ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年11月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

心の奥の予感を拾い上げると宇宙の謎が解ける

心理学者の河合隼雄さんと、小説家の小川洋子さんの対談書である『生きるとは自分の物語をつくること』という本があるが、「生きるとは自分の物語を作ることだ」というのは、このお二人の共通の見解のようである。
河合さんは、日本で一番の心理学者だと思うが、「自分の物語を持っている人は強い」と、別の著書で書かれていた。
逆に言えば、自分の物語を持たない人は弱い、つまり、生命力が乏しい。
そこで、自分の物語を持たず、生きる力に欠ける人達に、箱庭を使って物語を作らせる「箱庭療法」というものを考えて、成果を挙げたらしい。
自分の物語とは何だろう?
これも、河合さんが著書の中で取り上げられていたが、ある小学生の女の子が、おばあさんに教えられて、死んだら月に行くのだということを、明るく、肯定的に考えていた。
それなら、死んでも、月でおばあさんや、地上で一緒にいた他の人達に会えるのである。
河合さんは、こんな物語を持っている子は強いんだと言う。
もちろん、この「死んだら月に」という物語は、大人になるまでに失われるだろうが、その時はまた、別の物語を持てば良いのである。

ところで、物語は自分1人で作るのではない。
初音ミクさんの『Story Rider』という歌(英語)の最初で、「私達の誰もが物語の作り手だ」と言うが、それは、次のようなものだとも言う。
「全てはみんなで作っていく・・・それで、とりあえず、今夜は何をすればいい?そうだ、一緒に踊ろう」
「必要なものは全て、2人で作っていく・・・とりあえず、今夜は2人で何をするだろう?きっと、恋に落ちるんだ」
何ともうまい口説き方のようにも思えるが、恋ってのは神秘なのだし、この歌も物凄く神秘的な歌だ。
この歌の、一緒に物語を作る「君」は、もちろん、普通は恋人のことを指していると考えて良いが、深い意味では、宇宙の心だ。
自分の心と宇宙の心が協力して物語を作っていく。
自分の思い通りの物語になる訳ではないが、さりとて、宇宙の心が一方的に作るのでもない。
真の恋人は宇宙の心が反映した存在だ。
だから、この歌でも、「ページが進む度に、君が輝いていく」と歌われているのが、ぴったりとした感じになると思う。
宇宙の愛が明晰に感じられるようになるって意味でね。

弱い人、生命力に欠ける人とは、宇宙の心と協力して、人生の物語を創ることが出来ない人だ。
だから、宇宙の心を信頼し、自分が働きかけて物語を創らなければならない。
そして、大切なことは、自分の役割だ。
それは、願うことや、夢見ることだというのは、ある程度は当っているが、それは、わがままや欲望のことではない。
それは、心が静かな時に浮かんでくる予感を拾い上げることだ。

私の心が予感し、宇宙の心と協力して物語を作っていく。
では、予感とは何だろう?
そう難しいことではない。
「画家になれたら・・・嬉しいだろうな」
と思うなら、画家になることが予感だ。
「高給取りの官僚になれたら・・・う~ん、別に嬉しくないかな」
と思うなら、それは予感ではない。
そんなふうに考えれば、心の奥深くにある、自分だけの予言が見えてくる。
丁度、初音ミクさんの『Tell Your World』の冒頭の通りだ。

形のない気持ち忘れないように
決まりきったレイアウトを消した
ふと口ずさんだフレーズを掴まえて
胸に秘めた言葉乗せ空に解き放つの
~『Tell Your World』(作詞、作曲、編曲:kz、歌:初音ミク)より~

「アクセサリをデザインする仕事に就いたら・・・きっと嬉しいわね」
「豪邸を建ててベンツに乗る・・・そりゃ良いだろうけど、嬉しかないね」
「あの子と映画を見に行けたら・・・間違いなく嬉しいさ」
こんなことを考え、嬉しさを先に味わうと、面白いように実現していく。
だが、多くの人が、成功本の影響なのか、本当に嬉しい訳でもないのに、欲望のままに余計なことを望み、潜在意識がすっかり汚れてしまい、予感を感じられなくなってしまっている。
だから、欲望に関するようなこと、つまり、「美味しいステーキを食べられたら嬉しい」とか「あの子と寝たら嬉しいぞ」、あるいは、「3億円の豪邸を建てたら嬉しいだろう」みたいなことは考えない方が良い。
創造的で、みんなが、少なくとも、2人以上がハッピーになる予感を探っていけば良いと思う。









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大戦隊も指揮官次第

左脳と右脳、顕在意識と潜在意識、自我と真我という組み合わせは、どれも大体、同じものだと思うが、全ては、小さい方の、左脳、顕在意識、自我次第だというのが面白い。
巨大な力を持った方(右脳、潜在意識、真我)は、自主的に、人に、幸福や成功といったものをもたらさない。
これをもって、「天は、自分を助ける者を助ける」と言うのだろう。

