ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2019年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

これなら出来る、心を消す方法

悟りを開く・・・とうのではないが、精神の力を高め、スティーブ・ジョブズが持ってたと言われる、現実を高速に変換するような能力を持ちたいとは誰もが思うだろう。
ジョブズは東洋思想に傾倒しており、彼が若い頃、『禅マインド ビギナーズ・マインド』を熱心に読んだという話は知られているが、彼はおそらく他にも沢山の本を読んだのであり、そのエッセンスはむしろ、彼の有名な、スタンフォード大の卒業式でのスピーチに現れているように思う。
一方、マイクロソフト社長時代のビル・ゲイツが雑誌のインタビューで、社員達に“Let's think harder”(もっとよく考えよう)とよく言ったというのは、著名な啓蒙家であったリチャード・ハアネルの『ザ・マスター・キー』の影響ではないかと思う。

ところで、マインド・パワーの超人達が、共通して推奨するテクニックがある。
それは、スピリチュアルに興味のある方なら、一度は見聞きしたことがあると思うが、「自分の心を観察する」である。
ニサルガダッタ・マハラジのようなインドの聖者達は、例外なく、これを行うことを薦めていたと思う。
めるくまーる社の『ラマナ・マハリシの教え』では、マハリシの非常に具体的なメソードが書かれている。
それは、
「想いが起こったら、それが、どんな想いであろうと、『この想いは誰に起こったのか?』と尋ねよ。答は『私に』に決まっている。それが解れば、鋭く『私は誰か?』と問え。すると、想いは消滅するだろう。これを常に行えば、ついに心は消える」
であるが、私は、これは全くうまく出来なかった。
アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードは、「科学者が冷静に観察するように、心を観察しろ」「心がぐらついたら、ぐらつくままにさせよ。すると、心は抜け落ちる」と述べているようだが、美しい言葉だとは思いつつ、私には続けられなかった。
いずれも、私は熱心にやる気持ちはありながら、さっぱりだったのである。
おそらく、多くの人がそうであろう。

ところが、フランク・キンズローの『瞬間ヒーリングの秘密』に、ちょっと良いやり方を見つけた。
それは、「次の思考はどこから起こるのか?」と問うものだ。
私は、「次はどんな想いが起こるのか?」と変えて心を観察すると、これなら出来た。
単に、「心を観察しろ」と言われても、それは、自分が自分を観察する自己観察であり、自己分裂を招き、不快さや苦痛を感じるのである。
しかし、そうではなく、今ある想いは、そのまま放置し、「次はどんな想念が起こるか?」と見張っていると、想念はしばらく起こらない。
観察していれば、心のエネルギーは、「観察する」の方に行っているのだから、観察している限り、想いは起こり難いのだ。
ラマナ・マハルシやヴァーノン・ハワードのやり方がうまくいかないのは、所詮、人間は、一度には1つの想念しか持てないのであり、想念を観察する限り、「観察する」意外の想念は持てないし、「観察する」以外の想念が起こるなら、観察はもうしていないのだ。
実際は、我々に出来るのは、「観察する」と「観察する以外の想念」を切り替えることだけだ。
想念が、別の想念を観察することは、本当は出来ないのである。

だが、次に起こる想念を待つことは出来るのである。
そして、次の想念が起こった時、観察は終っているが、それで良いのだ。
大切なことは、次の想念を待っていると、次の想念を待っているという想念自体が消えることだ。
その時、我々は、ほんの僅かかもしれないが、無を経験するのである。
しかし、僅かであっても、無を経験することが、非常に・・・いや、恐ろしく重要なのである。
私はもっと単純に、「想念の発生」を見守るようになった。
これなら、「次はどんな想念が起こるだろうか?」などといった言葉はいらない。
ただ、想念が起こるのを待っていれば良いのである。
城から王様が、湖から水の精ウンディーネが、空中に天使が、ステージに初音ミクさんが現れるのを待つようにね。
これは、どんな時でも出来る。
苦しい時にやれば、苦しみは消える・・・少なくとも苦しみは減少し、続ければ、いずれ苦しみは消える。
苦しみを感じる心が消えるのだから。
そして、量子物理学の教えでは、心が見ないものは実体としては存在しないというのが事実である。
それは、ミクロの世界だけでなく、マクロの現実でも変わらない。
よって、苦しみは存在しないのである。
再度言うが、最初は瞬間である。しかし、根気強く続ければ、いずれ苦しみは全て消えるし、精神のエネルギーが高まるので、行動にも鋭さ増すだろう。
行動出来ないなら、まだちゃんとやれていないのである。









