ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2018年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

アファーメーションの科学的根拠

まだ引退はしていないそうだが、井川慶(いがわけい)さんという悲運のプロ野球投手がいた。
井川さんが阪神のエースで日本屈指の投手だった2006年、松坂大輔さんがボストン・レッドソックスに入り、井川さんはニューヨーク・ヤンキースに入った。
松坂さんが6年5200万ドルと、当時としては超高額の契約だったので、ややかすむが、それでも井川さんも5年2000万ドルの高額契約で、活躍が期待された。
ところが、松坂さんはすぐにスーパースターになったが、井川さんはメジャーで2勝しか出来なかった。
その2勝のうちの1勝が、別の先発投手がアクシデントで降板し、緊急登板した時のものだった。
井川さんとしては、準備していない中での、実際上の先発登板なのだから、本当は投げたくなかったに違いない。
身体を壊さないよう、常にランナーを背負っている時の小さなフォームであるクイックモーション・・・いわゆる、セットポジションで投げた。
ところが、このクイックモーションから投げる球が実に良く、面白いようにバッターを打ち取っていく。
井川さんは、日本では「剛速球投手」であり、メジャーでも速い方だろうが、「そこそこ速い」に過ぎず、コースが甘ければ、メジャーのバッターには打ち易い球だったと思う。
しかもコントロールは悪いのに、本人は思いっきり投げたがるので、「そりゃあ打たれる」(『涼宮ハルヒの憂鬱』で、ハルヒの直球だけの剛速球についてキョンが言った言葉)。
井川さんは、力を抜いて投げれば、違った結果になっていたのだと思う。
あの野茂英雄さんだって、案外に、迫力あるトルネード投法より、ランナーを背負ってセットポジションで投げた時の方が良い球を投げていたかもしれない。
特に、井川さんは、全力で投げる時は上半身だけで投げているので、メジャーでは通用しない。
野茂さんだって、メジャーではそれほど速い訳ではないが、フォームではストレートと区別のつかない、そして、かなり速いフォークがあるからこそ勝てたが、井川さんの売り物はストレートだけだ。
佐々木主浩さんだって、やはり高速フォークがあったからこそメジャーでもかなり活躍出来たのだ。

イチローだって、その気になればホームランを打てるが、力を抜いて打っているから超人的なバッターになれたのであるはずだ。
人間の脳は、10兆ものニューロンが並列的に、つまり、それぞれ独自に働くという、とてつもないもので、これは、コンピューターには到底真似出来ない。
だからこそ、人間は「微妙」を使えるのであり、それが人間最大の力なのである。
全力投球というのは、ニューロン全てを同じように動かすという勿体ないことをしているのであるが、イチローは、ニューロンに絶妙なパターンを作れるようになったからスーパーバッターなのである。
発明家の政木和三さんは、50歳過ぎてゴルフを始め、60歳を過ぎても、ドライバーで軽々と340ヤード(実際は370ヤード)を飛ばすことが出来、新聞にも載ったことがあるが、私は政木さんに直接、「コツは力を抜くこと」と教わった。
力を抜くことで、全身に「微妙」が宿り、バランスの取れたスイングになるのだが、イチローのバッティングがまさにそれだろう。

あるいは、人間が力を抜くことで、潜在力が発揮されると言うことも出来る。
神にまかせることで、人間には到底不可能な力が出てくるのである。
そのためには、神に任せるための特別な言葉を持ち、それを常に唱えることだ。
私がいつも言うアファーメーションとは、そのようなものがベストだ。
極端には、ニサルガダッタ・マハラジの「私は至高の実在である」だし、L.F.ロースンの「神の他に何もない」だろう。
だが、聖書の言葉、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでもできる」が、最も効果を上げ易いと思う。
ポール・マッカートニーの有名な歌のタイトルでもある『レット・イット・ビー』は、聖母マリアの言葉としているが、「あるがまま」という意味で、これも素晴らしいアファーメーションである。
特別な言葉、アファーメーションの効果は、科学的、あるいは、宗教科学的根拠も十分なのである。









