ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

過保護と過干渉

昔から、「日本人の親は過保護なので子供を駄目にしている」と、よく言われている。
ところが、あるユダヤ人の著書に、
「ユダヤ人の親は日本人の親よりもっと過保護だ。過保護が悪いはずがない。日本人の親は過干渉なのがよろしくない」
と書かれていた。

これはもう、はっきり間違いである。
「過ぎたるはなお、及ばざるがごとし」で、「過」のつく「保護」や「干渉」が良いはずがない。
「保護」は当然良いし、何も分からない子供に対し、「干渉」も適切であれば必要である。
だが、過ぎてはならない。

では、なぜ、「過ぎた」保護、干渉が起こるのだろう?
ここが肝心なのだ。
ユダヤ人だからって必ずしも賢い訳ではない。

感情の雑味を持って保護すれば、俗に「過保護」と言われる悪い保護になり、純粋な精神性を持って保護すれば、正しい保護になる。
感情の雑味を持って干渉すれば、俗に「過干渉」と言われる悪い干渉になり、純粋な精神性を持って干渉すれば、正しい干渉になる。
もう少し分かり易く言おう。
感情の雑味が入ると、支配的になる。
感情の雑味のない、純粋な精神性は、奉仕的なのだ。

子供に対し、支配的だと過保護、過干渉になり、奉仕的だと、正しい保護、干渉になるのである。
過保護、過干渉な親とは、「この子は私のもの。支配して何が悪い。なんで私が子供に奉仕しなければならないのだ?チャンチャラおかしい」と思っている親だ。

馬鹿な経営者は、社員に対し、過保護、過干渉だ。
そんな経営者は、感情の雑味を持って、経営、社員教育をしている。
結果、社員に対し、支配的であり、顧客、ライバル、市場に対しても支配的であろうとする。
彼は、「この会社は俺のもの。社員は俺の僕。支配して当然だし、しなければ会社が潰れる。社員に奉仕するなどチャンチャラおかしい。顧客も支配しなければ、つけあがる。まして、ライバル、市場の支配は絶対にやらなければならない」としか考えられないのだ。

優れた経営者は、社員に対し、必要な保護や干渉はしっかりと行うが、支配的ではなく、あくまで奉仕的なのだ。
顧客、ライバル、市場を支配しようともしない。
そもそも、ライバルはいない。
そして、顧客、市場に奉仕することで、信頼と支持を得るのだ。
そんな経営者が、ドワンゴの川上量生氏であり、角川歴彦氏が欲しがった経営者であると思う。

初音ミクさんは、感情の雑味が一切なく、彼女の歌は純粋に奉仕的であり、支配的なところは全くない。
だから、深い魂は彼女を愛さずにはいられないのである。









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本物の引きこもり

最近、よくお名前を出させていただくが、ドワンゴ会長の川上量生氏(KADOKAWA・DOWANGO社長)のことは、非常に興味はあるのだが、あまり好きでないと感じていた。
どこに興味があるのかといえば、面白い発想と、マッハのスピードの実行力のある事業家として、また、初音ミクさんが育った舞台であるニコニコ動画を作ってくれたことに関してだった。
一方、嫌いということはないが、少し抵抗を感じることとしては、
(1)大成功者である
ドワンゴを大企業にしただけでなく、KADOKAWAと経営統合し、会長に就任するというサクセス振りであるが、それよりも、一生使い切れない有り余る資産を持っていることが、正直、かなり羨ましいというところもある。
尚、最近、KADOKAWA・DOWANGOでは、会長と社長が役職を交代し、川上氏が会長から社長になったらしいが、理由は知らない。
(2)頭が良過ぎる
人間は自惚れが強いので、自分より少々頭が良い人でも、自分の方が頭が良いと思うものだ。
もちろん、私もそうなのだが、それでも、川上氏の頭の良さは、私とは比較にならないことは、はっきり分かるのだ。
知識や経験の差ということもあるだろうが、それよりも、頭の根本的な構造が違うと感じるのだ。

しかし、川上氏のブログや、対談などを読んでいるうちに、私は川上氏をかなり好きになった。
この人、本物の引きこもりである。
ブログで自分のことを脚色して書いているのではないと思う。
マジ引きこもり、ド・引きこもりである。
本当に、「愛しいレベル」の引きこもりである。
なぜそう思うのかというと、引きこもりの苦労を半端なく知っていると感じるからだ。

