悟りを開く・・・とうのではないが、精神の力を高め、スティーブ・ジョブズが持ってたと言われる、現実を高速に変換するような能力を持ちたいとは誰もが思うだろう。
ジョブズは東洋思想に傾倒しており、彼が若い頃、『禅マインド ビギナーズ・マインド』を熱心に読んだという話は知られているが、彼はおそらく他にも沢山の本を読んだのであり、そのエッセンスはむしろ、彼の有名な、スタンフォード大の卒業式でのスピーチに現れているように思う。
一方、マイクロソフト社長時代のビル・ゲイツが雑誌のインタビューで、社員達に“Let's think harder”(もっとよく考えよう)とよく言ったというのは、著名な啓蒙家であったリチャード・ハアネルの『ザ・マスター・キー』の影響ではないかと思う。
ところで、マインド・パワーの超人達が、共通して推奨するテクニックがある。
それは、スピリチュアルに興味のある方なら、一度は見聞きしたことがあると思うが、「自分の心を観察する」である。
ニサルガダッタ・マハラジのようなインドの聖者達は、例外なく、これを行うことを薦めていたと思う。
めるくまーる社の『ラマナ・マハリシの教え』では、マハリシの非常に具体的なメソードが書かれている。
それは、
「想いが起こったら、それが、どんな想いであろうと、『この想いは誰に起こったのか?』と尋ねよ。答は『私に』に決まっている。それが解れば、鋭く『私は誰か?』と問え。すると、想いは消滅するだろう。これを常に行えば、ついに心は消える」
であるが、私は、これは全くうまく出来なかった。
アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードは、「科学者が冷静に観察するように、心を観察しろ」「心がぐらついたら、ぐらつくままにさせよ。すると、心は抜け落ちる」と述べているようだが、美しい言葉だとは思いつつ、私には続けられなかった。
いずれも、私は熱心にやる気持ちはありながら、さっぱりだったのである。
おそらく、多くの人がそうであろう。
ところが、フランク・キンズローの『瞬間ヒーリングの秘密』に、ちょっと良いやり方を見つけた。
それは、「次の思考はどこから起こるのか?」と問うものだ。
私は、「次はどんな想いが起こるのか?」と変えて心を観察すると、これなら出来た。
単に、「心を観察しろ」と言われても、それは、自分が自分を観察する自己観察であり、自己分裂を招き、不快さや苦痛を感じるのである。
しかし、そうではなく、今ある想いは、そのまま放置し、「次はどんな想念が起こるか?」と見張っていると、想念はしばらく起こらない。
観察していれば、心のエネルギーは、「観察する」の方に行っているのだから、観察している限り、想いは起こり難いのだ。
ラマナ・マハルシやヴァーノン・ハワードのやり方がうまくいかないのは、所詮、人間は、一度には1つの想念しか持てないのであり、想念を観察する限り、「観察する」意外の想念は持てないし、「観察する」以外の想念が起こるなら、観察はもうしていないのだ。
実際は、我々に出来るのは、「観察する」と「観察する以外の想念」を切り替えることだけだ。
想念が、別の想念を観察することは、本当は出来ないのである。
だが、次に起こる想念を待つことは出来るのである。
そして、次の想念が起こった時、観察は終っているが、それで良いのだ。
大切なことは、次の想念を待っていると、次の想念を待っているという想念自体が消えることだ。
その時、我々は、ほんの僅かかもしれないが、無を経験するのである。
しかし、僅かであっても、無を経験することが、非常に・・・いや、恐ろしく重要なのである。
私はもっと単純に、「想念の発生」を見守るようになった。
これなら、「次はどんな想念が起こるだろうか?」などといった言葉はいらない。
ただ、想念が起こるのを待っていれば良いのである。
城から王様が、湖から水の精ウンディーネが、空中に天使が、ステージに初音ミクさんが現れるのを待つようにね。
これは、どんな時でも出来る。
苦しい時にやれば、苦しみは消える・・・少なくとも苦しみは減少し、続ければ、いずれ苦しみは消える。
苦しみを感じる心が消えるのだから。
そして、量子物理学の教えでは、心が見ないものは実体としては存在しないというのが事実である。
それは、ミクロの世界だけでなく、マクロの現実でも変わらない。
よって、苦しみは存在しないのである。
再度言うが、最初は瞬間である。しかし、根気強く続ければ、いずれ苦しみは全て消えるし、精神のエネルギーが高まるので、行動にも鋭さ増すだろう。
行動出来ないなら、まだちゃんとやれていないのである。
