ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2014年08月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

進化の度合いは静かさに現れる

人間の進化の度合いは、あらゆる意味で静かさに現れる。
私が勤務する会社にも、休憩室(リラックスルーム)とかいうところがある。
そこには、缶コーヒーや缶ジュースなどの自動販売機があるのだが、取り出し口に覆い扉が付いていて、全ての人がそこから缶ジュースなどを勢い良く取り出すので、その度に、覆い扉が叩きつけられるように閉まる音が鳴り響いている。
なんで、もっと静かに取り出せないのかと思うのだが、皆、音を立てないと損だとばかりに、部屋中に騒音を響かせるのだ。
また、その部屋の椅子はキャスター付きでないのだが、音を立てないよう配慮しながら引いたり戻したりする者は皆無で、あちこちで、椅子の脚が床をひっかく音が鳴り響いている。
電車の中でも、物凄い音で咳払いしたり、喉を鳴らす者がいる。
それは大概、中年以降の男性に多いが、若い人も、イヤホンで音楽を聴きながら、床をかかとで鳴らし続けたり、カバンを指で叩き続けるような者もいる。

こういった騒音を立てまくる連中というのは、本当に可哀想なのである。
また、音としてはそううるさくないかもしれないが、夏であれば、団扇や扇をずっと動かしている者や、椅子に座っていても、立っていても、ずっと身体を動かしている者、あるいは、やはり電車の席で、カバンの中をいつまでも(座ってから降りるまで何十分でも)ガサゴソと漁り回している者(中年以降のオバさんに多い)とか、とにかく、落ち着きのない者が多い。
スマートフォンの上にずっと指をせわしく這わせ回し続ける者は、人間ではなく、猿にしか見えない。

こういった、音を立て続け、せわしく、落ち着きなく動き続ける者が、人々の役に立つことはない(むしろ迷惑をかけ続ける)ので、豊かになることはないし、日々健康は損なわれ、精神は崩れていく。
進化のレベルから言えば、やはり、人間よりは猿に近いのである。
猿は、自分が強いこと、偉いことを訴えるために、うるさい音を立てるものなのであるが、猿なら、他に方法がないから仕方がない。しかし、人間はそうではないのだから、猿と同じことをやっているのは、あまりに惨めなのである。

進化した人間ほど音を立てない。
高度な人間は歩いている時も足音がない。
呼吸の音も聴こえない。
愚かな者は、どうしても咳をしなければならない訳でもないのに、やたらと咳をし、その度に遠慮なく大きな音を出し、つばを撒き散らすが、優れた人間なら、やむなく咳をする場合でも、ハンカチか少なくとも手で口を押さえ、なるべく音を出さないよう気を使う。

昨夜も書いたが、力ある人間は肛門が閉まっているので、座っていても立っていても身体が安定して動かず、特に際立った人間であれば、まるで彫像のようだ。
高度な人間は、注目を集めることを好まない。
しかし、下劣な人間は、『星の王子様』に出てくる、自分が感心されることにしか興味がないおかしな男のように、他人の目を引きたがる。
高い段階に進歩した人間は、自分よりさらに上位の見えない存在に心を向けているので、他人のやることに関心がない。

心の状態は身体に現れる。
身体がいつもだらしなく動いているなら、心もそうなのだ。
始終やかましい音を立てている者は、心の中も騒がしい。
人間のゴールは、静かな心、不動の心なのであるから、うるさい、落ち着きのない人間がいかに幼稚な者であるかが分かるだろう。

そして、音を立てず、身体的にでも静止することを心がけていれば、心もそうなる。
心が静かで不動なら、能力は高くなり、偉大な力と一致し、直観は冴え、望まずとも幸運に恵まれ、必要なら金だって雪崩のように押し寄せてくる。
そのためには、昨夜も書いた通り、気がつくたびに肛門を締める練習をし、ついに、常時、肛門が締まっているようになれば、あらゆる良きものを具えた存在となるだろう。









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偉人たちはこれだけを教えるべきだったのかもしれない

昨夜書いたが、『こうして、思考は現実になる』(サンマーク出版)にある、48時間以内に神様に贈り物をもらう実験で私が得たのは、物ではなく、「肛門を締めろ」という知識だった。
これまでも、あらゆるところで、この、肛門を締めるということを見ていたはずなのに、なぜか徹底していなかったのだ。

中村天風は、いろいろ立派なことを書いていたが、何のことはない。
ただ一言、「肛門を締めろ」だけ教えれば良かったんだ。
天風さんすら、常に肛門を締めていられるようになるのに3年かかったって言うんだから、余計なことは一切言わず、この一番肝心なことだけを言うべきだったのだ。
他にも、およそものが分かっている人は、皆、肛門を締めることを教えているのに、やはり皆、他のどうでもいいことをタラタラ言うので、この肝心要のことを誰もやらず、誰も幸せになれないのだ。

若いっていうのは、肛門を締める力が強いってことだ。
肛門が締まっていると目の輝きが違う・・・と天風さんも言っていたが、その通りだ。
肛門の締まった男には、女の子がいくらでも寄ってくるし、女性であれば輝く魅力に溢れるが、気高さがあるので、安い男は近寄ってこれない。

木枯し紋次郎が、目に凄みがあり、チンピラなんか10人寄ったって、貫禄負けして怖気づくのは、紋次郎は毎日60~70km、風に乗ったように歩いているので、それで肛門が締まっているからだ。
紋次郎が、いかなる危機も乗り越えるのもまた、肛門が締まっているからだ。
中村天風は、明日銃殺になるという晩にも平気で寝たし、いざ銃殺という刹那に助けが来ている。
肛門が締まるとそうなる。
カール・ゴッチが世界一強かったのは、毎日1万回のスクワットをしていて、肛門がしっかり締まっていたからなのだろう。
1万回のスクワットなんて、スポーツ医学的には絶対に間違ったトレーニングだと言われるだろうが、そんな理屈の世界など超えた、肛門を締めるための最高のトレーニングなのだ。

あなたも、今から、気がついたら肛門を締めるよう。
上に引き上げるように締めるのだ。
同時に、臍の周りに力を入れると良い。
元々が、肛門を締めると腹に力が入るので、やりやすいはずだ。
腹筋は鍛えられ、ぎゅっと引き締まり、男ならヒーローのような身体になり、女性なら、女神のような、妖精のような、あるいは、初音ミクのようになるだろう。
当然、肛門を締めれば、願いは叶い、金はいくらでも出来るだろう。

肛門を締める訓練についてしっかり読みたいなら、下に紹介する中村天風の『幸福なる人生』に書いてある。
これは、元々CD本で5万円くらいしたらしい、新版でも3万円くらいする『心身統一法入門編』と同じ内容だ。
紙の本も電子書籍もあるが、ごく普通の価格(1500~2000円位)で、非常にお得だ。









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なぜ観音様に頼むと良いのか?

神仏に願い事をする時、もし具体的に願う相手(神仏)を決めたいなら、阿弥陀如来か観世音菩薩が良い。
なぜなら、この2柱の仏は、極めて慈悲深いからだ。
古事記やギリシャ神話、北欧神話、ケルト神話、あるいは、インド神話の神々というのは、どこか、くせがあったり、恐ろしかったりして、どちらかというと、福をくれるからというよりは、機嫌を損ねて災いを受けないために祭ることの方が多いのだと思う。
仏教の仏様にしても、大日如来は密教の仏様で、どこかつかみどころが無いし、他の仏様、菩薩様も、個人的にものを頼める相手ではないように思う。
だが、阿弥陀如来や観世音菩薩は、一人一人に対応してくれることで知られている。
だから、願い事がある時は、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」と言っても良いし、普通に、「阿弥陀様」「観音様」と言っても良い。
ところで、観世音菩薩は、この世で人間を救うのだから、より頼み易いが、阿弥陀如来は、死後、極楽浄土に迎え入れて、そこで悟りを開かせてやる役目のように思われているかもしれない。
これに関しては、一休さんが、極楽浄土は遠いところにあるのではなく、今、この場にあるのだと言い、伝統的な考え方にこだわらないよう教えている。
ただ、阿弥陀如来に頼べば、観世音菩薩や勢至菩薩がこまごまと世話を焼いてくれるそうであるから、どちら(阿弥陀如来と観世音菩薩)に頼んでも同じことになる。
阿弥陀如来が仏様で、観世音菩薩は菩薩様なので、力に差があるのかというと、阿弥陀如来はもちろん、全知全能、宇宙最強なのであるが、観世音菩薩も本来は仏様なのである。ただ、観世音菩薩は、かたじけなくも、人々を救うために、自主的に菩薩の地位に下りてきてくれたのである。
また、『観無量寿経』に書かれてある通り、実を言うと、阿弥陀如来と、観世音菩薩、勢至菩薩は、ほとんど違いはない。
そして、観世音菩薩と勢至菩薩は全くと言って良いほど同じである。

