ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2017年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

8月の終わりに

本日、8月31日が誕生日の漫画家、大島弓子さんは今日で70歳、元大リーガーの野茂英雄さんは49歳になる。
だけど、2007年8月31日生まれの初音ミクさんは生誕10周年であるが、いつまでも16歳のままだ。

大島弓子さんと同じ世代の漫画家の、萩尾望都さん、山岸凉子さん、竹宮惠子さんの4人は、「24年組」と呼ばれ、今でも、かつての作品が豪華版の書籍になって出版されるが、本当に、天才が同じ時期に揃って現れたものである。
その大島弓子さんの『裏庭の柵をこえて』は、8月31日という、夏休みの終わりの日が誕生日である自分の、子供の時のちょっと痛い思い出をモチーフにしたという1981年の作品だ。
主人公の小学3年生のとみこは、毎年、夏休みの宿題で苦しめられ、バースデイケーキはいつも苦い味だった。
そして、今年も、お誕生日まで、つまり、夏休みの終わりまで、後4日になっても、夏休みの宿題は、ほとんど手付かずの状態だった。
とみこの母親は、とみこを、「最近は少し大人びてきたけど、まだまだ子供」と言うが、とみこのどこにも「大人びた」ところは見られないように思える。
ただ、隣の家の窓に電気が付くのを待つとみこの顔は、子供ではなく、「少女」の顔だった。
隣に住んでいるのは、大学生のお兄さんである。
別にとみこは、そのお兄さんに恋してるとかではないが、親しいだけでなく、どこか魂が同調するようなところがあるのかもしれない。
そのお兄さんは、受験エリートだったが、そのせいで、もう人間がすっかり歪んでしまっていた。
お兄さんがまともでいられるのは、とみこの存在があるからだと、私には思えた。
そして、お兄さんは、とみこが小学校を卒業するまで、とみこの夏休みの宿題のためにだけ生きるようになる。
丁度、私が、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ」のためだけに生きているようなものだ。
お兄さんが、棺の中から目覚める吸血鬼のように活動するのは、8月31日が近付いた時だけであるように、私が夏のゴキブリのように動き回るのは、やっぱり同じ時期だけなのだ。
そういえば、最近、私の家のキッチン(というほど立派ではないが)には、2匹のゴキブリさんが揃って現れる。
正直、ゴキブリさんは好きではないが、別に手出しはしない。
すると、向こうも、遠慮勝ちに活動してくれるようだ。
ゴキブリは、見てくれが悪いので誤解されるが、それほど有害なものではないらしいし、私には理解し難いが、愛好する人も少なくないようである。
まあ、私は、虫全般が苦手なのだ。子供の時はそうでもなかったのだが。

明日から、いよいよ「マジカルミライ2017」が始まる。
台風15号が心配だが、マジカルミライへの影響は、それほどはないと思う。
台風さんも、マジカルミライに行きたいのではないかと思えるほど、妙にゆっくり動いている。
まあ、分かるけど。
それで、関東は少し寒くなるようである。
全く夏の出で立ちしか用意していないのだが、まあ、大丈夫か。
しかし、コンサートのチケットは1枚も取れない可能性があった。
3日の日曜のチケットが取れた宿泊プランだって、たまたまキャンセルを見つけることがなかったら申込めなかったし、土曜のチケットは、抽選・販売で約10連敗で諦めていたところが、ごく最近、譲ってもらえることになったものだ。
来年はフランスに飛ぶか、生きてもいないか・・・デッド・オア・アライブといったところである。









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楽観的になれない時にどうするか

数年来なかったような、気分の良い目覚めだった。
睡眠時間は、相変わらず4時間位なのだけれども。
変な話だが、映画『太陽がいっぱい』で、24歳だったアラン・ドロンが演じたトムが、最後、「いい気分だよ」と、本当に爽やかな顔で言う場面を思い出す。
その時トムは、友人を殺し、金を奪い、女を騙し、逮捕される直前で・・・ただ、本人は全てうまくいったと思い込んでいたのだが。
私は別に、殺しても、強奪しても、騙してもいない。
この魂の落ち着きを感じる静かな気分は、明日が初音ミクさんの記念すべき10回目のお誕生日で、ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」がもうすぐだということが実感されてきたからだ。

だけど、小学生や中学生、あるいは、高校生にとっては、夏休みは、今日を含めて、後2日しかない。
さあ、どうすれば良いかというと、どうにもならない。
何か重い問題が起こると、「楽観的になれ」と言う人もいるが、これって無責任だなあと思っていた。
手を施さないと破滅するのに、手を施す力が自分にない時、どう楽観的になれってんだ?
そして、手を施すことが出来ない問題は多い。
実は、私も、この数ヶ月、「一難去らずに(去らずにだ)また一難」、次々に苦しい問題が起こり、その上、ミクさんのコンサートのチケットは全然取れず、いい加減、嫌になっていたところだった。
ところが、最近になって、問題は奇跡のように次々に解決していったのだ。
それで、「楽観的になんかなれるか!」という状況は多いかもしれないが、それでも、楽観的になるべきなのだと思ったのだ。
天災のような、人間にはどうしようもない問題であっても、問題を大きくするのは人間である。
地震の後、被災者の不幸に付け込む不届き者が、何と他県からもやって来たりとかね。
ほとんどの問題は、人間同士の間で起こり、敵と味方の構図になる。
味方がいない場合はあるが(私の場合はほとんどだ)、敵は必ずいる。
その敵を思いやれば、楽観的になり、問題は不思議と解決する。
別に、敵のなすがままにしろとか、敵に白旗を上げろと言っているのではない。
少しで良いから、「こいつは、こうするしかないんだ」と理解してやることだ。
分かるはずだ。
なぜなら、敵とは自分なのだからだ。

人を呪わば穴二つとか。
この「人」とは、敵のことだろう。
だから、この言葉は、正確には、敵を呪わば穴二つである。
そして、敵は自分なのであり、敵を呪うことは、自分を呪うことなのだ。
手遅れでも、ほんの少しでも、何もしないよりは何かすれば、状況は動く。
何もやることがないなら、掃除をすれば良い。
掃除というのは、あらゆることに対する有効な手段だ。
だが、最も強力な手立てとは、自分である敵を思いやることだ。少しでいいから。
自分を甘やかしてはいけないのと同様、敵も甘やかしてはならない。
だが、思いやることである。
それが、神の意思を行うことなのだと思う。
そうしたら、どうしても取れなかった、マジカルミライ2017の、土曜夜のライブのチケットを譲ってもらえることになった。
もう、最前列中央でも、最後列の端でも、全く同じだと本当に思う。








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本物の修行はどれも、ただ1つのことをしている

太古から伝えられてきた、悟りを得たり、潜在能力を引き出したり、超人に近付くための修行や訓練は全て、「繰り返し注意を引き戻す」の一言で言い表せる。
得られる成果は神秘であっても、修行や訓練には、何ら謎や秘密はない。
呼吸に繰り返し注意を引き戻したり、不断に呪文や念仏を称えようとしたり、常に肛門を引き締めるよう努力したりは、ただ、「繰り返し注意を引き戻す」ことをしているだけなのである。
だから、やり方は無限にあり、大事なことは、ただ純粋に、「自分がやり易いかどうか」だけだ。
全く、気が抜けてしまうような事実だが、もはや、「3000年の歴史」だの「権威ある伝統の技法」、あるいは、「特別な人間のみに伝えられた門外不出の秘法」なんて馬鹿なことを、真に受ける必要はない。
それに、せっかく修行しても、教団のやり方では熱意がもてないために成果を得られない・・・なんて者は多いはずなのだ。
その場合は、熱意が持てる別のやり方を採用すれば良いのである。

何でも良い。
「オーム(アウム)」を称えながら、額に意識を集中する訓練はとても良い。
しかし、称えるのは「オーム」でも「アウム」でも良いし、声に出して称えても、心で称えても構わない。
ただ、確かに、「オーム」「アウム」は称え易い。人間が称え易い言葉を選んだからだ。その称え易さの中には、何らかの意味はあるかもしれないが、いずれにせよ、大切なことは、称え易いということである。

念仏には欠点があるかもしれない。
「南無阿弥陀仏」と称える時、西方極楽浄土が遠いどこかにあり、阿弥陀如来はそんな遠いところにいると思えば、心が外に向き、注意が飛んで行ってしまうからだ。
それで、一休は、「極楽浄土は西にあるのではない南にある」と言ったが、この「南」とは、「皆身」であり、全ての人の内にあるのだという意味だ。
極楽浄土は自分の中にあり、純粋な心が仏であることは、経典(無量寿経)に、はっきり書かれているのである。

「しかし、注意を引き戻す訓練をしたって、実際に戦わなければ強くなれないし、仙人にもなれない」
と言うならその通りだが、注意を引き戻す訓練を続ければ、冒険のためのエネルギーを得られるし、それがなければ、戦う気にもなれないだろう。

腕振り運動は身体の機能を整える優れた効果があると共に、数を数えることが大切だ。
腕を振りながら数を数えることで、注意は効果的に引き戻される。
「あれ、今260だっけ?いや、まだ160かな」なんて言っているようではだめだ。
意識を持ってやらなければならない。
それを、自分で数を数えず、音楽をかけて、それが終わるまでやるという者もいるが、その場合は、腕を振る動作をよく意識してやらないと、心がさ迷ってしまうことになる。
自分の呼吸を意識する訓練だって、禅では、数息観と言って、呼吸を1から10まで数えることを繰り返すものがあるが、それでも、うっかり50や100まで数えてしまうことがある。
まして、数を数えないと、止め処ない想いや妄想が広がってしまうことになる。
数息観だけでも、しっかりやれば、解脱に近付いたり、超能力が身に付いたりするのである。

後は、やるかやらないかだけである。
現代的で科学的な方法を望むなら、元Googleの技術者のチャディー・メン・タンが研究開発したSIY(サーチ・インサイド・ユアセルフ)のやり方を取り入れると良いだろう。









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自分ではどうすることも出来ない問題をどうするか

月曜が憂鬱(ゆううつ)な人は少くはないだろう。
また、小学生、中学生、高校生は、夏休みの終わりが近付くにつれ、言いようのない重苦しい気分になっているかもしれない。
自分の力ではどうすることも出来ない問題に悩む人は多い・・・というか、本当は皆、そうなのである。
世の中、ままならぬものだ。
しかし、経営者であれば、自分の力でどうにもならないなんて泣き言は言っていられないだろう。
だけど、実際は、経営者であるほど、世の中、ままならないことを、よりはっきり知っていることだろう。
けれども、冒険心に富んでいれば、世の中はままならぬから、予想が出来ないから、何が起こるか分からないから楽しいものだ。
そうは言っても、目の前の問題に押し潰されそうな人が多いだけでなく、力強い勇者だって、そういうことはあるのである。

ストレスが溜まると、やがて、胃がおかしくなり、胃潰瘍になったり、果ては胃癌にまで行き着くかもしれない。
しかし、まずは、胸が苦しくなる、胸が痛むものだ。
そして、胸の痛みを起こさせるものは、自分の力ではどうにもならないことだ。
お腹が空いても、コンビニに行って弁当を買えば解消されるので、胸は痛まない。
しかし、お弁当を買うお金がなければ、不安や無念で胸が痛む。

ドナルド・レーガンも愛読した、ノーマン・ヴィンセント・ピールの著書『積極的考え方の力』の一番最後には、こう書かれている。
「なぜ神の力を求めないのか?」
(翻訳によっては、「あなたも神の力を求めてはどうか?」になっている)
トランプ大統領も、ピールのファンで、子供の時に、牧師であったピールの説教を熱心に聴いたという。
(トランプが好きかどうかはともかく、あのタフさは認めると思う)
レーガンは大統領になってからも、直接、ピールの教えを受けていたようだ。
トランプが崇拝するレーガンもタフだった。
ピールは、聖書に載っている短い言葉を想うよう勧めた。
例えば、
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでもできる」
「もし、神が我々の味方なら、誰が我々に敵し得ようか?」
といったものだ。
これらは、別にキリスト教徒でなくても、例えば、『バガヴァッド・ギーター』の愛読者でも分かることだし、仏教徒やイスラム教徒でもぴったりすると思う。
いや、別に宗教はなくて良い。
だけど、おそらく事実として、胸の中に神はいる。
胸が痛くなるのは、本当は悪いことではなく、神のメッセージのようなものだ。
そのちょっと痛いメッセージに注意することだ。
具体的には、胸の痛みをちゃんと感じることだ。
すると、それは溶けていく。
それは、驚くべき体験である。
しかし、やり難ければ、「神」という言葉を心の中で繰り返しても良い。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』にも書かれているが、神という言葉ほど力ある言葉はないし、日本の言霊から言ってもそうなのだと思う。
まあ、私としては、初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』を聴くことをお奨めするのだが。
何の心配もいらないとは言わないが、何とかなるものだ。









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シンプルな言葉

聖母マリアの出現の話はいくらか読んだが、マリアが多弁だったというものは、私はあまり信じない。
1932年頃にベルギーに現れたマリアは、子供達に「何か言って下さい」と請われると、ただ一言、「よい子でいなさい」と応えたらしい。
私は、このお話を一番信じている。

ところで、よい子とは、どんな子だろう?
スティーブ・ジョブズが若い頃、インドを放浪していると、激しいスコールに襲われたという。
アメリカでは考えられない恐ろしい勢いの降水に恐怖を感じたジョブズは、思わず、
「神様!助けてくれたら、よい人になります」
と神に救いを求めたらしい。
ジョブズが、その誓いを覚えていたかどうかは知らないが、多分、その後のジョブズの人生に、何らかの影響を与えたと思う。
その時、ジョブズが想った「よい人」が、案外に、本当によい人なのかもしれない。
人間、そんな時に、それも神様相手に嘘なんかつかないからね。

神様が現れても、大抵の人には何も言わないのだと思う。
そして、ごく一握りの人間には、こう言うのだ。
「励め」
まあ、私がそう思うだけなのだが、意外と確信がある。

さて、私達の胸の中のミクさんは何と言われるのだろう。
私にはまだ分からないのだけれど、余計な推測はしないつもりだ。
もしかしたら、来月の「マジカルミライ2017」で分かるかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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