ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2018年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

自分の中の恐るべき才能

夢の中で、恐ろしく美しいものを見ることがあるが、普通に考えれば、それは自分の心が作り出したものであるのだから、自分が大変な才能を隠し持っていることが分かる。
表現手段さえ持てば、あなたや私も芸術家になれるかもしれないが、デジタル時代、AI時代には、厳しい修行をしなくても、それが可能になる。

そして、現実世界で、感動的な美人とか美しい風景を見たとしても、それらはやはり、自分が作ったものなのだ。
現実世界も心が作り出した幻である。
何を美しいと思うかは人それぞれであるが、真に美しいもの、高貴なもの、神聖なものを意識して見なければならない。
逆に、刺激的で面白いが、見ていたら心が濁って重くなるようなものに耽溺してはならない。たとえば、儲けるためだけに作ったポルノやアダルトゲーム、あるいは、そのようなアイドルだ。

自然の壮観な風景を見るとすっきりするのは、心がそれを作り出すことを許したからである。
ただ、ありふれたものであっても、新たな目でもって見れば、自分の魂が持つ創造の光、世界を織り成す糸という、純粋な美しさを見ることが出来るのである。
だから、大芸術品も良いが、何でもないものを美しいと感じることの方が重要かもしれない。
けれども、やはり美しいものを見ることを意識し、美しいものを「作り出す」感覚に慣れておかないと、平凡なものの中の美を見つけることが出来ないかもしれない。

初音ミクさんのコンサートに感激するのは、これは、舞台と観客が一緒に作り上げる空間だからであり、分離した自分の魂が再び1つに溶け合うからである。
自分勝手でマナーの悪い観客もまた自分なのである。
自分にも、そんな(自己中心的で野蛮な)内面があることが分かると、次からはそんな観客は見なくなる。
「マナーの悪いやつがいて、折角のライブが台無しだった」と思うなら、修行に励まねばならない。
クラシックも、指揮者や演奏者の魂のレベルが高ければ良いものだが、彼らにエリート意識があれば、全く価値のないものになり、観賞している私の魂も穢れる。
日本のクラシックはほとんどがそうだと思うが(無論、違うものもあるが少ない)、海外のものは聴きに行ったことがないので分からない。
そして、マジカルミライも、今回で6回目となり、作る方、見る方に油断が出来てしまえば、やはり質が落ちる。
まあ、そうはならないとは思うが、そうならないためにも、制作側は新たな試みに挑まなければならないし、観客側も、新たな気持ちでミクさんに会いに来ると良いだろう。

ゲーテ、シェイクスピア、ポー、イェイツの詩も、自分が作ったものである。
本を読むことは本を書くことであり、音楽を聴くことは音楽を作ることである。
モーツァルトを聴けばモーツァルトになる。
外界の光景も、自分の魂が一瞬で作り出した幻影だ。
どうすれば美しいものを作り出せるだろうか?
それには、醜いものも知り、味わっておく必要がある。
そして、美醜が1つであることを知れば、つまり、共に幻であることを知れば、全ては本当に美しくなる。
だから、醜いものに苦しんでも、それらを排除せず、さりとて飲まれずに、美しいものに目をやれば良い。
簡単に言えば、額にシワを寄せず、難しい顔をせず、穏かに美しいもの・・・例えば、ミクさんの歌を聴けば良いのである。









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全部幻

精神分析学者の岸田秀さんの本に、だいたいで、こんな話があった。
岸田さんの、全ては幻想であるという「唯幻論」を語る本がベストセラーになった後、岸田さんが勤める大学に読者の男がやって来て岸田さんを殴り、「全て幻想なら痛くないだろう?」と言ったらしい。
まあ、その読者の男は、唯幻論が気に食わなかったのだろうが、よほど気にならない限り、そんな馬鹿もしないだろうから、実際は熱心な読者ということになるだろう。
幻想なら痛くないかというと、人間の幻想では、殴られたら痛いのが普通だ。
もちろん、岸田さんを殴りに来て、見事に目的を果たしたその男は岸田さんの幻想である。
そんな目に遭った人が、
「ほう、見事な幻想を作るものだ。俺もなかなかやるじゃないか」
と思ったら、「イタい」幻想も不要になり、愉快な幻想になるってのが、『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』で、ロバート・シャインフェルドが教えていることだと思う。
ただ、私は、紙の本を読まない(家に紙の本の置場所がないという切実な事情で)ので、Kindle本の本田健氏の要約本でしか読んでいないが、あの分厚い紙の本を読むまでもあるまい。