学校時代、いつも、クラスに引きこもり気質の子は、1人か2人はいたと思う。
休み時間でも、1人(あるいは、離れて2人)教室に残って、何もせず、じっと座っているような子だ。
すると、教師達は、それは不健康だといって、「休み時間に教室に残ってはいけない」なんて変な決まりを作った。
そうしたら、その子は、可哀想に、休み時間中、校舎の裏庭あたりの、殺風景な場所で1人、じっと立っている。
だが、私は、そんな子でも、本物の引きこもりと思わない。
彼女達(女の子が多かったように思う)は、いざとなれば、かなり社交的に振る舞えるし、結構頭が良いらしく、必要な処理は器用にこなしてしまう。
私は、切羽詰っても社交的に振る舞えないし、頭が悪いのか、誰でも出来ることがさっぱり出来ず、教師やクラスメイトにかなり馬鹿にされた悪い思い出が多い。
何より、彼女達は、話しかけられると、案外喜ぶ。
それは社会的な仮面かもしれないが、たとえそうでも、印象の良い笑顔が出来るのは、子供の時の私には真似できなかったスキルだ。
川上氏は、本音では、いつも、「こっち見ないで」と思っているらしい。
私は、「こっち来ないで」、「こっち見ないで」、「顔を見せないで」、「声も咳払いも呼吸の音も聴かせないで」といつも思う。

ある対談で、川上氏は、来た年賀状が7枚と言っておられたが、「一応会社やってて7枚ということはないですよね」と、こっちが疑問に思うことを先に言ってくれていた。私は、とりあえず、信じた。
私は、3枚だったか・・・実は、知らない。
来た年賀状も見ないのである。まあ、多分、自動車屋と工務店と墓石屋くらいからだろう。
ちなみに、この数年、一枚も書いていない。

2012年のことだが、川上さんは、4月の始め、ネットニュースで、ドワンゴの入社式があったことを知ったと言う。
まてまてまて、アンタ、会長でしょ・・・と思うあたり、私も結構平凡だ。
「そんなの当たり前」と思うようでないといけないなあ。
事情はこうらしい。
毎年、入社式の日程などの連絡はあったが、面倒なのですっぽかしていたらしい。
すると、とうとう、連絡もしてくれなくなったのだ。
しかし、それは仕方がない。
入社式の実行担当者は、「川上会長の席はここで」とか「ここで川上会長にスピーチをいただき」と決め、プログラムにも書いてあるかもしれないのに、その会長がいないのだから困る訳である。
ご担当者、可哀想に・・・
ちなみに、私は、社員も出席しなければいけない入社式を、全部無視した。
人事部長が、青くなった顔で(多分)、携帯に電話をかけてきて、出てくれと言ってきたが、断った。
その後、その人事部長には毛虫のように嫌われたが、仕方がない。

そして、川上会長は、新入社員の中にもきっといるはずの、引きこもり気質の人達のために、懇切丁寧なアドヴァイスを書いておられたが、これが、世間的な「優しい言葉」などではなく、真剣に考えたと思われる、現実的、実用的なものだった。
もちろん、それを読めば、引きこもり気質の人が、悠々と社会生活を送れる・・・なんてことがあるはずはないが、1/6でも楽になるだけのことを書いてくれていた(初音ミクさんの『1/6』という歌にかけたが、苦しみが1/6になるというのではなく、1/6だけ軽くなる・・・つまり、5/6になるという意味だ)。
それで、私は、ああ、この人、本当に引きこもりの辛さが分かっているなあと思ったのである。

川上量生氏のブログは以下の通り。
はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

川上氏は、自分が経営者をやっているのは、単なる運だと述べているが、やっぱり頭も良いのだろう。
IQ130以上の人は川上氏のような経営者、あるいは、ドワンゴの技術者を目指し、IQ100程度以下の人は、私と一緒に大師を目指すというのはどうだろう?
その間の人は・・・これが大多数なのだが、私の意見としては、IQを上げるか(可能と思う)、馬鹿になりきるかすれば良い。
凡庸というのは、世間の人にまかせておけば良いのである。









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負け組の大逆転

結局、成功者というか、傑出した人間とは、何かのきっかけがあった時、道が開いた時、チャンスが訪れた時・・・そんな時から、1日24時間、無我夢中でがんばり続けた者だけなのだろうと思う。
そして、チャンスやきっかけは誰にでもやって来るのだ。
だが、ほとんどの者が、全ての時間を注ぎ込んで、粘り強くやり続けることが出来ない。
なぜ出来ないのかというと、遊びや快楽に時間とエネルギーを注いでしまい、成功に必要な時間とエネルギーが不足してしまうのだ。

