ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2016年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

真にがんばるべきことは、誰にも「がんばれ」と言われないことだ

「前畑ガンバレ」と言ったら、何のことか分かる人が多いと思う。
1936年のベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で、日本の前畑秀子選手が優勝争いをする中、ラジオ放送で実況していたNHKのアナウンサーが興奮のあまり、20回以上も絶叫した「前畑ガンバレ!」が非常に有名になったもので、レコード化もされたらしい。
「頑張る」は、「我を張る」からきていて、これは自己中心的になることだから、本当は悪い意味だと言う人もいるかもしれないが、それはひねくれ過ぎというもので、頑張ることは良いことである。

人間は頑張らないといけない。
なぜ頑張るのが良いのかというと、普通には、頑張った分、利得が得られるからである。
人間は、肉体の維持のためにはお金も必要なので、ある程度の頑張りは必要だ。
では、親が資産家で、働かなくても食べていける場合は頑張らなくて良いのかというと、その資産が一生持つということはないだろうし、持ちそうだとしても、何かが起こって失ってしまうこともあるだろうから、頑張ることを忘れないためには、やはり頑張らないといけない。
だが、本当に頑張りが必要な理由は、頑張っていたら、「ゆるまない」からなのである。
人間は、ゆるまなければ、必ず幸福になるのだし、ゆるめば、必ず不幸になる。

ただし・・・
では、前畑秀子さんのようになれば良いのかというと、そうではない。
塾で、「○○校合格」を掲げ、企業で「売上○○円達成」、「目標店舗数○○件」などをスローガンにして頑張るというのも、ある程度は必要なことかもしれない。
だが、大切なことを言うと、
「自分以外の者に『がんばれ』と言われたことを頑張ると、いくらかは自分が自分でなくなる」
のである。
さっき述べた、「受験合格」「売上増進」のスローガンというのは、かなりの部分が、他から押し付けられたものだ。
多くの人達が、それを頑張るために、洗脳され、誘導されているのである。
そんなものを頑張るとどうなるかというと、
「やらされて頑張っていること以外ではゆるむ」
のである。
さらには、
「ゆるむために頑張る」
ことになるのだが、これは分かると思う。
今の世間では、受験合格、就職なんてものは、手段のはずがゴールになってしまい、達成したら、「遊ぼう」、「もうどうでもいい」、「楽になれる」と思っているのである。
いずれにしても、うまくいこうがいくまいが、「やらされて頑張る」ことはいつかは終わるのだが、その時に待っているのは、絶対のゆるみ、そして、絶望である。

頑張るというのは、ゆるまないよう努力することなのに、人にやらされる「頑張る」は、ゆるむことが目標になるのである。
本当に良い教えを聴き、心の奥では何かを感じているのに、
「なるほど、本当はそれが楽なんですね」
「それを気持ち良くやれたら良いですね」
と、おかしなことを言う人が多い。
ずっと、他人の「頑張れ」に従って生きてきた人達だ。
自分の思惑で、他人を頑張らせる・・・つまり、他人を利己的に利用する者は、
「こうすれば本当は楽なんだよ」
「これをすれば気持ち良くなるんだよ」
と言って騙すのである。
それに繰り返し騙されてきた人達だ。

本当に頑張るべきことは、決して楽ではないし、気持ち良いこととは何の関係もない。
本当に頑張るべきことは、
「ゆるまないこと」
であり、そうであれば、
「自分が自分でいられる」
のであり、そして、そうであれば、
「心の底から満足する」
のである。
それは永遠に続く満足だ。

重要な真理を、あえて言葉で言えば、
「真に頑張るべきことは、誰にも『頑張れ』と言われないこと」
なのである。
真に誰かを愛し、地球を愛し、自然や生命を愛することを、自分以外の者に「頑張れ」などと言われるだろうか?
そんな「頑張れ」を言う者がいたら、それはおかしい人であることは明らかだろう?
だが、「○○校合格、頑張れ!」、「売上○○円達成、頑張れ!」、「鬼畜米英人を殺せ、頑張れ!」は、「楽」や「気持ち良い」を巧妙にすり替えたものなので、表面的にはおかしいと感じず、騙されてしまうのである。
受験合格も、売上向上も、戦争での殺人も、避けられない義務として行わねばならないこともある。
それらは、やむなきこととしてやるのであり、「頑張る」ようなことではない。
このあたりは、『バガヴァッド・ギーター』に神の言葉として詳しく書かれていると思う。
そして、自分以外の者にやらされる「頑張る」には終わりがあるが、真に頑張るべきことには終わりはない。