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死ぬまで成功する

『アラビアンナイト』のお話の1つ、『アラジンと魔法のランプ』は、こすれば魔物が現れて願いを叶えてくれる魔法のランプのお話である。
日本には、『一寸法師』の中で、元々、鬼が所有していた「打ち出の小槌(うちでのこづち)」というものを一寸法師が手に入れるが、これは、振ればどんな願いも叶う。
どこの国にでもあるのだと思うが、日本でも、他に、仙人や導師のような存在が、竹の棒や小刀といった、ちょっとした道具をくれて、それを振るとかすれば、どんな願いも叶うといったお話がよくある。

注意していただきたいのは、それらの道具自体に何か特別な力があるのではなく、力自体は人間の中にあり、それを、儀式めいたことで引き出しているだけである。
人間は、儀式や呪文といった形にすることで、力を発揮し易いのである。

中国の倶胝(ぐてい)というお坊さんは、何を聞かれても、指を1本立てるだけであったという。
そして、死ぬ時、「先生に教わった一本指の禅を、一生で使い切れなかった」と言う。
これも、単に、指を一本立てれば、何もかもうまくいくという信念があれば、実際にそうなるというだけのことで、偉い仏教の先生方が解説する難しい意味など何もない。
そして、指を一本立てるという形にすれば、人間は容易く万能の力を発揮出来るのである。
私は、いったいどこで覚えたのかは分からないが、幼い時、右手の中指と人差し指の2本を立て、「エイ!」と言えば、何でも思い通りになるという想いを持っていたが、実際、それは奇跡の力を発揮した。その威力は、今思えば、夢のようであるが、裏切られたことはない。
だが、大人になれば、荘厳であったり、高貴であったりする形や儀式が必要になる。
しかし、逆に言えば、それだけあれば良い。
他のことは、人間は、どうせ続けられない。
お釈迦様も、それが分かっていたから、念仏という簡単なものだけを残した・・・というのが、浄土仏教の教えで、他宗の仏教では反発もあろうが、一休や良寛は、他宗の僧侶でありながら、それを認め、念仏に転向した。

現代の我々の魔法のランプ、打ち出の小槌は、アファーメーション(心を鼓舞する言葉)で、これは、呪文、宣言、確言、自己暗示、唱え言葉、何と呼んでも構わない。
別に、好みであれば、倶胝のように、指を1本立てても良いし、念仏を唱えても、もちろん良い。
江戸時代の農民であった、因幡の源左(いなばのげんざ)という男は、18歳の時、父が亡くなる直前に、「これからは親様(阿弥陀如来のこと)」を頼れと言い、源左はそれを守った。
源左が念仏を唱えたという話はあまり聞かないが、彼の口癖は「ようこそようこそ さてもさても」で、それさえ唱えていれば、何でもうまくいったのだろう。もちろん、苦労はあったが、彼にとっては、それも面白いだけのものであったのだろう。
アファーメーションは、1つでなければ続かない。
その、たった1つの言葉を、常に忘れずに使えば、全てはうまくいき、しかも、使えば使うほど強力になることは、『アラジンの魔法のランプ』や『一寸法師』の、魔法のランプや打ち出の小槌がそうであることは、後日談であるため伝わっていない。
あるいは、ひょっとしたら、アラジンや一寸法師は、魔法のランプや打ち出の小槌のことを忘れて、落ちぶれてしまったかもしれない。
倶胝だって、もし、一本指の禅を忘れてしまったら、やっぱり駄目になっていたが、彼の場合は、そうではなく、一生楽しくやれたようだ。

