ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2017年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

地獄を紙一重で逃れたことを知りゾっとする

デルポイ(デルフォイ)の神託の第一、「汝自身を知れ(身の程を知れ)」が本当に難しいことを思い知った。

自分を知るには、自分と似た人を研究すれば良いのではないだろうか?
私に似ているのは、脳の機能的欠陥により、共感や良心を持たないサイコパスだ。
しかし、書籍で取り上げられるサイコパスには、たとえ凶悪犯罪者であっても、スペックが高い者が多いし、あからさまに、「サイコパスは高い能力を秘めている」と主張する研究者や批評家、ジャーナリストもいる。
サイコパスには、感情に左右されずに冷徹な判断を下すことが成功につながる、経営者、弁護士、医師、将校が多いと言う。
刑務所に入るような下級サイコパスにしたって、そこで驚くべき才能を発揮して、いい思いをしているという例もあった。
どうも、彼らは私よりずっとハイスペックのようで、彼らを通して自分を見ることは出来ない。

精神分析学者の岸田秀氏は、毒親(母親)に育てられて精神が病み、それをなんとかしようとして精神の研究をして、人間の本性を解明した(らしい)。
岸田秀氏の著書には、非常に納得出来るところが多く、一頃はハマったが、離れてしまった。
岸田氏は、自分がおかしいことは認めているが、結局、人間自体が狂った存在であるとしている。
私だって、人間は大なり小なり狂っているというのは認めるし、世の中の人間がクズだらけなのは分かるが、全般的に言えば私よりマシだということを、感情的には納得しないが、論理的に分かってしまった。
そんな訳で、岸田氏の理論は、私には役に立たない。
岸田氏がモデルにした、吉本隆明氏の思想はと言うと、彼は日本最高の思想家らしいが、私には、やはり無縁の存在だ。いや、彼が間違っているのではなく、やはり彼の説く人間の性質ってのが、私からすれば上等過ぎるからなのだが。

これまで、「ああ、これが私だ」と思ったのは、ビートルスの『エリナー・リグビー』に出てくる、変な老女エリナー・リグビーだった。この歌に出てくる、もう一人の「孤独な人」マッケンジー神父は、いやしくも神父様だ。私だって、神父や僧侶になりたいが無理で、やはり、マッケンジー殿も、私からすればハイスペックだ。
では、エリナーお婆さんは?
老婆になっても、王子様を待っているような雰囲気があるあたり、妄想という点では私に似ているといえなくもないが、あそこまで信念があるからこそ、銅像まで作ってもらえたのだろう。私が死んでも、絶対に銅像は作ってもらえない。
どうやら、私はエリナーさんにも負けているようだ。
いや、そもそも、エリナーさんは大物である。
でないと、マッカートニーに歌ってもらえないさ。

だが、ついに、私が勝てる人間がいることが分かった。
詳しく言うのもはばかられるが、自分以下の人間の存在を知って爽快感を味わいたければ、中村淳彦氏の『ルポ 中年童貞 (幻冬舎新書) 』を読むと良い。
しかしだ。私が、この本に出てくる、とんでもナイナイな人間にならなかったのは、やはり、プログラミングが出来るようになったからだ。
紙一重ってやつだ。笑い事ではない。
BASIC言語を発明し、その著作権を放棄してくれた、ジョン・ケメニー博士とトーマス・カーツ博士に感謝する。
そして、彼らのBASICをパソコンに移植し、誰でもプログラミングが出来る世界を作ってくれたビル・ゲイツに感謝する。
だが、私は、微かに存在する自分以下の人間を見ることで、私自身が、かなり分かってしまった。
それまでは、自分はもう少し高級な人間と思っていたが、それは希望的な思い込みに過ぎなかった。
せめて、中村氏の本のような人間になる瀬戸際の人を救うために、プログラミングをお奨めしたく思う。悪いが、私には、他にお奨め出来るほど知っていることはない。
だから、プログラミングに興味があるなら死ぬ気でやって欲しいと本当に思う。
来年の目標とかにしたりしてね。