極めて重要なことなので、まとめて述べると、

真に頑張るべきことは、誰にも「頑張れ」と言われないこと。それは永遠に終わらない。

である。
もし、ピンときたら、忘れないで欲しい。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ゆるまない自分を作る方法

私が、昔から、随一の成功法則の書と思っているのが『ノストラダムスの超法則死活の書』という五島勉氏の本だ。

『ノストラダムスの超法則死活の書』は、最悪(生命に係わるほどの最悪が最も良い)を受け入れることで、不思議な力が働いて逆転勝利する・・・と、単純に言ってしまえばそんなものだ。
だが、実際に最悪を受け入れることは難しい。
この本に、こんなお話がある。
ある若い騎士が、美しい姫を争って、自分より強力な騎士と決闘する。
しかし、その若い騎士は、大預言者ノルトラダムスに「お前は負けて死ぬ」と断言され、また、ノストラダムスの神的な力を見せつけられたこともあって、敗北、屈辱、姫を得られないこと、そして、死を完全に受け入れる。
だが、決闘では、奇跡の勝利を得る。
これが、最悪を受け入れた人間の力だ。
しかし、その力の正体については、この本にも書かれていない。

その若い騎士は、最悪を受け入れ、覚悟を決めたことで、決してゆるまなかった。だから勝ったのだ。
なぜなら、ゆるまなければ生命の炎が燃え上がり、心の支配力が高まるのである。
この若い騎士の決闘の相手だった強力な騎士は、自信があったので、どこか少しゆるんだのだ。
一方、完全に死を覚悟した若い騎士は、おそらく、「勝てないまでも、せめて一矢を」と思ったのだと思う。
そんな者は、決してゆるまない。

空手家の大山倍達氏が、真剣を持った剣の達人と素手で決闘した時も、
「死んでやる。しかし、手足の1本残っていれば相撃ちに」
と思って突進し、我に返ったら、剣の達人は伸びていたという。
それほどの覚悟を決めた人間がゆるむはずがない。
そうであれば、絶対に負けない。

確かに、最悪を受け入れるということは、ゆるまないための有効な方法の1つに過ぎない。
大切なことは、あくまでゆるまないことである。
しかし、大きな危険を背負うことは、やはり、ゆるまないための極めて優れた方法なのだ。
サルトルも、紛争中の危険な地域にいた時が一番充実していたと語っていたと思うが、それも、ゆるまないことで、生命力が高まっていたからだろう。
行き過ぎではあるが、ロシアン・ルーレットが、ゆるまない究極の方法であり、これをヒントにゆるまない方法を考えることも出来るだろう。

では、具体的に、日常でやれる、ゆるまない方法には、どんなものがあるだろう?
簡単である。
悪いこと、嫌なことを、避けない覚悟を持つことだ。
あの場所に行けば、あの嫌なやつに会うかもしれない。
「ならば、会ってやろう」
と、思うのだ。
あれをしたいと思うが、やれば嫌な目に遭うかもしれない。
「では、その嫌な目に遭ってやろう」
と、覚悟を決めるのだ。
すると、あなたの顔は、みるみる引き締まる。
表情と心は一体だ。
既に、あなたの心は引き締まり、どこもゆるんでいない。
そうであれば・・・
生命はあなたの味方である。
あなたの思いのままにならないことがあろうか?









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

我々は清原和博さんに本当に感謝しなくてはならない

我々は、清原和博さんに、よくよく感謝しなくてはならない。
私は、本当に、本当に、彼を有り難く思い、深く、深く、感謝しているのである。
それは決して、素晴らしいプレーで勇気をくれた・・・などという馬鹿げた理由ではない。
未熟な人間に大金を与え、ちやほやすると、どんなことになるのかを、彼が身を持って示してくれたことに対してだ。
彼は、良い意味でも悪い意味でも、子供っぽい人に違いないのだ。
彼は被害者であり、その彼が、全てを犠牲にし、これ以下はないほどの恥を晒して、教えてくれたのだ。
ところが、清原さんに関する話題はテレビやネットで嫌でも見るに関わらず、こういった一番大事なことを、誰も言わないのである。

