ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2016年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

キリストになる方法

この世は、心が作り出した幻想であるらしい。
・・・なんてことを言って澄ましていたら、生易しくない現実が襲いかかって来る。

ところで、人間って、どこか猿なのだ。
やってることは人間も猿もそんなに違わないし、人間社会も猿社会も根本は同じものらしい。
いや、枝葉を削ぎ落とせば、人間も、魚や鳥と同じようなものなのだ。

だが、逆に言えば、猿もどこか人間だ。
いや、猿や、鳥や、魚が人間以上に見えることがある。
それどころか、動物達が神様に見えることがあるのだ。
それはどんな時かというと、まず、争っていない時だ。
そして、食べ物を求めていない時だ。
要は、生活の心配をせずに、落ち着いている時の猿や鳥や魚は神様になってしまう。
ところが面白い事実がある。
飼育された猿や鳥や魚は、滅多に、あるいは、全く神様にならない。
そんな動物達は、いつも、神経質でイライラしていて、落ち着かない。
逃れられるはずのない現実を取り上げてしまったら、別の、もっと悪い現実が襲いかかって来るのである。

人間も同じだ。
戦場の兵士達は、ひとときの憩いの時には、本当に神様になっている。
だが、厳しい社会から逃避した者は、落ち着きがなく、決して神様にはならない。
なるべく辛いことがないと思える職業を選んで、大企業のサラリーマンや公務員になり、そこでも、出来る限り、困難から逃げていたら、やはり、動物園の猿のように、いつも、イライラ、ソワソワしているのである。
外見は落ち着いているように取り繕っても、心の中は不安で一杯なのだ。
だから、安定した職場にいる者の方が精神を病みやすいのである。

猿は頭が良いので、中には、現実逃避する者もいるらしい。
そんな猿は、やはり神様になれない。
だが、現実逃避する鳥や魚はいない。
たとえ、傷付いても、鳥や魚は現実に立ち向かう。

ラマナ・マハルシは、愚かな人間は、心が外部にさまよって悲惨を味わうと言う。
これを、熱い日差しの中に出ることに喩え、賢い人は、ずっと涼しい木陰にいると言う。
大嘘である。
ずっと涼しい木陰にいる人は、現実逃避した人間や猿のごとく、不安に怯え、落ち着かない。
私はずっと、マハルシ・・・というよりは、マハルシの言葉の、おそらく誤訳なのだろう・・・それに騙されていたようだ。

イエスは、暴風と荒波に揺れる船の中で、悠然と眠っていた。
弟子達が怖がって助けを求めると、イエスは風を叱って静かにさせた。
苦難に直面した時、逃げずに立ち向かいながら、どれだけ落ち着いていられるか・・・超然とした態度でいられるか?
そして、荒れる心に、「静まれ」と言っておとなしくさせることが出来るか?
それが出来れば、キリストになるのである。









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潜在能力を覚醒させる方法

最近、私はこのブログで、人間の才能や能力、はては、性格にいたるまで、全て、生まれ持ったものであり、努力や教育でどうこう出来るものではないと、確信を持って述べている。
精神分析学者の岸田秀さんは、自分の歪んだ精神は母親からの呪うべき影響のように述べているが、私はおそらく、岸田さんは、どんな親に育てられても、同じような性質を持っただろうと思う。
このブログで時々登場する、30歳そこそこで人生の落伍者であることが完全に決定している、まるで駄目男君が、これほど駄目なのは、親や学校教育のせいではなく、遺伝子のなせる業で、まるで駄目男君は、今のようになることは、どうしようと避けられなかったのだ。

