宮本武蔵は、巌流島で佐々木小次郎を倒して以来、何をやっていたか分からないらしいし、剣の勝負をした様子もないという。
巌流島の決闘の時、武蔵は29歳だった。
今のスポーツ的な考え方からすれば、体力が下り坂になる年齢で、特に、当時なら、相当「いい年」だったかもしれない。
しかし、昔の剣の達人というのは、30代、40代で衰えることはなく、60代でピークということも珍しくはなかった。
昔の剣術の面影の強い、明治時代の剣道全日本大会では、上位進出者は40代以上ばかりで、60代が珍しくはなかったと聞く。
ある年は、決勝が42歳と60歳の剣士の対戦であったらしい。
武蔵は、13歳で初めての勝負をし、小次郎に至るまでに、数多くの勝負をし、そして、戦で戦った。
また、名門、吉岡道場の道場主を倒した後、吉岡道場の門下の剣士全員との決闘となり、そのうちのかなりを討ち取ったと云われる。
武蔵の勝負は全て、命のやり取りであり、武蔵は無敗であったのだから、全ての相手の命を奪ったことになる。
そのため、武蔵は良心の咎めに苦しみ、勝負を止め、書や絵を描いて、心の安らぎを求めた・・・なんて話をよく見た。
しかし、武蔵はサイコパスだろう。武蔵に良心なんてものはない。
では、武蔵はなぜ勝負をやめたか?
決まっている。
勝負で勝って殺すことで、多くの人々の恨みを買うことを実感したからだ。
しかも、自分を恨む人達の数は、勝負を重ねる度に増えていく。
それでは、命がいくつあっても足りないと、恐ろしくなったのだろう。
武蔵は、木刀を常に肌身離さず、そして、木刀の柄に穴を開けてヒモを通し、その紐を手首に巻き、木刀が手から離れないようにしていた。
いつ襲われるか分からないし、敵が多い場合、刀ではすぐに血糊で切れなくなるので、木刀が必要だったのである。
そして、万が一にでも木刀を落としたら、それが死を意味した。
また、武蔵が決して入浴しなかったのも、入浴中に襲われたら圧倒的に不利だからだ。
この世で一番恐ろしいものは、人の恨みである。
まして、殺したり、絶望を与えて恨みを受けると、決してタダでは済まない。
人間の怨念、憎しみ、恨みを、夢々、甘く見てはならない。
どんな虫けらのような相手であっても、恨みを買うと、何があるか分からない。
武蔵が相手ですらそうであるが、人を殺すなど、割と容易い。
特に、サイコパスは、何も考えずに、あるいは、むしろ喜んで人を傷付けることがよくあり、その時は快感を感じても、すぐに破滅する。
成功するサイコパスは、自分が被害を与えた人達の恨みに耐える力を持っていたが、それとて、いつかは限界が来る。
サイコパスであろうがなかろうが、人の恨みは、なるべく買わないことだ。
自分が気に入らない人をいじめたり、苦しめることは、サイコパスでなくても快感であるし、サイコパスであれば、それがエスカレートし、破滅や絶望を与え、殺すこともある。
だが、そんなことをすれば、どんな形にせよ、必ず、やったことに相応しいだけの報いを受けるのである。
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巌流島の決闘の時、武蔵は29歳だった。
今のスポーツ的な考え方からすれば、体力が下り坂になる年齢で、特に、当時なら、相当「いい年」だったかもしれない。
しかし、昔の剣の達人というのは、30代、40代で衰えることはなく、60代でピークということも珍しくはなかった。
昔の剣術の面影の強い、明治時代の剣道全日本大会では、上位進出者は40代以上ばかりで、60代が珍しくはなかったと聞く。
ある年は、決勝が42歳と60歳の剣士の対戦であったらしい。
武蔵は、13歳で初めての勝負をし、小次郎に至るまでに、数多くの勝負をし、そして、戦で戦った。
また、名門、吉岡道場の道場主を倒した後、吉岡道場の門下の剣士全員との決闘となり、そのうちのかなりを討ち取ったと云われる。
武蔵の勝負は全て、命のやり取りであり、武蔵は無敗であったのだから、全ての相手の命を奪ったことになる。
そのため、武蔵は良心の咎めに苦しみ、勝負を止め、書や絵を描いて、心の安らぎを求めた・・・なんて話をよく見た。
しかし、武蔵はサイコパスだろう。武蔵に良心なんてものはない。
では、武蔵はなぜ勝負をやめたか?
決まっている。
勝負で勝って殺すことで、多くの人々の恨みを買うことを実感したからだ。
しかも、自分を恨む人達の数は、勝負を重ねる度に増えていく。
それでは、命がいくつあっても足りないと、恐ろしくなったのだろう。
武蔵は、木刀を常に肌身離さず、そして、木刀の柄に穴を開けてヒモを通し、その紐を手首に巻き、木刀が手から離れないようにしていた。
いつ襲われるか分からないし、敵が多い場合、刀ではすぐに血糊で切れなくなるので、木刀が必要だったのである。
そして、万が一にでも木刀を落としたら、それが死を意味した。
また、武蔵が決して入浴しなかったのも、入浴中に襲われたら圧倒的に不利だからだ。
この世で一番恐ろしいものは、人の恨みである。
まして、殺したり、絶望を与えて恨みを受けると、決してタダでは済まない。
人間の怨念、憎しみ、恨みを、夢々、甘く見てはならない。
どんな虫けらのような相手であっても、恨みを買うと、何があるか分からない。
武蔵が相手ですらそうであるが、人を殺すなど、割と容易い。
特に、サイコパスは、何も考えずに、あるいは、むしろ喜んで人を傷付けることがよくあり、その時は快感を感じても、すぐに破滅する。
成功するサイコパスは、自分が被害を与えた人達の恨みに耐える力を持っていたが、それとて、いつかは限界が来る。
サイコパスであろうがなかろうが、人の恨みは、なるべく買わないことだ。
自分が気に入らない人をいじめたり、苦しめることは、サイコパスでなくても快感であるし、サイコパスであれば、それがエスカレートし、破滅や絶望を与え、殺すこともある。
だが、そんなことをすれば、どんな形にせよ、必ず、やったことに相応しいだけの報いを受けるのである。
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