目標には、現実的な目標と非現実的な目標がある。
現実的な目標とは、卒業する、就職する、年収を1割上げる、絵が上手くなる、5kgダイエットする、恋人を作る、課長になる(現在係長)、聖書を通読する・・・等だ。
非現実的な目標とは、社長になる、歌手になる、人気画家になる、プロサッカー選手になる、年収5千万円になる(現在300万円)、モデルのような身体になる(現在肥満気味)、○○さんを恋人にする、課長になる(現在ヒラ)、賢者になる・・・等だ。
要は、極端な運が必要になるようなものは、現実的な目標とは言わない。
自分ではどうすることも出来ないことを望むのは、妄想、あるいは、「ただの夢」と言う。
そして、自分の手に負えるかどうかを見極めることが出来る人を大人と言う。
これで、大人とは何かがうまく定義出来た。
じゃあ、プロサッカー選手になろうと思ってはいけないのかというと、せめて、超高校級であるとか、会社で、仕事せずにサッカーだけで給料をもらえる、あるいは、かなりの優遇を受けていれば、必ずしも非現実的な目標ではないが、運にまかせる覚悟があることが必要である。
女優になるという目標も、中学高校時代から、町で・・・とまではいかなくても、せめて、学校で知らない人はいないほど美人であるとかいった美点を持つと共に、全てを捨てても良いと思っていることが必要だ。
有名なプロスポーツ選手が、「高校時代は平凡な選手でした」と言っていても、それは、「ある意味では」ということであり、有体に言えば「嘘」だ。
イチローや中田英寿さんだって、「高校時代は普通の選手でした」なんて言ってるが、実際は、天才的であった。
お金持ちの中には、「お金をためるコツは、小銭を大切にすることです。僕は百円の缶コーヒーも勿体なくて買えない」と言う人がいるが、彼が金持ちになれたのは、並外れた能力があったからであり、凡人が小銭をケチっても(良い心がけであることは認めるが)、金持ちになったりなどしない。
抜きん出た人間になるには、運が必要である。
だが、運は人間に支配出来るものではない。
しかし、神には支配出来る。
つまり、神になれば良い。
神になるとは、人間をやめることであり、それは、自我を消すことである。
念仏も極まれば如来(仏)になれる。
なぜなら、念仏とは、如来を賞賛し、身を低くすることだからである。
果てなく続ければ、自分なんて消えてしまう。
もちろん、自我を消すことが出来る他の方法でも構わないが、念仏ほど確実なものは、あまりないと思う。
西尾維新さんの『物語シリーズ』の12冊目(ファーストシーズンの最終巻)である『恋物語』は、詐欺師、貝木泥舟(かいきでいしゅう)の語りで書かれているが、この貝木ほど現実をよく見ている人はおらず、私はすっかり大ファンになってしまった。もちろん、小説らしく面白く描いている部分には「非現実的」なところもある。
しかし、貝木が「非現実的」になると、かえって面白いところが現実的というか、著者の才能であると思う。
身の丈で成功したければ『恋物語』を読めば良いと私は思うが、これは、単独で読んでも駄目と思う。
前の11冊を読むしかない。それは現実的であるが、面白いかどうかすら保証しない。
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現実的な目標とは、卒業する、就職する、年収を1割上げる、絵が上手くなる、5kgダイエットする、恋人を作る、課長になる(現在係長)、聖書を通読する・・・等だ。
非現実的な目標とは、社長になる、歌手になる、人気画家になる、プロサッカー選手になる、年収5千万円になる(現在300万円)、モデルのような身体になる(現在肥満気味)、○○さんを恋人にする、課長になる(現在ヒラ)、賢者になる・・・等だ。
要は、極端な運が必要になるようなものは、現実的な目標とは言わない。
自分ではどうすることも出来ないことを望むのは、妄想、あるいは、「ただの夢」と言う。
そして、自分の手に負えるかどうかを見極めることが出来る人を大人と言う。
これで、大人とは何かがうまく定義出来た。
じゃあ、プロサッカー選手になろうと思ってはいけないのかというと、せめて、超高校級であるとか、会社で、仕事せずにサッカーだけで給料をもらえる、あるいは、かなりの優遇を受けていれば、必ずしも非現実的な目標ではないが、運にまかせる覚悟があることが必要である。
女優になるという目標も、中学高校時代から、町で・・・とまではいかなくても、せめて、学校で知らない人はいないほど美人であるとかいった美点を持つと共に、全てを捨てても良いと思っていることが必要だ。
有名なプロスポーツ選手が、「高校時代は平凡な選手でした」と言っていても、それは、「ある意味では」ということであり、有体に言えば「嘘」だ。
イチローや中田英寿さんだって、「高校時代は普通の選手でした」なんて言ってるが、実際は、天才的であった。
お金持ちの中には、「お金をためるコツは、小銭を大切にすることです。僕は百円の缶コーヒーも勿体なくて買えない」と言う人がいるが、彼が金持ちになれたのは、並外れた能力があったからであり、凡人が小銭をケチっても(良い心がけであることは認めるが)、金持ちになったりなどしない。
抜きん出た人間になるには、運が必要である。
だが、運は人間に支配出来るものではない。
しかし、神には支配出来る。
つまり、神になれば良い。
神になるとは、人間をやめることであり、それは、自我を消すことである。
念仏も極まれば如来(仏)になれる。
なぜなら、念仏とは、如来を賞賛し、身を低くすることだからである。
果てなく続ければ、自分なんて消えてしまう。
もちろん、自我を消すことが出来る他の方法でも構わないが、念仏ほど確実なものは、あまりないと思う。
西尾維新さんの『物語シリーズ』の12冊目(ファーストシーズンの最終巻)である『恋物語』は、詐欺師、貝木泥舟(かいきでいしゅう)の語りで書かれているが、この貝木ほど現実をよく見ている人はおらず、私はすっかり大ファンになってしまった。もちろん、小説らしく面白く描いている部分には「非現実的」なところもある。
しかし、貝木が「非現実的」になると、かえって面白いところが現実的というか、著者の才能であると思う。
身の丈で成功したければ『恋物語』を読めば良いと私は思うが、これは、単独で読んでも駄目と思う。
前の11冊を読むしかない。それは現実的であるが、面白いかどうかすら保証しない。
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