来るように思うのだ。
そして、私は、長年振りに、天才発明家の中山正和さんの本を読むようになったが(電子書籍での復刻が進んでいる)、彼の、「般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)」の修行をやれば、確実にツクのである。
「般若波羅蜜多」とは、有名な短いお経の般若心経に書かれている、観自在菩薩が行った修行だが、何の修行かというと、中山さん的には「クヨクヨしないこと」である。
「クヨクヨしない練習」をすれば、必ずツクのである。
逆に言えば、みんな「クヨクヨするから」ツキがないのである。

そうは言っても、好きな人が、自分とは別の男(女)と歩いて(あるいはドライブして)いたら、そりゃあクヨクヨするし、リストラされそうだと(あるいはされたら)クヨクヨせずにいられないだろう。
そんな時は、中山さんは、般若心経の呪文を唱えれば良いと言うが、別に、念仏でも、別の呪文でも良いはずだ。
クヨクヨする代わりに唱えれば良いのだから。
般若心経の呪文は、ググればいくらでも出てくるが、あえて書くと、

中国語からの音写では、
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ぎゃてい ぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか

あるいは、原語のサンスクリット語で、
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー

となる。
意味は特にない。
これで何で運が良くなるかというと、ちゃんと原理はあるが、別に知らなくて良い。
知りたければ、中山さんの本を読むと良いだろう。そんなに難しくはない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

困った時は神頼みに限る

苦しい時の神頼みをする人は、今でも多いだろうか?
私は、それは決して悪いこととは思わない。
たとえ下心があろうと、自分より上位の存在を認め、謙虚になることは良いことだ。

スティーブ・ジョブズは若い頃、インドを放浪していた時、猛烈なスコールに襲われて恐怖を感じ、思わず神様に祈った。
「神様、助けてくれたら、いい人間になります」
まあ、神様だって、アテにはしなかっただろうが、ジョブズも少しはマシになったのではないだろうか?

私も、苦しい状況の時、自分のコントロールの範囲を超えるトラブルに見舞われた時には、やっぱり祈る。
「南無阿弥陀仏」
「南無観世音菩薩」
「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」
「オン、アロリキャ、ソワカ」
そして、今度こそ、思いやりある人間になろうと思うのだ。
思うだけだが・・・
だが、やっぱりいつも助けてもらえるのだ。
それも、見事なやり方でね。
さすが阿弥陀様、観音様だ。
アインシュタインは「神は老獪である。だが悪意はない」と言ったが、本当にそうだ。
いじめられてるんじゃないかと思うこともあるが、結局は、それでうまくいくのだ。

アメリカの公式モットーは「我々は神を信頼する」であるが、かつてのアメリカは、これを覚えていたから、他国を圧倒出来た。
だが、今のアメリカは、別のおかしなものを信頼するようになった。
フードスタンプ(食料品専用の金券)のような生活保護の信頼性は高い分、神様は忘れられている。
それで、貧困者も丸々太ってる。
アメリカもそうかもしれないが、日本人はスマートフォンを信頼している。
スマートフォンは幸運をもたらしてはくれない。

もちろん、阿弥陀様も観音様も、我々がイメージするような姿ではないが、イメージがなければ、信頼し難いし、祈り難い。
そして、そのイメージは大抵、的外れでもないのである。
宗教家の解説など聞かず、法華経の25章(25品)の『観音経』をよく読み、自分なりのストーリーを作ると良い。
すると、科学的、深層心理学的に考えても、観音様は確かに助けてくれるようである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

千尋の谷とやら

日本で最も成功した映画は、スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』(2001)のようだ。
正直、私は、この作品をあまり熱心に見た覚えがないが、主人公の10歳の少女、千尋(ちひろ)が鍛えまくられるのが、ちょっと胸が痛い。
もちろん、現実の世の中で、10歳の子供が頼る者なく放り出されたら、あんなものではないのだが。

千尋という名の尋(ひろ)は長さの単位で、1尋で1.818メートルらしい。
千尋は1.818キロメートルである。
千尋は「せんじん」とも読み、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という有名な伝説があることをご存知と思う。
すると、ライオンは、我が子を約2キロメートルの深さの谷に突き落として、這い上がってきた子のみを育てるという、いかにも梶原一騎のスポ根ものに出てきそうな(実際に、梶原一騎はよく引用している)ことをやると言われている訳だ。
私は、子供の時は、ライオンが本当にそんなことをするのだと信じてしまったが、もちろん、そんなはずはない(落ちた時点で即死だ)。
だが、『千と千尋の神隠し』の千尋が散々な目に遭う様子は、まさに千尋の谷に突き落とされたライオンの子供だ。