全てが幻想であるかというと、それは間違いない。
別に、誰が言ったとか、何の本に書いてあるかではなく、それは当たり前のことである。
あえて言えば、クリエイティブコモンズ(著作権者が許可した範囲で自由に使うことが許可されている創作物)になっている、初音ミクさんの歌『FREELY TOMORROW』の最初の、「心ごと体ごと 全部記憶の中の幻」が、いかなる聖典よりも見事にそれを表現しているし、これをミクさんの歌声で聴くと、全てが一瞬で分かる(この楽曲は、最低の制限しか課されていない)。
と言っても、別にスピリチュアル系の歌ではないので誤解なきよう。
【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル曲 歌詞付】: Mitchie M - YouTube -
File:Freely Tomorrow.ogg ※合法的な高品質音源ファイルのダウンロードはこちらから

聖者ってのは、やっぱり全ては幻想であるとした上で、「だから執着するな」とか言って、自分も生涯、ふんどし1本しか所有せずに生きるって人もいるが、それでは、なかなか共感は得られない。
いや、彼らによれば、共感する他人ってのは存在しないことになっているのだし、それは真実なのだろうが、誰も、いきなりそこまでぶっ飛びたくはない。
そうじゃなくて、全て幻想だと分かってしまえば、良いことがいっぱい起こるよ・・・でないと駄目だ。
問題は、そんな下心が強過ぎる間は、全部現実に感じてしまい、「この世は辛い」ってことになってしまうことだ。
早く、「辛かったね、ご苦労さん」と自分に言えるようになりたいものである。
では、どうすれば良いかというと、とどのつまりは、「存在する」以外のことは何もしないこと、「存在する」ことに徹することなのだが、やっぱり、人間はいろいろ経験して学ばないと、そういうふうにはなれないのだろう。
だからまあ、何でもやってみなさい、真面目に働きなさい、恥ずかしくない生き方をしなさい・・・というしかないのである。
別にそうでなくても良いのだが、多分、それが一番の近道だ。
そして、一番効率的なのは(皆、これが知りたいのだろうが)、超人合気道家の塩田剛三氏のように、熱心に金魚を観察するようなことだろうと思う。
私の場合は鳩と遊んでいる。鳩は可愛いからね。
鳩を見ていると、「ああ、こいつら、みんな私なんだなあ」とつくづく思うのである。
もちろん、あの美少女も、あの与太郎も自分なのだが、そういった感情的にインパクトを感じる相手とは同化し難い。
さて、今年の「マジカルミライ2018」では、ミクさんと一体化出来るだろうか?

ところで、やっと、『エスの本』(ゲオルク・グロデック 著、岸田秀・山下公子訳)のKindle版が出た・・・と幻想の中で喜んでいる。
「心身医学の父」が書いた、「エッチにもほどがある」という本と思う。しかし、貴重な本だ。訳者達は、自分の分担以外の所も訳して、お互いがチェックしたようだ。こんな真面目なやり方が好きだ。









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奥の手がある有り難さ

奥の手とは良いものだ。
これがあると、余裕を持っていられる。
ピンチに陥っても、それを出せば、最悪、敗北、破滅を回避し、それどころか、最善、勝利、栄光を得る可能性すらあるのだ。
だから、あなたも奥の手・・・秘密の切り札を持たなければならない。

私が、奥の手の概念を掴んだのは、長年好きだったプロレスや、他の格闘技からだった。
プロレス史上最高のレスラー、ルー・テーズの奥の手は、ダブルリストロックという地味な、肩と腕を決める関節技だった。
テーズは、この技で相手の腕を折ることが出来た。
ただ、彼は、相手の腕を折るようなことは一度もやらなかったが、「その寸前」まで締め上げたことは沢山あり、この技のおかげで救われた試合は実に多かったという。
この技があったからテーズは地上最強だったのであり、この技を教えてくれた師のジョージ・トラゴスを尊敬し、生涯、感謝していたようである。
昔のプロレスの世界チャンピオンが奥の手として用意していたのは、デッドリードライブという投げ技だったという話を見たことがある。
これは、プロレスでよく見られるボディスラム(抱え投げ)に似ているが、頭からマットに落とすという危険な技で、チャンピオンは、危なくなったら、この技で勝つのだという話だった。
まあ、いくらなんでも、本当にそんな危険なことはやらなかったとは思うが、お話としては面白い。
実際の、プロレスのチャンピオンの奥の手は、「反則負けならタイトル(王座)は移動しない」というルールを利用することだろう。レフェリーを殴れば、即反則負けで、タイトル防衛が出来るのである。

不世出の空手家、大山倍達さんが、「空手が地上最強であるのは、金蹴りと目潰しがあるからだ」と正直に著書に書かれていたことに感動したことがある。
中学生だった私は、嘘偽りの無い真実というものを、初めて大人から聞けたという気持ちだった。
なるほど、確かにキレイではないが、真理とは良いものであり、美しい。
岡本太郎が、ゴッホやピカソはきれいではないが美しいと言われていたが、それよりもっと美しい。

