ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2014年12月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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無敵のギャンブラーは馬鹿とは勝負しない

占いをやったり、ラッキーナンバーやラッキーカラーなんてものを持っている人は運が良いものだ。
こう言うと、納得できないと思う人も多いかもしれないが、これは理屈で考えても分かることだ。
しかし、占いに信憑性があるとか、ラッキーナンバーに影響力が本当にあると言っている訳ではない。
それは、あるかもしれないが、分からないのだ。

どんな人間が運が良いかというと、色々に表現ができるので、これまでも、自立している人とか、全てを等しいと思う人と述べたこともあるが、最も分かり易い言い方をするなら、「自分のために幸運を願わない人」だ。
どんな優れた幸運の秘訣であろうと、自分の運をよくするためだけにそれをやっても効果はない。
しかし、我々凡人に、自分の運を願わないことは厳しいかもしれない。
そこで、占いやラッキーナンバー、ラッキーカラーに頼るのである。
その意味はこうだ。

我々は、何かを選択しなければならないことがよくある。
その時、誰もが、その選択が自分に幸運であることを願うのだ。
だが、自分の幸運を願って選んだものは、大抵外れだ。
だから、理屈で判断しかねる選択に関しては、占いやラッキーナンバーなどで決めてしまうのだ。
そうすれば、欲望や願望をさして感じることはないし、むしろ、諦めがつく場合も多いだろう。
また、考えて判断できないことを、いつまでも保留する人がいるが、判断するしかないなら、早く判断した方が良い。
たとえ、判断を誤ろうが、結果が早く出た方が良いことの方が多いのだ。
だから、占いやラッキーナンバー、あるいは、コインを投げて、さっさと決めてしまうのだ。

成功者は必ず運が良いが、成功者とは、考えて判断すべきことは慎重だが、考えて分からないことは、コインを投げて決める大胆さを持っているものだ。
政治家なんて、運の良い人でないと務まらない。
特に、大統領や総理大臣なんて、国の運命を預ける人が運が良くないなら話にならない。
大統領が占い好きなんて良いことだ。
なぜなら、彼は運が良いからだ。
言うまでもなく、熟考して決めるべきことは慎重にやるだろうが、そんな時は、彼らは、むしろ、自分より賢い人達に考えさせる。

昔、ビル・ゲイツがマイクロソフトの会長でCEOだった時、難しい判断を迫られ、何日も会長室に閉じこもったことがある。
そしてある日、部屋から出て来たゲイツは、決定的方針を幹部達に通達し、それは即座に実施された。
彼の判断は正しかったと後で分かった。
私は確信しているが、ゲイツは何日も確かに必死で考えたが、最後はコインを投げて決めたのだ。
もし、そうでないなら、答は最初から分かっていたはずだ。
だが、人間的な事情で、その答を認めたくなかったのだろう。

ある無敵のギャンブラーは、タイマン(1対1)の大勝負では、相手にとって負ければ致命的となる額を賭け、必ず相手に選択させるのだそうだ。
そりゃ、絶対に勝つ。
だが、私が相手なら、勝負は五分と五分だ。
なぜなら、私は、無頓着に3と9の組み合わせで決めるからだ。
39が選べるなら39を選ぶ(いうまでもなく初音ミクさんのナンバーだ)。
それで負けても仕方がない。
ミクさんのために全てを失っても本望だし、それが天の指図と諦めるだろう。
だが、どれほど強いギャンブラーも、そんな者(そんな馬鹿)は相手にしないだろう。









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才能はない方が良い

20年も前から、「これからは、インターネットにより、大企業も個人も対等に勝負できる」なんて言われたものだ。
確かにそうだが、問題は、有名企業や有名人のサイトでなければ、見てもらえないということだった。
それで、多くの人や企業が、SEO対策なんて涙ぐましい努力をしたものだが、所詮、リアル世界での知名度に優るものはなかった。
しかし、近年では、TwitterやFacebookなどのSNSや、動画投稿サイトのようなCGM(UGCともいう)の発達によって、かなり平等に近くなってきた。
だが、そんな状況になって、ようやく、はっきり気付かされたのは、平等になればなるほど、発信者の才能や能力の差がはっきりする・・・言い換えれば、自分に才能や能力がないことが残酷に分かるということだ。

