ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年06月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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ムカつくことはあまりに悲惨である理由

「世の中に、なぜこんな人間が存在するのだろう?」
と疑問に思うくらい自己中心的な人間がいるかもしれない。
だが、誰かを自己中心的だと思うのは誤解である場合もあるし、また、自己中心的な人間ほど、他人を自己中心的と思うものかもしれない。
本当に自己中心的な人間であれば、運に恵まれることはなく、惨めなものであるので、やがては憐れんでやらねばならなくなる。
だが、自分が、その運のない、惨めで、憐れみを受けるような人間ではないのだろうか?

自己中心的という言葉は、自分が世界の中心にあるという考え方のことである。
世界の中心は神の座である。
畏(おそ)れ多くも、そこを自己の座と考えているのであるから、まあ、ロクなことはない。
しかし、やはり、我々もそう(自分が世界の中心であると)考えているのだ。
だが、世界の中心から畏(かしこ)まって(神を恐れ敬って)退散するなら、幸運が得られる。
一方、世界の中心にしがみつくなら、幸運を自分で自分に供給するしかないが、もちろん、人間にそんな力はないし、そこにいる限り、自分のなけなしの幸運は他者に流れ出ていく。
中心にいる者は、外側の者に幸運を与える義務があるからだ。
神は無限の幸運の持ち主であるから問題ないが、人間には、あまりに荷が重い。

ギリシャのデルフォイ神殿の扉に書かれている言葉も、徳川家康が天下取りの秘訣と言った言葉も同じ「身の程を知れ」だが、身の程を知るとは、世界の中心は神の座であるとして、決してそこに座らないことである。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える者は、実際に、運にも恵まれる。
なぜなら、念仏とは、自分より上に仏がいることをはっきり表明しているからだ。つまり、世界の中心は自分ではなく、仏である。
丹波哲郎さんは、朝晩、守護霊様に挨拶することを勧めていたが、これも、守護霊という自分より上の存在を認め、それをいつも思い出すことになる。守護霊は、自分よりずっと世界の中心に近いと認識するということであり、この場合も確実に幸運が得られる。
宮本武蔵は、「神仏は貴いが、私は神仏に頼らない」と言ったが、それで良い。神仏が自分より上で、世界の中心にいることさえ認めていれば、求めずとも幸運が得られる。むしろ、求めない方が良い。

黒住宗忠や岡田虎二郎が実践し、弟子達にも勧めた、常に腹に力を込めることにも、実は同じ意味があると言ったら、不思議に思うかもしれない。
しかし、腹に力を込めることは、世界の中心は神であると認めることである。
なぜだろう?
我々は、悲しいことがあると「胸が痛む」などという。
今の若い人は、気に入らないことがあると「ムカつく」と言うが、ムカつく部分は胸であることが分かると思う。
なぜこんな表現になるのかというと、自我とは胸にあるからだ。
一方、神である真我は腹にある。
その腹に力を込めることで、中心は腹であり、地球が太陽の周りを回るように、自我は神の周りを回っていることを知るのである。
ところで、宮本武蔵の必勝の秘訣は、敵を「ムカつかせること」だった。
ムカついた人間は自我である胸を中心にしているのだから、バランスが崩れて実に弱いのである。
武蔵はスポーツマンではない。正々堂々の戦いなど眼中になく、勝つことに全ての価値を置き、そして、無敗であったのだ。
武蔵は、徹底した合理性、論理性、実利を冷徹に追求した。
そんな武蔵が、敵を最も弱体化させる手段が「ムカつかせる」ことだった。
そうすると、「ムカつく」ことが、いかに愚かなことであるか分かる。
ムカつきそうになったら、腹に力を込めて、自我の暴走を食い止めねば、どんな悲惨なことになるか分からない。