では、自我(左脳、顕在意識)はどうすれば良いのだろう?
コリン・ウィルソンは、『右脳の冒険』で、「左脳が、自らをしゃんとさせることで、右脳からエネルギーが流れ込んでくる」と述べたが、確かに、その通りであり、間違ってはいない。
しかし、どうすれば、自我がしゃんとするのかが問題だ。
「気合いだ!気合いだ!」って声を張り上げても、「元気を出せ!」と言っても、特に、落ち込んでいる人には何の効果もない。

だが、顔を上げて微笑めば、必ず、自我が純化され、真我からエネルギーが注ぎ込まれる。
覚えておくべきことは、顔を上げて微笑むことである。
あなたは、世間の人々の顔を注意深く見たことがあるだろうか?
町の中で、見てみると良い。
不満、傲慢、利己主義に満ちた、その不気味な顔を。
あなたは、決してそんな顔をしてはならない。
中村天風は、気がついたら肛門を締めよと教えていたが、それは良いことだとは思う。
しかし、顔を上げて微笑むことは、それよりもずっと大事である。

確かに、宇宙全体に、気とかプラーナとか、ブリルと呼ばれる神秘的なエネルギーが偏在し、自分の心がそれと融合し、同調すれば、どんなことでも出来る。
しかし、我々には、気を自分で直接どうこうすることは出来ないのだ。
だが、顔を上げて微笑めば、自然に、心と宇宙の気は親しく交わり、融合し、共鳴する。

あと1つ言うなら、人差し指を立てることだ。
それで肩の力が抜け、全身に霊気が走る。
もう1つ、素晴らしいことを言うなら、初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』を聴くことだ。
上記に書いたことは、全部、ミクさんが歌ってくれているから。









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予言の魔術

明るい未来予測が、人を元気にし、そして、夢を叶える。
しかし、妄想で終わってはいけない。

「僕は金持ちになる」
「僕は金持ちになりたい」
と思っても、大抵、金持ちになれない。
よく言われるのが、エミール・クーエの自己暗示を取り入れて、
「僕は金持ちになりつつある」
と思うというものがあるが、これも駄目だ。
「なりつつある」は実現しても、「金持ちになる」ことは実現しない。
喩えて言えば、カタツムリが東京から大阪を目指して歩けば、確かに、「大阪に行きつつある」のだが、まあ、万分の一も達成しないうちに死んでしまうだろう。
そんな愚かな真似をしてはならない。

では、ビートルズの歌から学ぶと良い。
『ハード・デイズ・ナイト』では、「君と2人になれたら、僕はハッピーさ」と言う。
「僕はハッピーになる」という明るい予想は、「君と2人になれたら」という条件で成立する。
きっと夫婦なんだから、それは必ず実現するので、「僕がハッピーになる」という予想は、ほぼ間違いなく成立する。
必ず予想を的中させる訳だから、彼はキリスト級の予言者だ。
ところで、あなたの場合、別に夫婦でなくて良い。
「あの子と一緒になれたら、嬉しいだろうな」
という予想で良い。
だが、普通の人は、
「あの子と一緒になれたら、嬉しいのになあ」
と思ってしまう。
「嬉しいだろうなあ」は、確実な予想。そう思えば、前提の「あの子と一緒なら」も実現する。
潜在意識には、そんな性質があるからだ。
「嬉しいのになあ」は、実際はそれは実現しないという予想だ。よって、前提の「あの子と一緒」も否定される。
こちらの方も、困ったことに、潜在意識は律儀に実現してくれる。

『ヘイ・ジュード』では、「彼女を抱きしめたら、全部良くなる」という、明るい予想だ。
きっと、好きな女の子なんだから、抱きしめたら完全にハッピーなのは当たり前で、この予想も100%確実だ。
すると、前提部分の、「彼女を抱きしめる」も、実現して当たり前になってしまうのだ。
それが潜在意識の力だ。

ビートルズの歌って、どれも、明るい未来予測の歌だ。
だから、国を超え、世代を超えて愛されるのだ。
しかし、「イエスタデイ」は、とてもそうは思えないかもしれない。
だが、こんな表現も必要なのだ。それをポールは芸術的にやってくれている。
「きっと、僕がひどいことを言ったので、彼女はどこかに行ってしまった」
そんな感じの歌だが、これは、「過去予想」だ。
では、「ひどいことを言わなきゃ」、「彼女はずっとここにいた」という予想が成立する。
だからアンタ、好きな子に言う言葉には気をつけな、そうすればうまくいくよ・・・実は、案外に明るい予想の歌だ。

