ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2015年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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ダメ男君との対話

職場のダメ男君にまた登場願う。
しかし、このダメ男君は、私やあなた、それに、一般の人の状況だと言えば、見る価値もあると思う。

30歳も過ぎて、仕事の特技が何もないダメ男君。
一応、パソコンは使えるようので、私が日頃、このブログでもよくお奨めしている、Excel VBA(マイクロソフトExcelに標準搭載されているプログラミング言語)の勉強を、以前に勧めていた。
それからしばらくして、「勉強してるか?」と聴くと、「やってる」と言う。
それで、「何やってるの?」と聴いてみたら、Officeスペシャリストの資格試験の勉強してると言う。
私が、
「学生や主婦じゃあるまいし、そんなことやっても何の役にも立たない」
と言うと、彼は、
「あなたがくれたVBAの本は、さっぱり分からないです」
と言う。
私は、VBAの中でも、おそらく最も易しい本である『入門者のExcel VBA』(ブルーバックス)を、彼にあげていたのだった。
この彼の言い分で、私は、ダメ男君が、30も過ぎて学生気分であることを再認識しなければならなかった。
「当たり前だ。すぐに分かるようなことをやっても仕方がないだろ」
私がこう言うと、彼はキョトンとしている。
アホらしいと思いつつ、私は続けて説明しなければならなかった。
「君が読んでスイスイ分かるようなことは、誰でもできるってことだろ?そんなことできたって、何のアピールにもならない。他人に差をつけることなんかできないじゃないか?ちっとも、自分が特別だって言えないじゃないか?」
ダメ男は黙って聴いている。
「ほとんどの人達が自分にはできないと思ってやらないことをやるからこそ、人に優るようになる。そんなことを特技とか、専門性とか言うのじゃないのか?」
私は日頃、彼には、「専門性のないやつは誰にも相手にされない」「今はまだ30そこそこだからいいが、このまま40、50になったら辛いぞ」と言ってやっているのだった。
彼は、「それはそうです」と言い、表情からも、少しは納得した様子のようだ。
「そのOfficeスペシャリストだったか?それも悪いことはないが、結果が分かっている(失敗はあり得ない)ことをいつまでもやっても、レベルが上がらない。そうだろ?」
彼はうなだれる。
そして、私は、
「一度読んで分からなくても、何度も読めば分かってくるのだ」
と言ってやったが、そこでダメ男君の甘さがまた出てしまった。
ダメ男君は、
「何度も読めば分かるのですね?」
と、まるで私に、「言ったことに責任を持ってくれますね」という意図が見え見えな確認をする。
私は呆れて、
「分からんよ、そんなこと」
と言うと、彼はまた、キョトンとする。
どう言ってやれば良いか分からないが、余計と思いつつ、
「人に保証なんて求めるな。保証されたことばかりやろうとするから駄目なんだ。保証なんて何もない・・・そんなことをやり遂げてこそ、自分に値打ちが出るんじゃないのか?どうなるか、先のことなんてさっぱり分からない。そんなことだけが面白いはずなんだ。そう思わないなら、もう老人だ」
と言ってやった。
ところで、、私は明らかなミスをしていた。
分かるだろうか?
勉強の本は彼に自分で買わせるべきだったのだ。
自分で買った本でなければ、本気で勉強をしないものなのだ。

読まれていて、私が、何偉そうなことを言ってるのだろうと思う人もいると思う。
しかし、実は、私は、彼に言っているようでいて、実は自分に言っているのだ。

困難そうで、自分の力に余るように思えることを前に、私は、しり込みしているのではないだろうか?
私自身が、結果が見えるようなことばかり、やろうとしているのではないだろうか?
そして、世の中の大半の人が、そんな間違いをしているのだ。
それでは、向上はない。ダメ男君のおかげで思い出させてくれたので、彼には感謝すべきかもしれない。
では、早速、出来そうもないことをやろう。
もちろん、お日様目掛けて剣を抜くような、無謀と言うよりも愚かな真似はしてはならない。
プロレスラー相手にガチンコ(真剣)勝負を挑むのは、勇敢なのではなく、ただの役立たずなのだ。
何をすべきか?
その判断は、魔王バラバがラーマに教えた通り、「私心がないならすぐにやりなさい。私心があるなら、なくなるまで待ちなさい」で決めれば良い。
稲盛和夫さんほどの人でも、自分に私心があるかないかの判断に何日もかけるそうだ。人間の心はそれほど穢れているのだ。
だが、私は、稲盛さんのような責任重き人間ではない。
ある程度は、失敗が許されるお気楽な身分だ。
それなら、自分の面目をかけるだけで十分だ。全然、大した面(顔)ではないが。
失敗したら、乞食以下に思われて結構。
その時は、ただの初音ミクオタクだ(いや、今がそうなのだが)。
そう思えば、ある程度の判断はつくのである。
そして、やはり少しは、私心があるかどうかを考えよう。
それがしっかりできるなら、かなりのものだ。
それに、やはり、結果が分かりそうもないことを、喜んでやらないといけない。
それを、「ワクワクする」って言うんだ。間違えている人が多いようだがね。
初音ミクさんの歌としては珍しい、作詞家として名の通った畑亜貴さんの作詞による、初音ミクさんの歌『The secret garden』の、
「何が始まるの 分からないからいいの」
というのが、若さであろう。
ミクさんが歌うと、やはりぴったりしていて良いのである。
初音ミクさんの夫(のつもり)としては、私もそうでなければならない。