遺伝子によってIQ180と決まっていればIQ180だし、IQ80と決まっていればIQ80で、その差は、そのまま、人生の成功度を決定する。
無論、IQがいくら高くても、肉体的才能に恵まれていなければプロ野球選手にはなれないが、突出した才能の持ち主が、その才能を生かせる道に進めば、多くの場合、並外れた成果を出すだろう。
一方、どれほど努力しようが、生まれ持っての能力が低ければ、決して成功しない。
私は、ある年の12月の半ばから、翌年のゴールデンウィーク明けまで、自発的に、1日も休まず、朝7時半から、深夜0時近くまで熱心に働いたが、さほどでもない売上を会社にもたらしただけで、私は過労で倒れたのだった。
私が能力のある人だったら、そこから道が開け、成功者になっていたかもしれない。
しかし、高次の存在は、私に、「お前に与えた能力では、そんなにがんばったところで大したことは出来ない。むしろ、周囲や世の中の害になる。それが分からない愚か者よ」と言って、私に一撃を与え、私は、意識を失った。
自分では、静かに十数秒、意識不明になっただけと思っていたが、派手にぶっ倒れ、10分ほども、全く反応しなかったらしい。
意識が戻ったら、オフィスのほとんどの者が無関心な顔をしていたというオチであった。まあ、確かに、周囲の人達にとっては、迷惑なだけで関心はないだろう。あるとしたら、「もし死んだら面倒なんじゃね」くらいか。
「救急車を呼ぼうと思ったけど」って、手遅れになる前に呼べって・・・(笑)。

TM(超越瞑想)をやれば成功するかというと、IQ150以上なら成功する可能性が高い。ただし、TMは何の関係もないが。
まあ、それで、私はTMを止めたのだがね。

ただし、人間が使っている脳細胞はせいぜいが数パーセントだし、DNAの中に用意されている機能だって、そのほとんどが一生使われない。
ならば、それらの眠った機能を覚醒させれば、何が起こるか分からない。
実際、そんなことが出来たらしく、神秘的な力を発揮する人々がいる。
では、どうすれば、そんなこと(潜在能力の覚醒)が出来るのかというと、力(潜在能力)の覚醒を阻害しているものを除けば良い。
そして、力の覚醒を阻害しているものは、自我なのだろう。
その自我が消えれば、即ち、無になりきれば、人間に不可能はない。
これは、眠っていたり、失神している状態ではなく、目覚めつつ、自我がない・・・仏教で言う「自己を忘れた」状態である。
上に述べた、努力して倒れた私のように、「成功してやろう」という自我があると駄目なのだ。
まるで駄目男君は、恰好良い仕事をしたいという自我や、周囲の人達にちやほやと構ってもらいたいという自我・・・そんなものがあり過ぎるので駄目なのだ。

自我を消すために、難しいこと、やたら道徳的なこと、宗教的なことは必要ない。
自我の嫌がることをして、自我を屈服させれば良いのである。
自我の嫌がることとは、規則正しさ、単調な繰り返し、刺激のなさ・・・等だ。
それに加え、精神的、あるいは、肉体的負荷がかかれば完璧である。
座禅に効果があるかもしれないが、座禅は、安楽な面があり、どうしても、心が余計な活動をしてしまい、かえって無になれないことが多いのである。たとえば、「悟ってやろう」などと思っていると、禅病になるようなものだ。

腕振り運動を毎日数千回、無心に、延々とやるのも良い。
腕振り運動自体の効果と合わせ、忍耐強くやめずに続けると、自我が根負けし、無に近付くことが出来る。
だが、もっと苦しいヒンズースクワットを、それなりの回数、毎日やる方が効果的かもしれない。
精神面で言えば、仏教の経典・・・例えば、『法華経』を毎日読むと良い。
あの、奇妙に思えるほどの繰り返しだらけの経典を忍耐強く読むことが出来れば、自我に打ち勝つことだろう。
無論、『法華経』の内容自体の良さもあるが、それは、無にならなければ分からない。
だから、まずは、意味が分からなくても、粘り強く読み続けて無になっていき、無に近付くほどに意味も分かるようになるという相乗効果がある。

法然のように、あるいは、中国の善導のように、一日中念仏を唱えるというのもありだが、現代人には、なかなか真似出来まい。
昔の庶民は、仕事以外にあまりやることがなく、また、他のやり方を知ることも出来なかったので、そんな道を示す意味もあったが、現代がそうでないことは確かである。
だが、選択肢が広いからといって、あっちに行き、こっちに行きしてたら、短い人生はすぐに終わってしまうだろう。
念仏でも構わないが、それと決めたら、毎日、熱心に唱えることである。