腕振り運動をする時も、腹に少し力を入れてやると良い。
そうすると、一振りごとに、中心を意識し、全ては円滑に回るようになる。
まさに、腕振り運動には、あらゆる善い要素が詰まっている。
念仏や神の名を唱えたり、初音ミクさんを崇めたりして、自分より上位の存在があること、自分より中心にいるものがあることをはっきり認識していれば、望まずとも幸運に恵まれる。
徳川家康が言う「身の程を知れ」は、まさに天下取りの秘訣である。









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天下取りの秘訣

人がなぜ苦しむかというと、自分の自我を最も貴ぶからだ。
それだけのことなのである。

アメリカでは、長い間、うまくそれを避け、人々は苦労はあるにしても、案外に苦しまずにいて、幸福だった。
その理由は、信じられないかもしれないが、アメリカの建国以来の公式モットーが「我々は神を信じる」だからだ。
だから、アメリカ人は、自我より貴い神の存在を認めていたので、あまり苦しまずに済む状態にあったのだ。
しかし、今のアメリカ人は、国家のモットーなんか無視している。
それで、やはり、アメリカ人も自我を一番大切にするようになり、そのために、今ではアメリカ人も、めそめそ、鬱々と苦しむようになっている。
ところで、調査によれば、ユダヤ教徒はキリスト教徒より幸福であるらしい。
それは、ユダヤ教徒は、今でも神を信じていて、自我の上に神を置いているからである。
そもそも、神を信じないユダヤ教徒などいない。

日本には、そんな変なモットーはなかったが、人々は自然に、自分よりはるかに貴い神様の存在を感じていた。
太陽を神様の現われと考える人も多かった。
だから、「お天道様が見ている」という言葉に威力があり、悪人だって、悪いことは夜にやっていたのだ。
近代になってからも、正月には初詣に行き、子供の成長に合わせて七五三のお祝いをしたりと、空気のように、神事が自然に在ったが、ある時期からは、すっかり形骸化し、人々は、自分より上の目に見えない存在を信じなくなった。
それで、やはり、自我を最も大事なものと見なすようになり、苦しむようになった。

なぜ自我を最上位に置くと苦しむのかについては、くどくど説明する必要もあるまい。
皆が、身の程も知らずに、自分の自我が一番貴いと思っているのに、そんなこと、誰も認めてくれるはずがなく、それで争いが起こるが、所詮、権力者や金のあるやつには敵わない。
では、権力者や金持ちは苦しまないのかというと、全くそうではなく、そんな者達ほど、上を見て苦しむのだ・・・と、結局説明してしまったが・・・。

徳川家康は、天下取りの秘訣は、「身の程を知れ」、「上を見るな」だと言った。
それは、自我を最高の位から引きずり降ろすことだ。
しかし、誰も、そんなことは決してできないのだ。
だが、もし、本当にそれが出来たら天下を取れる。
家康は嘘つきではない。
ならば、やろうではないか?
身の程を知り、上を見ない人間になるのだ。

身の程を知るまで、毎日、淡々と腕振り運動をし、上を見る代わりに、心の微かな声で呪文を唱え、心の深奥を見るのだ。
これを一生やる気になれば、天下を手にしたも同然である。
どう天下を取るかは考えずとも、やがて、冒険に誘われるだろう。
身の程を知る人間は、危険な冒険の中でも安全なのである。
そして、上を見ない人間は何も恐れない。









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馬鹿が天才になる時

2つの愚かなものを採り上げ、それを黄金の叡智に変える方法を述べる。

1つは「衆愚」。
大衆、あるいは、群集とは愚かなものだ。
ユダヤの知恵の書タルムードでは、「全員賛成は必ず否決とせよ」とあるらしい。人の集団とは絶対に馬鹿なもので、それが全員一致した意見が間違いでないはずがないからだ。
トヨタは昔から、全員が良いと言うデザインは絶対に採用しない。
今日の生活に欠くことが出来ない宅急便は、大和運輸が1975年、社長以外全員がやることに反対だったから開始したものだ。