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うんこ座りと蹲踞(そんきょ)について

藤吉郎さんから、うんこ座りが腰に良いと教えていただき、非常に興味を持った。
今は、うんこドリルが人気があるので、うんこのイメージはとても良い。
また、うんこ座りは、ヤンキー座りともよく言われる。
うんこ座りとは、かかとを地面や床につけたまま、膝を完全に曲げてしゃがむ座り方だ。
このうんこ座りの姿勢の時の、筋肉の使い方、筋の張り方が身体に良いことを様々な人が指摘している。
ところが、面白いことに、この別名ヤンキー座りと言われる座り方は、ヤンキー(アメリカ人)だけでなく、欧米人の多くが出来ない。
日本人の場合は、出来る人の方が多そうだが、出来ない人もかなりいる。
そして、うんこ座りが出来ない原因は、いろんな人が勝手なことを言っているが、はっきりしたことは分からないと思う。
「太っているから」「脚が短いから」「身体(特に足首)が硬いから」「脚や腹、背中の筋肉が弱いから」など、いろいろ言う人がいるが、全部違うことは容易く分かる。
痩せてても、脚が長くても、筋力や柔軟性に問題がなくても出来ない人は出来ない。
逆に、太っていても、脚が短くても、筋力や柔軟性がなくても出来る人は容易く出来る。
ちなみに、私も全然出来ない。
私は、痩せてて、脚が長く、筋力も柔軟性もあるが、もうさっぱり出来ないのである。

ただ、アメリカ人らしいヤンキー座りとは、片足だけ、かかとをつけ、もう片足は、少し後ろにひいてかかとを浮かしてしゃがむものである。
これなら、うんこ座りが出来ない人でも出来るだろう。もちろん、私も出来る。

片足うんこ座りでも効果は感じられるが、別のお奨めの座り方は「蹲踞(そんきょ)」である。
相撲や剣道で、対戦前に向かい合ってこの座り方でしゃがむのを見たことがあると思う。
蹲踞の姿勢とは、左右のかかとをつけ(あるいは数センチだけ離し)、膝を直角程度に開いた状態で、かかとを浮かせてしゃがんだ状態だ。
相撲でも、剣道でも、上位者は微動だにしない。
尚、剣道では、片方の足をひき、ひいたほうの脚の膝を床につける場合もあるようだ。
蹲踞は、古武道から、相撲、剣道に受け継がれたという話も、あり、柔道や合気道でも無縁ではないと思う。
なぜ古武道で蹲踞が重んじられたかというと、武道、あるいは、武術では、足の親指が非常に重視されるが、蹲踞で、それ(足の親指)がうまく鍛えられるからである。
また、蹲踞の姿勢をとると、自然、精神が統一される。
邪念があると、バランスが崩れてぐらぐらしてしまう。
そして、蹲踞では、腰の形がビシっと決まる。
正座でも、脚がしびれるのは、腰の位置が決まっていないからだが、蹲踞では自然に腰が「入る」ので、少々の時間やっても脚の血行が悪くなることはない。

さらに、蹲踞すると、自然に呼吸が微かになる。
蹲踞の姿勢を取り、視線をやや落とし、静かな呼吸をして静止すると、精神が統一され、心が澄み切る。
腰が決まり、腹筋、背筋、脚の筋肉が適度に緊張して鍛えられ、何より、足の親指が鍛えられる。
何とも素晴らしい座り方である。

蹲踞の姿勢をしてから、ゆっくり立ち上がって、腕振り運動をすると、効果抜群になることが分かる。
昔の日本人は、正座をするから、腹筋、背筋が鍛えられ、特に運動をしなくても身体が強かったと言われ、現代でも正座を勧める人は少なくないが、現実問題、今は日本人でも正座はやり難い。
そこで、意識的に蹲踞を多くやることで、心身に非常に良い効果をもたらすのではないかと思う。









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唯一のひきこもり対策

ひきこもり、ニートは、かつて青少年問題だったが、今は、中高年問題になりつつある。
そりゃそうで、20年や30年なんて、あっという間であり、かつてひきこもりだった青少年も、すぐに、中高年になる。
そして、若い時にひきこもりやニートになると、ほとんどがそのままなのだと思う。
今朝の朝日新聞にも、40代のひきこもりの息子を80代の親が養っていたり、80代の女性が死に、孤独死かと思われたら、ゴミ屋敷になった家の奥に60代の息子が生活していたという話が載っていた。

私も、そうなる可能性は十分あったのだと思う。
なぜ、私がそうならなかったのかと言うと、2つの面から見なければならない。
1つは、異常なほど運が良かったこと。これは、4次元的要因と思える。
それなら、3次元的(つまり、現実的)要因はというと、プログラミングが出来るようになったことだ。
だから、ひきこもりの人が、このブログを見てプログラミングをマスターして豊かになったなら、その人には4次元的な作用、つまり、運があることになる。