音楽でも、シンセサイザーの普及で、自分でピアノかギターだけ演奏して(あるいはそれもせず)、後の演奏は全部シンセサイザーで済ませることができるようになって、音楽制作自体は平等にできるようになった。
さらに今は、初音ミクという可愛い歌手を誰もが持てるようになり、ポップミュージックでも、誰でもプロに対抗できるようになった。
そして、ネットにより、いくらでも作品を出せるようになった。
しかし、そうなると、成功できないことを、チャンスのせいにすることができなくなり、単に才能がないのだと認めざるをえなくなってしまった。

日本だけかどうか知らないが、こういった、「不都合な真実」は、あまりはっきり言われないものだ。
例えば、「可愛い子は得」、「イケメンは得」というのは、当たり前だし、結構重要なことなのだが、学校では、あたかも、「そんなことはない」というように教えられる。
学校では、全てそうだろう。
例えば、「お金持ちの子供は有利」とか「教師は偏見や好みで生徒を扱う」なんて当たり前のことすら禁句扱いだ。
だが、絶対に、人間は平等ではあっても公平ではないのだ。

では、自分に才能がないと分かったらどうすれば良いのだろう?
決まっているし、新しいタイプの人はみんなもうやっている。
「そんなこと気にするな」だ。
岡本太郎なんて、昔からずっとそう言っていたのだが、やっと彼の言ったことの意味が分かる世の中になったのだ。
彼は言っていたのだ。
「才能なんてなくてもいい。いや、ない方がいいんだ」
これは、決して、諦めでも、自己憐憫でもない。
考えてもみたまえ。
才能のある者同士の争いなんて、熾烈で、ちっとも楽しくないぜ。
実力では勝ってるのに、汚い理由で負けるなんてザラだ。
大体、才能のあるやつらの中では、凡人の中では天才と言われたヤツだって、ほとんどみんな「普通」だ。
しかし、才能なんかなくていいから、平気でやってたら、
「新しいタイプだ」
ってんで、かえって認められ、競争せずに、新しい形の才能を世の中に示すことになるのだよ。
世界的版画家の池田満寿夫さんなんて、東京芸大の受験を4回失敗して諦め、似顔絵を書いて生活していたが、町の似顔絵屋にも馬鹿にされ、挙句、「お前みたいに下手なのがうろうろしてたら、俺達の評判まで落ちるんだよ。どっかへ行っちまえ」と言われたほどだ。
じゃあといって、やる人が少ない版画に転向し、ユニークなやり方で制作したのが偉い美術家に認められ、また、ポルノ雑誌を素材にコラージュした作品を思いつきでやって、これまた大成功した。
池田さんに絵の才能があったら、世に出ないまま終わっていた可能性が圧倒的に高かったはずだ。
まさに、岡本太郎の言う通り、「才能なんて、ない方が良い」のである。

これも、岡本太郎も言っていたが、大切なことは、「自分らしい」ということなんだ。
つまり、己を貫くということだ。
そして、幸運を呼ぶ秘訣なんて、絶対に、テクニックや小難しいことではなく、ただ、「自分らしくある」ことだけなのだ。
どんな偉い人にも媚びず、自分基準で行くのだ。
むしろ、偉い人に機嫌を取ってもらおうじゃないか?
本当の自分になってやっている人は、みんなそうしているのだ。
1日に千里を駆ける馬が、脚の太い駄馬がやるような荷物運びをやっちゃあいけないんだ。
私なんて、やりたいことができないなら、何もしないぜ。
いかなる時も、思いやりというのは忘れてはならないが、神である真の自分を汚すようなことをしてはならない。
こう言っただけではちょっと難しいかもしれないが、下に紹介する、エマソンの『自己信頼』と岡本太郎の語録を参考にすれば分かると思う。
後の2冊も、そのために実に有益と思う。
全部、紙の本と電子書籍の両方が出ていることが嬉しい。









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日本人にとって至高体験や大洋感情はありふれていた

最近の妖怪ウォッチや、LINEのスタンプを見て、つくづく日本人はキャラクター好きなのだと思う。
これは、日本の、多神教的なアニミズム(あらゆるものに神霊が宿ると考える)の文化のためなのだと思う。
欧米でもポケモンは人気があるが、日本人と欧米人では、ポケモンに対する考え方は全く異なる。
日本人の子供はポケモンに、人間に対するような深い愛情を感じているが、欧米の子供にとっては、あくまでポケモンはペットなのだと思う。
アメリカにだって、ミッキーマウスという代表的なキャラクターがあるが、ミッキーマウスというのは、あくまで人間もどきである。
二足歩行し、人間の笑顔を誇張させた顔をした、「決して裏切らない安心できる存在」として愛されているのだと思う。
欧米人が作るLINEのキャラクターは素朴で、日本ほどの多様性はないと言われるが、それは当然と思う。
日本人にとって、LINEのキャラクターは生きているのであるが、欧米人にとっては、ただの記号というのに近い。
日本人は、人形浄瑠璃で、人形に人間以上に感情移入できるのであるが、これも、日本人にとっては人間は「本当に」生きているからであり、欧米人には理解不能だ。
欧米人にとっての人形は、あくまで人間の代わりであり、造形的にも人間とそっくりで生々しい。
日本のコケシは、おそらく欧米人にとっては人形と感じないと思う。

