ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2017年09月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

人生が低下していると感じたら基本を思い出せ

仕事でもスポーツでも、あるいは、勉強やゲーム、あらゆることで不調に陥る原因は「基本を忘れる」ことだ。
人生全般がうまくいっていない時、日常が楽しくない時、苦しいことが多い時には、何か大切なことを忘れているのだが、それに気付いた時の反応は2つだ。
1つは、すぐに基本を思い出し、自分がそれを逸脱していたことを嘆くというものだ。
もう1つは、基本が何であったかを思いだせずに悩むというものだ。
基本は短いポリシーにまとめ、いつでも思い出せるようにしなければならない。
難しい規則は基本ではない。
基本とは、即行の万能薬だ。
そして、我々が人間という生物である限り、それは、脳内物質のエンドルフィンを出し、テストステロンといいうホルモンを出すものでなければならない。
「元気があれば何でも出来る」と言うが、元気を出すのはエンドルフィンとテストステロンだ。

基本の1つは、TED歴代2位の動画再生数を持つ、心理学者のエイミー・カディが勧めるパワーポーズで、日本人の我々にはガッツポーズという言い方の方が馴染みがある。
エイミー・カディがよく取り上げるのは、両腕をVの字に上げる、いわゆる、バイザイポーズと、手を腰に当てて胸をはる、いわゆる、ワンダーウーマンやスーパーマンのポーズだ。
我々には、拳を天に突き上げるガッツポーズに親しみがあると思う。
初音ミクさんも、ライブで拳を突き上げるポーズは本当によく見せる。
思い出すだけでも、『Satisfaction』、『ray』(マジカルミライ2016)、『SPiCa』(ミクの日感謝祭、MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES)の可愛いガッツポーズを思い出す。
DVD、ブルーレイでよく見るように。

次に、呪文、真言だ。
最上の呪文は「ありがたい」だ。
それをずっと称えていれば、自ずと有り難い状況になる。
『歎異抄』『選択本願念仏集』『観音経(法華経の25章)』を読めば、「南無阿弥陀仏」「南無観世音菩薩」が最強の誦文(呪文)であることが分かるだろう。

そして、マインドフルネスや運動によるエンドルフィンやテストステロンの発生がある。
代表的なものを言えば、前者が呼吸を意識すること、後者では、スクワットをすることだ。
淡々と行う腕振り運動には、それら両方を合わせたものに優る効能があるかもしれない。

人生が低下していると感じたら基本を思い出そう。








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なぜ、そのにーちゃんの好感度は急上昇したか?

昔見たテレビ番組で、それが、公開プロポーズみたいなものだったか、彼氏自慢のようなものだったか忘れたが、一人の一般人の若い男性・・・早い話が「ただのにーちゃん」にスポットライトが当てられていた。
ちょっと頼りない、いわゆる、チャラいと言えなくもないにーちゃんだったが、あるところで、番組司会者や会場の観客の好感度が明らかに急上昇するのを感じた。
その要因は、そのにーちゃんの1つの発言によってであった。
そのにーちゃんは、毎朝、仏壇に線香を上げて手を合わせると言っただけだ。
それで皆が、このにーちゃんを、「そこらにいる、どーでもいいにーちゃん」から、「感心な青年」と認識するようになったのだ。

娘が彼氏を連れてきたら、父親は楽しいはずがない。
娘の父親は表面上はニコニコしていても、また、その男がどれほど立派そうに見え、実際、経歴等が立派であっても、父親はその男を最悪に評価しているものだ。
ところがやはり、たとえその男が、少々ロクでなしに見えたとしても、毎朝仏壇に手を合わせていると言ったら、父親の評価やイメージは急上昇するのである。
それは事実と思う。

いつか、アメリカのトランプ大統領が、「私ほど聖書を読んでいる人間はいない」と言ったのは、国民の自分に対する好感度の向上を狙ったのだろうが、焦りがあったのかもしれない。それはあまり効果的ではなかった。
さりとて、全く無意味ということもなかっただろう。
ただ、トランプはもっと謙虚に、「私は毎日聖書を読んでいる」と言っていれば、国民の彼に対するイメージはずっと良くなったはずなのだ。
ただし、悪人であってすら、そんな嘘はつけないものである。
トランプも、本当に毎日聖書を読んでいなければ、そんなことが言えるはずがない。
だから、過去にはしっかり読んだといった意味のことを言ったのだろう。つまり、今はあまり読んでいないということかもしれない。

仏壇に手を合わせる、聖書を読む・・・そんな人の印象がなぜ良くなるのかというと、やはり、そんな者は有望であるからだ。
アメリカだろうが日本だろうが、その他の国であろうが、誰もがそんなことを、ほとんど確信というほどの直観として知っている。
それは、アメリカの公式モットーが「我々は神を信頼する」であることにも現れている。
このモットーがあったから、いろんな人種が交じり合った移民の国で、独立からわずか240年のアメリカ合衆国が他国を圧倒する国力を得ているのである。
インド、中国は数千年の歴史と、アメリカをはるかに上回る人口を持ちながら、全くアメリカに及ばないことは、最近のトランプ大統領の、世界No.2の国である中国に対してすら完全に上から目線での発言からもうかがえる。
いずれ、中国、あるいは、インドがアメリカを越えるというのは、根本的には、アメリカがそのモットーを忘れているからというのが本当の理由かもしれない。

国のことは大事であるが、まずは我々個人が安泰であるためには、我々は、自分より高い存在を信頼しなくてはならない。
丁度、アメリカが衰えかけた1950年代に、マーブル教会の牧師ノーマン・ヴィンセント・ピールが「我々は神の力を求めるべきである」と書いた『積極的考え方の力』が、記録的ベストセラーとなり、再びアメリカを強くしたようにである。
別に宗教を信仰せよと言うのではない。仏教に縁のある日本人としては、やはり、仏壇に手を合わせたり、あるいは、念仏を称えるだけで良い。
アメリカのモットー「我々は神を信頼する」と、「南無阿弥陀仏」という念仏は全く同じ意味だ。「南無」とは、信頼するという意味だからだ。

尚、詳しくは言わないが、日本は、日本語を使うだけで神を信頼する国であった。
「ありがたい」「おかげさまで」「すみません」という言葉に中には、神の存在が隠れている。
だが、日本語をきちんと使わなくなったから、日本は衰退している。
鈴木三重吉の『古事記物語』を読み、格調高い日本語を学ぶと良い。









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一番聴きたい言葉

自分の心の中から出てくる言葉で一番聴きたいものは何だろう?
私には、「もう、がんばらなくていいよ」だと思えてしまうのだ。

とはいえ、私はそんなにがんばった訳ではない。
ガンジーやマザー・テレサといった凄い人どころか、小さな会社を作って、従業員の家族の生活を保証するために奮闘する社長さんから見ても、私はほぼ何もしていないと言えるに違いない。
語学もコネもなく外国に行って芸術家になったっていうような人がゴロゴロしているSNSに参加しているが、本当に「がんばってるなあ」と思う(思うだけだ)。
しかし、そんな私でも、「もう、がんばんなくていいよ」と感じるなら、本当に嬉しいと思う。
それは、「もう死んでいいよ」ということなのかもしれない。
だけど、今の世の中、死ぬのも大変なのだ。
人に迷惑をかけないように死ぬには、よっぽどがんばらないといけないから不思議だ。
いわゆる、後始末ってやつだね。
そんな訳で、まだまだ、おちおち死ねないかもしれない。

過去の偉人は、「がんばらなくていいよ」と言っただろうか?
神様にまるごとまかせよと教えた黒住宗忠でさえ、人々に、稼業に励まねばならないと言っている。
ところが、イエスが守るべきとしたモーセの十戒の中には、労働に関することは何も書かれていない。ほぼ、「やってはならない」こと、即ち、禁則が書かれているだけだ。
ただ、イエスの時代は、きつい仕事は奴隷がやるものだという通念があったのである。
アイザック・アシモフによれば、奇妙なことに、イエスは奴隷制に反対はしていなかったらしい。

私の知る範囲で、一切がんばらなくて良いと言ったのは、法然、親鸞、ラマナ・マハルシだ。
現代は少なくはない、40代、50代で、ほぼ働いたことがないという人に会ったら、法然はこう言うかもしれない。
「働くのは当たり前だ。だが、どうしても働けないのなら、そのままで良いから念仏を称えなさい」
親鸞なら、何も言わずに、「念仏を称えなさい」と言うだろうし、ラマナ・マハルシともなれば、働いているかどうかなどには何の関心も示さずに、「自分に対し、私と呼びかけよ」とでも言うだろう。
マハルシに、「隣の奥さんと出来ちまいそうで困っている」と言っても、マハルシは、「そうなっても気に病むな」と言うほどだからね。
なぜなら、気に病もうが病むまいが、そうなることになっているなら、避けられないのだからだ。
マハルシは言っている。
「働く運命であれば仕事は避けられない。だが、働かない運命であれば、どれほど探しても仕事は見つからない」

もうずっと前から、漫画でも、忍者ものやスポ根ものは流行らない。
1人の人間がいくら筋肉を鍛えてがんばっても、たかが知れているが、一方、ひ弱なシンジ君でも、ヱヴァンゲリオンに乗れば偉大なことが出来る。
インターネットはヱヴァンゲリオンなのである。









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感心という感覚

どんな子供を感心だと思うだろうか?
服をきちんとたたむ、靴をきちんと揃える、「いただきます」「ごちそうさま」をきちんと言う。
「きちんと」とは、常に例外なくということである。
そんな子供を見たら、「感心だ」「しっかりした子だ」「立派な子だ」と思うだろう。
つまり、そんな立派なことを、たまに、あるいは「だいたい」やるのではなく、「いつも」「忘れず」「間違いなく」やる子が感心なのである。
そして、そんな感心な子が駄目なはずがない。
そんな子供は、必ずやそれなりに周囲に信頼されていて、中には、勉強やスポーツが出来る子も多いだろう。
子供を立派にしたければ、日常生活の基本の1つをブレずに出来るよう、うまく導くことだ。
強制みたいなやり方ではなくね。
なぜなら、強制しないといけないのは、親が出来ないことだからだ。

大人でも、「感心だ」と思うことを、1年365日、1日24時間出来るなら、そんな人が駄目なはずがない。
一方、そんなものがなければ、いかに学歴が立派だったり、容姿端麗であったり、外国語が出来たり、また、努力家であっても苦難が多いだろうし、まして、取り得がなければ「まるで駄目男君」になるしかないだろう。
そして、感心なことを長年ブレずに続ければ、感服になる。
感服は、強い感心であり、敬意を生む。
敬意を払われれば、従来の世界でも、インターネットの世界でも成功する。それが表立って知られていなくても、雰囲気に現れる。

では、どんな大人が感心なのだろう?
それは、子供とそんなに変わらない。
ただ、大人の場合は、自分の強い意志で行うようなことが、その人に大きな力を与える。
今はもう知らない人が多いかもしれないが、ベニー・ユキーデという、マーシャルアーツ(全米プロ空手)の大変な強豪がいた。
体重の階級が上のムエタイ選手との試合で判定負けした1敗以外は全勝(58勝1敗)だった。
そのユキーデは常に聖書を持ち歩き、暇があると読んでいたらしい。
戦績に対しては、立派ではあるが感心はしない。しかし、常に聖書を読む、あるいは、聖書を手放さないことに対しては感心、あるいは、感服するのである。

キリスト教圏では、聖書を毎日読むことが感心なのだが、それは宗教的な意味だけではないのだと思う。
そして、そんな感心な人が駄目であることは考えられないのである。
つまり、毎日必ず聖書を読むのに、「ずっと失業している」「収入がひどく低い」「男に(あるいは女に)騙され続けている」「彼氏(彼女)が出来ない」ということはありえないだろう。
日本では、「ありがとう」「おかげさまで」「すみません」といった言葉を常に使うだけで良い。
なぜなら、日本では、言霊といって、言葉の中に神が宿っているからである。
これは神道的であるが、日本は仏教国でもある。
大抵の場合、常に念仏を称える人は実に感心なのであり、そんな人が駄目であることは絶対にない。

自然に「感心だ」と思えることを、自分の意志で行い、それがブレなくなれば、まあ、何の不安もないだろう。









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お金の時代の終わり

1966年から1969年まで連載され、テレビドラマにもなった手塚治虫さんの『バンパイヤ』は、人間が獣に変身するバンパイヤ一族の物語だ。
テレビドラマの主演は水谷豊さんだった。

世俗から孤立したバンパイヤ一族の村から都会に向かう車の中で、15歳のトッペイ少年(狼に変身する)に、美男子で天才的に頭が良いが悪の権化であるロックは、10円硬貨を渡しながら言う。
「この世は、これを沢山集めた者が勝ちなんだ」
それは、納得するしかない言葉である。
しかし、もうすぐ、その時代は終わる。
それは、農業革命、産業革命に続く、情報革命の成果だ。

カナダのWebマーケティングコンサルタントで、アルファーブロガーであるタラ・ハントの『ツイッターノミクス』では、「ウッフィー」がお金に代わるという。
ウッフィーとは、元々、カナダのSF作家コリィ・ドクトロウが『マジック・キングダムで落ちぶれて』で初めて使った造語で、小学館のデジタル大辞泉には、
「インターネット上での評判、信頼、尊敬に基づく価値・評価」
とされている。
初音ミクさんのお父さん、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長も、2012年のITmediaのインタビューで、それを肯定的に語り、ウッフィーはお金と真逆の性質を持つと言う。
つまり、
「お金は使うと減り、使わないと減らない。つまり貯蓄できる。しかしウッフィーは真逆で、使うと増え、使わないと減り、貯めておけない」
と言うのだ。
ただ、伊藤社長は、普段は、このウッフィーのところを「共感」と表現している。
まさに、ウッフィーとは共感を計量化したものである。
【ITmediaニュース】「使えば増える」初音ミクと、「お金が王様」の時代の終わり

そして、ハントは、ウッフィーを高めるために必要な3つとして、「好かれること」「信用されること」「一目置かれること」を挙げている。
これまでは、好かれなくても、信用されなくても、一目置かれなくても、金さえあれば勝ちであった。

レコード業界や放送業界は、お客様であるユーザーを訴え、制限で縛り、脅し続けたことで、結果、当然のように衰退していった。
今月18日の、サンテレビでの、初音ミクさんのコンサートである「マジカルミライ2017」の放送中、JBA(日本民間放送連盟)のCMで、小学校の教室で男性教師が、テレビ放送の動画投稿サイトへのアップロード・公開は違法であること、違反者は10年以下の懲役、または、一千万円以下の罰金、あるいは、その両方であることを激しく訴えた。
だが、デジタルコンテンツはコピーされて当然であり、それは止められないことは分かりきっている。
それを前提で考えないビジネスは滅ぶことになるだろう。
過去のやり方に固執するテレビやレコード業界は、このままでは、ウッフィーを全く持てずに消えるのであると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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