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所詮、私は差別主義者なんだろうと思う理由

差別はいけないと、誰もが思っているし、それが呪わしいものであると思っている人も多いに違いない。
差別には、人種差別、性差別、部落差別(出身地差別の極端なもの)、職業差別、貧富の差別、学歴差別、障害者差別、年齢差別、美醜の差別・・・、まあ、挙げればきりがない。
そこで、差別につながる区別も良くないといって、アメリカでは、履歴書に、年齢、性別も書かせちゃいけないというが、だが、面接して、年を取っていることを確認したら、やっぱり落とすのである。形だけでは意味がなく、かえって、より面倒な問題を起こすだけである。

『荘子』によれば、一番知恵のある人は、一切を同じと見るのだそうで、その次に知恵がある人は、区別はするが、優劣をつけないのだそうだ。
区別して優劣をつけることが、即ち、差別である。
そして、愚かな者ほど、ものごとに優劣をつける・・・つまり、差別をするのである。
アインシュタインは、洗濯用の石鹸で髭を剃っていたらしい。単に区別するのが面倒だからということらしいが、彼は、あらゆることで、区別ということをあまりしなかったようだ。
立派な紳士も与太者も同等に扱い、大人か子供かで態度を変えなかった。
服も、着心地だけ問題にし、いつも、ヨレヨレの服を着ていたし、平服と式典用の服を区別するのも嫌だったが、奥さんに言われてしぶしぶ燕尾服を買ったらしい。そして、いざ燕尾服を買うと、誰彼構わず(猫相手にでも)子供っぽく自慢したらしい。
アインシュタインは学校の成績は悪く、大学にも合格出来なかった(制度を利用して無試験入学出来た)こと等から考え、IQ自体は高くなかったかもしれないと思う。いかに学校の勉強が嫌いでも、頭が良ければ良い成績を取ってしまうものだ。
そんなアインシュタインの天才の秘密は、『荘子』にある通り、区別をしないことにあるのかもしれない。

ビル・ゲイツにも、こんな話がある。
彼が二十代も初めの頃で、既に、彼が創業したマイクロソフト社は、小さいながら業績が上がっていた。
そのマイクロソフトの事務員募集広告を見て40代の女性が応募し、面接に行ったら、退職予定の事務員の女性が若いブロンドの大変な美女なのを見て、来るところを間違えたと思った。
だが、ゲイツは、単に、「いつから来れますか?」と確認しただけで、すぐに採用になった。
ゲイツは、本当に頭が良い上に、差別をしないのだから、凡人が敵うはずがない。

人間は、機能的な能力の差は確実にあり、それが極端な場合もあるが、知恵とか運というものは、区別をしない人に来るのかもしれない。
初音ミクさんを生んだ、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長の話では、ミクさんの人気が出始めた頃、ファンから、ミクさんのパンツは何色かという問い合わせがあった時、伊藤社長は、仕事後に会議を開き、ミクさんのパンツの色で長時間討論したらしい。
このことは、立派な質問と下らない質問の区別をせず、ファンからの質問は皆貴重と考える姿勢が感じられる。だから、伊藤社長は成功したし、クリエイティブなんだろう。