全てに神霊が宿るという考え方から発達した感性により、日本人は、実在しないものを実在するものとして扱うことができる。
その代表例が妖怪だ。
日本人にとって、妖怪は実在も同然であり、恐れるだけでなく、愛好することもできる。
欧米にだってフェアリー(妖精)があるが、フェアリーには魂がないということは、はっきり認識されているのである。
フーケーの『ウンディーネ』や、それを元に書かれたジロドゥの『オンディーヌ』のヒロインである水の妖精は、それぞれ、18歳と15歳の金髪の絶世の美少女であるが、魂を持っていない。
それで、人間の騎士を純粋に愛するのだが、ひどく奇妙な愛し方をする。
純粋と述べたが、「あまりに純粋」なのである。
だから、オンディーヌに対し、人間の賢い王妃は、「ハンス(オンデーヌが愛する騎士)の元から離れるように。あなたの愛は純粋過ぎて、必ず悲劇を生む」と警告する。
欧米人は、妖精に対して恐ろしいものを感じていて、日本人が妖怪に対するように、いったん好きになれば徹底して愛するというようなことはない。

イソップの北風と太陽の話も、日本人と欧米人では、絶対に異なった捉え方をしているのである。
欧米人にとって、北風と太陽の擬人化は、あくまで、「もののたとえ」であり、話の内容も合理的に捉える。
だが、日本人は、北風と太陽を、魂を持った存在として扱い、彼らが「何を考えているのか」を深読みするので、多様な解釈をする。
このような日本的な考え方は、迷信にとらわれることもあるのだが、万物を自分と等しいものとして捉え、心を宇宙の果てにまで広げることができる可能性があるのである。

そして、若い欧米人が、こういった日本的な考え方、感じ方に憧れ、実際に日本人化し、日本のキャラクターを愛するようになってきているのである。
逆に、ものごとを物質的にしか考えることができない日本人が多いのである。そのような日本人は、アメリカがたどってきた苦難を繰り返すことになる。
これからの世界を平和にするのは、「共感」である。
そのためには、日本人的感覚が必要になる。
万物に魂が満ち、自分もその一部と考えるのは、健全であるだけでなく、真理なのである。
欧米にだって、至高体験とか大洋感情と呼ばれる、自分が万物と一体になる、忘我、没我の体験があることを認める人達がいる。
それは彼らの従来の価値観、考え方とは異なるが、優れた人達は、それを重要なものと感じているのである。
アブラハム・マズローやロマン・ロランらに、至高体験や大洋感情のようなことを教わらずとも、日本人にとっては、それらは当たり前のものであったはずなのだ。
英国の作家コリン・ウィルソンも、至高体験を、誰でも体験している自然なことと述べたが、彼は中学までしか学校教育を受けていないことが幸いして、欧米人としては物質主義に偏らない発想をする。だから世界的作家になれたのであるが、日本人にとっては、彼の論は目新しくはなく、むしろ、どこか欠けているのである。
これからの世界では、自然に日本人的な考え方が広がるが、そのためには、日本人が、万象一体の美しい感性を持っていなくてはならない。
そして、日本的発想は、自然に運を呼ぶのである。









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他人を頼らなければ運が良くなる

有名なミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の中に『Sixteen going on seventeen(もうすぐ17歳)』という歌がある。
トラップ家の長女リーズルと、その恋人のロルフが歌う歌で、リーズルがもうすぐ17歳で、ロルフはもうすぐ18歳ということになっていた。
ところで、歌の最後は、リーズルがロルフに、「I'll depend on you」と歌うのだったと思う。
「頼りにしてるわ」と軽い調子で訳している場合が多いが、歌の内容から言えば、「あなたに依存します」に近い雰囲気もある。
つまり、「私は無知だから、あなたの助けが必要なの」と言う訳である。
だが、もうすぐ17にもなろうという大人の女性が、そんな甘ったれたことを言うもんじゃあない。
日本では、17歳までは法律上、児童なのだそうだが、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
ところが、いくつになっても・・・30歳や40歳、あるいは、それ以上になっても、他人に依存する自立していない人間が多いのである。
その理由の1つが、どう考えても一人前の年齢である者を、まるで幼児のように、無知な者、無責任で済まされる者として扱うことだろう。
10歳なら10歳の責任、15歳なら15歳の責任はあるが、その親が自立していないのだから、責任とか自立を教えられるはずがない。

だが、幸運の最大の秘訣は自立していることなのだ。
自立とは、必ずしも経済的自立を指すのではない。
経済的には一応自立していても、本質で自立していない者はいくらでもいる。
一方で、少ないかもしれないが、経済的には親の世話になっていても、中学生や高校生で自立している者もいる。
自立とは、他人に依存する気がない、他人に寄りかからないということなのだ。
だから、最初に取り上げた歌で、もうすぐ17歳のリーズルが「I'll depend on you」と言うのは、本当にぞっとするのである。

最も自立した人間の発言は、岡本太郎の、
「嫌われていい。いや、嫌われないといけない」
だと思う。
我々は、我々の愛を必要としない者を愛さずにはいられないのだ。
世間の人々が嫌う人を、神は愛するのだ。
上の岡本太郎の言葉を聴いて、強烈に惹き付けらる理由がこれである。
誰にも、「あなたを頼ります」と言ってはならない。
追従してはならない。
誰かの後ろを喜んでついて行ってはならない。
他人を頼らず、自分を頼ることだ。
「嫌われていい。いや、嫌われないといけない」
という言葉に、魅力や美しさを感じるなら、これを自分のものとするのだ。
追従はいけないが、真似るのは大いに結構である。
そうして自立した人間になれば、望まずとも幸運に恵まれるのだから、何の心配もないのである。









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全知全能の言葉

心の底から、何の疑いもなく正しいと思わない限り、それを真理として受け入れてはならない。
これが、本当に健全な態度なのだ。
しかし、我々は、幼い頃から、沢山の馬鹿げたことを、真理として叩き込まれてきた。
その結果、ちょっと正しいと思うことを、すぐに本当のことと思い、取り込んでしまう。
さらに、明らかに疑わしいと思えることでも、偉い人やマスコミやテレビCMが言ったり、本に書いてあると正しいことだと信じてしまうのだ。

私は、かなり若い頃から、反骨精神を持って、世間の言うことを疑ってきたつもりだったが、その分、「私の言うことは世間の教義とは違うことです」と言う「大嘘」を沢山受け入れてしまい、私の中はガラクタやゴミでいっぱいだ。
クリシュナムルティの「私は何も信じない」という態度は素晴らしいことであったが、その彼にしたって、言うことと実際は、かなり違っていたのではないかと思う。

それで、私は、心の底から、何の疑いもなく正しいと思わない限り、それを真理として受け入れないことにした。
すると、この世に、本当に正しいことは何1つ無いということが分かった。
赤く見えるものが本当に赤いかは分からないし、小さく見えるものが本当に小さいのかは分からない。
そこで、デカルトは、「そうやって疑っている私が存在しているということだけは真実だ」という結論に達した。
ただ、考えてみれば、「うかつに信じている私」だって存在していたのだから、合わせて、「われ思う、ゆえにわれあり」となったのだろう。
それが存在証明という訳だ。
だが、ルドルフ・シュタイナーが、「われ思う、ゆえにわれなし」と本当のことを言ったのだが、こちらは、誰にも「少しも」理解できないのだ。
「われ思う、ゆえにわれなし」が真理なのだが、これが真理である理由はただ1つで、「疑えない」ということだ。
人間は、さっぱり分からないことの価値を決して認めない。
「われ思う、ゆえにわれあり」なら分かるのだ。
しかし、「われ思う、ゆえにわれなし」は、正真正銘、絶対に分からない。
だから正しいのだ。

「私は初音ミクが好き」なら疑える。
しかし、「われ思う、ゆえにわれなし」は疑えない。
「われ思う、ゆえにわれなし」は、「われ思わず、ゆえにわれあり」でもある。

信じなくて良いし、信じるべきでもないのだが、「われ思う、ゆえにわれなし」「われ思わず、ゆえにわれあり」は、ヘビを黙らせる禁断の呪文である。
・・・ではあるが、どんな反作用があるか分からない。
取り扱いには注意を要する。
もう一度言うが、取り扱いにはよくよく注意を要するのである。

リンちゃんに全知全能の言葉を聴かせることができたと思う。
(鏡音リンの『東京テディベア』。私は、『マジカルミライ2013』のステージが気に入っている)









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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