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星乙女の導き

正義の女神というものがあり、ギリシャ神話ではテミスである。
テミスは、目隠しをし、左手に天秤、右手に剣を持っている。
天秤は正邪を判定するものである。
天秤は英語でバランスで、正しさというものは、バランスの問題であるのだということが示唆されている。
また、剣は力を示し、力なき正しさに価値はないことを示している。
つまり、力のある正しさが正義なのである。

プリキュアシリーズの最初の作品『ふたりはプリキュア』で、ポイズニーという名の敵の女性が、プリキュア達に、
「力のない正義は悪にも劣るのよ」
と言っていた、このたった一言をよく覚えている。
天秤だけ持っていても、剣がなければ正義の女神(レディー・ジャスティス)ではないということだ。
ただ、私は、ポイズニーは、自分が悪であることに引け目を感じているのだなと思ったものである。
実は、ダークファイブと呼ばれる、ポイズニー達一味の5人には、皆、どこかそんなところがあった。
この初代プリキュアは、私のお気に入りの作品で、DVDや漫画を全部持っているくらいである。

最近、正義についてずっと考えているが、不意にこんなことを思いついたのも、神の声なのだろう。
力なき正義は悪にも劣る・・・いや、力がなければ正義ですらない。
小善人、小市民が一番悪いのは、ある意味ではバランスが取れているのかもしれないが、力がないからだ。
人間は、正しいだけではなく、力を持たなければならない。
いい人なのだが、どこか残念という人は、おそらく力がないのだ。
一方、力はあっても、バランスがとれなければ破壊の力でしかない。

ジョージ・アダムスキーは、(実際の)土星が「裁判の星」であると述べ、天秤をその象徴にしているという。
(アダムスキーは土星にも行ったことになっている)
ギリシャ・ローマ神話では、人類が生まれてまもなくは、天秤も剣もなかった。
地上は温暖で、働く必要もなかった時代だ。
その時の大神はクロノス(サトゥルヌス)であった。
サトゥルヌスは英語でサターンで、土星のことだ。
天秤も剣も必要としない世界を支配していた神の星の象徴が天秤とすれば、なんだか面白い話であると思う。
ところが、ゼウス(ユピテル)がクロノスを倒して支配者になると、地上に四季が出来、人々は耕作を行って食料を得なければならなくなった。
そうなると、どうしても争いが起こり、剣が作られるようになった。
テミスの娘アストライアーは、争う人々に正義を説いたが、人間はどうしても聞き入れず、アストライアーはついに諦めて天に帰り、星乙女と呼ばれた。今の乙女座である。
遠い乙女座が正義の象徴である。
では、地上に正義はないのだろうか?
いや、アストライアーの働きかけは続いているのである。









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いつも必ず安全でいる方法

取り憑かれるというほどではないが、相変わらず、「正義とは何か」という問題を考えている。
だが、つまるところ、「愛とは何か」というのと同じで、答は分からないに違いない。
愛とは神の領域のもので、元々、人間には分からないものだ。
正義もそれと同じかもしれない。
ただ、愛は分からなくても、憎しみは人間の領域のものであるから、憎むのをやめることはできる。
憎しみを捨てたら、少しは愛に近付けるのだと思える。
それと同じで、正義は分からなくても、悪は分かるので、悪いことをしないと決心すれば、正義に近付けるのだろう。