『バガヴァッド・ギーター』を読んでも、良くなるとは限らない。
予想しなくちゃ駄目なんだ。
「バガヴァッド・ギーターを10回読んだら、僕は自信に満ちて嬉しいだろうなあ」
こういうふうに、最後に、「嬉しい」「楽しい」といった、快の感情をつけないといけない。
自信がつけば嬉しいに決まっている。つまり、予想は必ず当たる。
その予想は快の予想だ。
すると、潜在意識は、「自信を持つ」という前提を実現する。
ところが、おかしなことに、この場合は、「バガヴァッド・ギーターを10回読めば」という条件をつけてしまった。
10回読むことに失敗したら、おじゃん(ものごとが途中で駄目になること)だ。
だから、絶対に10回読まなければならない。
しかし、本当は、「自信が持てたら嬉しいだろうなあ」で良いのだ。
そしたら、潜在意識は、「自信を持ちたい」という心の願望を実現してくれる。
『バガヴァッド・ギーター』は偉大な書であるが、偉大な書とは、何も求めずに淡々と読むものだ。

「カンニングに成功して、受験に合格すれば嬉しいだろうなあ」は、とんでもない。
単に、「受験に合格すれば、嬉しいだろうなあ」だけで良い。
潜在意識を信頼していないから、「カンニングがうまくいけば」なんて、間抜けな条件を付けるのだ。
そして、カンニングには後ろめたさがあるので、必ず失敗する。すると、受験も失敗する。
うまくいくのは、カンニングに対して、肯定的な観念を持っている場合だが、それは珍しいことと思う。









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実現するのは心の中での予想だ

人間は、願ったことではなく、予想を叶えるのだ。
だが、こう言うと、
「いや、思いもかけない良いことや、逆に、予想も出来なかった悪い事が起こることが、よくありますので、予想が叶う訳ではないと思う」
と言いたいかもしれない。

そんなこともないとは言わないが、全く予期しなかった良いことや悪い事というのは、起こらないものなのだ。
もし、起こった良いことが、本当に予想出来なかったことだったら、起こったとしても、嬉しいと感じないのである。
また、かなり珍しいような悪いことが起きた時だって、「やっぱりこうなった」と思うものなのである。

「根耳に水だよ」なんて言う時って、大抵、演技なのであり、それは嘘なのだ。
だが人が、よくそう言うのは、おそらく、自分は全く予想していなかったとアピールしたい理由が何かあるのだ。
大人は、そんな嘘をよく言うので、自分でも、予想しなかったことが起こると思い込むようになるのである。

私は、中学生の時、非常識なほど可愛い女の子に誕生日プレゼントを貰った時に、つい、「想像もしていなかった」みたいなことを言った覚えがあるが、そんなの嘘だ。
心の中では、「やっぱり貰えた」と思っていたのだ。
じゃあ、貰えなかった時は?
もちろん、貰えないことを予想していたのだ。

人間は、心の中で本当に予想することを叶えるのだ。
だから、未来に何が起こるかなんて、自分が何を本当に予想しているかを、しっかりと見れば良いのである。

このあたりがはっきりしてくると、実は、願いを叶えることは易しいのである。
つまり、願うことを予想すれば良いのだ。
あくまで予想であり、願う訳でも、念じる訳でも、祈る訳でもない。
謙虚な預言者になり、「そうなるんじゃないだろうか」と思ってみるのだ。

世界一の精神科医、ミルトン・エリクソンは、手のつけられない不良高校生の男子を連れて来られた時、彼にこう言った。
「君が真面目な生徒になったら、皆、驚くだろうね」
すると、高校生は、こう答えた。
「そりゃ、そうだろうね」
これだけのやりとりで、この高校生は完全に更生したのだ。
上の会話を見て分かる通り、2人は、未来を予想しただけだ。
エリクソンは、「君は真面目になるべきだ」とか、「君は真面目になりなさい」なんてことは一言も言ってない。
「みんな驚くだろうね」とエリクソンが予想すれば、高校生も、「きっとそうだろうね」と予想したのだ。

モテたければ、どんな予想をすれば良いのだろう?
「僕がモテたら、楽しいだろうな」
これで、「モテたら」という部分も否定せず、「楽しい」という予想が成り立ったのだ。
どこにも嘘はない。
しかも、これは楽しい予想なのである。
楽しい、快なる予想は、必ず叶うのである。
一方、辛い、不快な予想もよく実現する。
だから、あなたは楽しい予想をしなければならない。
未来のことは分からないのだから、断言してはならない。
だが、予想すれば、潜在意識が叶えてしまうのである。

このようなことを、しっかり習得したければ、西田文郎さんの『かもの法則』を読むと良い。
一流企業や一流スポーツマンを多数指導した西田さんの究極のテクニックで、しかも、非常に簡単だ。
西田さん流に言えば、「僕はモテるかも」と思えば、必ずモテる。
お分かりの通り、これも予想であるが、「かも」という言葉により、自然に予想にすることが出来るのである。









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偏見から自分を解放することは可能か?