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悲惨な人達を見る

私の知識は、いい加減であると断わった上で書くが、昔、「非人」と呼ばれる人達がいた。
江戸時代、人々は、士農工商という身分に分けられたが、身分上は武士に次ぐ農民の生活は最も過酷であった。
私は、何で知ったのか忘れたし、それが本当のことかどうかは解らないが、支配者は、農民の中に「非人」という、極めて卑しい身分を設定して、彼らを悲惨な状態に置き、他の農民達に、「お前達は非人に比べれば、ひどくマシである」と言って、農民達の不満を和らげたという。
この話の真偽は解らないが、そのやり方は、手法としては効果的だったと思う。
人間は、自分より下の者を見ることで、いくらかなりとも心が満たされる。
この非人説の場合は、その悪い適用法だが、自主的に、プラスの使い方をすることも出来るのだと思える。


そう 気がついたの 私の悩みは
星達より ずっとずっと ちいさいのにね
なぜこんなに 苦しかったのだろう
身をまかせて 空を見上げ 時を待とう
~『Shooting Star』(作詞・作曲:KURIS・YUICHI NAKASE、編曲:TeddyLoid。歌:IA)~
【IA OFFICIAL】Shooting Star / TeddyLoid feat.IA (MUSIC VIDEO) -YouTube-


この歌のようになれたら良いと思ったが、やり方が解らなかった。
星達の悩みって、何なんだ・・・と(笑)。
だが、上に述べた「非人(悲惨な状況にある人という意味で使っている)法」が有効と思った。
昔、新聞で、両手が肘のところからない少女の写真を見たことがある。
紛争地域で、彼女が幼い時、家に押し入ってきたゲリラに、両親を目の前で殺され、彼女は、そのように両手を切断されたのだった。
その後、テレビで、やはり、紛争地域で、腕のない沢山の人々(幼児もいた)がいて、両腕のない中年の男性が「見せしめのために、こんなことをされた。やつらを絶対に許さない」と涙を流していた。
こんな人達に比べると、私は天国なのであるが、彼らがあまりに悲惨で、ピンと来ないところがあるというのが事実だ。

そこで、私は、戦争状態にある・・・シリアやパレスチナの人達のことを書いた本を調べたが、多くは、戦争の解説に文章を割いていた。
そこで、『わたしの町は戦場になった (シリア内戦下を生きた少女の四年間)』を読み始めた。
私が、「ミクの日感謝祭」や「マジカルミライ」に夢中になっていた時、この著者のミリアムは8つくらいで住んでいるところの近くが戦争状態になり、町の住居や学校にミサイルが打ち込まれ、市民がゲリラに撃たれるということが横行するようになり、ミリアムの一家も住居を転々としながら、不安と恐怖の中で、不自由な生活を送る。
ところが、感動的なことに、そこの人々は、自分の明日が知れない状態でありながら、他者への思いやりを忘れない。
パンを焼く材料を持っている者は、ありったけのパンを焼いて皆に配り、難民が流れてきたら、持っている物をなるべく多く箱に詰め、食べ物も持って、彼らの居住地に持っていく。そして、そこにも難民の世話をする人達がいて、「皆に公平に配りますので、そこに置いて下さい」と言う。
ミリアムも、小さいのに、他の人に、本当に気を配っていて、自分より悪い状況の人に手を貸そうとする。
そういった意味で、非常に良い本なのだが、自分の悪い面を思い知らされるだけで、精神的にはあまり良くない。
そして、『アンネの日記』もだが、少女が書いたものであり、本の中に限定すれば、極端な悲惨さは感じられない。
むしろ、彼女達の感性は、現代の少女と変わらないので、気恥ずかしさすら感じられ、実は私は『アンネの日記』は完読していない。
ミリアムは、学校を1日も休まず、成績のことを気にし、スマートフォンすら与えられた。それでも、極めて悲惨な状況なのではあるが、やはり、彼女の心が明るいので、いまひとつリアリティを感じられない。