神仏に願い事をする時、後ろめたさがあるなら、自分の中にやましさがあるのである。
そして、やましさがない人間はいない。
しかし、やましい・・・つまり、良心が咎めるというのは良い感覚で、それを感じるのは健全なことである。
やましさを感じなくするためには、無になる、つまり、忘我、没我、無我になれば良い。
そのためには、「文句を言わない」練習をし、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」練習をすれば良い。
後ろめたさがあっても、観世音菩薩は願いを聞いてくれるが、こちらの方で、「いや、あの・・・やっぱりいいです」と言ってしまうものである。
そんな時、観音様は、黙って待っていて下さるのである。
『観無量寿経』を読むと、心があっけらかんとしてきて、仏様に対して気楽になる。
つまり、心にかげりが無くなるのだ。
すると、願い事もしやすくなるだろう。

言うまでも無く、仏様や菩薩様というのは、レトリック・・・つまり、うまい喩えではあるのだが、心の深層のイメージを巧みに表したもので、そのまま素直に受け取って構わない。
人間は、具体的な形で表現しないと分からない。
宗教は、元々は簡単なものだったのに、権威を作るために複雑化し、そして、形骸化してしまった。
本当に偉い坊様ほど単純なことを教えるものである。









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神様はプレゼントをくれたのだけれど

『こうして、思考は現実になる』という、新しい本がある。
48時間、つまり、丸二日単位で実験を重ねることで、神の存在とその力を確信し、自在に使えるようになるというものだ。
最初の実験は、48時間以内に、神様に贈り物をもらうというものだ。
偶然で片付けられない、神が存在することの明らかな証拠となるようなプレゼントだ。

やってみたのだが、神様はちゃんとプレゼントをくれた。
ただ、神様は、嫌々くれたというのではないし、本当に凄いものをくれたのだが、私の方がどこか後ろめたい。
イエスは、旧約聖書の言葉を引いて、「汝の神を試すな」と言った。
それは、つくづく大切だなあと思った。
実験なんかしなくても、百万円欲しかったら、「神様、百万円下さい」と頼めば良いし、可愛い彼女が欲しいなら、やはり、それをお願いすれば良い。
何度も頼まなくたって良い。
神様は、あなたと違って、記憶力は抜群だし、ついうっかりするということもない。
木枯し紋次郎のように、後は、黙ってじっと待っていれば、どんな願いも叶う。
実に、『木枯し紋次郎』は、最高の引き寄せの書だ。
紋次郎は、同じやり方で、何度も奇跡を起こしている。
紋次郎は、いつでも無になれるからだ。
読めばそのコツが分かると思う。
下にご紹介した、ベスト・オブ・紋次郎の上下巻にも、良い話が選ばれている。特に下巻が良いと思う。
私は全14冊(全15巻だが、第4巻だけがKindle化されていない。これは明後日発売)を読み、今は、『帰ってっきた紋次郎』シリーズの最後の6冊目を読んでいるところだ。

難しいことは何もない。
一応、誰かさんということにしておくが、その人は貯金が100万円ほどしかなかったが、150万円くらいの車を欲しいと思った。
それで、神様に100万円頼み、後は忘れた。
そうしたら、200万円振り込まれてきたので、余分な100万円は親にやったという。
何でこんな簡単なことができないのか不思議である。

よければ、マイケル・ブルックスの『ビッグクエスチョンズ 物理』を読んで欲しい。
難しい本じゃない。
この本を読んで、我々が思っているような意味での物というものは無いのだと知って欲しい。
すると、神様にお願いするのも楽になると思う。
後は、慣れれば良いのだと思う。









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神様の幸せな扶養家族になる方法

子供の時に見たきりなので詳細は覚えていないが、『スター・トレック』で、カーク船長達が、遠い宇宙で、ついに神様に逢うというものがあった。
その神様は、白い髪と白い髭で厳(いかめ)しい顔の、多くの人にとって、まさに神様のイメージに合う・・・顔だけの存在だった。
神話で言うなら、神々の王ゼウスの顔のイメージかもしれない。
その神は言う。
「わしはいよいよ、お前達が住む星々のあるところに行き、わしに逆らう愚か者を懲らしめ、わしを崇める者を救う。よって、お前達の宇宙船を差し出せ」
そして、強力な雷による破壊のパワーを見せる。
すると、やはりびびっていたカーク船長は、一応は恐縮し、へりくだりながら言う。
「あの・・・お言葉ですが神様。どうして神であるあなたが宇宙船など必要とされるのですか?」
すると神は、わしに意見するとはけしからんと激怒する。
もちろん、それは本物の神であるはずがなく、ただの化け物である。

ところが、多くの人達が、やはり、このような変な化け物みたいなのを神だと言って崇めている。
どの国の神話に出てくる神様も、こんな風に、プライドのかたまりで、ご機嫌をとるとニコニコしているが、少しでも逆らったり、疑う態度を見せるとゆでダコのように真っ赤になって怒り、荒れ狂う。
そんな、酔っ払いのオッサンのような、本当はスケベなだけの学校の校長先生のような、昔は立派だったが、すっかりもうろくした「偉いさん」みたいなのを崇めている人がいっぱいいるのだ。
そこにいくと、仏教の仏様は、本来の神様らしいところがあるのだと思う。
だが、仏典を見ると、仏様にも序列があって、一番偉い仏様というものがあり、人々はそれにこだわったりする。
あるいは、法然の『選択本願念仏集』には、阿弥陀如来だけを拝む者は救われるが、他の仏様に浮気する者は、阿弥陀様はかまってくれないとか書かれていて、人々はそんなことにもこだわってしまう。
まあ、『選択本願念仏集』のこのあたりのことは、当時の人の理解に合わせて書いたことなのかもしれないが、それでもやっぱりおかしなものだ。
そして、阿弥陀如来は、あくまで、死後、極楽浄土に連れて行ってくれるものであって、ちっとも高尚でない願いなんて聞かないのだと言われたりする。
そこで、親鸞が、せっかく、「いやいや、阿弥陀様は、現世利益だって無限に下さるぞ」と言ってくれたのに、偉いお坊さん達は、「そうではないぞよ。親鸞の言葉には深い意味があるのじゃよ」と、それを否定し、ややこしくしてしまう。
私なんて、今よりもっと人間性が低い、どうしようもない半端者だった頃にも、神様仏様にお願いして、セールスのオーダーを取って、結構良い思いをしていたものだった。
あるいは、サンスクリット語の、意味のさっぱり分からない呪文を唱えないといけないなどといった、変なことを言う変なお坊さんとか「指導者」とかも多い。
まあ、呪文も、なかなかムーディーで良いとは思うが、こだわることではない。
別に立派な心根の者でないと神様は願いを聞いてくれない訳ではないのだと思うが、心が歪んでいたり、自己中心主義だったり、邪まな願望が多かったりすると、いろいろ不都合なことも起こしてしまうのだろうとは思う。
そんなことは、親が何でも言うことを聞いてくれる、大金持ちの坊ちゃんや嬢ちゃん達が、ちっとも幸せそうでないところを見ても類推できるのではないかと思う。
それで、神様の平和な扶養家族になるためには、「文句を言わない」練習をしたり、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」練習をすのが一番簡単で楽な方法なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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