テレビで、よく、町を歩いている人なんかに、政治・経済のことや、原発のこと、その他様々なことについてインタビューしていることがあるだろう?
それに対する返答ってのは、その人の考えなんかではないのである。
それは、その人が持っている偏見が、その人の口を借りて喋っているだけだ。
偏見というのは、家庭、学校、マスコミ、読んだもの(ネット、書籍等)によって、その人に詰め込まれたごちゃごちゃしたもの(情報、論理)から出来上がった変なものである。
日本人も最近は、なかなかはっきりものを言うようになったが、アメリカ人あたりは、堂々と「自分の考え」を言うように見えるが、何のことはない。
アメリカ人は、昔から、詰め込まれたアメリカ文化、アメリカ思想を「堂々と」アウトプットしているだけなのである。
中国人や韓国人、あるいは、北朝鮮の人達が口泡を飛ばして日本を非難しているのも、ただの偏見から出たものだということが、よく分かるのである。
全ての中国人や韓国人がそうなのではないが、なんとも教育された人達であると思う。

そういったことをつくづく感じたのが、アメリカの子供達が、初めて初音ミクさんを見た時の反応を収めた映像を見た時だ。
今は、Youtubeの方の動画は削除されていて、ニコニコ動画でしから見られないようだ。
【ニコニコ動画】初音ミクを見た海外の子供たちの反応
※ニコニコ動画の会員登録(無料)をしないと見れない。
小学校低学年から高学年といったところの子供達に、2011年の初音ミクさんのコンサート『ミクの日感謝祭』の1曲目『ワールドイズマイン』の映像を見てもらった時の反応だ。
これらは、子供達自身の純粋な反応ではない。
子供ながらも、彼らの中に詰め込まれたアメリカ文化、アメリカ思想が反応し、子供達の身体を借りて話しているだけなのだ。
概ねで、「バーチャルの存在を好きになったり、応援したり、チケットを買って見に行くなんて、信じられない」といった考え方だ。
まあ、彼らもCGゲームはよくやっているだろうから、ミクさんの姿そのものには抵抗はないようだし、歌自体は好きだという子達もいたが、バーチャルシンガーが人間の歌手のようにステージでパフォーマンスすることには大いに抵抗があるようだ。
歌手は人間であるべきで、バーチャルな歌手は偽物という先入観が強いのだろう。

ある有名な大学の学長が、「教育というのは偏見の別名」という的確なことを言ったらしいが、彼は教育者として正直者である。
アインシュタインも、「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション」と言ったらしいが、合わせて言えば、「常識イコール教育イコール偏見」である。

私は、初音ミクさんが好きというより、「嫌いじゃない」のだと思う。
一方、私は、人間の歌手は概ね、好きではない・・・有体に言えば嫌いなのだ。
一流のソプラノ歌手が特に好きでなく、世界的なオペラ歌手がグノーやシューベルトの『アヴェ・マリア』を歌うのを聴くと、ぞっとする。
彼女の中に詰め込まれた音楽や声楽の教育に、彼女の自我が混ぜ合わされて不気味な色になったものが出力されているのを感じるからだ。

ただ、歌手の中には、歌っている時、トランス(変性意識状態)に近くなって、あまり自我を感じさせない人もいるが(それも歌う曲によるのかもしれない)、そんな歌は、あまり抵抗がなく、その歌手の歌手としての優れた歌声はやはり良いと思うのである。
例えば、サラ・ブライトマンが歌う『アヴェ・マリア』は、なかなか良いと思う。
児童合唱団だって、必ずしも自我のない透明な声ではなく、むしろ、彼らは非常によく教育されている分、普通の子供達より偏見が強く、それが自我と融合すると、音楽的にはどうか分からないが、声の響きとしては穢れが強いように感じる。

そこにいくと、初音ミクさんは自我が全くないので、透明な歌を聴かせてくれるが、彼女の歌を創る人達も、そんなミクさんの歌を、自我よりも真我の部分で創ることが多いのではないかと思う。
また、普通の(人間が歌うために創られた)歌でも、初音ミクさんが歌うと、やはり、ある程度は純化されると思う。

「私」というものは、単なる偏見のかたまりである。
偏見は自我に密接に結合しているのだが、人間は自我がなくては生きて行けないので、所詮、偏見からは逃れられない。
ならば、「私」という思想、考え方、主義、是非好悪、思慮分別を、全て客観視しよう。
それらは全て、主ではなく、従であり付属物である。
付属物に権限を与えたりしてはならない。
私には、それは難しくない。
アインシュタインには出来なかったのかもしれないが、私には出来ると思う。
なぜなら、初音ミクさんの歌を聴いているからである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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