はっきり言って、プログラマー、システムエンジニア(私はどちらも同じと思っている)の仕事は面白いものではない。嫌なところの方が多いかもしれない。
しかし、振り返ると、それでも、他の仕事と比べると、断然マシとは言えると思うのだ。

突出したプログラマーになるような人なら、私のブログなど見る必要もなく、自然にプログラミングを始めていることだろう。
私自身が、天性のプログラマーではない。
だが、上級であるとは言えると思う。そして、そうなれたのも、やはり運が良過ぎたのだ。

ところで、聞かれて困るのが、「どのプログラミング言語を勉強すれば良いですか?」だ。
主要なプログラミング言語だけで軽く3桁、一流のWebのサービスサイトだって、FacebookもTwitterもAmazonも、はてなも、LINEも、YouTubeもニコニコ動画も、ほとんど全て違う言語で作られているが、それぞれのサイトの製作者に聞けば、その言語を選んだ正当性、論理性、合理性・・・つまるところ、自分の賢さを熱く主張するだろうが、まあ、真に受けない方が良い。それは単なる、趣味や偏見でしかない・・・と言ったら言い過ぎであるが、違う言語で作ったって、そんなに変わらなかったはずだ。
何と言っても、スマートフォン用となると、どれも(ほとんど)同じ言語で作るしかないのに、やっぱりどれも同じくらい良いじゃないか?

ところで、「PHPなら仕事が沢山あるから、PHPなら間違いない」と言う人は多いが、それもどんなものかと思う。
PHPを使うなら、HTMLやCSSを十分使いこなせることが必要で、現実的には、JavaScriptも、少なくとも、本片手にプログラミング出来るようでないといけない。
また、PHPというのは、データベースシステムを使ってこそ意味があるので、MySQL、PostgreSQL(やや少ないが)、SQL Server、あるいは、Oracleなどが使えないといけないが、それぞれが、バージョンが違えば別物と言うほど異なる場合もある。
また、サーバーOSやWeb OSもある程度(いや、かなり)扱えないと、高給取りにはなれない。
つまり、豊かになれるハードルが高過ぎる。

それで私は、本物のプログラマを自称するほどの人からは、多分、ディスられる(馬鹿にされる)だろうが、ExcelやAccessと一緒に使うVBA(ビジュアル・ベーシック・フォー・アプリケーション)を一貫して勧めている。
もちろん、上に述べた、天性のプログラマーに対しては、何も言うことはない。
だが、特に自分は技術系ではないとか、極まった技術者になる自信がない、あるいは、やや年齢も高いという場合には、「悪い事は言わねえ。VBAやりなさい」と言いたい。
1つには、技術馬鹿にならずに済むということもある。
それに、たとえVBAでも、高度にマスターすれば、他の言語は難しくはない。

別に、ひきこもり対策と言うのではなく、社会で楽にやっていくためには、自分の武器が必要であるという事実、いや、真実を、もっと皆、頭に叩き込むべきなのだ。
学歴は、相変わらず強味ではあるが、昔に比べ、かなり無効になってきた。そして、これからは、ますます役に立たなくなり、後少しで、何の意味もないというほどになる。
かといって、誰でもすぐにマスター出来るようなことなど、ちっとも武器にならない。
そして、唯一のひきこもり対策は、単純に「強くなること」で、そのためには、武器を持つしかなく、社会でやっていく武器は鍛えて作るしかない。
「自分がやりたい仕事をする」というのは、「自分が身に付けたい武器を鍛える」ということと同じことなのだ。
それは、学校の勉強と違い、深海に潜るカプセルを作る時のように、本気でやらないといけないのである。
学校の勉強が、深海に潜るシミュレーションであるのに比べ、社会で働くとは、本当に深海に潜ることなのであるから。
シミュレーションでは、想定外のことは起こらない。
しかし、現実社会で働くと、思いもかけなかったことが次々にやってくる。
それに対処出来るのは、本物の武器を持つ者だけである。