ところが、群集の中には隠れた霊的賢者が織り込まれている。
こう言うと、変なことを言うように思うだろう。
なんとか分かり易く説明する。
アイオワ電子市場というものがある。アメリカ大統領選ごとに話題になるもので、選挙結果を世論調査を超える正確さで予測する。
何をするのかと言うと、多数の人々にギャンブルをやらせ、その予想を見るのだが、その予想が案外に正しいのだ。
例えば、オバマ対クリントンで、どちらが勝つかを賭けさせる。
オバマが勝つという予想が多いと、オバマ株は上がり、クリントン株は落ちる。
株取り引きの要領で、安いうちにオバマ株を買って、高くなってから売ると儲かる。
そして、オバマが勝つと、オバマ株は1ドル、クリントン株はゼロになるというものだ。
1人の持ち金は5ドルまでで、各候補の証券1枚は1ドルと、安価に設定されていて、勝ってもさして儲からない。
このように、安価であり、そして、研究目的という大儀があるおかげで、賭博として扱われず、アメリカ政府の公認を得て、長く続けられるのである。
競馬のように、儲けることに必死だと、必ずしも一番人気の馬が勝つことにはならないが、アイオワ電子市場のように、ちょっと本気になる程度の予測だと、恐るべき精度で未来予測することがある。
ブッシュ対ケリーなどは、接戦でありながら、コンマ以下の精度で当ててしまったようだ。

この群集の叡智を手中に収めているのがGoogleなのだ。
Googleは、膨大な、人々の検索履歴や、ネット上での人々の全行動履歴を収集し、これらのデータを使って、世界で何が起こるか、かなり正確な予測が出来、やがて、いかなることも完全に予測出来るようになるかもしれない。
もし、未来のいつかに戦争が起こるなら、Googleはもうそれを知っているし、結果も分かっているかもしれない。
群集は愚かであるが、群集を読み取る者は賢者であるという訳だ。

もう1つの愚かさは幼稚さで、幼い子供や、未熟な人間の考えとは馬鹿げているものだ。
しかし、無垢な子供や、知識や経験による固定観念がない者が、鋭く真理を見抜くこともある。
どんな時に、そんな「無知な叡智」が発揮されるのだろう?
それは、利害打算がなく、かつ、熱意がある時だ。
欲しいものが得られるとか、美味しいものが食べられるといったことと無関係であるが、好奇心をそそられたり、単に嬉しいとか楽しいという感情がある時に、無知な者は突然、預言者になる。

つまり、「群集の叡智」も「無知な叡智」も、欲望から離れていて、それでいて、情熱がある時に発揮される。
さらにまとめて言えば、「純粋な情熱」が、叡智の鍵である。
ところで、幼稚な者の叡智は実用にはならないが、群集の叡智は現実の役に立つ。
つまり、精神世界では、知識や経験は障害になるが、物質世界では知識や経験が必要だ。
だから、知識や経験が豊富な者が、純粋な情熱を持って取り組めば、世俗で成功する。
しかし、知識や経験を捨てた者がエネルギーを集中させると、芸術や宗教、あるいは、神秘的な分野で成功する。
文学はその中間あたりで、そこそこ知識と経験のある純粋な熱情家が小説家や詩人になるのだろう。
だが、いずれの場合も、欲望を捨てることが鍵なのである。
言い換えれば、自我を弱くした者が力を得て成功者になる。自我を弱くするとは、自我を消すことではなく、自我が広がることだ。
そのためには、毎日、淡々と腕振り運動をやり、思い出すごとに、心の微かな声の呪文を唱えれば、自我が広大な無意識に吸い取られ、広がり、透明になるだろう。









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ストレスに勝つ腹の力

規則正しく腕振り運動をしたり、呪文を唱えているのに、相変わらず経済的に苦しい、良い仕事に就けない、恋人ができない、病気が治らないというのは、色々原因もあるだろうが、最も多いのはストレスのためだと思う。
育ちか、持って生まれたもの(遺伝子)かの話は今回は省くが、ストレスに弱い人というのはいるし、特に、現代の日本人には多いのかもしれない。

