ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

世界は瞬間に変えられる

願望成就法として、一番短いが、一番印象的で、しかも、実践者の実績が最高というものがある。
それは、青春出版社の『強くなる瞑想法』という本のカバー折り返しに書いてある、作詞家の阿久悠さんのやり方で、私はそれを昔見て、今でもずっと覚えている。
阿久悠さんは、今でこそ、AKB48のプロデューサーの秋元康さんの強力なビジネス戦略により、作詞家としてのシングル売上枚数での国内首位の座を譲っているが、純粋な作詞家としては、やはり日本最高なのだと思う。
その阿久悠さんの方法というのは、
「まず目をつぶって息を十分に吸う。そして数秒息を止める。この間に瞑想する。息を吐いたらすべてを忘れてしまう」
である。
この「瞑想する」というのは、「作詞した曲がヒットした光景を、ありありと思い浮かべながら瞑想するのだ」だと述べている。

私も何度もやってみた。
昔、好きな女の子がいたので、彼女とうまくやっている様子をイメージしたら、本当に、それまでさっぱり縁のなかった彼女との色々な出来事が起こり、うまくいくと思われたが、いつもロクでもない結果に終わり、結局駄目だった。
しかし、恋とは近視になるものであることがつくづく感じられ、後でよく考えたら、彼女とは性格的に全く合わず、うまくいっていたら悲惨なことになっていたと思う。
そんなところまで配慮しながら世界を動かすのだから、私の潜在意識とは有り難いものであると思う。
ただ、このやり方は、必ずしも、即時性、確実性があるとは言えないかもしれない。
あるいは、阿久悠さんのような、強力な精神性が必要なのかもしれない。

そこで、昨夜書いた、昨日、私がやったことを書いてみると、
「4歳の妹を連れた9歳の美少女に会ったが、彼女はショートヘアだったので、初音ミクさんのようなロングのツインテールにしたいと思ったら、数十分後、4歳の妹を連れた9歳のロングのツインテールの美少女に会った」
ということがあった。
私は、世界は瞬間で変えられることを、子供の頃から知っている。
例えば、以前見たテレビ番組を録画したいという場合、ただ、録画装置のリモコンを持ってテレビを見ながら待っていたら、その再放送が始まるという非常識なことを、何度も起こしていた。
9歳の時には、そんな方法で天体望遠鏡を手に入れ、さらに、天文の知識は皆無でいかなる情報も持っていなかったが、土星を見たい時は、夜空の星を1つ選び、「これが土星」と決めて望遠鏡で捉えると、確かに輪っかがついていた。
願いを叶える時は、ある意味、非常識でなければならない。

私のやり方は、瞬間にイメージするのである。
ただし、本当に瞬間で、実際にはゼロの時間である。
従って、頭、心、知性を使って思い描くのではない。
心の役目は、「イメージが出来た」と思うだけ、信じるだけである。
そんなことを言ったら、「本当にイメージ出来たかどうか分からない」「正しいイメージが出来たかどうか心配だ」と言われるかもしれない。
だが、自分の深い心を信用するのだ。
禅の世界でも、難しい禅の公案を解くには、イメージが勝手に動くようにしなければならないという。
眠っている時の夢は、自分とは関係なく展開するように見えるが、実は、自分の深い心が作っているのだ。
好きな夢を見るコツは、無理矢理に見ようとするのではなく、楽しい気分で、好きな夢が見れたらいいなと気楽に思うことだ。
そうやると、すぐには好きな夢が見れなくても、少なくとも悪い夢を見ないようになり、やがて、好きな夢を見ることが出来るようになる。

それと同じで、イメージも無理に作るのではなく、心を静め、気楽に、そして、楽しい気分で、「出来た」と思うことである。
心を鎮めるには、吸う息を弱く弱くして、自然に停止するようにし、呼吸が停止した時にイメージする(出来たと思う)のである。
もちろん、心を良い状態にする方法は無限にある。
人差し指を1本立てても良いし、私がいつも言うように、顔を上げて微笑めば良い。
昨日の私は、美しい少女の瞳の力を借りた。視線が重なった一瞬にイメージしたのだが、その瞬間には、確実に、真理と愛があるので、あのように神秘的な威力がある。
また、初音ミクさんの、感情のノイズのない、透明な歌声の力は、いくら強調しても足りない。