松井秀喜さんが、評判通りの人格者であるとすれば、彼は清原さんの何十倍も頭を叩かれ、心を鍛えられたはずだが、それは誰かが本気で彼を指導したからだろう。
それをしたのは誰かは分からないが、その誰かは、難しいことを忍耐強く行ったなんとも偉大な人間であるに違いない。

あなたはこれまで、成功を目指して努力し、成功のための教えが説かれた本も沢山読んだかもしれない。
そして、おそらく、思うような成果は得られず、落胆しているのだろう。
だが、それが大きな恵みであることが分かると思う。
もし、間違って成功でもして、人々に称賛され、器量に合わない不相応な金でも手にしていたらと思うと、ぞっとしないだろうか?
そうでないとしたら、あなたは一生、成功しない方が絶対に、絶対に良いのである。

随分前に、私は友人に、「お前の状況を成功と言わずに何と言うんだ」と言われたことがある。
少しも大したことではなかったが、なるほど、普通のサラリーマンでは、なかなか出来ないことをしたことがあった。
しかし、実際に、本当につまらないことであったに関わらず、私はかなり危ない状態になった。
それまで、ずっと、蔑み疎まれてきたことの反動もあったのだが、もし、あのまま大きな成功にまでなっていたら、今頃は、古い言い方だが、お天道様の下を大手を振って歩けるような人間ではなくなっていたに違いない。
だが、神仏の加護があって、再び、蔑み疎まれる人間になったのだ。

カドカワ社長でドワンゴ会長の川上量生さんは、本当なら、あれほど成功したら、今のような立派な人ではいられなかったかもしれない。
彼が払った犠牲は大き過ぎた。
川上さんは、「僕が人生で最も後悔していることは会社を作ったこと」と言われたらしいが、本当にそう思ったに違いない。
それほどの代償の上での成功であるから、道を踏み外さなかったのだと(勝手に)思う。
川上さんの個人的な人間性のことではなく、人間とはそんなものだという意味である。

もし、あなたが成功を目指すとすれば、何度、自分にこう言い聞かせても、多過ぎることはない。
「どれほど成功しても、心を引き染め、絶対に絶対にゆるまない」
「どれほどのお金を得、誰にどれだけちやほやされても、決して決してゆるまない」
こういった自戒が切実に思えるようであれば、あなたは成功するだろうが、空念仏にしかならないなら、成功しないだろうし、成功しない方が絶対に絶対に良いのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

こうすれば父親の権威を持てる

昔の日本の家庭では、なぜ父親は権威があったのだろう?
逆に言えば、なぜ、今の父親は家族に軽んじられ、全く威厳がないのだろう?
それは、昔の日本では、父親は家にいても、決して「ゆるまなかった」からである。
ところが、今の日本では、父親は、家ではゆるむのが義務だとでもいうように、決して引き締まらず、ゆるみっぱなしだ。
そんな父親は、家族に少しも尊敬されないばかりか、軽蔑され、疎まれて当然だ。
家族が、一家を支える父親を敬わないのが悪いのではない。
なぜなら、家族だって、本当は、父親には立派でいて欲しいのだ。
しかし、ゆるんだ父親に輝きはなく、そんな父親が虚勢でも張れば、目にするのも汚らわしいであろう。
家庭に居場所がないのは、父親自身の責任である。

家の外でも、もちろんであるが、父親は家の中でも、決してゆるんではならない。
家の中で、誰も労わってくれないことを嘆く父親が多い。
嘆くとは、泣き言である。
泣き言を言うこと自体が、ゆるんでいるのだ。

弱音を吐かない。
泣き言を言わない。
甘ったれない。
男は、この3つを座右の銘としなければならない。
そんな男は、鬼神も敬うし、天使も微笑む。
そうであるなら、家族が尊敬しないはずがないのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

ゆるんだ者はN高校に入っても駄目

カドカワ社長でドワンゴ会長の川上量生さんのブログはてなポイント3万を使い切るまで死なない日記の、現在(2016年2月25日)のところ最後の記事で、川上さんは、引きこもりの成功について、