そこで、悲惨の中の悲惨、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読み始めた。
不遜であるが、最も悪い状況の人々の悲惨を知りたいという期待を、予想以上に満たしてくれた。
フランクルは、ナチス強制収容所に送られ、奇跡の生還を果したユダヤ人精神科医だ。
収容者達、そして、彼自身の、心の専門家の視点は、非常に興味深く、学ぶところが大きいというのは、やはり不遜な言い方に違いないが、そんな部分があるのも事実だ。
そこは、この世の地獄としか言えない場所だった。
なるほど、これほどの状況に、現実に遭った者に比べたら、私はやはり極めて幸運・・・とまだ完全に思えないのだが、それはまだ読み方が足りないのだろう。

極めてマシな部分を言うとこうだ。
ベッドは縦2メートル、横2.5メートル・・・随分大きいが、ここに9人が寝るのだ!
当然、仰向けで寝るスペースはなく、横向きになって、ぴったり密着して寝るしかない。
しかし、極めて寒い中で、ロクなものを着ていないんで、むしろそれが良かったと言う。
横向きなのに枕は無いので、首が変な角度になる。靴の持ち込みは禁止されていたが、それでも、靴を枕代わりにする者もいた。靴が糞まみれでもおかまいなしだった。

だが、読んでいると、やはり人間は素晴らしいものだということが解ってしまう。
それを感じることは、自分より悪い者を見て、自分を慰めることよりずっと健全であるのだろうが、私は、まだ、自分を慰める段階にある。
いずれ、この本の読み方も変わってくるだろうが、今の目的に十分に合っているのである。
自分を不幸だと思っている人は、読んでみると良いかもしれない。









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潰れる会社はすぐ判る

何年か前、テレビのニュース番組で、街の人々にゴールデンウィークの過ごし方をインタビューするのを見た覚えがある。
その中で、ある中年の男性が、寂しそうな顔で、「ずっと仕事です」「こんな人もいるんです」といったことを言っていたが、そりゃ、そんな人はいくらでもいる。
コンビニもスーパーも毎日開いているし(むしろ、開店時間を早めるスーパーもある)、Amazonサイトを見れば、相変わらず「明日中にお届け」である(宅配会社は普段より忙しいに違いない)。
ゴミの回収も、いつも通りだしね。
芸人さんとなると、ゴールデンウィークに仕事がないのは最悪だろう。