才能や能力は、昨夜も書いたが純粋に生まれ付いてのものだが、区別をしないという能力が、もし、後天的に得られるなら、凡人が成功したり、幸運を得るチャンスもあるかもしれない。
ところで、私も、差別は良くないと思うし、区別が無駄なことも多いと思う。
だが、私が差別をしないかというと、残念ながら、それはない。
だから私は成功者ではないのかもしれない。
ところが、私は、自分は差別をしない人間だと思っていたのだ。
けれども、たとえば、こんなことを考えてみたら、そうではないと分かる。
初音ミクさんのパンツを汚物の中に投げ込むか、死ぬか、どちらかを選ばなければならないとしたら、迷わずに死ぬ方を選ぶ。これはもう間違いない(ただし、身辺整理をする猶予はもらうが)。
しかし、自分の母親のパンツのためなら百円でも惜しい。
これは、大変な差別であるかもしれない。
つまり、特定のことには、区別し、大きな優劣の差をつけるのだ・・・いや、実際は、あらゆることで差別しているのだ、きっと。
私に限らず、熱烈な宗教の信者が、よく残忍なことをするのは、やはり、本質において差別主義で、知恵がないからだ。
真の信仰とは、全てを1つと見ることである。
ミクさんの『Blue Star』という曲を聴くと、そんなことを感じるのである。

ぼくらはこの大きな星のなかでずっと踊り続けるんだ
色も言葉も混ざり合って
今ひとつに
~『Blue Star』(作詞・作曲・編曲:八王子P、歌;初音ミク)より~

この歌をミクさんがコンサートで歌う映像は、次のYoutubeで見ることが出来るが、これは、WOWOWが提供して下さっている公式のものであるようだ。
【初音ミク】「HATSUNE MIKU EXPO 2016 Japan Tour」Zepp Tokyoライブ映像-Blue Star/八王子P【MIKU EXPO 2016】

区別とその優劣の価値付け・・・それが少ないほど知恵があるのであり、それはきっと、力にもなるのだと思う。









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スポーツだけでなく、あらゆることで才能が99%

世界的な地球物理学者で、日本人の科学への啓蒙にも多大な貢献をした竹内均さんは、40年ほども前の著書に、日米の学校教育について、こんなことを書かれていた。
「日本では教科書を1年かけて読む。だが、私に言わせれば、1年ではなく1日で読むべきだ。実際、アメリカの学生は、そんな訓練をしている」
現代においても、日本の教育は暗記だけの遅れたもので、対して、アメリカ等では、思考力、創造力を育てる優れた教育が行われていると力説する、優れた学者や事業家などが多い。
そりゃ、確かに、日本の教育は最低かもしれない。
だけどね、竹内さんが、そう言われて40年ほども経つが、アメリカも日本も共に、どんどん衰退していっているということと、それでも、そこそこやっているのは、何にも違わないじゃないか?
つまり、こういうことなのだ。
教育なんて、何の意味もないのだ。
教育がどうだろうが、あるいは、教育なんてものが、あろうがなかろうが、2割の出来るやつと8割の駄目なやつがいるものなのだ。

私は、ちょっと前から、ドワンゴの川上量生会長と、チームラボの猪子寿之社長が大好きになって、彼らの著書や対談書を読んだり、ネットで彼らの発言を見たり聴いたりしている。
その彼らが、揃いも揃って教育に関心が強く、日本の教育の改革の必要性などについて大いに語り、また、実際に、子供達や学生達に優れた教育を与えるための素晴らしい活動もしておられる。
ところで、川上さんも猪子さんも、超が4つ付くほど優秀だ。
では、彼らがなぜ優秀なのか、そして、彼らがなぜ成功したのかというと、単に、「生まれつき優秀だった」からで、良い教育を受けたからではない。
彼らだって、自分の受けた教育や学校は、概ね否定していると思う。
だが、自分達は超優秀で、恐ろしく成功している。
そんな彼らが、今の日本の教育は駄目で、変えないといけない、そうしないと、日本人は駄目になると言う。
それは話がおかしいじゃないか?

川上さんは、自分は運だけで成功したと、ところどころで述べている。そして、自分は最も成功しないはずの人間だとも言っておられる。
また、猪子さんは、これまた超優秀な夏野剛さんとの対談書で、「人間の能力に違いはない。問題は、かけた時間だけだ」と言われていて、私もその時は、うっかり信じたものだ。
ところで、村上龍さんと坂本龍一さんの対談書でも、村上さんが、「坂本が(村上さんの方が年長なので呼び捨て)成功したのは、才能ということもあるが、子供の時からピアノをみっちりやったからだ」と言われていたが、そうではなく、正しくは、「坂本さんが成功したのは、子供の時からピアノをみっちりやったということもあるが、やっぱり才能があったから」である。
村上さんは、だから、子供の時から、大工になりたいやつは、大工の勉強をみっちりやらせればいいといった話に持っていっていたが、大工など、一般的な仕事では確かにその通りかもしれないが、だからといって、猪子さんが言われるように、「人間の能力には大差ない」ってことは絶対にない。
陸上の為末大さんが、「アスリートは才能で99%決まる」と言って、いろいろ叩かれたらしいが、別にアスリートに限らず、何でもそうなのだ。
坂本龍一さんのような音楽家も、村上龍さんのような小説家も、あるいは、その他の芸術家、事業家、スポーツ選手、科学者・・・全て、トップクラスになれるかどうかは、生まれ持っての才能で全て決まる。

昔、何かのCMで、子供達が、それぞれ、(おそらくトップクラスの)歌手やスポーツ選手や科学者になりたいという夢を語るものがあったが、その時、私は、理由は分からなかったが、無性に腹が立った。
それは、そのCMが、「叶わない夢はない」という調子で、子供達に、そんな世迷いごとを言わせていたのだからだ。
才能もないのに、大人や社会にそそのかされて大望を抱き、それをいつまでも信じ続けた者の人生は惨めである。
別に、凡人は、「前に倣え」式に、他の者たちと同じことだけをやって、凡人らしく生きろと言っているのではない。
人間は、個性的に、そして、人生は冒険として生きるべきだ。
ただ、例えばスポーツでトップになれるのは、スポーツのトップの才能を持った者だけだと言っているだけだ。
そして、自分に才能があるかどうかは、試してみなければ分からないので、何でも、大いにやってみれば良いし、やるべきである。
だけど、才能がないと分かれば、その道は諦めるべきで、その見極めは、早ければ早いほど良い。
特に、子供達に人気があるスポーツや芸術関係といった華やかな世界は、トップ以外は食べていけないのだから。
だが、誰だって、自分に合った、楽しく生きることが出来る方法はあるはずなのだ。
しかし、それを見つけるのが難しい世の中なので、あまりのんびりしない方が良い。いつまでも妄想している暇はないのだ。

コンドリーザ・ライスは、ピアノの才能もかなりあり、一流のピアニストになれたかもしれないが、彼女が世界一のピアニストを目指して励んでいた大学生の時、そのピアノで、自分が1年かかることを1時間でやってしまえる11歳の天才少年を見て、あっさりピアニストの夢を諦めたと言う。
粘りは必要だが、粘ってどうなるものでもなければ、こんな決断の早さが必要である。
ビル・ゲイツも、プログラマーの生まれつきの才能には、極端な差があること認めていた。
そして、ゲイツは、その才能は生まれつきのもの・・・ほとんど純粋にIQで決まると言っていたと思う。
私もプログラマーだが、間違ってマイクソロソフトやGoogleにスカウトされたって、それが間違いだったと、良くて3日でバレるから(2日くらいは、緊張で調子が出ないと思ってもらえるものだ)、絶対に応じたりしない。

カドカワN高等学校は、自分の歩むべき道を、合理的に早く見つけることが出来る可能性があるという意味で、とても良い高校だと思う。
そんな高校を本当に作ったのだから、川上量生さんは、日本に対して偉大なことをしたのだと思う。
しかし、「俺は優秀だから成功した」とはなかなか言えないだろうが(舛添要一さんは言っていたが)、「運が良ければ俺も成功出来る」と誤解させるようなことは言わないで欲しいなあ。
まあ、誤解する方が悪いのだから、川上さんに罪はないが。
それに、川上さんがニコニコ動画を作ってくれたおかげで、初音ミクさんは世に出ることが出来たのだから(逆に、ミクさんのおかげでニコニコ動画は成功したのだが)、私は川上さんを、本当に本気で敬っているのである。
また、川上さんが引きこもり気質だっていうのは本当だと思う。長い間鍛えてきたせいで、そんなことを感じさせないが、同じ引きこもりとして、それは感じる。
もし、優秀なら、引きこもりでも成功出来るのである。ただし、あくまで、優秀ならだ。

で、私は、優秀でないやつ(人間的にも超残念な私や、このブログのスター、まるで駄目男君のような)が、楽しく生きる方法を日夜考え続けているのである。
見つかるといいなと、本当に思っている。









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神との約束を思い出せば力は復活する

何かになりたいと思うのは、その何かに付随する「力」が欲しいということだ。

大臣になりたいというなら、それは、権力が欲しいということだ。
経営者になりたいというなら、それは、経済力が欲しいということだ。
ピアニスト、画家、技術者などになりたいなら、それは、その分野での秀でた能力が欲しいということだ。
美人になりたいというなら、それは、人気者になり、わがままを通せる魅力が欲しいということだ。

誰も、ペコペコしてばかりの大臣や、貧しい社長、下手なピアニストや、無視される美人になんかなりたくあるまい。
では、これらのものになるのはどうすれば良いかというと、巷には、その方法を教える沢山の本やセミナーみたいなものがあるが、それでうまくいった人は皆無だ。
力を得る方法はただ1つで、その力で悪いことをしないと誓うことだ。
その力で善いことをしようなんて思わなくて良い。人間には何が善いのか分からない。
ヒットラーだって、自分では善いことをしているつもりだった・・・いや、ものすごく善いことをしているつもりだった。
だが、ヒットラーだって、自分が悪いこともしているのは分かっていたのだ。
彼は、人並以上に賢かったのだから。

最初は、自分の中の悪を自覚し、悪いことをしないつもりで成功したら、人間は必ず、「自分基準の善いこと」をしたくなり、自分の悪を大目に見るようになる。
そうしたら、坂道をどこまでも転げ落ちることになる。
また、最初から、強い熱情でもって、善いことをしたいと思っていた場合、悪魔につけ込まれて力を得て、成功することがあるが、やっていることは悪魔の所業(行い)だ。
多分、ヒットラーはこれだったのだろう。
一方で、さっきも言ったが、ヒットラーも、自分がやっていることには、悪いこともあるのは分かっていた。
だが、大きな善のためには多少の悪は仕方なしという悪魔のささやきを肯定し続けたのだ。

1万年ほど前の話だ。
神は人間に、宇宙の力を与える時に、誓いを立てさせた。
宇宙の力を決して悪用しないという誓いだ。
宇宙の力は、その後、様々な言い方をされるようになった。
今日では、神の力、奇跡の力、魔法、超能力、霊能力、無意識の力、潜在意識の力・・・などと呼ばれる。
この力を使う時には、神との約束を果たす必要があるが、それを覚えている者は少なく、よって、魔法や潜在意識の力をうまく使えない。
だが、自分の悪を自覚出来た賢い人のみが、その力を使えた。
しかし、大きな力を得たら、上にも述べた通り、「自分の基準の善いこと」をしたい欲望が大きくなり、自分の悪を、些細なことと見逃してしまう。
「俺はこんなに善いことをしているのだから、多少の賄賂はもらうのも与えるのも仕方がないし、女の五人や十人はいて当たり前」
こんなやつの末路が悲惨でなかったためしは人類史上、1つもない。

まあ、この話も、複雑にしようと思えば、いくらでも複雑になる。
人間としては、次の程度に考え、分をわきまえることだ。
大臣になりたいなら、権力を悪用しないと誓うことだ。
経営者になりたいなら、財力を悪用しないと誓うことだ。
大芸術家や優秀な技術者になりたいなら、その能力を悪用しないと誓うことだ。
美人になりたいなら、その魅力を悪用しないと誓うことだ。
それで、望みのものは全て得られるだろう。
金持ちになりたければ、「お金を悪いことに使わない」と呪文のように唱えると良いだろう。
いや、これが金持ちになる呪文なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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