人間に正義は分からない。
だから、モーセの十戒も、9つまでは「こんな悪いことをしてはならない」という言い方になっているのだろうし、唯一、「父母を敬え」だけが、一見、「善いことをしろ」と言っているように思えるが、これも、実際は、「父母を粗末にしてはならない」という、やはり、「悪いことをするな」という意味なのである。
もちろん、現代の我々がモーセの十戒を掲げるのは無理があるかもしれないが、要するに、悪いことをしなければ良い。
Googleのモットーが「悪いことをするな」であるが、Googleだって、何が悪かなんて、いちいち挙げてはいないのである。
人間は、何が正しいかは分からなくても、何が間違っているかは分かるはずである。
悪いことをしようとすれば、必ず後ろめたい思いが起こる。
だが、それを言い訳をしながらやってしまう者が多いのだ。
だから、ある賢い人はこう言ったのである。
「あなたは何をしてもかまわない。ただし、言い訳だけは許されないのだ」
言い訳だけは死んでもしないと決心すれば、悪を為すのを免れるだろう。
そして、悪を為さなければ限りなく正義に近付いていくのである。

神はこれまで、正義を助けなかったことは、ただの一度もなかった。
これからもそうだ。
従って、実は、我々は言い訳さえやめれば安全なのである。









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鑑(かがみ)

ほとんどの人が、自分の現在の状況(社会的、家庭的、経済的、交友、恋愛等)に満足していないし、大いに不満な者も少なくないだろう。
私も全くそうだった。
ところが、自分の心や行動を真面目に観察すると、自分の外界の状況は、自分の人格に全く見合ったものであると分かり、納得がいったものである。
自分の人格が内面の状態で、外的な状態は、それとぴったりと一致するのである。
ゲーテが「人間の喜びとは人格だけだ」と書いていたことを思い出したものだった。
では、貧乏な人や、病気などの困難を抱えている人達の人格が全部悪いのかというと、そうは見えないようにも思う。

人格以外に、外界の状態を決定するのは、前世から引きずったカルマ(業)と悪霊なのかもしれないが、それは実際はどうなのか全く分からない。
そして、それと同じ意味(分からないけどあるらしいという意味)で、親鸞らは、悪いカルマは「南無阿弥陀仏」の念仏を称えれば消えると言うし、古神道の教えによれば、悪霊は「アジマリカン」の呪文を称えれば祓うことができるようだ。
もっとも、親鸞はそのように言ったが、根拠となる仏典を調べたら、カルマを消すのは、やっぱり人格だとはっきり書かれているのである。
仏というものは、人が良い人格を持とうとするのを助けてくれるものであり、「南無阿弥陀仏」の念仏が、その援助の要請の言葉だ(実際は、阿弥陀、あるいは、アミターバという仏の名を呼ぶことで、助けを求める)。
その意味では、親鸞らの拡大解釈(実際は、中国の善導や道綽らの解釈)が間違っているとも言えない。
しかし、あくまで、自分で人格を高めようと思うことが大前提である。
確かに、親鸞は、どんな人の人格も、自分の人格も全く信用していないようなことを言い続けていた。
だが、その親鸞は、誰がどう見ても人格者であったはずだ。
無論、後の親鸞崇拝者が聞いたら、「そんなの嘘だ」と真っ赤になって怒り出すような欠点が親鸞にも必ずあったはずである。
インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジだって、弟子のラメッシ・バルセカールによれば、非常に怒りっぽかったという。
アインシュタインは概ね人格者として伝わっているが、身近な人達の証言によると、やはり怒りっぽい人でもあったようだ。
だが、どんな人格者にも欠点はある。
『スター・トレック』で、ミスター・スポックの姪っ子かなにかの若い女性が、
「(あなたの尊敬する)カークは、何と言うか・・・変だと思う」
と言うと、スポックは、状況は分からないながら、
「人間、誰しも欠点はあるのだよ」
と一般論を述べたが、それは、偉大なるカークにも当然、当てはまるということなのだ。
(実際は、カークは、美しい彼女が無遠慮に接近してきたので焦っておかしな反応をしたのが、彼女には妙に感じただけと思う)

では、人格とは何だろう?
これに関しては、荘子とラマナ・マハルシが同じことを述べている。
荘子は、「最高の人間の心は鏡のようなもので、来たものをそのまま映すが、去ってしまえば、何の痕跡も残さない」と書いている。
マハルシは、「賢者は子供に似ている。子供は遊んでいる時は夢中だが、終わってしまえば忘れている」と言ったようだ。
また、ラメッシ・バルセカールも、師のニサルガダッタ・マハラジは怒りっぽいが、怒った一瞬後には、上機嫌でジョークを飛ばしていたと述べている。
つまり、人格者は、感情を引きずらない、執念深くない、あっさりしている・・・ということなのだろう。