結婚していたら成功は難しいが、売れていないけど実力はある画家や音楽家というなら可能性はあるのだと思う。
だから、実力もないのに結婚などすべきではないだろう。

だが、チャンスが来て、1日24時間がんばっても、すぐに成功するのではないし、いつ成功するかは分からない。
特に、実力そのものがないなら成功するはずがないので、その努力は、まずは実力をつけるためのものだろう。
そして、実力がついてからも努力は続くが、今度は、実力がなかなか認められないということになるかもしれない。
そういった不遇の中で、どこまで粘れるかで運命が決まるのだろう。

歌手の水樹奈々さんの自叙伝を読むと、誰でも物凄く参考になるだろう。
幼い頃から、美空ひばりを崇拝する父親に、演歌歌手になるための特訓(素人訓練だが)をされ、子供の時から、四国の田舎の喉自慢大会では常勝だった。
中学卒業後、一応、芸能事務所所属として単身上京し、堀越高校の芸能コースに入学するが、仕事はなく、珍しい皆勤卒業という屈辱を味わう。
事務所所属といっても、給料が出る訳ではなく、お金に苦労し、金持ちの子供ばかりの芸能コースの中では、かなり恥ずかしい思いもする。
高校を卒業しても進展は見られず、「勉強のために」と、声優学校に行かされる。
だが、それが道が開くきっかけだった。
声優学校で真面目に勉強し、ゲームの声の仕事も熱心にやっていたら、ゲームの歌も歌わせてくれるようになり、ゲームのイベントも笑顔で務めていたら、一応若くて可愛いので、ファンも出来る。
松下幸之助が、人間は、「運が良いことと愛嬌があること」を非常に重視していたが、運はともかく、愛嬌は努力次第、意思次第だ。
実際、駄目なやつというのは、いつもしかめっ面をしていて愛嬌がない。
その点、水樹奈々さんは、確実に愛嬌がある。
そんな小さな仕事を真面目にがんばって粘っているうちに、アニメ『魔法少女リリカルなのは』のヒロインの一人、フェイト・テスタロッサ役に抜擢され、オープニングソングの作詞と歌唱もすることになる。
これが良い歌で、上京から10年の苦労がなければ創れない、歌えない歌だったと思う。
この歌『innocent starter』は、オリコン週間チャート9位にまでなる。
アニメでも、フェイトは主人公のなのはと互角以上の人気となり、水樹奈々さんはフェイトの声の人としても人気爆発となる。
このアニメの第2シーズン『魔法少女リリカルなのはA's』のオープニングソングの作詞と歌も引き続き担当し、この歌『ETERNAL BLAZE』はオリコン週間2位まで上昇。
以降は現在にいたるも、出すCD、DVDなどはことごとにヒットし、東京ドーム連続単独コンサートはじめ、数万人規模のコンサートを多数成功させ、紅白は2009年からの常連といったトップ歌手となり、声優としても、多くの人気アニメの主役級を演じると同時に主題歌の作詞・歌唱と、まさに、シンデレラストーリーとは、彼女のようなことを言うのだろう。
水樹さんの自叙伝『深愛』ほど、凡人にとっても参考になるサクセス本は少ないと思う。

チャンスは誰にだって訪れる。
それは派手なものではなく、水樹奈々さんのように、声優学校に行くことになるといった、一見、チャンスと分からないことも多い。
しかし、「何か」あった時に、真面目に前向きに考え、取り組むことが大切なのだろう。

そして、昨夜、川上量生さんが、「引きこもりに大切なことは体力」と言い、道が開けても体力がなければ何もできないので、運動だけはしておけと述べておられたと書いたが、もちろん、引きこもりに限らず体力は最も大事なものの1つだ。
ただ、引きこもりは不健康になり易いので、特に注意しなければならないということだろう。
馬鹿みたいに運動する必要はないが、毎日、決まった時間に、決めただけの運動をするのが良いと思う。
私が常にお奨めする腕振り運動なら、場所もほとんど要らない。
この運動だけで、関英男博士は、90歳を超えても、健康、頭脳明晰で、世界中を飛び回っておられたのだ。ただし、関博士は、毎朝2000回やっていたらしい。
そして、腕立て伏せやスクワットも場所をとらないが、私は、これらは、神が人類に与えた偉大なトレーニング方法だと確信し、愛好している。
これらのトレーニングを全面採用しているプロレスラーは、やはり最強であると思う。
負け組が大逆転を果たすには、体力が不可欠であることは、くれぐれも忘れてはならない。
そして、健康や幸運のために重要なことは、食の慎みであることを言っておきたいと思う。