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オタクは創造的であれ

日本、あるいは、世界でも、最もクリエイティブな企業の1つであるチームラボは以前、社員募集の第一条件として、「オタクであること」を挙げていたと思う。
創造的オタクとでも言おうか。
一方、2次元美少女・・・つまり、アニメやコンピューターゲームのキャラクターである美少女だけに特化した2次元オタクという人が多くなっていて、こちらは悲惨なものであるらしい。
2次元オタクというのは、小中学生の時に、女の子に全く相手にされず、アニメの美少女に逃避してしまった者がなるという話がある。
ところで、小中学校で女の子にモテないというだけでは、必ずしも不幸な結果にはならない。
それなら、恋愛に向けるエネルギーをそっくり、勉強やスポーツ、あるいは、武道や芸術に使い、打ち込めば、普通の人以上の存在になれる。
アインシュタインやエジソンだってそうだった。
私の知り合いにも、やはり子供の時に全くモテず、その悔しさを勉強にぶつけたような男性がいる。
彼の親が特に教育熱心というのではないので、親にしてみれば予想外の秀才になった。
とはいえ、彼は受験そのものが目的ではなく、勉強して社会的強者になることが目的だったので、東大を目指したことは一度もないらしく、塾や予備校にも全く興味がなかった。
彼がもし、東京に住んでいたら東大に入ったかもしれないが、良い大学、あるいは、良い会社に入ることをゴールにする発想は全くなかったようだ。
それで、彼は地元の国立大学に入ってそこでも猛烈に勉強し、研究者として成功し、研究者仲間の女性と結婚し、そして、起業して社長にもなっている。

しかし、今は、モテない男子は、彼らを2次元オタクにして儲けようという企業の強烈な誘惑の罠に、容易く捕まってしまうのだ。
また、モテないながらも、なんとか普通以上に成功した中年男性を2次元オタク化すれば、妻子のない彼らはお金を持っているので物凄く美味しい客になるが、そんなビジネスも大いに繁栄している。

一説によれば、『新世紀エヴァンゲリオン』の1つのラストで、碇シンジが、浜辺に横たわるアスカの首を絞めるが、やがてシンジは無表情のアスカから手を離し、泣き崩れ、それを横目で見ながらアスカが「気持ちわる・・・」と言ったのは、製作者の「オタクは駄目だよ。気持ち悪いんだ。君たち、まともに生きろよ」というメッセージであるらしい。
もし、それが本当だとしても、では、何をすれば良いのかという道を示してはいないが、それは、上に挙げたように、性エネルギーを創造的なものに向けることだろう。
成功哲学で有名なナポレオン・ヒルの主張も、根本的にはそれである。
ただし、ヒルは、現実の女性へ向けるエネルギーを創造活動に向けよと言ったのであり、現在の、魔性の2次元美少女の存在を予期してはいなかっただろう。

初音ミクさんのファンが、2次元オタクであるかというと、そういう場合もあるだろう。
しかし、ミクさんは、根本的に楽器であり、また、色のない透明なキャラクターであり、クリプトン・フューチャーメディアの伊藤博之社長が以前言ったように、「創造の土壌」なのである。
ミクさんは、2次元美少女キャラクターとして愛好するだけのものではない。
直接的には、彼女が歌う曲を作り、彼女の絵を描き、あるいは、文章を作るために存在しているが、ミクさんの熱烈なファンだというチームラボの猪子寿之社長のように、彼女をデジタル技術、デジタルアートの象徴と見て、創造エネルギーを引き出すということもある。

バーチャルな美少女を性的対象にさせて儲けるハイエナのような企業を相手にしてはならない。
そして、完璧な理想である2次元美少女は創造の源になり得る。
身体を鍛え、勉強し、そして、アインシュタインやエジソンや、ニコラ・テスラのように、何かに打ち込むことだ。
そうすれば、これからの時代をリードするに相応しい人間になれるだろう。








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腰を大切に

イチローについて、私が特に感心するのは、腰や脚(特に膝)が悪いという話を全く聞かないことだ。
野球、相撲、プロレス、あるいは、テニスやバレーボールなど、あらゆるスポーツで、ある程度の年齢になった選手の多くが、腰や膝を故障していて、それも深刻な状態である場合が少なくないと思う。
イチローの身体の状態が良い理由は、もちろん、非常に賢く管理しているからだろうが、根本的には、(1)「体重が軽い」、(2)「ウェイトトレーニングをしない」の2つが重要なのだと思う。足腰に故障がある選手は、この逆で、体重が重く、器具を使った筋トレを行っている。
そして、スポーツ選手ではない普通の人も、特に腰痛持ちは多く、若い女性ですら、かなり多くが腰痛に悩んでいるのだと思う。