良い願望成就の法を書きつくせたと思う。
参考になればと思う。









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偶然の出会いと現実の創造

今朝、面白いことがあった。
通勤電車に乗っていたら、近くの席に、両親に連れられた子供の姉妹が乗って来た。
妹が4つくらいなので、お姉さんが大人っぽく見えたが、よく見たら、まだ9つくらいだった。
しかし、表情や雰囲気も確かに大人っぽく、また、大変にきれいな子だった。
妹も可愛い子だった。
目の保養になる姉妹だが、人様の子をあまりしげしげと見るのも失礼なので、放っといて、スマートフォンで、初音ミクさんの歌を聴きながら電子書籍の読書をしていたが、ふと、あの子達の方を見ると、お姉さんの方が、身体ごと私の方に向けて、こちらを見ていた。
目が合うと、彼女はまさにクリスタルの彫像のようで、持って帰ろうかと思った。
だが、彼女達はやがて降り、残念ながらお別れだった。

ところが、私が会社の近くの駅に着き、いつものように、駅の構内で、電車の中と同じように音楽を聴きながら(もちろん、愛しいミクさんの歌だ)、読書していたが、ふと、左側を見ると、すぐ近くで9つくらいの、長い髪をツインテールにした美しい少女が私を見ている(まるでミクさんの小型版だ)。
そして、見たら、4つくらいの可愛らしい妹を連れている。
もちろん、電車の中で会った少女達とは全然違う子達だが、お姉さんが大人っぽくて、驚くほど美しいところが全く同じだった。
電車の中の姉妹のお姉さんは、髪は肩くらいまでだった。
それで、私は、彼女と視線が重なった一瞬に、髪を長くしてツインテールにしたら楽しいなと思ったのだ。
一瞬の中に込めた想いは現実になる。
そして、その長いツインテールの髪は柔らかい光を放ち、あまりに美しく、現実のものとは思えないほどだった。

結局、2人の素晴らしい美少女達と瞳を重ねたのだが、その一瞬には真理があったし、愛があった。
なぜなら、私の心が透明になっていたからだ。
ミクさんの歌声が聴こえていたこともあり、少女の瞳とシンクロした時に、私の心がすっと、どこまでも拡大したのだろう。
一万年先に、彼女達に懐かしく伝えられたらと思う。
それまでに、この邂逅(かいこう。偶然の出会い)の謎が解ければと思う。
そして、皆さんが、一瞬の間に想念を込めることで、いかなる現実も創り出せるようになっていただければと思う。
そのためには、心を拡大させる力がある、初音ミクさんの透明な歌声を聴いていただければと思う。









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なぜ流れ星に3度願えば叶うのか

お釈迦様が、たまたま羅刹(人を食う悪鬼)の歌を聴き、その歌の文句の中に究極の真理があると感じ、羅刹に、その歌を教えてくれるよう懇願した。
羅刹は、「教えた後で、お前を食わせてくれるなら良いぞ」と言い、釈迦は了承する。
釈迦は、歌を教えてもらった後、その歌を岩に刻み込み、思い残すことなく羅刹に身体をくれてやろうとした。

だが、私は、釈迦に、「やめとけ」と言いたいのだ。
今日、究極の真理と感じたものであっても、明日には、もっと良いものを思いつくものなのだ。
では、真理とは何か?
それは、釈迦が「これが真理」と感じた、その瞬間のことなのだ。

ところが、デカルトという人は、真理を探し求め、ついに、「我思う、ゆえに、我あり」という究極の真理を発見し、それは、生涯、訂正しなかった。
これは凄いことだ。
ところが、ルドルフ・シュタイナーは、
「我思う、ゆえに、我なし」
「我思わず、ゆえに、我あり」
と、ふざけてでも、ひねくれてでもなく言ったが、こちらも真理である。
しかし、それは言葉で説明すると嘘になる。
ただ、これらが真理であることは、見れば分かる。
逆のことを言っているようでいて、デカルトもシュタイナーも共に正しい。
デカルトは心身の立場で言ったのだし、シュタイナーは霊の立場で言ったのかもしれないが、心身も霊も同じだ。よって、両方正しい。