私は、もう昔の話だが、ある年の12月から、年末・正月も含め、ゴールデンウィーク明け(5月23日位)まで、1日も休まず、朝7時半から午前0時近くまで働いたことがある。
ただ、それは強要された訳ではなく、また、切羽詰った事情があった訳でもなく、自主的にやったことだった。
今の時代なら、ブラック企業でもない限り、完全に悪いことなのだろうが、当時でも、かなり問題だったかもしれない。一応は、一部上場企業だったしね。
しかし、私は、きっちり休んだことにしており、残業代の申請も一切行わなかった。
むしろ、最も残業のない社員ということになっていた。
ところが、上司が良い人で、事実を述べて、私の昇進を推薦してくれた。実際、収益はかなり上げていたしね。しかし、上司は「済まなかった」と、うまくいかなかったことを詫びてくれた。私は、そんなことは全然期待していなかったので複雑な気分だった。
私はその会社を辞め、会社はほとんどその直後、事実上消滅した。一応は大手であったが、超大手ではなかったし、超大手だって、潰れる時は潰れる。
それから私は、潰れる会社ってのが判るようになった。
それほど、そういうこと(どんな会社が潰れるか)に関心があった訳ではなかったが、覚えているものとしては、英会話学校のNOVAは、テレビCMを見ただけで、はっきり潰れると感じたが、その通りになった。また、勤務している会社が提携した直後の会社も「ヤバい会社」と思ったが、それを社長に言ったら、そりゃもう怒られた(笑)。だが、当然ながら、そこも潰れた。
今でも、どんな会社でも、少し見れば、確実に(近く潰れることが)判ると思う。そもそも、私には、そんなことが判らないことが解らない。
人の道に外れた会社は潰れるのだが、それは、ブラック企業といった意味ではなく、表向きは、働き方改革みたいなものをきちんと取り入れ、社員に残業をさせず、社員や契約社員やパート従業員の権利を守っているように見えて、その実、この世の理(ことわり)に反している会社ってのは、やっぱり駄目で、潰れると思う。それは特に、ある時期から顕著なのではないかと思う。
私は、若い頃、ある建設会社の立派な社長さんに「自分が勤めている会社を悪く言ってはいけない」と言われ、その通りだと思っているので、今、自分が務めている会社のことは言いたくないなあと思う。

だから、誰もが、食べていける特技を必ず持たなければならないと思う。
それは、ちょっとやれば得られるものではなく、私も、上に書いたような無茶をやった結果、意図はしなかったが、社会で通用する特技を得たのである。
もちろん、そこまでしなくても、遊びや楽しみのための時間を犠牲にして、自主的に取り組めば、誰でも必ず得られるだろう。
私は、あまり広いことは解らないので、弁護士や会計士、あるいは、高級なシステムエンジニアや漫画家、音楽家みたいなものになるのでなければ、ExcelのVBA言語をマスターするのが一番クールではないかと思う。なぜなら、これは、今の自分の仕事をエンハンス(拡張)するものだからだ。
そして、意外・・・でもないが、データを自在に操れるなら、来るAI時代に対応する鍵も持てるのである。









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苦しみたくないなら贅沢を言わない

お釈迦様は、「苦しみの原因はあり、それは除くことが出来る」と言ったらしい。
そこまでは解るが、その方法となると、本人は簡単に言ったのかもしれないが、後の世の人が難しく言ったので、さっぱり解らない。
フロイトは「戦争はなくならない」と言った。
だが、その理由を言っているのだから、その理由を消せば戦争はなくなる。
ところが、「その理由」を難しく言ったのでさっぱり解らず、よって、戦争をなくす方法も解らない。

ジャイアント馬場さんは、「あらゆるモメゴトはヤキモチから起こる」と言ったが、なるほど、これならよく解る。
ヤキモチって、嫉妬とかジュラシーのことだ。
それらは皆、被害者意識から来る。
被害者意識とは、「自分は、あの人のように、もっといい思いが出来るはずだ」って妄想である。
ある職場で、40代の女性が、主任の男性にこんな不満を言うのを聞いたことがある。
「○○課長は、A子さんにだけ優しい。私とA子さんでは言い方だって全然違う」
主任の男性は笑って言った。
「それ、当たり前じゃない?」
女性は憮然として黙った。彼女だって、本当は解っているのだ。
言っては悪いが、その40代の女性は、見るからにオバサンで、A子さんは若くて、そこそこ可愛い。
限度はあろうが、扱いは違って当然だ。
その女性だって、皆を公平になど扱っていないはずだし、課長さんだって、出来るだけ差別をしないよう配慮しているはずなのだ。
我々が、このオバサンのようになった時・・・つまり、おかしなヤキモチや被害者意識を持った時にモメゴト、トラブル、果ては戦争が起こる。

このオバサンは、早い話が贅沢なのだ。
何で、アンタが若くて可愛い女性と同等に扱ってもらえるのか?
アンタだって、若いイケメンとブサイクなオッサンでは、扱いが全然違うはずなのだ。
だから、そんな贅沢を言わなければ、モメゴトは起こらないし、課長さんも、若い女性ほどではなくても、もっと大切にしてくれるものだ。
それと同じで、ヤキモチは贅沢から起こるだけなのだ。

戦争をやっている人達は、国民を守るためというよりは、正義のために戦うと言う。
だが、戦争を起こす人ってのはボンボン育ちが多い。
親の金が尽きて贅沢出来なくなったので、贅沢しているヤツを見て、ヤキモチや被害者意識を持ったから戦争するのだ。彼らの正義とは、自分がもっといい思いをすることなのだ。
貧しい者の戦いはレジスタンス(抵抗)って言うのだが、往々にして、レジスタンスもボンボンが起こしているものなのだ。
ボンボンって、頭が良い場合が多いので、周囲をそそのかし易いから、戦争が起こってしまうのである。

皆が、贅沢を言わなければ、身の程を知れば、争い、問題、戦争は起こらない。
まさに、神託の通り、「身の程を知れ」である。
「生きてるだけで丸儲け」と思えば、争いは起こらない。
そして、それは、自分が苦しくないから争いを起こさないのであり、贅沢を言わなければ、自分も楽なのだ。
40代の女性が22歳の女性と公平に扱ってもらいたいといった贅沢を考えなければ、自分も楽なのだ。
そして、当たり前に、そんな贅沢を言わないようであれば、ある意味、ただの若い女性より、よほど大事にされるのである。

では、ギリシャの神託のことは知らないのに、「身の程を知れ」を守っていた徳川家康は、どうすればそうあれるかをこう言った。
「上を見るな」
この言葉も誤解され易い。どうも、卑屈な感じがするのだ。
そうではなく、贅沢な者・・・つまり、自分の状況を不満に思っている者は、自分の千倍悪い状況を強いられている者を見れば良い。
それでも贅沢を言うなら、救いようのない馬鹿で、「いっぺん、死んでみる」しかない。

だが、心とは贅沢を言うものだ。
甘やかされたボンボンが贅沢を言うように。
だから、心を鍛えなければならない。
でないと、苦しいままだ。
私は、もう苦しむのは御免だ。
だから、贅沢を言わない練習をしている。
それは、うまくいっている。









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長年苦しんだ、あらゆる身体の痛みを消した私のやり方

歳を取るほど、身体のあちこちに痛みが出るという観念が世間にはあるが、どうも年齢は関係ないようだ。
マッサージ師の人に聞いたことがあるが、若い女性の患者が非常に多く、腰や背中の痛み、しびれに苦しんでいるらしい。
実際、見るからにすらりとした綺麗なOLさんが、実は酷い腰痛に苦しんでいると本人から聞いたこともあるが、そんな人は少なくないのだろう。
男の場合は、聞けば、「腰痛でない」というのが珍しいのではと思うほどだ。
そして、よく見聞きするが、外科医が、腰痛を訴えて来る患者を診たら、大半は、医学的には何の問題もないのだそうだ。
「心身医学の父」と言われるドイツ人医師のゲオルク・グロデック(1866-1934)は、著書『エスの本』に、「全ての病気は心因性と決め付けている」と書いているが、それだけでなく、一見、偶然の事故で怪我をすること(転んで打撲するなど)も、やっぱり全部、心因性・・・心の中に潜む「エス」という得体のしれないものが起こしているのだと言う。
「エス」は、フロイトの精神医学では、無意識の中のエネルギーであるといったように言われていると思う(正確な定義は難し過ぎて曖昧としか思えない)。