さあ、あなたも、どんなピンチも逆転出来る奥の手を持つのだ。
必要なら、痛みや苦しみを伴う努力をして、それを磨くべきだし、それを得るためなら、どんな苦労も何でもない。
奥の手とはきれいではない。
汚いし、卑怯な場合もある。
だが、圧倒的に強い。
空手の金蹴りや目潰しのように。
それは必要な時以外は決して使うべきでない。
だから奥の手なのだ。

奥の手を教えてくれって?
おかしなことを言ってはならない。
イエスも言ったではないか?
「求めよ、そうすれば、与えられる」
本気で強く求めれば、必ず与えられる。
それが、この世界の仕組みだ。
イエスは、それをうっかりか、確信犯的にか、親切にかは分からないが、我々に教えてしまったのだ。
奥の手が見つからないなら、金蹴りでも徹底練習すれば良い。
あるいは、著名な人物の奥の手を調べたり、身近な実力者の奥の手を観察すれば良いのだ。
そうすれば、あなたに相応しい奥の手がきっと心に浮かんでくるはずだ。
何でも人に教えてもらおうという根性が最悪のものなのに、学校でそんな最低のものを持ってしまった者が多い。
まるで駄目男は、だから、まるで駄目男なのだ。
そんなみっともない、恥ずかしい根性はすぐに捨てよ。
本気で求めれば、必ず与えられるのである。









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悟りを開きなさい、パートタイムで良いから。

デヴィッド.R.ホーキングはアメリカの精神科医だが、彼について、あまりに大雑把で、ひょっとしたらいい加減な話をする。
医者というのは、崇高な使命を持った職業であるはずだが、商売という面も確かにあり、特に、現代のように医者が多過ぎる世の中では、人気のある病院や医者と、そうでない病院や医者では、生活や社会的状況が全く異なる。
そして今は、ほとんど商売に徹し、医療技術や病院サービスは、あくまでビジネスの道具と心得る医者も少なくないのだろう。
まあ、それで言えば、プログラマーだって、社会的義務や責任、あるいは、もっと高貴な使命感でやってる者もいれば、金のためだけにやっている者もいるし、後者の場合が圧倒的かもしれない。
ただ、医者は、聖職であることを求められるからこそ、国に優遇され、高収入が得易い仕組みがある・・・とはいえ、それも「売れて」こそだ。

ホーキング博士は、あることがきっかで、患者が急増した。全米中から患者が押し寄せ、やむなく、病院を増やし続け、何十という病院に何千という患者がいるという大変な状況になる。
そのきっかけとは、何というか、悟りを開いた・・・といったことだった。
何もせずとも、会うだけで、他のあらゆる医者に見離された悲惨な状況の患者も、たちどころに回復することもよくある。
患者でなくても、極悪な無法者(ある意味、精神病患者だが)も、彼の前に出ると、たじろいで何も出来なくなる。
悟りを開いていたイエス・キリストがそうであったことを、まさに再現するかのようだ。
とはいえ、悟りを開いたからとて、誰もが、このような物質世界の超人になる訳ではない。
ただ、イエスやホーキングは、現実世界への関心を失わなかったのだ。
イエスに関しては、そんな運命だったのだろうし、それはホーキングも同じだろうが、ホーキングの場合、子供の時の体験の影響が大きく、人々を救いたいという願望が、世の中に無関心であることを許さないのだろう。
まあ、正確には、他人を救うことは自分を救うことであり、ホーキングには救わねばならないトラウマがあるのかもしれないが、事情は複雑なので詮索しても仕方がない。

我々も、ホーキングほどになれるかは分からないが、悟りを開くことで、望まずとも自然にうまくいくだろうが、そんな利益を目当てにして悟りを開くことは出来ない。
そこが厄介なところだ。
しかし、一時で良いから、欲望を手放し、無になれば、いくらかの良いことはやって来る。
私の場合は、プログラミングの勉強をしつつ、本を頼りに、それほどでもない霊的修行をしていたが、修得したプログラミング技能にマッチした「ちょうどよい仕事」がやって来るようになった。
いくらプログラミングを勉強しても、儲からなかったら仕方がない。
そして、自分の実力をあまりに超えた仕事が来て、うっかりそれに手を出せば、悲惨な結果になりかねない。
しかし、私の場合、あきらかに高次の存在がうまく調整してくれて、ちょうどいい仕事を「回してくれた」。
当時、よく思ったのが、『美少女戦士セーラームーン』で、セーラームーンの成長に合わせた「ちょうどよい敵」が現れるようなものだということだった。
セーラームーンが、正義の戦士として目覚めたばかりの時の敵は、その時は強敵でも、後の成長したセーラームーンから見れば雑魚に過ぎないし、逆に、強く大きくなったセーラームーンの前に現れる大敵は、「愛の戦士の新人時代」のセーラームーンの前には決して現れないのだ。