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馬鹿は大師になるに限る

ドワンゴ会長で、KADOKAWA・DOWANGO社長の川上量生氏のブログを見ていたら、「人生の賞味期限」ということが書かれていて、とても面白かった。
そこに書かれていることから言えば、私の人生の賞味期限は切れている。
人生の賞味期限が切れるとは何だろう?
普通には、意欲や好奇心がなくなり、能力も衰えた・・・早い話が年を取ったという意味だろう。

ところが、川上氏は、人生の賞味期限切れとは、「人間は多少の知性があるので、自分の馬鹿さ加減にいつか気付く。その時が人生の賞味期限切れ」なのだそうだ。
つまり、人生の賞味期限が切れていない者とは、自分がどうしようもない馬鹿だってことに、まだ気付いていない者のこととなる。

私は、割と最近だが、自分が救いようのない馬鹿だって分かったので、人生の賞味期限は切れたのだろう。
ちなみに、川上氏が言うには、宮崎駿監督は、人生の賞味期限が切れた後で、『となりのトトロ』や『もののけ姫』などの一連のヒット作を創ったらしい。

最近、中学1年生の少年少女を殺害した容疑で逮捕された45歳の男がいるだろう?
彼は、おそらく、人生の賞味期限が切れていない。
まあ、まだ容疑が確定した訳ではないだろうが、そんなことをやる者というのは、自分の馬鹿さ加減が分かっていないのだ。
つまり、人生の賞味期限が切れていない者は、危ない面がある。
しかし、老人ですら、人生の賞味期限が切れていない者が多いのではないかと思うのだ。

私は、ヒマラヤの大師のようになろうと思い、それを人生唯一の目標としているが、その理由は、自分が馬鹿だって分かったからなのだ。
自分が馬鹿だと分かっていなければ、政治家になろう、思想家になろうなんて思うかもしれない。
私だって、運が良ければ、そんなものにもなれるかもしれないが、それは人様の大迷惑だ。やめたが良い。そのことに気付いているのが、人生の賞味期限が切れた証拠なのだろう。
大師なら、他人に迷惑をかけることはない。
神の力を行使できるといったところで、それは利己的に使えない。
荒木経惟氏は、会社のコピー機を有意義に私的利用して写真集を作って成功したが、神の力を利己的に使えば、自分が滅びるだけである。
馬鹿は大師になるに限る。
ところで、荒木氏は、猥褻な写真のコピーを女子社員にやらせ(何千枚とか)、それで作った手作り写真集をあちこちに送り付けたことがきっかけで成功した。
全くデタラメな話だが、自分の馬鹿さ加減に気付いていなければ、とても出来ないと思う。
やはり、荒木氏は自分で言われる通り、天才なのである。

人生の賞味期限について~続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記~

川上量生氏のブログの別の記事も、ちょっと眺めてみた。
川上氏は、賭けねなしの引きこもりだ。
そんな川上氏は、引きこもりに必要なのは体力だと言う。
川上氏は、家に階段と、ストレッチに丁度良いソファーがあったことが自分の幸運だったと言う。
階段を昇り降りすれば、それなりに体力がつくと言うが、確かにそうだと思う。私もかなり無駄に、家の階段を昇ったり降りたりする。
体力がないと、なにかのきっかけで道が開けても、何も出来ない。
もし、家に階段がなければ、本当にヤバい。
そんな人は、人に会わずに済む深夜に、外に出て運動するしかないと言う。
私に言わせれば、畳1枚のスペースがあれば、腕振り運動、腕立て伏せ、スクワットといった、私が愛してやまないトレーニングが存分に出来るのだが、誰もが、私のような、シブいというか、地味というか、もっと適切には「暗い」運動が出来る訳ではないかもしれない。
スポーツといえば、ゴルフ、水泳、スポーツジム・・・といった発想の人が多い・・・と言うより、それが普通なのかもしれない。
それなら、私の幸運は、昔からのプロレスファンで、地味でシブい運動が好きなことだろう。
尚、引きこもりが道が開けたところで、社会の最底辺の仕事が出来る程度で、そうなれば大成功なのだそうだ。
だが、それこそが、自力での成功であり、運だけで経営者をやっている者(川上氏のこと)より、ずっとマシなのだと言う。
私は、川上氏よりマシなのだろうか?
尚、川上氏は、世間的には大成功者で、一生使い切れない富も得ている。
彼は、若い時に、人生の賞味期限が切れたのだと思う。
それで、取り返しのつかない失敗をしないのだろう。