かくいく私は、17歳の時に酷い腰痛になったが、これは無理(無謀と言った方が良い)なトレーニングが原因で、レントゲンを撮ると軟骨が出ていたらしい。
余談だが、その時、医院で診察のために17歳の私がズボンをさっと脱ぐと、若い女性看護師(当時は看護婦と言ったものだ)が赤くなって俯いたのを覚えている。男も慎みが必要だと学んだ。まあ、私は美青年だったからだが(17で「美少年」はないと思うのだが)。
しかし、病院では何の治療もしてくれず(出来ず?)、その後5年間苦しんだが、やがて治ったようだった。
ところが、ある時期から、原因不明の腰痛に悩み、少し俯くだけで痛みを感じた。
けれども、2008年くらいから、自主的に食の節制をするようになって、かなりマシになった。同時に、当時、健康診断で、毎年、深刻な状況が提示されていたのが、オールA判定の超健康体になった。
それでも、割と最近まで、朝起きた時には必ず腰痛があり、時には、寝ている時、寝返りも出来ないほど痛いこともあった。
それがなんと、この数ヶ月かもしれないが、それが全くなくなり、「わが辞書に腰痛の文字はない」と言うほど、一切の腰痛が消えた。
それと、上では略したが、10年以上、アキレス腱とふくらはぎの痛みにも大変に苦しんでいたが、それらも完全に治ってしまった。むしろ、私には、この脚の疾患がなくなったのが驚きで嬉しいことであった。
私の行いがそれほど善くなったのかと思いたいが、残念ながらそれはない。
考えられることは、ただ1つなのである。
スポーツトレーニングやダイエット運動、あるいは、健康運動等の本に書かれているような、スクワットや腕立て伏せ、腹筋運動を一切やらなくなったことだ。
スクワットといったら、例えば、腕を前に上げたり、頭の後ろで組んだりの違いはあるが、床までしっかり尻を落としたり、あるいは、太腿と床が並行になるところでピシっと止め、ゆっくり伸ばす・・・等、かなりシンドイやり方を紹介している。
私の場合は、プロレス式のヒンズースクワットを熱心にやっていたが、そういったスクワットも取り入れていた。
腕立て伏せも、身体を真っ直ぐにして、胸が床すれすれになるまでしっかり曲げ、出来るだけ強い負荷がかかるよう、身体に鉄の芯でも入ったかのように、ピンと真っ直ぐに保ったままゆっくり伸ばす・・・という、厳しいやり方をやっていた。
その結果が、腰痛、アキレス腱炎、ふくらはぎ痛、それに、腕の痛みや痺れであったのだと思う。
スポーツ選手も、若い世代ですら、多くが身体の不調を抱えているが、それを誤魔化しながらやっているのだと思う。

運動をしないのもいけない。
そこで私は、スクワットも腕立て伏せも、曲げるのは数センチだけにし、とにかく数を多くやるようにした。
腕立て伏せは百回、スクワットは千回だが、そんなやり方では、あまりと言うか、ちっともシンドくない。
他にも、手を軽く握り、腕を素早く前に伸ばし、素早く引くという簡単な、老人でも出来る運動が気に入っている。
ポリシーは「軽くていいから数をやる」である。
身体に良さそうな軽い動きなら何でも良いが、とにかく、数百数千と繰り返せば良いのである。
あるいは、とにかく、立つことだ。歩くより、まず、立つことなのである。
スポーツ選手の中には、運動している時以外は、だらしない姿勢で座ったり寝転んだり、その中間の姿勢でいる者が多いような気がするが、それなら、運動せずに、なるべく立っている方が身体には良いと思う。また、良い姿勢で座ることの重要さは、いくら強調しても足りないだろう。
私は、これらの老人用とも思われかねない運動で、全ての痛みが消え、以前の10倍、身体が軽くなり、動きが俊敏になり、無意識に階段を4段飛ばしするようになってしまった。

参考になればと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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