初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』の中の「奇跡は起こる」という言葉も、素晴らしいアファーメーションだ。
マイケル・ジャクソンだって、『Black Or White』の中で、「僕は奇跡を信じる」「今夜、奇跡は起こった」と歌っているが、彼が最後、あまり幸福でなかったのは、あまりに才能があって、アファーメーションを沢山持ち過ぎたからだ。
釈迦、法然、親鸞がよく知っていたように、人間に使えるのは1つだけなのである。
私も、自分のお気に入りの言葉をたった1つ選び、それを常に使っている。使う度に力を増しているので、すぐに無敵になるだろう。









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死なずに済む具体的な方法

昨日、JR西日本・神戸線の甲子園口駅で人身事故があり、私が帰宅する時刻にも電車が止まっていたが、母親が幼い子供2人と心中したのかもしれない。
今は夏休みで、夏休みの最後に自殺する子供がいるのは分かっているのに、その効果的な対策は聞かない。

自殺の原因は、一言で言えば、無力感による絶望だ。
だが、力なら、身の内、心の内に無限にある。
長い時間をかけ、その力を閉じ込めてしまったら、それを解放するのに、いくらか根気はいるが、それはいつからでも出来る。
その具体的な方法は、ただ1つ、アファーメーションだ。
アファーメーションは、特別な言葉のことで、確言、宣言、祈り、呪文などと言っても構わない。
アメリカの公式モットー「我々は神を信頼する」もアファーメーションの1つで、この言葉がアメリカ人の意識の中に大きくあった時代のアメリカは極めて強力で、その残光しか残っていない今ですら、アメリカは他国と隔絶した力を持っている。

アファーメーションを知っている限り、自殺する必要はなく、自殺しなければならない状況なら、アファーメーションに取り組むべきである。しかし、誰もそれを教えない。
アファーメーションの言葉はいろいろあるが、効果の違いはない。
とりあえずで良いから、たった1つのアファーメーションを選び、それを常に使うことだ。
タイプ別には、以下のものを一応薦めておくが、あくまで1つの分け方であり、自分が気に入ったものならどれでも良いのである。

◆野望がある人
「神にできないことはない」
◆悟りを求める人
「神の他に何もない」
◆自分や世界の平和を願う人
「もし神が味方なら、誰が我々に敵対できようか」
◆悪い状況にある人
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでもできる」
◆自信がない人
「神は私のパートナーである」
◆得体の知れない不安に苦しんでいる人
「神と私は1つである」

私は別にキリスト教徒ではないが、聖書はアファーメーションの宝庫である。

初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2018」の幕張メッセ公演のチケットの、あらゆる抽選に申込んだが、全敗だった。
チケットの販売は28日土曜の午前10時からだが、今回もアクセス殺到で、エントリー画面にも入れないまま販売終了ということになるのかなあ。
それなら、既に、インテックス大阪公演と幕張メッセ公演のチケット、それぞれ1枚ずつ取れている私のような者は遠慮して、他の人に譲るべきかもしれない・・・のかなあと思う。
小中学生、あるいは、高校生の、特に女の子達には、夏休みの良い思い出にして欲しいからね。
アインシュタインは言ったらしい。
「神は老獪(悪賢いと思える様子)である。だが、悪意はない」