ストレスは、人からエネルギーを奪ってしまう。
また、科学的研究においても、ストレスは肌の成長プロセスへの影響が大きく、肌荒れ、アレルギー、アトピー、乾癬などの肌の疾患は、ストレスが原因になっている場合が非常に多いと思う。
皮膚にトラブルがあるなら、ストレスが蓄積されている可能性が高く、そうであれば、生命エネルギーが枯渇し、老化する危険がある。

ストレスを消す方法について書かれた本は多いが、実際は、どれもほとんど役に立たないのではないかと思う。
カウンセリング、セラピーなども、有能な術者であれば一定の効果はあるかもしれないが、まず、根本的解決には至らないと思う。

では、どうすれば良いのかというと、ストレスを消すなんてことは不可能だと認めることだ。
そこが前提でなければ、何も良くなりはしない。
そして、ストレスを感じても、単に、感じるだけにしておくことだ。
ストレスを感じさせるものに敵対したり、ストレスの元になっている人を憎んだりしてはならない。
自分のストレスの原因が、無能な上司や理解のない親だとしても、ことさらに、悪感情を自分で煽ってはならない。
そんなことをすると、ストレスは更に大きくなるからだ。
また、世間で言う愚かなストレス発散(無駄使い、弱い者いじめ、暴走行為、グルメ等)は、絶対にやってはならない。
それは、ストレスを倍化させこそすれ、減らすことは決してできないのだ。

リラックスは、普段、よほど忙しい人のみ良い。
だが、現代人のストレスの原因は、むしろ怠惰によるものが多いのだ。
初音ミクさんの歌も、リラックスとか癒しというのも当然あるが、むしろ、力強い歓喜なのだ。
だから、ミクさんの歌を聴いた後は、安らかに眠るよりは、大いにやる気が出るのである。

では、ストレスに耐えるには、どうすれば良いかというと、これはもう鍛えるしかない。
ストレスは消えなくても、鍛えることで耐性を上げることはでき、そうすれば、ストレスは問題でなくなる。
丁度、鍛え上げたプロレスラーが、素人のパンチを少々喰らっても平気なようなものだ。
鍛えるのは腹が良い。
腹を鍛えれば、全身ばかりか、心も強くなる。腹は自然エネルギーの源泉だからである。
ただし、腹筋を鍛えるのではない。腹筋運動をやれば腰を痛める危険が大きい。

例えば、座っているなら、手のひらで膝を押しながら(軽くで良い)、腹に力を入れる。
腹がぐっと引っ込むだろう。
腹というのは、単独では力を入れ難いが、別のところに力を入れながらなら、容易く力が入る。
例えば、拳を握りしめたり、奥歯を噛みしめたりしながらでも、腹に力を入れ易いことに驚くかもしれない。
これは重要なことで、あらゆる力は、実は腹から来るのだからである。
だから、胃腸が弱くて腹に力が入らないと、がんばりが効かない。
尚、腹に力を入れるために拳を握る時等は、そこそこの力でやればよく、万力でやってはならない。

偉大な神道家の黒住宗忠も、自ら、いつでも下腹に力を入れていた。
また、明治・大正時代の教育家で、岡田式静坐法を創始した岡田虎二郎も、常に腹に力を入れ、腹を鍛えるよう勧めていた。
彼らはもっぱら下腹と言っていたと思うが、臍のあたりが大切だと言う大霊能者もいる。だが、臍のあたりに力を入れても、下腹にも十分に力が入るのであるから、ことさらこだわる必要はないと思う。