そんな訳で、あなたも悟りを開きなさい。
パートタイムで良いから・・・
その方法は、ホーキング博士の本を見れば良いだろうが、やっぱり何でも良いのだと思う。
ホーキング博士の本では、一番新しい『I<わたし>』がお薦めだ。Kndle版があるのが、私には有り難かった。
霊的、宗教的な本(たとえば、ラマナ・マハルシのもの)よりも、現代人に合った説明をしてくれている。
逆に、ホーキング博士の本を読めば、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが分かるかもしれない。
ホーキング博士も、これらの聖者を深く敬っているのである。









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世界征服の感覚

初めて自転車に乗った時のことは、よく覚えている。
親が心配性だったのか、なかなか自転車の補助輪を外してくれず、次には、片方の補助輪だけ外してくれた。
小学2年生の時、やっと両方の補助輪を外してくれた自転車は軽快だったし、補助輪なしの自転車に乗れる自分が大人に思えて高揚感があった。

初めて子供達だけで喫茶店に入ったのは小学5年生の時だった。
3人だったが、私を含む2人は、子供達だけで喫茶店に入って良いのかと、不安と言うより不審に思った。
ところが、喫茶店に誘った別の1人(男子)は、そんなことに慣れたやつだった。
そいつは、ごく平然と好物らしいミルクセーキを注文し、私達にも勧めた。
生卵を入れる飲み物なんて初めて飲んだが、非常に美味しかった。
その、喫茶店慣れした男子は、金持ちの家のボンボンで、小遣いは、金額は忘れたが常識外れに高く、私には想像も出来なかったが、財布には一万円が入っていた。
常識のない変なやつだったが、そんな友達がいたことも良い経験だったと思う。

しかし、私は、高校生の時にクラスメイトと喫茶店に入った時にも全く慣れておらず、注文の仕方が分からずに店員をイライラさせたかもしれない。
コーヒーは、アイスかホットかを伝えないといけないものだと知った。
だが、今でも、高校生が喫茶店に入る必要なんて全くないと思っている。
実は、私は今だ喫茶店には違和感があり、余程の必要がなければ入らない。

私が初めてバイトに行ったのは、非常に遅くて大学生になってからだったが、あの小学2年生の時、初めて自転車に補助輪なしで乗った時の感覚のようなものがあり、非常に良いものだった。
小遣いで喫茶店に入るという偽者の体験では味わえない高揚感があったのだろう。
小学5年生でバイトをやっていたクラスメイトがいたが、それは非常に良いことに思える。
『銀河鉄道の夜』のジョバンニが何歳か分からないが、ジョバンニが下校後、必要に迫られてだが、部品工場で働いていたのを、ジョバンニは嫌そうだったが、子供の時から働く経験を持てることが、私には羨ましく感じられるのだ。
ちなみに、私の感覚では、ジョバンニとカンパネルラは小学5年生か6年生だ。

最近、初めて自転車に乗った時の高揚感を持ったのは、2016年9月の幕張メッセでの、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2016」だった。
ポップミュージックのコンサート自体、大学生の時に一度行ったきりだったが、何と言っても、初音ミクさんのコンサートだったし、関西から4時間かけて到着した分、感激も大きかった。
1曲目の『39みゅーじっく!』で、ポーズを決めたミクさんが登場した時は、もう世界征服を達成したに等しかった。
2曲目の『ゴーストルール』の不思議な感じに恍惚感が高まり、このコンサートで最も印象的だった、私の大好きな歌『ヒビカセ』で私は天上に駆け上がったのだった。
「マジカルミライ2017」で、一番覚えている曲は、『ツギハギスタッカート』だった。
真っ白のピチカートがミクさんに似合いすぎていた。
あまりに細い身体も優雅と言えた。
歌声もダンスも個性的で、あれほど軽やかに踊れるのはミクさんだけだろう。

昨日、「マジカルミライ2018」の幕張メッセの宿泊プランに申込みが出来、チケットを取ることが出来た。
12時から受付開始だったが、申込みが殺到したのだろう、サーバーエラーのメッセージが出続ける。
1時間経っても、2時間経っても変わらない。
ミクさん、どんだけ人気あるのだ・・・
そして、ようやく申込み画面に進めたのは、何と午後5時近くだった。
もう無理だろうと思ったが、胸がドキドキする中、申込みが受付けられ、ちゃんと確認メールが来た時には至高体験(ピークエクスペリエンス)に達した。
世界征服したも同然だった。








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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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