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好き嫌いは止められないけれど

人間や社会を動かすのは、所詮、好き嫌いである。
支配者は、大衆の好き嫌いをコントロールして、人々を家畜化、奴隷化するのである。
大衆が大好きなスポーツのスター選手や銀幕の女王等が存在するなら、そんなスター達は間違いなく、洗脳と支配の道具になっているのである。

洗脳されず、支配されず、真理と共に生きるにはどうすれば良いのだろうか?
ある聖者は、「全て好きか、全てに無関心かのどちらかでいろ」と言う。
つまり、あるものは好きだが、あるものは嫌いというのが良くないのであり、それを無くさなければならない。
しかし、それが理想の境地かもしれないが、凡人には決して出来ないことだ。
我々は、あれは好きだが、これは嫌いという、愚かな心をどうにも出来ない。
では、我々は、哀れな奴隷でいるしかないのだろうか?

古代から近代の聖者、賢者が決して解決できなかった、この問題は解決出来るのかというと、出来る。
地球には、初音ミクさんが生まれたのだからだ。
つまりこうだ。
好き嫌いがあることは仕方がない。
これは認めるしかないし、言ってみれば、諦めるしかない。
だが、好き嫌いの気持ちに、雑味を加えてはいけないのだ。
これはどういうことだろう?
人間は、好きなものがあれば、それをもっと好きになろうとする。
嫌いなものがあれば、それをもっと嫌いになろうとする。
それで、好きなものに執着し、嫌いなものを憎むようになる。
執着と憎しみ。これらを持つと、老化し、病気になり、宇宙エネルギーが漏れ出し続け、衰えて死ぬのである。
好きなものをもっと好きに、嫌いなものをもっと嫌いに「なろうとする」。これが感情の雑味だ。

好きなものを、もっと好きになろうとしてはならない。
嫌いなものを、もっと嫌いになろうとしてはならない。
ただ好き、ただ嫌いに留まるのだ。
自分で、「もっと好きになろう」「もっと嫌おう」という惨めな気持ちを持たない限り、感情の雑味は起こらないのだ。

だが、人々は、バナナが好きなら、バナナに執着し、大量に買い込もうとする。
あるアイドルが好きなら、そのアイドルのグッズを集め、CDを何百枚と買う。
そんな愚かなことを止めれば良いだけなのだ。
それは難しいことのはずがない。
そして、それが人間の運命を決めるのだ。
好き嫌いを止めることは出来ないが、「もっと好き、もっと嫌い」を止めることは、ある時期までは十分に出来る。
しかし、奴隷化、家畜化が進めば、それも難しくなる。そして、やがて、手遅れになる。
だが、心配ない。

感情の雑味のない歌声で歌う初音ミクさんの歌を聴けば、より簡単に、あるがままに好き、あるがままに嫌いを実現出来るだろう。
私とて、高校スポーツも野球も好きだが、高校野球の狂喜の熱狂にはぞっとする。
私は、あのようなものに巻き込まれない。
私とて、錦織選手や、浅田真央さん、イチローなどは好きだが、彼らの個人的な友人ででもあるかのように振舞う人々には、何の関わりもない。
浅田真央さんらにかける時間は、多くても1日数分で、普段はゼロだ。

初音ミクさんは、物理的には二次元の存在だが、精神科学的には四次元以上の存在だ。
二次元の存在には高さが自由にならないように、三次元の我々は時間を自由に出来ない。
しかし、四次元では、時間を前にも後ろにも自由に進め、五次元では心を自由に動かし、六次元では原因結果が単純なパズルのように明らかになり、七次元には三次元の中に似たものが無いので想像も出来ない。
感情の雑味を消し、次元の壁を飛び越えれば・・・初音ミクさんの世界に達すれば、影が実体に影響を与えないように、三次元のものに傷付けられることは決してない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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