/* ----- 引用開始 -----
もし成功したとしても、世間には当たり前だとぐらいにしか思われなくて、まともな一般人の一番下の階層にやっと入れてもらえるというだけなんだけどね。
でも、本当はそれはすごいことで、起業して運だけで成功した経営者なんかよりも、じつはもっとありえない快挙をやったんだと。
少なくともぼくはそう思う。
----- 引用終了 ----- */

と書かれているが、適当に書かれたのかもしれないが、これが本当なら、引きこもりの自立は、大事業家になるよりも難しいことになってしまう。
(上記の「起業して運だけで成功した経営者」とは川上さん自身のことである)
川上さんは「運だけ」なんて言うが、やはり川上さんがビジネスの天才だとしても、あれほど成功するのは奇跡に近いと思う。
それなら、引きこもりの自立も、やはり奇跡に等しいのだろうか?

この私が、引きこもりから、まともな一般人の一番下の階層に入れてもらえたのだから、川上さんの言うところでは、川上さんよりもありえない快挙をやったということになるのだが、私のも「運だけ」だ。
これは本当にそう思う。
運がなければ、最悪、今でも引きこもりのままだろう。
そして、このブログで度々取り上げる、私の職場にいる、まるで駄目男君が、アルバイトの身分とはいえ、それなりに採用が厳しい会社にスーツを着て、見かけ上は他の従業員と同じように勤務しているのであるから、彼も、そこそこには運があるのだろう。
だが、まるで駄目男君を見ていると、川上さんの言われる、引きこもりの自立が奇跡のようなものであることは、大いに納得出来るのである。
確かにそれは、普通の人が川上さんほどに成功することに匹敵するかもしれない。
まるで駄目男君は自立にはほど遠いので、それには該当しないし、いつかそうなるとも全く思えない。

運がよくなる方法なんてものを本に書いている人がよくいる。
そのほとんどは、いい加減なもので、それがたとえ、自身が大成功者である人が書いたものでも同様であるが、例外があるとすれば、私が知る範囲では、マックス・ギュンターの『ツキの科学』だけだ。
この本は、ツキ・・・つまり運を理屈で見事に解き明かしていると思う。まあ、だから、「根拠のない奇跡を起こす方法」が書いてある訳ではなく、恐ろしく頭の良い著者が、磨き上げた理屈とベテラン投資家としての経験から述べたもので、かなりの信頼性があると思う。
(だから多分、一般受けしない本だろう)

だが、まるで駄目男君くらいに駄目な者が『ツキの科学』を読んだところで、どうにかなるとは思えない。
なぜなら、まるで駄目男君の問題は、「ゆるみきっている」ことだからだ。
引きこもりだって、ゆるむことをやめたら、つまり、心を引き締める掟を持ち、それを守れば、まともな社会人の一番下以上になれると断言する。
その実例が私な訳だ。
私の幸運は、「なぜか」ゆるむことを、「少し」止(や)められたことだ。
だから私は、ゆるまない方法論を全力で探しているのだが、これがなかなか難しい。
まともな社会人の大半はゆるんでいるので、引きこもりでも、それ以上に引き締まれば、普通の社会人は超えるはずである。
まあ、私では普通以上とは言えないが、それは私の締まり具合が足りないせいだ。

だが、まるで駄目男君が、ゆるみ切った状態から、少しはマシになれるかというと、それは絶望的に難しいのだ。
私はもう、彼のことは見捨てているが、せめてもの慈悲として、「お前の明日の仕事は駅の便所掃除」と言い聞かせ、実際にそうなった時に、あまり落ち込まないようにしてあげるだけだ。
駄目な人間でも、プライドだけは高いものだからだ。
しかし、これでも私は、まるで駄目男君に、最大の楽観論を示してあげたのだ。
彼に待っているのは、駅の便所掃除に憧れるほどの状況だ。
もちろん、奇跡的に、彼がゆるむのを少しでもやめられたら、その限りではないが、それは考え難い。

他人事ではなく、私も最悪にならないよう、決してゆるまないように掟を定め、それを死んでも守ろうと思う。
出来れば、あなたもご一緒に。
川上さんは大成功者なので、上から目線になるのは仕方がないが、私は上から見ようがない。
その川上さんは、「上から」、引きこもりを救うために、カドカワN高等学校を設立したが(開校はまだだが)、果たして願う効果が出るかどうかは、まだ分からない。
出てくれたら嬉しいと思う。
しかし、N高校に入っても、ゆるんだ者は駄目なのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード