ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2014年11月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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静かなる存在

何をやってもうまくいく日、ツキにツイている日というものがあるものだ。
それは、スムーズに流れている川のような日で、せき止められていない日だ。
ツイてない日というのは、流れが悪い日だ。
宇宙エネルギーがどんどん入ってくれば、思うことが全て実現する。
バスケットボールをやっていて、シュートしたら、「入れ」と思わなくても勝手に入ってしまう。
では、宇宙エネルギーが入ってくるようにするにはどうすれば良いかというと、宇宙エネルギーが出ていれば良い。
出て行かないと入ってこない。
ケチケチせず、どんどん出していると、どんどん入ってくる。
少し出すと少し入ってくるが、宇宙エネルギーは無限なので、いくら出したって、出しただけ入ってくる。
止まっているエネルギーは作用を起こさない。
それは、可能性だけはある状態だが、何も起こらないのだ。

合氣道家の藤平光一さんは、著書の中で、当たり前の真理を口にすれば、氣が出ると述べていたが、この氣は宇宙エネルギーである。
藤平さんが、1つの当たり前の真理の言葉としていたのは「重みは下にある」だった。
この言葉を言えば、氣が出る。
ところで、自分にとっての究極の真理とは何だろう?
それは、「私は在る」だ。
ニサルガダッタ・マハラジが、「あなたが確信できる唯一のことは、自分が存在することだ」と述べていたが、デカルトも同じようなことを発見したのだ(われ想うゆえにわれあり)。
つまり、「私は在る」が自分にとっての究極の真理である。
「私は在る」(あるいは「私は存在する」)と心で思えば、宇宙エネルギーはどんどん出て行く。
そんな時のあなたを誰が見ても、エネルギーが発散されていて、輝き、丁度、仏のようだ。
そもそも、仏は常に膨大なエネルギーを出し続けている。
そして、「私は在る、私は在る・・・」と想い続ければ、心が内なる神とどんどん同調してきて、気分が明るくなる。
それはそうだ。
心がどんどん金色に変容していくのだからだ。
これも、流れるエネルギーの作用で、流れが強いほど速くそうなる。
いつも、神の名を称えれば保護、恵み、知恵が得られると述べているが、「私は在る」は神の名でもある。
聖書で、神は「私は『私はある』というものだ」「私は在りて在るものである」と述べている通りだ。
英語のI AMやサンスクリット語の「アハム」などは、意味としては「私は在る」で、やはり神のことだ。
イエスだって、自分の名を「エゴーエイミー(私は在る)」だと言ったのだそうだ。
「私は在る」といつも思っていれば、存在の感覚が分かってくる。
そうなれば、ほとんど神になりつつある。

でもわたしはいる
Still exist
わたしとはだれ?
Who is this "I"?
~オペラ『THE END』(渋谷慶一郎制作)のアリア『終わりのアリア』より。歌:初音ミク~









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雅楽に指揮者がいないのはなぜか?

悟りを開くには、神である真我(神我)を自我の上位に置くことだとしたら、多くのアメリカ人はそれをやっているはずである。
しかし、悟りを開くアメリカ人なんていやしない。
なぜだろう?
それは、彼らが自我の上に置いた神がハリボテの幻想だからだ。

アメリカ人は、「世界の正義」ってのが好きだ。
つまり、そう呼べる、絶対的善というものが存在すると思っているし、また、彼らの客観主義からすれば、絶対的善がないと困る訳だ。
アメリカ人の考える神は、絶対的正義のようなもので、全くの幻想だなのだ。

アメリカに限らないが、オーケストラには指揮者がいる。
指揮者は絶対だ。
アメリカ人の考える神は、この指揮者のようなものだ。
指揮者のいないオーケストラはあり得ない。
そして、アメリカ人は指揮者のような、全てを統率し、命令する神がいると思っている。
その意味では、スティーヴン・ホーキングが言ったように、神はいないのだ。

日本の雅楽には指揮者はいない。
どれかの楽器が指揮を兼ねていると言う人もいるが、それは疑問だ。
冨田勲さんが昔の本に書かれていたが、たとえ西洋式のオーケストラですら、演奏者というのは、実際はそれほど指揮を見ていないものらしい。
私は、本当は指揮者なんていらないのだと思う。
指揮者をなくしたら、オーケストラ音楽はもっと進歩すると思う。
まあ、今は信じてもらえないだろうと思うが。

アリやハチが巣を作る時に、誰も統括しなくても良いように、指揮者も不要だし、絶対的正義なんてものも不要だ。
人間の観念で作った神や仏で自我を押さえつけてはならない。
正しくは、自我を変容させることだ。
そうすれば、無量寿経にも、心がそのまま仏であると書かれているが、その通りだ。
例えば、無心に好きなことをしている時の心が神そのもの、仏そのもので、そんな心で演奏していれば、指揮者など不要なのだと思う。

改めて言うが、頭で作り上げた、客観的な正義や愛を神だと思って、それによって自我を押さえつけてはならない。
そんなことをすれば、自我はますます神から分離し、荒れ狂い、苦しむだろう。
そうではなく、ただ、神の名や呪文を称えることだ。
しかし、アメリカ人には、誰の陰謀か知らないが、ゴッドという偽の神の名を与えられた。
ユダヤ人だけが、アドナイという正しい神の名を使っている。
だから、ユダヤ人は賢く強力で、ほんの僅かな数のユダヤ人がアメリカを支配しているのだ。
インドの人にとって、正しい神の名が「アハン(私)」であるように、アメリカ人にとって正しい神の名は I AM である。
だが、我々日本人には、多くの尊い神の名が与えられている。
神の名が神なのである。
それを称えれば、心そのものが神になる。
さらには、古神道の呪文もいろいろ揃っている。
だから、雅楽には指揮者はないのだ。
せっかく日本は恵まれているのに、アメリカの悪いものを沢山取り入れてしまったが、今は、アメリカが日本的になってきている。
だから、我々は良い見本にならなければならない。









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ナスカの地上絵は不思議なものではない

アリやハチってのは、見事に幾何学的な巣を作るのだが、考えてみれば、設計図がある訳ではないし、現場監督がいて、個々のアリやハチに指示を出している訳でもない。
それぞれのアリやハチが勝手に仕事をしていても、最後にはその全ての仕事が、調和あるものに統合されるのである。

一方、ミケランジェロ等の大画家が、大壁画を創る時は、最初にガシっと構想図を描き、自分1人で描く時は何度も構想図を確認するし、大勢の画家に描かせる時は、それぞれの画家に細かく指示を出す。
アリやハチに比べれば、随分、ご苦労なことである。
ところが、東京スカイツリータワーの1階に、チームラボ株式会社が創った40メートルの巨大壁画「隅田川デジタル絵巻」は、手描きの恐ろしく細かい「世界一情報量の多い絵」(しかも動く)でありながら、チームラボ代表の猪子寿之氏(初音ミクの熱烈なファンである)によれば、沢山の作り手達は全体を把握せずに描いたと言う。これは、アリ、ハチ的に創ったということと思う。
そして、こういった制作の仕方は、欧米人には無理で、日本人にしかできないことらしい。
(ただし、西洋の優れた大壁画も、やはり作り手達は自然に強い協調を感じてくるのだと思う。そうでなければ、感動的なものにはならないはずだ)

つまり、アリやハチや日本人は、自分の近辺とコミュニケーションすれば(あるいは自分が見える範囲を熱心にやれば)、結果、全体が調和してくるのである。
まるでテレパシーだが、やはり、精神というものはつながっているということなのだろう。
それなら、ナスカの地上絵なんて、別に不思議なものではないかもしれない。
あれを見て、太古の昔にヘリコプターみたいなものがあったのだと考えるのは、いかにも西洋的発想である。
しかし、インターネットで個々人が自由な活動をするようになって、西洋人が日本的になってきているのである。
初音ミクがアメリカで人気が出るのは、日本人的なアメリカ人が増えているからなのだと思う。
初音ミクこそ、個々のクリエイターが自由な活動をしているのに、それらが全て、初音ミクという土壌に調和しているという、テレパシーにも感じる不思議な共感を見せてくれているのである。
だから、チームラボの猪子社長が初音ミクを超好きというのもうなづける訳である。

我々も、自分の好きなことを熱心にしていれば、それが地球規模で調和をもたらし、結局は、それで成功するのである。
だから、アリやハチが、「シンドイなあ」とか言わずに、おそらくは快感と共に熱心に働いているように、あるいは、好き勝手に阿波踊りを踊っている集団が全体で協調してくるように(実際に、チームラボには、数百台のスマートフォンの中で小人が阿波踊りを好き勝手に踊って、全体で自然に1つのストーリーになるというメディアアート作品がある)、やっぱり、一人一人が好きなことをしなくちゃいけない。