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どんな言葉も言い続ければその通りになる

チン・ニンチュウという中国生まれのアメリカの女性作家で、成功した事業家、自己啓発指導者の『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という世界的ベストセラーがある。
彼女は、瞑想している時、羊飼いがやってきて、自分は羊になったという。
そして、自分は羊飼いに、しっかりと面倒を見てもらいさえすれば良く、自分が努力する必要はないのだと悟り、喜びと安堵で涙が止まらなかったと言う。
言うまでもなく、羊飼いとは神のことで、人間は神の羊であるという、キリスト教の考え方である。
良いお話なのだが、残念な点が1つある。
このお話を、簡単な言葉にしなければならない。
でないと、覚えていられないのだ。
それで、後で、こう思うことになる。
「ああ、確かそんな良いお話があったなあ。あれを覚えていれば、私の人生はもっと違ったものになったろうに・・・」
だから、この話が意味することを、簡単な言葉にして、常に唱えなければならない。
そうすれば忘れないだけでなく、その重要な意味が、ますます分かってくるのである。
では、どんな言葉にすれば良いだろう。
それは、「私は神を信頼する」である。
すると、面白いことに気付く。
「我々は神を信頼する」は、英語で「イン・ゴッド・ウィー・トラスト(In God We Trust)」であるらしく、それは何と、アメリカの公式モットーなのだ。
アメリカ合衆国は歴史も短く、元々、イギリスの支配下にあった。
それが、短期間で異様なほどの力を持ったのは、このモットーのおかげである。
そして、今のアメリカは、この言葉の影響がいくらか残っている程度で、悲惨な状態であるが、それでも、やっぱり他国とは隔絶した力がある。
だが、アメリカ人が、その言葉を忘れてしまったので、かつてほどではないのである。
確かに、その言葉の残像だけで、今でもこれほど強いのだから凄いことではあるのだが。
どんな人も、「私は神を信頼する」と常に唱えれば、あるいは、想えば無敵なのである。
尚、神と人間を、羊飼いと羊に喩えたお話が、聖書の詩篇23で、詩篇の中で最も有名なものである。
イギリスもアメリカも、詩篇23を読まない人が多くなってからは、すっかり傾いてしまった。

チン・ニンチュウは瞑想を勧めるが、残念ながら、瞑想を続けられる人は少ない。
法然や親鸞も、それを知っていたから念仏を教えた。
念仏なら、続けられる可能性が高いが、それですら、庶民はなかなか続けられない。
だが、続けられた人達は、妙好人と呼ばれ、実際に仏の加護を受けて無敵であった。
生まれが貧しく、教養も無くても、誰も、何も、彼の行く手を遮ることは出来なかった。
それは丁度、ノーマン・ヴィンセント・ピールがよく薦めていた聖書の言葉、「私を強くして下さる方により、私はどんなことでも出来る」「神が我々の味方なら、誰が我々に敵することが出来ようか」を、そのまま表していた。
仏教もキリスト教も、本質は同じなのである。

チン・ニンチュウのその本は、カール・ユングが好きだったレイン・メーカー(雨乞い師)の話を中心にしたもので、どうすれば、我々が雨乞い師のような奇跡を起こせるかについて書かれている。
雨乞い師は、そのコツを「神の意思に身を委ねる」といったふうに言っているが、そんな難しい、抽象的な言い方では駄目なのだ。
それはやはり、「私は神を信頼する」ということなのだ。
だから、我々は、言葉を覚えさえすれば良いのである。
いくら瞑想したって、心を支配出来るようにはなかなかならない。うまくいくのは、老人になってからだろう。
けれども、心は支配出来なくても、言葉なら支配出来る。
我々は出来ることをやれば勝てるのである。
だから、我々は、言葉を覚え、それを常に使わなければならない。
「私は神を信頼する」
「私は神と1つである」
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「南無阿弥陀仏」
どれでも、ぴったりする言葉を1つ選べば良い。
1つでなければ続かない。
もちろん、別の言葉が気に入れば、それでも良い。
「神の他に何もない」
「神に出来ないことは何1つない」
言葉を覚え、それを使う。
私には、それ以上のことは出来ない。
だが、それなら確実に出来る。
ちなみに、高度経済成長期の日本のスローガンは「所得倍増」だった。
まいいち美しさというか、センスに欠ける言葉であるが、やはり言葉の力は凄く、その効果は強烈だった。
けれども、確かに、日本経済は強くなったが、その美しさとセンスに欠ける強さは、海外から「エコノミー・アニマル」と呼ばれることとなった。
だから、出来れば、センスある美しい言葉を選んで欲しい。









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言葉に神が宿る

ヨハネの福音書の最初に、「初めに言葉があった」「言葉は神であった」「全ては言葉によって出来た」と書かれている。
その正確な意味が何であるかは、うかつに決め付けてはならないが、言葉には大変な力があるのは間違いがない。