そして、人格者とは、魂に忠実なのだ。
どういうことかというと、何かしたいと思っても、魂の声が「やるな」と命じれば、その声を聞き逃さず、それに従うということだ。
フロイトは、そのような善なる声を超自我と名付けたが、それは、慣習や道徳から出来たものだと言った。
しかし、弟子のユングは、超自我の存在を認めはしたが、それは、慣習や道徳を超えたものであり、深い心に存在するものであると言い、フロイトだって、本当はそう思っていたのだと言う。
つまり、超自我は魂そのものなのである。
そして、荘子の言う鏡のような心、ラマナ・マハルシの言う子供のような心を持つよう心がけていると、ますます、魂の声がよく聴こえるようになる。
だが、子供が必ずしも忘れっぽいとは限らないので、やはり、荘子の言う鏡の心を持つようにすれば良い。

鏡とは良い言葉だ。
「カガミ」は、「ア」の母音で始まり、3つの語のうち2つの母音が「ア」である。
鏡は、「鑑」とも書き、この場合は、手本とか模範という意味になるのだ。
インドでは誰でも知っている古典物語『ラーマーヤナ』の「ヤナ」も鏡という意味だ。
「ヤナ」は、2つの語の両方の母音が「ア」である。
そして、「ラーマーヤナ」の母音が全て「ア」だ。
2013年8月に秋葉原で行われた初音ミクさんのライブコンサートのタイトルが『夏祭初音鑑』だった。
「夏」「祭り」「初音」「鑑」と、全部、「ア」の母音で始まる。
また、このコンサートは『HATSUNE Appearance』シリーズのイベントであり、これもまた「ア」の母音で始まる2つの言葉の組み合わせだ。
「初音鑑」で、「初音ミクさんの物語」、あるいは、「初音ミクさんというお手本」。
「ラーマーヤナ」で、「ラーマの物語」、あるいは、「ラーマというお手本」である。
「南無阿弥陀仏」、「アミターバ」、「アジマリカン」、「アブラカタブラ」なども、「ア」の母音が際立つ、優れた呪文だ。
「ア」の音の神秘は何度も述べているが、その霊力に満ちた呪文の威力を決してあなどってはならない。
そして、
「私は鏡」
こんな呪文を称えても良いと思う。









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一生生活に困らないようになるには

本を読むことの弊害を説く聖者もいるが、誰が何と言っても、本は読まなくてはならない。
だが、1日2冊読むとか、年に何百冊読むとか自慢げに言う者のことは無視して良い。
多く読むに越したことはないが、1冊1冊、本を敬うように丁寧に読むことが大切だ。
だが、読んでいるうちに興味を失くしたり、良い本だと思わなかったり、今は心に響いてこないと思ったら、しばらく読むのを止め、再び読もうと思うまで待っても良いと思う。
ただ、その本の価値が高いことを信用できる場合には、無理に読んでみた方が良いのだと思う。
本を読むことが悪いことであるはずがない。
疑いのない、普遍的な価値があると思われる本だけでも何千冊とあるはずだ。
また、精神的な満足をもたらす本だけでなく、自分の職業の能力を高める本も読まなくてはならない。
若いうちは、あまりお金がないかもしれないが、なんとか工面して、1冊でも多く読むべきである。
そして、今の時代、電子書籍を読むことをお奨めする。
できれば、解像度の高いスマートフォンやタブレットPC、あるいは、Kindle端末を買い(機器単体で通信ができない場合は、いずれもWiFi環境があることが必要)、快適に読めるようにすれば良いと思う。
電子書籍は、紙の本に比べて安いし、さらに、非常に安価だが、しっかりした本も少なくない。
そして、スマートフォンの中に何千冊でも入れて持ち運べる便利さは、一度味わうと、もう紙の本には戻れないかもしれない。

岡田虎二郎は、克己、努力、忍耐の必要はないと言った。
しかし、それらは必要だ。
努力が悪いものであるはずがない。
ただし、努力とは自主的であるべきで、強要された、その気になれない努力をしてはならない。
そんなことをさせられているなら、少々の騒動を起こしてでも逃げ出すなりして止めるべきだ。
ただし、やるのも、逃げるのも自分の責任でやること。その結果どうなっても、誰も責任を取ってはくれないのだ。
そして、自分でこれをやると決めたら、合理的な理由、自分に恥じない理由がない限り、がんばらなくてはならない。
努力することほど楽しいことはない。
だが、決して努力を誇ってはならない。
そんなことをすれば、せっかくの努力は穢れ、マイナスに作用するだろう。

あまりに当たり前のことを書いたが、こんな簡単なことを、やっている人は少ない。
だから、これをやれば、あなたは楽々と競争に勝てるのである。
そして、本当に大切なことは、魂に恥じることを絶対にしないことだ。
卑しいこと、卑怯なこと、自己中心的なこと、人の魂を踏みつけるようなこと・・・そんなことをしようとしたら、魂の葛藤が必ず起こるはずなのだ。
そんなことさえしなければ、天は必要なものは必ず与えてくれ、生活に困るというようなことには決してならないだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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