で、どうやったら、自分の好きなことができるの・・・なんて聞きたい人が現在は多いのだ。
そりゃそうだ。子供の時から、好きでもない授業に出させられ、好きでもない試験で良い点を取るよう強制され、そんなことに従う度合いが大きいほど、日本人的感性を失くしてしまったのだ。
だがまあ、心配ない。
いつも言うように、呪文を称えることだ。
欧米人的感覚では、「そんな馬鹿な」と思うだろうが、古くからある呪文というのは、普遍的精神と共鳴し合い、穢れて固くなった潜在意識を清め、本来の日本的感覚を取り戻す。
まあ、欧米人がやってもそうなのだから、日本人ならもっと容易い。
日本人でも、初音ミクさんのファンなら特に簡単なことだ。
昨夜も述べたが、古事記の神様の名前をよーく見ると、祝詞の「祓えたまえ、清めたまえ」のように、潜在意識の穢れも清められることだろう。
あるいは、『ラーマーヤナ』のような面白い古典を読むのも良いと思う。









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『古事記』は神様の御名の宝庫

大人向けの『古事記』を読む時の障害には、この本の最初のところで、難しい神様のお名前が止め処も無く出てきて、それらを読んでいるうちに、
「こんなに沢山のお神様の名前を読んで、何か意味があるのだろうか?」
と疑問に思ってしまうことだ。
それで、神様のお名前はもういいや、飛ばしてしまおうと思っても、それは何だか気持ち悪いし、それに、覚えていないとお話が分からなくなる場合だってある。

どうも『古事記』はやっかいだという感じになる。
また、お話そのものも、奇想天外というか、どこか・・・いや、はっきり言って馬鹿っぽい。
「いや、深い意味があるんだ」
と言ったって、姫様がウンチしている便所に、姿を変えた神様が流れてきて、下から姫様の大事なところを突いた・・・なんてものに、どんな意味があるってんだと、文句の1つも言いたくなるだろう。

では言ってしまうと、お話自体に意味はない。
「そんなこと言って良いのかい?」
と言うなら、改ざんされている可能性が高いからと言い換えても良いだろう。
いや、そもそも、作者は、「意味がないってことが、いくら何でも分かるだろ?」と言っているかもしれないのだ。

『古事記』の本当に大事なものは、実は、最初に述べた、次から次に出てくる神様のお名前なのだ。
これらの神様のお名前を見て、読むことが本当に重要なのである。
『古事記』は、神様のお名前を知らせるためのもので、お話は、ついでというか、どうでも良いのである。
そして、『古事記』の文章を改ざんした者も、神様のお名前までは改ざんできなかったはずなのだ。

神様のお名前を称えることに意味があるのだ。
神様のお名前を声に出して言ったり、心に想えば、計り知れない、大きな功徳があるのである。
アメノミナカヌシや、アマテラスといった大神様だけが大切なのではない。
水の神、風の神、火の神など、あらゆる神様の名が尊く、神の名が即ち神であり、それを読むごとに恵みが与えられる。
そして、心に響いた神の名があれば、それを覚えて、いつも、言葉や心で称えると、ますます、その神と親しくなり、守られ、困った時は助けられ、願いがあれば叶えてもらえる。

かといって、物語が無いと、なかなか神様のお名前を読むのは難しいので、お話はリズムを取るために利用すれば良い。
だが、あくまで、神様のお名前を知り、見ること、読むことが大切なのだ。
何度も丁寧に神様のお名前を読むと、自分と近しい神様のお名前も見つかることだろう。
例えば、ミクラタナという神様をご存知か?
この神様は、イザナギがアマテラスに与えた首飾りとして描かれているが、とても尊い神なのである。
そして、神の名を多く知れば、それがあなたの生命エネルギーになる。
『古事記』とは、このように、実に有り難くも尊い、我が国の宝典なのである。
下記、最初にご紹介したkindle本は、神様の名前がカタカナにしてあって読みやすかった。
2つ目のものも、著者が同じだから、それに関しても同じと思う。









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「まあ、ここは○○さんの顔を立てて・・・」が一番良い

争いというのは、実益よりも面子の問題であることが多い。
面子がなければ、話し合って解決できることも、面子があるのでややこしくなる。
ところが、日本人というものは、昔からあまり白黒つけずに、「まあ、ここは山田さんの顔を立てて・・・」とか言うことが多かった。
こういうのはとても良いのだ。
顔(面子)は立ててもらうもので、立たせるものではない。
誰かの顔を立てれば、別の誰かの顔は潰れる。
しかし、温和なやり方で少し潰れるだけなら、潰される方も我慢する。
そして、顔を立ててもらった者は感謝し、顔を潰してしまった方に対して、すまないと思い、なるべく潰し方を小さくしようとし、さらに、何かお返ししようと思う。そして、次は、今回、顔を潰してしまった方を立ててやるのだ。

欧米では、白黒はっきりつけようとするから、顔が潰れる方は完全に敗北者になる。
だから、負けないために戦術を磨き、論争技術を磨き、戦力を増強するのだ。
だが、案外に、近年では、欧米も日本的になってきている。
そっちの方が優れていると気付く者達が増えてきたのだ。

昔、日本では、欧米式が進歩しているものだと思い込んで、日本人が欧米人の真似をした。
しかし、それはやめたが良い。
欧米には、絶対真理という幻想がある。
マスコミや国家が、「これが正義だ」と言えば、それが正義だった。
しかし、日本人は本来、絶対的善とか、絶対的真理という幻想は持たなかった。
いや、絶対的真理は人間ごときに分かるものではないという高貴な理解があったので、さっきも言ったように、「ここは山田さんの顔を立てて」になり、白黒をつけようとしないのだ。
そして、今は、マスコミが廃れ、インターネットにより価値感が多様化する中で、絶対的善、絶対的真理が幻想だということに欧米でも気付きつつある。
昔、東洋文化の影響を受けてヒッピーが現れ、ある面では普通の欧米人より幸福になったのだが、かなり歪んでいた。
しかし、今は、インターネットで日本の文化が初音ミクなどに乗って欧米に流れ、「こんなにいいものがあったのか!」と思う欧米人が増えてきているのだ。

本当は、自分が折れて負けてやれば良い。
しかし、欧米の契約社会では、折れたら自分が全面的に悪いと認めたことになり、損害賠償を払わねばならなくなり、最悪、殺されても仕方がないことになる。
なら、面倒な契約はしないことだ。
何かのサービスを利用しようとすると、長々とした契約分を見せられ、「合意しますか?」などと聞かれる。
そんなもの読める訳がないし、契約は書いた方が有利になっており、こちらが窮地に追い込まれるような条項だってあるかもしれない。
しなくて良い契約ならせず、どうしても仕方がない契約だけすることだ。

争いになれば、折れることだ。
老子22章に、「曲則全」とあり、自分が曲がる方が自由自在なのだ。
老子には、古くから伝わるこの言葉には偽りなしとある。
アメリカの賢者エマーソンも、道を譲られた方は、譲った方の回りをぐるぐる回るしかないと述べている。
理屈で考えるとありえないし、不思議なのだが、賢い人は、自分が折れる者が真に強く、真に勝つことをよく知っているのだ。
ましてや、面子だけが問題のつまらないことでは、どんどん折れて、どんどん負ければ良い。
世間の人は、折れると、今後ずっとなめられてしまうから大変だと思っている。
そんな愚か者達にはなめられておいたら良い。
そんな者達が強くなることは決してないが、こちらは折れる度に強くなるのだから。
実際、したたかな者同士では、お互いが折れ合い、譲り合う。
それで仕方がないから、五分と五分で手打ちにするのだ。
大物の理屈は小物の理屈とは逆なのである。

確かに、ビジネスでは、どうしても譲れない利害というものはある。
譲れるところを見極めることができる者がビジネスの達人である。
もちろん、譲ってはならない利益を譲るのは、馬鹿というか、未熟なのである。
しかし、どんな時も全ての利益を取ろうなんて者は、絶対に成功しない。
ビジネスはギブ・アンド・テイクだ。
総取りなんて、愚か者のすることだ。
一時的にそんなことができても、いずれ全て失うだろう。
世界的なビジネスマンだったアーマンド・ハマーも、「儲け話は他人に譲った」と述べていたが、成功する者はそうなのだ。
まずは、個人的なこと、実害を伴わないことで練習することだ。
そうすれば、コツが分かってくるだろう。
例えば、電車の座席は、脚が悪いのでもない限り、必ず譲り、歩いている道も、自動車での道も、自分だけが譲れば済むなら譲ることだ。
それが、魔法の修行である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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