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ジョブズは東洋思想に傾倒しており、彼が若い頃、『禅マインド ビギナーズ・マインド』を熱心に読んだという話は知られているが、彼はおそらく他にも沢山の本を読んだのであり、そのエッセンスはむしろ、彼の有名な、スタンフォード大の卒業式でのスピーチに現れているように思う。
一方、マイクロソフト社長時代のビル・ゲイツが雑誌のインタビューで、社員達に“Let's think harder”(もっとよく考えよう)とよく言ったというのは、著名な啓蒙家であったリチャード・ハアネルの『ザ・マスター・キー』の影響ではないかと思う。
ところで、マインド・パワーの超人達が、共通して推奨するテクニックがある。
それは、スピリチュアルに興味のある方なら、一度は見聞きしたことがあると思うが、「自分の心を観察する」である。
ニサルガダッタ・マハラジのようなインドの聖者達は、例外なく、これを行うことを薦めていたと思う。
めるくまーる社の『ラマナ・マハリシの教え』では、マハリシの非常に具体的なメソードが書かれている。
それは、
「想いが起こったら、それが、どんな想いであろうと、『この想いは誰に起こったのか?』と尋ねよ。答は『私に』に決まっている。それが解れば、鋭く『私は誰か?』と問え。すると、想いは消滅するだろう。これを常に行えば、ついに心は消える」
であるが、私は、これは全くうまく出来なかった。
アメリカの光明思想家ヴァーノン・ハワードは、「科学者が冷静に観察するように、心を観察しろ」「心がぐらついたら、ぐらつくままにさせよ。すると、心は抜け落ちる」と述べているようだが、美しい言葉だとは思いつつ、私には続けられなかった。
いずれも、私は熱心にやる気持ちはありながら、さっぱりだったのである。
おそらく、多くの人がそうであろう。
ところが、フランク・キンズローの『瞬間ヒーリングの秘密』に、ちょっと良いやり方を見つけた。
それは、「次の思考はどこから起こるのか?」と問うものだ。
私は、「次はどんな想いが起こるのか?」と変えて心を観察すると、これなら出来た。
単に、「心を観察しろ」と言われても、それは、自分が自分を観察する自己観察であり、自己分裂を招き、不快さや苦痛を感じるのである。
しかし、そうではなく、今ある想いは、そのまま放置し、「次はどんな想念が起こるか?」と見張っていると、想念はしばらく起こらない。
観察していれば、心のエネルギーは、「観察する」の方に行っているのだから、観察している限り、想いは起こり難いのだ。
ラマナ・マハルシやヴァーノン・ハワードのやり方がうまくいかないのは、所詮、人間は、一度には1つの想念しか持てないのであり、想念を観察する限り、「観察する」意外の想念は持てないし、「観察する」以外の想念が起こるなら、観察はもうしていないのだ。
実際は、我々に出来るのは、「観察する」と「観察する以外の想念」を切り替えることだけだ。
想念が、別の想念を観察することは、本当は出来ないのである。
だが、次に起こる想念を待つことは出来るのである。
そして、次の想念が起こった時、観察は終っているが、それで良いのだ。
大切なことは、次の想念を待っていると、次の想念を待っているという想念自体が消えることだ。
その時、我々は、ほんの僅かかもしれないが、無を経験するのである。
しかし、僅かであっても、無を経験することが、非常に・・・いや、恐ろしく重要なのである。
私はもっと単純に、「想念の発生」を見守るようになった。
これなら、「次はどんな想念が起こるだろうか?」などといった言葉はいらない。
ただ、想念が起こるのを待っていれば良いのである。
城から王様が、湖から水の精ウンディーネが、空中に天使が、ステージに初音ミクさんが現れるのを待つようにね。
これは、どんな時でも出来る。
苦しい時にやれば、苦しみは消える・・・少なくとも苦しみは減少し、続ければ、いずれ苦しみは消える。
苦しみを感じる心が消えるのだから。
そして、量子物理学の教えでは、心が見ないものは実体としては存在しないというのが事実である。
それは、ミクロの世界だけでなく、マクロの現実でも変わらない。
よって、苦しみは存在しないのである。
再度言うが、最初は瞬間である。しかし、根気強く続ければ、いずれ苦しみは全て消えるし、精神のエネルギーが高まるので、行動にも鋭さ増すだろう。
行動出来ないなら、まだちゃんとやれていないのである。
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