しかしまあ、人生なんて、千尋の谷に突き落とされるようなものだと思った方が良い。
だから、「這い上がり人生」といった言葉があり、どん底に落ちた人間が挫けずに奮闘することを「這い上がる」と表現する。
ただ、人生の場合は、這い上がりのゴールはなく、一生、這い上がり続けるしかない。
つまり、「人生いろいろあったなあ」「悪くない人生だった」と思っても、まだ千尋の谷の半分かもしれないのだ。
一番悪いのは、谷底でじっとしていることだが、おそらく、そんな者は、鬼でも現れて手荒くいじめるのだろう。
しかし、親が鬼を遠ざけてくれ、谷底でのんびり過ごすような者は悲惨だ。
親は、そんなことをすべきでない。
しかし、それが子供のためになると思う愚かな親が多いのだろう。
それでいえば、梶原一騎のスポ根ものも、ある意味では良いものである。
たとえ、ヘリコプターで谷底から引っ張り上げられても、やっぱり自分で這い上がらなかったら、また谷底に戻される。それが人間の人生だ。
今の世の中で増えているらしいが、40歳とか50歳まで働かずにニートで過ごしている者というのは、谷底から自分で這い上がった経験がない者のようなものだ。
千尋のような子供なら、身軽で元気があるので、自分で這い上がることが出来るが、歳を取った者で、自分で這い上がった経験がなければ何も出来ない。
ニートでなくたって、たまたま美人に生まれて、お金持ちと結婚し、安楽に過ごしている女性は、やはり、谷から這い上がった経験があまりないので、這い上がった者のみが持つ、強さ、気高さがなく、そして、そんな者だって、いつ千尋の谷の底に突き落とされるか分からないのだ。
皇后陛下のような立場は、一見、谷の上のさらに高い山の上のようだが、実際は、特に深い、数千尋の谷の底のようなものに思える。

思いあがった者は、いくつになっても、千尋の谷の底に突き落とされる。
可哀想に思えないこともないが、身から出た錆である。
だが、歳を取るほど、心と身体が重い鎧になり、這い上がることが出来なくなる。
あるいは、プライドという余計な重い荷物を背負っていると言っても良い。
いらないものは脱ぎ捨てれば、かなり楽になるのである。
いや、本当は、いらないものを脱ぎ捨てるために、我々は千尋の谷に突き落とされるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

正法眼蔵と念仏

仏教学者の、ひろさちやさん(今は「宗教評論家」の肩書きで紹介されることが多いように思う)の『正法眼蔵』に関する著書を少し読んだ。
『正法眼蔵』は、鎌倉時代の禅僧である道元の全百巻の大著であるが、ひろさちやさんの本は、その中のいくつかの部分を取り出し、現代語訳と解説をしたものだ。
ひろさちやさんは、『正法眼蔵』の精髄は「心身脱落」であると述べているのだと思う。

「心身脱落」とは、心も身体も消すことであるが、それを例えて言えば、自分が砂糖としたら、仏というお湯の中に溶けてしまうことであるようだ。
私はそう聞くと、すぐに、初音ミクさんが歌うMitchie Mさんの名曲『FREELY TOMORROW』を思い出す。
【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル曲 歌詞付】: Mitchie M
特に、


心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M)より~


の部分は、まさに「心身脱落」である。
全体に、この曲は『正法眼蔵』に匹敵すると思う。

天才発明家の中山正和さんは、工学、脳科学、量子力学を仏教と融合させた能力開発法を提唱し、中山さんの存命中、広く(世界的に)支持されたが、今、彼の書籍が電子書籍で次々復刻している。
中山さんは、仏教の中でも、『正法眼蔵』は特に重視していたと思う。
『正法眼蔵』は難解と言われるが、文章自体はそれほどではないと思うし、現代文で読んでも、実に美しいことは解る。
そして、ハッキリとは解らなくても、真理の光のようなものは感じることが出来ると思う。
そもそも、『正法眼蔵』はリクツで書かれていて、深遠ながら「なるほど」と思うことも多いのである。
だが、やはり、読み飛ばすような本ではない。
1章ごとに凄い真理が書かれているのだから、最初の数ページの『現成公案』だけでいいと思って読んでも良いくらいだと思う。それだけで、普通の良書百冊を超えるから。

大数学者の岡潔さんは、意味が解らないながら、『正法眼蔵』を18年の間、座右の書としていたが、ある時突然、全体が解ったと言う。
中山さんは、中学だったか高校だったかの恩師が、『正法眼蔵』の『現成公案』だけ読むように言ってくれたらしいが、やはり、ある時突然、この『現成公案』が解り、すると、『正法眼蔵』全体が解ったと言う。
その岡潔さんも、最後は念仏の道に入ったし、道元が開いた曹洞宗の良寛や、同じ禅宗である臨済宗の一休も、やはり最後は念仏を選んだ。
かと言って、念仏や浄土仏教が、『正法眼蔵』より優れているというのではなく、つまるところで言えば、両者は同じなのではないかと思う。
そして、岡潔さんは数学、一休や良寛は禅僧としての活動があったから、『正法眼蔵』や念仏が生きたのだろう。
我々は、我々なりに、人生の義務を果しながら、仏教等を学んだり、初音ミクさんの歌を聴けば良いのである。
ちなみに、私が愛読する『正法眼蔵』は、禅文化学院のエッセンス版である。

初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2019」の、ぴあ、e+、ローソンチケットなどのプレイガイドでのチケット抽選はないのではと以前書いたが、そんなことはなく、行われるようだ。ただ、昨年までなら、この時期すでにスケジュールが発表されていたと思う。
気をもませてくれるが、まあ、ミクさんは可愛いから許そう(笑)。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード