何をやってもうまくいく日、ツキにツイている日というものがあるものだ。
それは、スムーズに流れている川のような日で、せき止められていない日だ。
ツイてない日というのは、流れが悪い日だ。
宇宙エネルギーがどんどん入ってくれば、思うことが全て実現する。
バスケットボールをやっていて、シュートしたら、「入れ」と思わなくても勝手に入ってしまう。
では、宇宙エネルギーが入ってくるようにするにはどうすれば良いかというと、宇宙エネルギーが出ていれば良い。
出て行かないと入ってこない。
ケチケチせず、どんどん出していると、どんどん入ってくる。
少し出すと少し入ってくるが、宇宙エネルギーは無限なので、いくら出したって、出しただけ入ってくる。
止まっているエネルギーは作用を起こさない。
それは、可能性だけはある状態だが、何も起こらないのだ。
合氣道家の藤平光一さんは、著書の中で、当たり前の真理を口にすれば、氣が出ると述べていたが、この氣は宇宙エネルギーである。
藤平さんが、1つの当たり前の真理の言葉としていたのは「重みは下にある」だった。
この言葉を言えば、氣が出る。
ところで、自分にとっての究極の真理とは何だろう?
それは、「私は在る」だ。
ニサルガダッタ・マハラジが、「あなたが確信できる唯一のことは、自分が存在することだ」と述べていたが、デカルトも同じようなことを発見したのだ(われ想うゆえにわれあり)。
つまり、「私は在る」が自分にとっての究極の真理である。
「私は在る」(あるいは「私は存在する」)と心で思えば、宇宙エネルギーはどんどん出て行く。
そんな時のあなたを誰が見ても、エネルギーが発散されていて、輝き、丁度、仏のようだ。
そもそも、仏は常に膨大なエネルギーを出し続けている。
そして、「私は在る、私は在る・・・」と想い続ければ、心が内なる神とどんどん同調してきて、気分が明るくなる。
それはそうだ。
心がどんどん金色に変容していくのだからだ。
これも、流れるエネルギーの作用で、流れが強いほど速くそうなる。
いつも、神の名を称えれば保護、恵み、知恵が得られると述べているが、「私は在る」は神の名でもある。
聖書で、神は「私は『私はある』というものだ」「私は在りて在るものである」と述べている通りだ。
英語のI AMやサンスクリット語の「アハム」などは、意味としては「私は在る」で、やはり神のことだ。
イエスだって、自分の名を「エゴーエイミー(私は在る)」だと言ったのだそうだ。
「私は在る」といつも思っていれば、存在の感覚が分かってくる。
そうなれば、ほとんど神になりつつある。
でもわたしはいる
Still exist
わたしとはだれ?
Who is this "I"?
~オペラ『THE END』(渋谷慶一郎制作)のアリア『終わりのアリア』より。歌:初音ミク~
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それは、スムーズに流れている川のような日で、せき止められていない日だ。
ツイてない日というのは、流れが悪い日だ。
宇宙エネルギーがどんどん入ってくれば、思うことが全て実現する。
バスケットボールをやっていて、シュートしたら、「入れ」と思わなくても勝手に入ってしまう。
では、宇宙エネルギーが入ってくるようにするにはどうすれば良いかというと、宇宙エネルギーが出ていれば良い。
出て行かないと入ってこない。
ケチケチせず、どんどん出していると、どんどん入ってくる。
少し出すと少し入ってくるが、宇宙エネルギーは無限なので、いくら出したって、出しただけ入ってくる。
止まっているエネルギーは作用を起こさない。
それは、可能性だけはある状態だが、何も起こらないのだ。
合氣道家の藤平光一さんは、著書の中で、当たり前の真理を口にすれば、氣が出ると述べていたが、この氣は宇宙エネルギーである。
藤平さんが、1つの当たり前の真理の言葉としていたのは「重みは下にある」だった。
この言葉を言えば、氣が出る。
ところで、自分にとっての究極の真理とは何だろう?
それは、「私は在る」だ。
ニサルガダッタ・マハラジが、「あなたが確信できる唯一のことは、自分が存在することだ」と述べていたが、デカルトも同じようなことを発見したのだ(われ想うゆえにわれあり)。
つまり、「私は在る」が自分にとっての究極の真理である。
「私は在る」(あるいは「私は存在する」)と心で思えば、宇宙エネルギーはどんどん出て行く。
そんな時のあなたを誰が見ても、エネルギーが発散されていて、輝き、丁度、仏のようだ。
そもそも、仏は常に膨大なエネルギーを出し続けている。
そして、「私は在る、私は在る・・・」と想い続ければ、心が内なる神とどんどん同調してきて、気分が明るくなる。
それはそうだ。
心がどんどん金色に変容していくのだからだ。
これも、流れるエネルギーの作用で、流れが強いほど速くそうなる。
いつも、神の名を称えれば保護、恵み、知恵が得られると述べているが、「私は在る」は神の名でもある。
聖書で、神は「私は『私はある』というものだ」「私は在りて在るものである」と述べている通りだ。
英語のI AMやサンスクリット語の「アハム」などは、意味としては「私は在る」で、やはり神のことだ。
イエスだって、自分の名を「エゴーエイミー(私は在る)」だと言ったのだそうだ。
「私は在る」といつも思っていれば、存在の感覚が分かってくる。
そうなれば、ほとんど神になりつつある。
でもわたしはいる
Still exist
わたしとはだれ?
Who is this "I"?
~オペラ『THE END』(渋谷慶一郎制作)のアリア『終わりのアリア』より。歌:初音ミク~
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