法然、親鸞は、「こんなことをしてはならない」「こんなことをせよ」などとは一切言わず、ただ、念仏を唱えさえすれば良いと説いた。
それで万事OKであると。
親鸞は、念仏の効果を、具体的に、こう説いた。
01.健康と長生き
02.災難の消滅
03.過去世や今生で犯した罪が許される
04.悪因縁は消えて良いことしか起こらない
05.最高神が守ってくれる
06.仏教の守護神が守ってくれる
07.天の神、地の神が守ってくれる
08.力ある精霊(龍等)が守ってくれる
09.閻魔大王の命令で、その配下の存在が守ってくれる
10.大魔王が守ってくれる
11.善い神が守ってくれる
12.悪い神(鬼神)は恐れて近寄らない
13.観世音菩薩、勢至菩薩が夜も昼も常に守ってくれる
14.阿弥陀仏の無数の分身が守ってくれる
15.無数の仏が百重千重に囲んで喜んで守ってくれる
偉い宗教家は、「言葉通りに受け取ってはならんぞよ」などと言うが、親鸞は言葉にひねりを持たせるような「ひねた」人ではなかった。
だから、言葉通りに取れば良いのである。
だが、これは仕方がないことかもしれないが、今の時代では、念仏を素直に受け取れない人も多いだろうし、素直に受け取れないことが悪いことではない。
しかし、言葉というものは、どんな言葉であろうが、力があるのである。
それを「言霊」と呼ぶかどうかは自由である。
良い言葉は良い影響を、悪い言葉は悪い影響を及ぼす。ただ、それだけのことだ。
ただ1つの、好きな言葉を選び、それを念仏同様、常に想ったり唱えたりすれば、それに応じた成果が得られる。
それがなぜ大事かと言うと、人間には、世界も心も支配することは出来ないからだ。
そうだ、自分の心すら全然自由にならない。
心を自由に支配出来るなら、イエスが言うように、山を動かすことも出来る。
だが、心はあなたに従ってくれないことは、よくご存知と思う。
けれども、言葉は支配出来る。それさえやれば全てを得られるのに、ほとんど誰もやらない。
世界を支配した者は、単に言葉を支配したのである。
そして、法然や親鸞は、その一番簡単なやり方を教えたが、彼ら自身も、その一番簡単なやり方しか出来ないと言ったのである。
だが、我々は科学を学び、理屈で考えることに慣れてしまった。
だから、特定の神や仏に力があると考えることに抵抗がある。
しかし、宇宙の隅々に、あるいは、心の奥に、不思議な強大な力があることは直観で分かるはずである。
それを発動させる言葉をたった1つ選べば良い。
ただ、そう言うと、言葉を選ぶことを難しいと思ってしまう。
学校で「正解は1つ」と教えられたからだ。先生が決めた答以外は不正解と教えられてきた。
だが、実際は、先生の答が間違いである場合が何と多いことか。
特別な言葉は、とりあえずで決めれば良く、どれにも、さほどの差はない。
やがて、もっと気に入る言葉が見つかれば、それに変えて良いのである。
「神の他に何もない」
「神にできないことは何1つない」
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るであろう」
「予想しないことが起こり、道は開ける」
「神は道なきところに道を作る」
「奇跡は起こる」
「私と神は1つである」
「神が私のパートナーである」
「世界はただ私のためにある」
「命、愛、調和」
「成功、富、歓喜」
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
いずれも選りすぐりの光線銃だが、御代はいらない。
ただ、2つ選ぶと、大抵は続かない。
光線銃という鉄の斧1つを使えば、金の斧、銀の斧などなくても全てを得られるのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
それで万事OKであると。
親鸞は、念仏の効果を、具体的に、こう説いた。
01.健康と長生き
02.災難の消滅
03.過去世や今生で犯した罪が許される
04.悪因縁は消えて良いことしか起こらない
05.最高神が守ってくれる
06.仏教の守護神が守ってくれる
07.天の神、地の神が守ってくれる
08.力ある精霊(龍等)が守ってくれる
09.閻魔大王の命令で、その配下の存在が守ってくれる
10.大魔王が守ってくれる
11.善い神が守ってくれる
12.悪い神(鬼神)は恐れて近寄らない
13.観世音菩薩、勢至菩薩が夜も昼も常に守ってくれる
14.阿弥陀仏の無数の分身が守ってくれる
15.無数の仏が百重千重に囲んで喜んで守ってくれる
偉い宗教家は、「言葉通りに受け取ってはならんぞよ」などと言うが、親鸞は言葉にひねりを持たせるような「ひねた」人ではなかった。
だから、言葉通りに取れば良いのである。
だが、これは仕方がないことかもしれないが、今の時代では、念仏を素直に受け取れない人も多いだろうし、素直に受け取れないことが悪いことではない。
しかし、言葉というものは、どんな言葉であろうが、力があるのである。
それを「言霊」と呼ぶかどうかは自由である。
良い言葉は良い影響を、悪い言葉は悪い影響を及ぼす。ただ、それだけのことだ。
ただ1つの、好きな言葉を選び、それを念仏同様、常に想ったり唱えたりすれば、それに応じた成果が得られる。
それがなぜ大事かと言うと、人間には、世界も心も支配することは出来ないからだ。
そうだ、自分の心すら全然自由にならない。
心を自由に支配出来るなら、イエスが言うように、山を動かすことも出来る。
だが、心はあなたに従ってくれないことは、よくご存知と思う。
けれども、言葉は支配出来る。それさえやれば全てを得られるのに、ほとんど誰もやらない。
世界を支配した者は、単に言葉を支配したのである。
そして、法然や親鸞は、その一番簡単なやり方を教えたが、彼ら自身も、その一番簡単なやり方しか出来ないと言ったのである。
だが、我々は科学を学び、理屈で考えることに慣れてしまった。
だから、特定の神や仏に力があると考えることに抵抗がある。
しかし、宇宙の隅々に、あるいは、心の奥に、不思議な強大な力があることは直観で分かるはずである。
それを発動させる言葉をたった1つ選べば良い。
ただ、そう言うと、言葉を選ぶことを難しいと思ってしまう。
学校で「正解は1つ」と教えられたからだ。先生が決めた答以外は不正解と教えられてきた。
だが、実際は、先生の答が間違いである場合が何と多いことか。
特別な言葉は、とりあえずで決めれば良く、どれにも、さほどの差はない。
やがて、もっと気に入る言葉が見つかれば、それに変えて良いのである。
「神の他に何もない」
「神にできないことは何1つない」
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るであろう」
「予想しないことが起こり、道は開ける」
「神は道なきところに道を作る」
「奇跡は起こる」
「私と神は1つである」
「神が私のパートナーである」
「世界はただ私のためにある」
「命、愛、調和」
「成功、富、歓喜」
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
いずれも選りすぐりの光線銃だが、御代はいらない。
ただ、2つ選ぶと、大抵は続かない。
光線銃という鉄の斧1つを使えば、金の斧、銀の斧などなくても全てを得られるのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。