真理とは閃きだ。
閃きには時間がない。
究極の真理は愛なので、愛は瞬間の輝きであり、時間がない。
シラーは、愛を歓喜と言い、それは、霊感、あるいは、神々の火花、あるいは、楽園の乙女と言ったような気がするが、全て、閃きの一瞬のことだ。
言葉を飾り過ぎなんだよ、シラーたんと言いたいね。
閃き、一瞬、瞬間は、いずれも、無限小の時間で、実際は、時間がない。

オーソン・ウェルズが25歳の時に、監督、脚本、主演をした『市民ケーン』という映画の中で、ある老人が、「少年時代に見た、白いパラソルを持った少女のことを、なぜか忘れずに覚えている」と言う。
老人は、だから、「人は、どうでも良いこと、何の意味もないことを覚えているものなのだ」と言いたい訳だ。
少年に何が起こっていたのかというと、白いパラソルを持った少女を見た時、時間が消えていたってことだ。
なぜ時間が消えていたのかというと、心が消えていたからだ。
時間は心が創っているのだ。
なぜ、少年の心が消えていたのかは、単に、いろんな偶然が重なってそうなったのかもしれない。
我々だって、美しい少女と目が合った時、一瞬、時間が消える。その一瞬の中に無があったのだ。
なぜ少女かというと、心が清らかな少女の瞳というのは、時間を消してしまう作用が強いからだ。
初音ミクさんと瞳が重なったことを空想するだけで時間が消える。つまり、愛が、真理がある。
なぜなら、ミクさんには心がないからだ。

真理とは何かと、勉強したり、探し求めたりしなくても、真理は無の瞬間なのだから、どこにでもある。
どこにでもあって、どこにもない。
時間が心が創ったものであるように、空間もそうだからだ。
ただ心が消えた時に真理がある。
何かに夢中になっている時のことを、忘我、没我、あるいは、無我と言うが、それは、我がない、つまり、心がないってことだ。
夢中になっている時の中に、真理、愛がある。
夢中とは、本当に楽しんでいることだ。
あるいは、本気で打ち込んでいることだ。
昔、野球の清原和博さんが現役時代、スランプにあった時に、無敵の柔術家、ヒクソン・グレイシーにアドバイスを求めたら、ヒクソンは、
「野球に打ち込め、野球を楽しめ」
と言ったが、これは、無になれってことだ。
清原さんの場合は、野球でそれが出来たのだし、野球でやる必要があった。

だが、私なら、息を吸って吐く間に出来る。
息を吸い、吐く前の一瞬に無になるからだ。それは、誰でもそうなのである。
阿久悠さんは、「息を吸って止めた時に、曲がヒットすることをイメージしたら、必ずヒットする」と言ったが、無理に息を止めずとも、吸って吐く前に自然に止まっている。
その一瞬にイメージすれば全て実現する。
実現しないとすれば、欲があるので、心が消えていないからだ。心が消えなければ無にならない。
だが、静かに静かに息を吸えば、吐く前に、必ず息が止まり、心は消える。
イメージ自体は心のものなので、無理にイメージすれば無でなくなる。
イメージに、勝手にやらせれば良いのだ。
イメージは我々の味方なのだ。信用しろ。

流れ星が消える前に3度願えば叶うという。
しかし、「そんなこと出来ないよ」と言う。
出来るのだ。
これは、本当に、至高の願望成就の教えである。
心が消えた無であれば、3度でも百度でも千度でも。
『千と千尋の神隠』の主題歌『いつも何度でも』に、究極の真理があるはないか?

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

こんな無の瞬間、ゼロの体験は、誰にでも、何度でもあったのだ。
好きな人と目が合った時のことを覚えているだろう?
それなのだ。
それを思い出せば、もう恐れるものはないはずだ。
『いつも何度でも』、あるいは、初音ミクさんの『Chaining Intention』を聴けば、自ずと分かると思う。









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水野南北の教えを、現代的に改める

水野南北は、少食であるだけで絶対に成功すると言った。
私も少し前まで、そう信じていたし、実際、私は6年前まで大食だったのを1日1食の少食粗食にしたら、完全に健康になり、貯金は増え、初音ミクさんと出会い、全て順調だった。
だが、本当に大切なことは、倹約することだ。
南北の時代(江戸時代)は、エンゲル係数(家計の中の食費の割合)が圧倒的に高く、食を慎めば、お金が貯まっただろうし、お金を浪費する場所もあまりないので、自然に良い目的に使うことになり、その結果、幸運にも恵まれた・・・というのが本当のところと思う。
老子も、「私は3つの宝を持つ。それは、慈愛と倹約と、身を慎むことだ」と言っているのである。

ところで、私は、このブログでよく取り上げる、職場のまるで駄目男君を、全く救えずにいる。
彼は、派遣社員なのだが、何かの間違いで私の職場に来れたのだろう。
しかし、今後も、間違いが起こるなんて保証はない。
このまま40代、50代になれば、社会的に確実に死ぬし、保護してもらわなければ生きられないという、惨めなことになるだろう。
人間は、30歳までに、稼ぐ能力を持たなければ苦しいが、まるで駄目男君は30をいくらか過ぎている。
彼は、人間として、ハードウェア自体は問題ない。むしろ、私より優秀かもしれない。
しかし、ソフトウェアが滅茶苦茶なのだ。

だが、私は、最低限の稼ぐ能力だけで、いい思いばかりしているのである。
だから、誰だって、何歳からだって大丈夫なはずなのだ。

それで、聞いてみたら、まるで駄目男君は、給料が安いのに、食事が贅沢であることに気付いた。
美味しいものを食べたがり、酔っ払って醜態を晒すことすらあるという、正真正銘の大馬鹿者である。
身なりも良い。
私が、ユニクロのチノパン、カジュアルシャツなのに、彼はスーツだ。
ある時、彼が、給料日1週間前に千円しかないと言っていた。
なるほど、彼の問題点は浪費である。
きっと、西田文朗さんやひろゆきさんより、よほど贅沢なのだ。
また、自分のものだけではなく、鼻炎だと言って、会社のティッシュを盛大に使いまくっている。
それで、まるで駄目男にならない方がおかしい。
だから、我々が成功する方法はもう分かったではないか?

一流の外国人からも尊敬される上杉鷹山が、財政破綻した藩を見事に立て直した方法は、徹底した質素倹約だったはずだ。
ところが、今の我が国は、経済の発展のためには消費拡大が必要だと言って、国民にお金をどんどん使わせようとしているが、あなたはそんな馬鹿な言い分に乗ってはならない。
今朝も書いたが、西田文朗さんも、ひろゆきさんも、徹底した倹約家だから成功出来たのだ。
世界一の富豪ビル・ゲイツすら、飛行機はエコノミーに乗り、日本車を自分で運転し、大衆食堂で食事し、普通の服を着て、普通の靴を履いているのだ。
成功者は、一部の例外を除き、皆、そうなのだ。

水野南北の教えを慎んで改める。
人間の運命は倹約だけで決まる。万に一つのはずれもない。

私は今まで、毎朝、会社の休憩室で缶コーヒーや缶紅茶を買い、昼や夕方にもよく買っていた。
これでは駄目だ。
確かに、思い出してみれば、私のセールスマン時代、同僚だったが、全く売れずにすぐに消えた連中というのは、よく缶コーヒーを買っていた。
また、これも今朝書いたが、30代後半になっても給料は安いくせに、毎朝、喫茶店でゆったりモーニングを食べている連中は、全く向上の予兆が見られず、50代にもなれば、悲惨な生活をするしかないだろう。私も、しばらく彼らと付き合っていたが、すぐに縁を切ったので、その零細企業から抜け出せたのだ。
私は、今後は、ひろゆきさんも言われたように、大き目のペットボトルの水を買って、何日にも分けて飲み、コーヒーが飲みたいなら、紙コップとスティックコーヒーを用意して、会社でお湯をもらおう。

