合気道の達人、植芝盛平や、道術という武道を創始したMRT(仙骨無痛良法)の内海康満さんの礼が見事であると書かれているのを見ただけで、私は心が爽やかになるのを感じたことがある。
その見事な礼の姿を想像するだけでも楽しいものだ。
ところが、最近、私の愛読書になった『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』の著者、林悦道さんは、長く土建業に従事していたが、今は道場を開いて、子供達も含め、武道の指導をしているというが、彼の説く「礼」の意味に深い感銘を受けた。
それは、私の長年の心の中の疑問を解消するものだった。
それは、こんなものである。
日常では、暴力や人を騙すことは悪いこととされる。
しかし、武道では、人を殴り、蹴り、投げるし、騙しのテクニックも重要だ。
そんなものを日常に持ち出して暴力を振るったり、騙したりしたら・・・そんな者もよくいるのだが、それは悪になる。
だから、道場の出入りで礼をして、日常と非日常を切り替え、きちんとけじめを付けさせるために礼をするのだと言う。
はっきり言って、林さんは、あの神のごとき植芝盛平を超えていると思う。
だが、現実世界は、暴力はともかく、騙さなければ生きていけないことも林さんは説いていて、私も目が覚めた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で、ハルヒが、アマチュアながら訓練された野球チーム相手にピッチャーとして対戦するお話がある。
見た目は高校1年生の美少女で、顔もスタイルも抜群で、特に大柄でもないが、ハルヒの速球は凄く、最初のバッターを三球三振に討ち取る。
しかし、二人目からは打たれまくる。
その理由は、野球にはド素人のキョン(主人公。高1男子)にだって分かる。
ストライクゾーンの真ん中に直球しか投げないのだから、それが分かってしまえば打たれるに決まっている。
正々堂々のスポ根の王道である『巨人の星』でも、少年時代の星飛雄馬に対し、心理誘導をして、まともなストライクしか投げられないようにしたら、素晴らしい速球を投げる飛雄馬が打たれまくるというお話があった。
いかに大谷翔平の球が速くても、ストレートばかり投げたら、打たれまくるだろう。
そもそも、いかに剛速球ピッチャーでも、直球勝負だけというのは、体力的に無理なのだそうだ。
野球のピッチャーの投法に「チェンジ・アップ」というものがある。
いかにも速球を投げそうなフリをしてスローボールを投げ、バッターのタイミングを狂わせるというものだ。
ポーズも腕の振りも、さらに、表情まで「全力で投げるぞ」と見せて、ゆるい球を投げてバッターの意表を突くのである。
真面目な人なら、「それって卑怯じゃないのか」と思うだろうし、私はいまだそう思う。
しかし、もちろん、卑怯ではない。
素晴らしいフォークボール(直球のように来る球が急に落ちる)だって、考えようによっては卑怯だが、やはりまっとうなテクニックだ。
野球だけでなく、バレーボールのフェイント攻撃や時間差攻撃も、騙しと言えば騙しだし、卑怯と言えば卑怯と言えるかもしれない。
だが、騙しの全くない力勝負だけのスポーツなんて存在しない。
陸上競技の跳躍競技ともなれば、さすがに、ほとんど力勝負だが、ここでも精神的駆け引きは行われる。
そして、スポーツが人間を磨き、知恵を与えるのは、騙しの部分も少なくはないのだ。
私が社会人になって初めてやった仕事は家庭向けセールスだったが、上司や先輩に、「お前のトークはまとも過ぎる。工夫しろ」とよく言われた。
その「工夫」の実例は、私にはやはり「騙し」にしか思えない。
上司達は、やや苦しげな顔をして、「いや、騙しとは違う。騙しは良くない」などと言うを不審に思ったりもした。
だいたい、「キャンペーン中です」なんて騙しであることがほとんどだ。だって、年がら年中キャンペーン中なのだから。
「あなたに特別なお知らせです」ってのを、誰にでも行っているのだから、特別でも何でもない。
私は、そういったことがいちいち気に入らないが、ひきこもり等、社会不適合者には、そういった潔癖症と言うか「ガキ」が多いのだと思う。
実に、社会は嘘で成り立っている。
吉本隆明が、「国家は幻想で出来ている」と言ったが、国家も社会も会社も学校も、嘘、嘘、嘘だらけなのである。
宮本武蔵の『五輪書』を、外国のビジネスマンが「この書は騙しの指南書だ。そうか、日本のビジネスが強いのは、こんな思想があるからだ」と言うのをテレビで見たことがある。
確かに、『五輪書』には。「不意をつけ」「むかつかせろ」など、清純な頭には卑怯としか思えないことが書かれているが、この本は殺し合いに勝つ究極の秘訣を説いたものなのだから、卑怯でない方がおかしい。
それに、『五輪書』を批判したあの外国のビジネスマンだって、卑怯なことはいっぱいしているはずだし、何より彼は「俺もこれでいく」と宣言したのだ。
私は、嘘をまとって、一時、セールスで好成績を上げたが、耐えられずに駄目になった。
こういうのを本当の「社会不適合者」と言うのだ。
私はビジネスでは成功出来ない。
本宮ひろ志さんの漫画『俺の空』で、武尊コンツェルンの御曹司、武尊善行は、主人公の安田一平に、「男が女に本当のことを言うことなんて、一生に何度ある?」と言い、一平が激怒する場面があるが、少々極端な表現ではあるが、武尊善行の言うことにも一理ある。
少なくとも、嘘も言えない男に女は落とせない。
普通の女にモテる秘訣は、誰でも受け入れそうな雰囲気を出すことだが、それも騙しで、本当は相手を選んでいるのである。
まともな頭はおめでたい頭だ。
それでは生きられない。
そういうことで悩むのが青春で、そんな時期も必要だが、人は大人にならないといけない。
大人になれない者に世間は厳し過ぎる。
だけど、嘘にも限度がある。それを見極められるのが本当の大人なのだろう。
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その見事な礼の姿を想像するだけでも楽しいものだ。
ところが、最近、私の愛読書になった『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』の著者、林悦道さんは、長く土建業に従事していたが、今は道場を開いて、子供達も含め、武道の指導をしているというが、彼の説く「礼」の意味に深い感銘を受けた。
それは、私の長年の心の中の疑問を解消するものだった。
それは、こんなものである。
日常では、暴力や人を騙すことは悪いこととされる。
しかし、武道では、人を殴り、蹴り、投げるし、騙しのテクニックも重要だ。
そんなものを日常に持ち出して暴力を振るったり、騙したりしたら・・・そんな者もよくいるのだが、それは悪になる。
だから、道場の出入りで礼をして、日常と非日常を切り替え、きちんとけじめを付けさせるために礼をするのだと言う。
はっきり言って、林さんは、あの神のごとき植芝盛平を超えていると思う。
だが、現実世界は、暴力はともかく、騙さなければ生きていけないことも林さんは説いていて、私も目が覚めた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』の中で、ハルヒが、アマチュアながら訓練された野球チーム相手にピッチャーとして対戦するお話がある。
見た目は高校1年生の美少女で、顔もスタイルも抜群で、特に大柄でもないが、ハルヒの速球は凄く、最初のバッターを三球三振に討ち取る。
しかし、二人目からは打たれまくる。
その理由は、野球にはド素人のキョン(主人公。高1男子)にだって分かる。
ストライクゾーンの真ん中に直球しか投げないのだから、それが分かってしまえば打たれるに決まっている。
正々堂々のスポ根の王道である『巨人の星』でも、少年時代の星飛雄馬に対し、心理誘導をして、まともなストライクしか投げられないようにしたら、素晴らしい速球を投げる飛雄馬が打たれまくるというお話があった。
いかに大谷翔平の球が速くても、ストレートばかり投げたら、打たれまくるだろう。
そもそも、いかに剛速球ピッチャーでも、直球勝負だけというのは、体力的に無理なのだそうだ。
野球のピッチャーの投法に「チェンジ・アップ」というものがある。
いかにも速球を投げそうなフリをしてスローボールを投げ、バッターのタイミングを狂わせるというものだ。
ポーズも腕の振りも、さらに、表情まで「全力で投げるぞ」と見せて、ゆるい球を投げてバッターの意表を突くのである。
真面目な人なら、「それって卑怯じゃないのか」と思うだろうし、私はいまだそう思う。
しかし、もちろん、卑怯ではない。
素晴らしいフォークボール(直球のように来る球が急に落ちる)だって、考えようによっては卑怯だが、やはりまっとうなテクニックだ。
野球だけでなく、バレーボールのフェイント攻撃や時間差攻撃も、騙しと言えば騙しだし、卑怯と言えば卑怯と言えるかもしれない。
だが、騙しの全くない力勝負だけのスポーツなんて存在しない。
陸上競技の跳躍競技ともなれば、さすがに、ほとんど力勝負だが、ここでも精神的駆け引きは行われる。
そして、スポーツが人間を磨き、知恵を与えるのは、騙しの部分も少なくはないのだ。
私が社会人になって初めてやった仕事は家庭向けセールスだったが、上司や先輩に、「お前のトークはまとも過ぎる。工夫しろ」とよく言われた。
その「工夫」の実例は、私にはやはり「騙し」にしか思えない。
上司達は、やや苦しげな顔をして、「いや、騙しとは違う。騙しは良くない」などと言うを不審に思ったりもした。
だいたい、「キャンペーン中です」なんて騙しであることがほとんどだ。だって、年がら年中キャンペーン中なのだから。
「あなたに特別なお知らせです」ってのを、誰にでも行っているのだから、特別でも何でもない。
私は、そういったことがいちいち気に入らないが、ひきこもり等、社会不適合者には、そういった潔癖症と言うか「ガキ」が多いのだと思う。
実に、社会は嘘で成り立っている。
吉本隆明が、「国家は幻想で出来ている」と言ったが、国家も社会も会社も学校も、嘘、嘘、嘘だらけなのである。
宮本武蔵の『五輪書』を、外国のビジネスマンが「この書は騙しの指南書だ。そうか、日本のビジネスが強いのは、こんな思想があるからだ」と言うのをテレビで見たことがある。
確かに、『五輪書』には。「不意をつけ」「むかつかせろ」など、清純な頭には卑怯としか思えないことが書かれているが、この本は殺し合いに勝つ究極の秘訣を説いたものなのだから、卑怯でない方がおかしい。
それに、『五輪書』を批判したあの外国のビジネスマンだって、卑怯なことはいっぱいしているはずだし、何より彼は「俺もこれでいく」と宣言したのだ。
私は、嘘をまとって、一時、セールスで好成績を上げたが、耐えられずに駄目になった。
こういうのを本当の「社会不適合者」と言うのだ。
私はビジネスでは成功出来ない。
本宮ひろ志さんの漫画『俺の空』で、武尊コンツェルンの御曹司、武尊善行は、主人公の安田一平に、「男が女に本当のことを言うことなんて、一生に何度ある?」と言い、一平が激怒する場面があるが、少々極端な表現ではあるが、武尊善行の言うことにも一理ある。
少なくとも、嘘も言えない男に女は落とせない。
普通の女にモテる秘訣は、誰でも受け入れそうな雰囲気を出すことだが、それも騙しで、本当は相手を選んでいるのである。
まともな頭はおめでたい頭だ。
それでは生きられない。
そういうことで悩むのが青春で、そんな時期も必要だが、人は大人にならないといけない。
大人になれない者に世間は厳し過ぎる。
だけど、嘘にも限度がある。それを見極められるのが本当の大人なのだろう。
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