合氣道家の藤平光一氏の『氣の威力』という本に、こんな話があった。
算数が大嫌いで、当然、それが苦手というか全く出来ない小学生の男の子がいたが、藤平氏はその子に、
「勉強しなくていいから、1日1度、算数の教科書を開いて、『算数が好きだ』と言いなさい」
と指示した。
しばらくすると、その子は算数で一番になった。
これが言葉の力である。
藤平氏は、「好き」という言葉により氣が出るから、そうなったといったと言われるのだと思うが、ずれにしろ、「初めに言葉あり」なのである。

ところで、成功法則の本にはよく、
「貧乏な人が、『私は金持ちだ』と言っても、かえって自分が貧乏であることを意識するので、ますます貧乏になる」
などと書かれている。
そして、
「そうではなく、『私は金持ちになりつつある』なら、嘘はないので、心は逆らわない」
などと言う。
いや、「私は金持ちである」より、「私は金持ちになりつつある」の方が、むしろ、心は嘘を感じるものだ。
いずれにしろ、おかしな話である。
人間は、自分の心を支配出来ない。
だが、言葉なら、完全に支配出来る。
「私は金持ちだ」と言おうとしたら、胸が苦しくなって口や心が言葉を発することが出来ないというほどではあるまい。
だったら、「私は金持ちだ」と言えば良い。
別にどちらでも良いが、「私は金持ちになりつつある」より、「私は金持ちだ」の方が良い。
理由は簡単だからだ。
今流に、「言ってみた」で良いし、「言ってみた」が良い。
「私は金持ちだ」と言ってみるのだ。
感情を込めず、ただ、「穏かに」「真面目に」言えば良い。
呼吸を荒げると感情的になるので、鼻息荒く言うのではなく、微かな呼吸をしながら、「私は金持ちだ」と言えば良い。
人間は、微かな呼吸をしながら不真面目にはなれないものなのだ。
そして、言葉は神であり、それは必ず叶う。
あるいは、藤平氏的に「私はお金が好きだ」でも良い。
あの男の子も、本当は算数が好きではなかったが、そんなことはどうでも良い。
算数を無理に好きになることは出来ないが、「算数が好きだ」と言葉で言うことは出来るのである。
人間に支配出来るのは言葉だけである。
そして、言葉には神が宿る。
くれぐれも言葉には(口で言う言葉、心で言う言葉)気をつけなければならない。

普段、自分だけの特別な言葉を常に想っていると、心は静かになっていく。
そうすれば、あなたの言葉は速やかに宇宙に届き、簡単に叶ってしまう。
だから、自分だけの、たった1つの特別な言葉・・・断言、呪文、アファーメーション、祈り言葉など・・・は極めて大切である。
実は、たった1つの特別な言葉だけで良い。
自分に何が必要かなど、深い心、即ち、神は当然ご存知であるのだからだ。
自分のたった1つの特別な言葉を持ち、それを常に使うことほど重要なことはない。
いろいろな、特別な言葉があるが、自分が好きなものを自分で選ぶのである。
究極的な特別な言葉は「神」であるし、次は、「私は神である」だ。
もう少し慎ましやかには、「私は神と一体である」「神は私のパートナーだ」「心を静め、自分が神であると知れ」などがある。
「神の他に何もない」という荘厳な言葉もある。
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」という温かくも強力な言葉もある。
ニサルガダッタ・マハラジが師から教わった「私は至高の実在である」は、「私は神である」と本質的には同じで、大変な効果を発揮した。
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るだろう」という、ほっとするような言葉もある。
「南無阿弥陀仏」は、仏への揺るぎない信頼を表す最強の言葉である。
とりあえずでも良い。
1つ選んで、それを常に使うことだ。
たとえ、2090年式光線銃の方が高性能でも、2070年式光線銃も十分に役に立つだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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