私の場合、初音ミクさんのブルーレイやCDは大いに買わなければならないが、そのために精一杯倹約するという目標になるので、それは素晴らしいことだ。
やはりミクさんは天使である。
また、勉強のためのお金は、無駄なものまで買ってはならないが、投資と思って、必要なものには十分に使うべきだろう。
私の場合、初音ミクさんのブルーレイを見たり、音楽を聴くことは、至高の勉強・・・いや、勉強以上なのである。
しかし、初音ミクさんのフィギュアは・・・3つしか持っていない(笑)。
まあ、雪ミクのミニチュア(下に紹介したもののもっと小さいやつ。今は販売していない様子)や、CDやブルーレイのおまけであるので許されると思う。









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なぜ小銭を貯めると金持ちになるのか

昔読んだ、臨済宗の僧侶、尾関宗園(おぜきそうえん)さんの本の中に、「小銭を貯めれば、確実に金持ちになれる」と書いてあったのを、印象深く覚えている。
もちろん、理屈の上では、小銭を貯めても、いつまで経っても金持ちにはなれない。
尾関さんは、なぜ小銭を貯めれば金持ちになるのかの理由を、少しは書いていたように思うが、それは覚えていないし、どの本に書いてあったのかも忘れてしまった。

ところが、「カモの法則」でよくご紹介するメンタルトレーナーの西田文郎さんの『面白いほど成功するツキの大原則』という本に、西田さんは20代の頃、タバコはもらいタバコですませて自分では買わず、飲みに行く時はサイフを持たずに行き、上司や先輩にゴマをすっておごってもらっていたと書いている。
30代でそんなことをすれば、ちょっとみっともないが、20代なら許されるので、若い時はお金を貯め易いと言う。
そして、西田さんは、お金持ちになっても、倹約は続けているのだろう。
西田さんは、「お金を貯める最大の秘訣は使わないこと」と言う。

また、2ちゃんねる掲示板を作ったひろゆきさん(西村博之さん。「ひろゆき」で通っている)は、お金持ち(多分、超お金持ち)だが、月に3万円も使わず、外食をせず、服も買わないので、預金は増える一方と言う。
110円の缶ジュースを買うのがもったいなく、喉が渇いても、ちょっと我慢したら、飲み物は家にもあるし、出先でも出るので買わないと言う。

私も出費は少ない方だと思うが、西田さんやひろゆきさんには負ける。つまり、それが私が、彼らのように金持ちでない理由だ。
お金は単なる物質ではなく、むしろ、エネルギーと言った方が正しいと思う。
倹約する、ケチに徹するということは、お金を大事にするということであり、その「大事にする」という意思が、お金のエネルギーを集め、そして、お金として実体化するのだと思う。
そう考えれば、尾関さんの言われることが納得出来る。

ところで、私は24歳で初めてサラリーマンになったのだが、勤務先は、従業員十数名の小さな小さな零細企業だった。
ある朝、出勤の時、10歳以上年長の2人の先輩に出会った。
私は早い時間に出勤していたが、その人達は、そんなに早い時間には出勤していないはずだった。
すると、彼らは、裏通りにある、若くてきれいな女性がやっている喫茶店に連れて行ってくれた。
そこで彼らは毎朝、ゆったりと座って、モーニングサービスを食べているのだった。
その会社は、小さい上に儲かっておらず、はっきり言って給料は非常に安い。
この2人の先輩達は、30代後半になっても、そんな会社で役職にすら就いていない。
何かの折に、その片方の人から、年収が300万円もないと聞いたことがあった(私もなかったが)。
それでありながら、毎朝300円も払ってモーニングサービスを平気で食べるところが、彼らが失敗人生を歩んでいる理由に違いない。

私は6年ほど前に、1日1食の粗食を始めてから、かなり倹約するようになり、それで確かに預金額が増えてきた。
だが、最近、ちょっとサイフの紐が緩んでいる。
再びケチに徹するというか、お金を大切にしようと思う。
それに気付かせてくれたのは、天の計らいだろう。ありがたいし、ツイている。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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