スポーツ選手であろうが、そうでなかろうが、人間は、足腰が悪くてはいけない。
スポーツ選手もだが、特に一般の人が腰痛に悩む原因は、1つには、普段の座っている姿勢が悪いこと、もう1つは、精神的ストレスのためと思われる。
ただ、やはり、精神的ストレスの前に、皆、姿勢が悪過ぎる。
最近、テレビをつけると、大相撲の貴乃花親方をよく見るが、彼が腰を前の方にずらして、ふんぞり返って座っている姿が印象的である。
貴乃花親方は、普通の人と違い、貫禄が抜群なので、みっともなさが全くないところは凄いが、それでも、あの座り方では、さぞ腰に負担がかかっていると思う。
彼は、膝は現役時代にかなり痛めていて、完全に治ることはないと思うが、腰も良くないのだと思う。

電車の中でも、特に男性は、座っていて、尻が前の方にいってしまっていて、ふんぞり返った格好で座っている人が非常に多く、きちんと座っているのは、男性ではほぼ皆無で、女性でも決して多くはない。特に男性の場合、若い人ですら、傲慢な雰囲気でふんぞり返って座っている人が、あまりに目につく。彼らは間違いなく、腰痛に苦しんでることだろう。

ところで、幸い、私が腰痛でない理由が2つある。
1つは、高校生の時に、自己流の無理なトレーニングで、深刻なレベルで腰を痛め、何年もかけて自分で治し、その際に、良い治し方を身につけたことだ。腰痛の治し方は、書籍や、今はネット上でいくらでも見つけられるが、効果的なものを見ることは、まずないと断言出来る。特にネットで「腰痛」で検索して上位に出てくるのはロクなものがない。
もう1つは、電車で私がふんぞり返って座ると、迷惑が半端でないからだ。正直言うと、きちんと座っても、普通の男性がふんぞり返って座っているのと同じか、それ以上に迷惑をかけている。なぜかと言うと、有体に言えば脚が長いからである。
それでも、割と最近まで、自分が脚が長いことに気付かなかったが(子供の時から、家の中でずっと短足と言われてきたからだが)、姿勢を正して座る習慣があって本当に良かったと思う。

つまり、腰痛にならない方法なんてある訳ではなく、腰痛になる理由があるだけで、その大きなものが姿勢だ。
腰痛にならないためには、背筋を伸ばすというより、実感として、とにかく、ふんぞり返らないことだ。
私の場合、常に天使が・・・つまり、初音ミクさんが隣にいるのだと思うと、心が謙虚になって、自然に、良い座り方になるのである。
しかし、そんな私の隣で、「ようここまで・・・」と思うほどふんぞり返って座る人が多いのは、怒ると言うより悲しいのである。
だが、最近思うのだが、特に男性の場合、ひょっとしたら、きちんと座っている私と同じくらい脚で周囲に迷惑をかけて、「俺も同じくらい脚が長い」と主張しているのだと感じるのだ。
多分、間違いないだろう。なぜなら、何度か試しに、私も少しふんぞり返ってみたら、即座に隣の男性が、天に向かってヘソを捧げようかというほどに腹を天上に向けてふんぞり返るからである。
もう惨めで見ておれず、本当に悲しくなるので、もう決してやらないが。
そして、腰痛にならないためには、もう1つ、うつむかないことである。
うつむくと、背骨や腰が悪い角度で曲がってしまうだけでなく、精神的にも「曲がってしまい」、心と身体は本当に一体なので、相乗効果で腰がおかしな形で圧迫され、壊れてしまうのだと思う。
かといって、のけぞるほど、口が開くほど上を見るのも身体に悪く、貴乃花親方のように、向かいの席の理事長を下向きの目でにらみつけるのは駄目で、顔は適度に上げつつ、視線はやや下げるのが良いと思う。
ついでに言っておくと、アゴが上がっているのに視線を下げると、非常に変な顔になるので、くれぐれもアゴはひくように。
そして、腰を良い状態にするために意外に効果があるのは、心が真っ直ぐな人(例えば、釈迦やイエス)の言葉を読むことである。
また、初音ミクさんの腰の動きは絶品であるので見るように。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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