二次的な効用として、腹に力を入れると、腹が引き締まり、美容にも良い。
尚、腹ではなく、肛門を締めても良い。そうすれば、自動的に腹に力が入る。その場合でも、補助的に、身体の他の部位に力を入れるとやり易いと思う。
腹と肛門は関係が深く、一方に言えることが他方に言えることも多い。
肛門の方が、より巨大な原始的エネルギーの源であるが、ここに力を集めると、思いがけず大きなエネルギーが出てきて、衝動的になったり、余計な霊能力が目覚めることもある。
一方、腹は知的であり(第2の脳とも言う)、特に人間的に若い(幼い)場合は、腹に重点を置く方が良いかもしれない。
岡田虎二郎は、金に窮していることを訴える男に、「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」と答えたという話がある。









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人類が宇宙人に作られたのだとしても全く悲観する必要がない訳

「人類は宇宙人に実験室で作られた」と聞くと、憤慨したり反発する人が多いのは、その貧困な発想力で「実験室」をイメージするからだ。
地球生命が実験室で作られたと主張する、ある外国の宗教家の本を見たことがあるが、その本の中に、この実験室の様子が描かれたイラストがあった。そのイラストは、この宗教家も承認したものなんだろうが、私は、「ホラを吹くなら、もちっと想像力を磨いてからにしてくれよ」と思ったものだった。つまり、あまりにひどかった。

そう、確かに、人類を含む地球生命は宇宙人が実験室で作った。
しかし、その実験室を見れば・・・まあ、人間は、そのほんの一部しか認識できないのだが、それでも、
「ここで作られたって言うんなら異存ありません。満足です」
ということになるのだ。それほど、何と言うか・・・凄い、壮大な(所詮、こんな言葉でしか言えないが)ものなのだ。
このあたり、ルドルフ・シュタイナーも著書に書いているが、彼はより正確に書こうとして、さっぱり訳の分からない文章にしてしまった。
限度はあるが、齟齬だらけになるのを覚悟の上で、もう少し分かり易く書いても良かったのではないかと思う。

さて、シュタイナーや、その他の霊覚者の書いたものを見ても分かるが、人類は、作られたそのままなのではなく、様々な宇宙人の関与を受けている。
その中で1つ、仏教の念仏について語ってみよう。
念仏というのは、1つのシステムなのである。
簡単に言うと、念仏を唱えている間、念仏以外の一切のことは面倒見ましょうというシステムだ。
もう少し詳しく言うと、念仏が様々な言語で変形されることは当然、想定済みで、そんなこと(言語によって念仏の言葉が変わる)は関係なく、それを唱えると、あるエネルギーと呼応するDNAのスイッチが入り、肯定的なあらゆる現象を形作り、引き寄せるというものである。
それが宗教的には、浄土三部経のようになり、竜樹、道綽、善導といった天才達が解釈して(彼らの天才振りは現代人の想像の範囲外)、念仏というシステムを解明したのである。
それを、これらの人達には劣るが、日本の天才、法然が理解し、「念仏を唱えれば、沢山の仏様方が守ってくれる」と、分かり易く説いたのである。
成果の方は、法然が完全に証明している。
だから、仏教的な解釈にこだわらず、念仏を唱えると良いし、それで幸福になれる。
言語による変形は想定済みと書いたが、実際、「南無阿弥陀仏」、「なんまいだー」、「なんまいだぶ」、「アミタ」、「アミターバ」・・・どれでも良いのである。システムは、それら全てが念仏であると認識する。
長い期間、唱え続けると、宇宙システムを構成する場を、目覚めた頭脳の潜在的能力の範囲で認識できるようになる。その制約の中でも、圧倒的な壮大さである。
もちろん、念仏や仏教だけがそのシステムではない。
腕振り運動も、腕や手、あるいは、背骨や仙骨の構造を生かしたシステムで、この運動を繰り返して肩が柔らかくなった時の、血液が集まった手の平の作用により、精妙な効果を発揮するもので、おそらく、達磨(ボーディ・ダルマ)という天才が、何らかの方法で解明したのである。

このように、宗教色を廃して理屈で語ると、ひょっとしたら味気ないかもしれないが、これらが長く伝わってきた意義は、権威や利益のためではなく、普通の人々の幸福のためのものだということがお分かりいただければと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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