ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2014年04月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

希望の源

何も望まず、全て起こるがままに任せていられれば良いのだけれど、人間は希望がなければ生きていけない。
大抵のことは金でカタが付きそうだが、金がなくて惨めな思いをするのだし、病気だって治って欲しい。
それで、希望を求めて変な宗教に入るのも仕方がない。
だが、希望はあるのだ。
神や仏という言い方が嫌いだとしても、人の表面的な心の奥に、深い心があることは科学的なことだし、信じることができると思う。
人にとって、宇宙の大きさが計り知れないように、深い心の大きさも想像もできない。
そして、深い心を通じて、物理的には離れていても、生物、非生物を問わず、全てがつながってると考えることも、静かに思いを巡らせば同意することができるし、少なくとも否定する理由は何もないのだ。
フロイトとユング、あるいは、他の心に関する科学者達の意見は、微妙に、あるいは、部分的には大きく違うが、皆、「本当のことは分からない」と言っているのだ。
ただ、皆、自分は他の研究者より少しマシだと思っていて、他の研究者は自分よりいくらか劣ると思っているだけだ。
しかし、未来の人や、進歩した宇宙人から見れば、さほどの差はないのだ。
だから、細部にこだわらず、ただ、我々の精神の中に深い心があることだけに注意し、一応、それを潜在意識と呼ぼう。

我々は、お金が欲しいし、健康が欲しいし、良い伴侶も欲しいかもしれない。
だが、残念なことに、我々はどうすればそれが得られるかは分からない。
分かっていると思う者は、たまたまうまくいっているとしても、それが自分の力によるものではないことを知らない傲慢な馬鹿なのだ。
だけど、自分には分からないが、潜在意識は、自分を金持ちにする方法、病気を治す方法、理想的な恋人や伴侶を得させる方法を全て完全に知ってるのだ。
それだけ分かっていれば、他には何も必要ない。
後は潜在意識に任せて、余計なことを考えなければ、それで生きていけるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

コンピュータープログラミングは読み書き計算の直後に位置するものである

社会において、特技があるということは、野球選手でいえば、腕力があるとか、足が速いとかいうのと同じで、大きなメリットである。
私の場合、自分に分かることといえばコンピュータープログラミングしかないので、何か特技をということになれば、これを勧めるしかなかったと思っていたが、そういうことではないのかもしれない。
現在、コンピューターと教育の両方を高度な専門とする人は、コンピュータープログラミングは、読み書き計算と等しい誰もが身につけるべき能力だと言う。昔の日本なら、読み書きソロバンと言っていたのと同じである。
だが、もっと昔から、これからの国際時代は英語が必須だと言われることがよくあった。しかし、たとえ英語を習得しても、おそらくほとんどの人は一生使うことはないだろう。
土台、日本人同士でも、それほどの会話をしていないのである。
それに、日本語での読み書きや会話の能力が悲惨なまでに劣悪になっているのに英語どころではないはずだ。
ロクな日本語を話せない、読めない、書けない日本人が英会話学校でチャチな英語を習っているなんて滑稽だと思わないだろうか?
もし英会話を習得したいなら、スマートフォンのOkPanda(アプリとサービス)や、宣伝が多過ぎて抵抗はあるが、スピードラーニングというものは、おそらく非常に効果的だと思うし、費用も安く、時間も取られないので、やるならやるで、そういったもので気楽にやれば良いと思う。

英語より、コンピュータープログラミングの方がはるかに重要なのだと思う。
実際、読み書き計算、プログラミングだと言って良いと思う。
昔なら、読み書き計算で良く、論理に関しては後回しになることは仕方がなかった。それで、実際、ほとんどの人が論理を身に付けるまでにお墓に入ることになっていた。
しかし、人類が一歩前進した現在は、読み書き計算に加え、基礎的な論理性が必要になってきた。
つまり、庶民が、ただ機械的に労働できれば十分という時代ではなく、一人一人が自分の頭で考える時代だ。
フォード自動車を創業したヘンリー・フォードは、工場労働者が自ら自動車を買えるよう、自動車のコストダウンに取り組み、そして成功した。
それな素晴らしいことだったかもしれないが、フォードは、労働者は労働者の分をわきまえていれば良いと考えていたはずだ。
しかし、今の時代にただの労働者は必要ない。
学校がなぜ時代遅れなのかというと、そもそもが、工場労働者を作るための訓練をする場であるという意味で百年以上前から全く変わっていないからだ。
百年前の人間を連れて来ても、学校だけは学校だと分かることが容易に推測できるのである。

あるいは、英語に時間を割くなら、科学を学ぶ方が良い。
その場合、多くの人が物理や化学には取り組むが、もっと、生物学、生理学、微生物学、脳機能科学や神経学に目を向けるべきだろう。
我々は生物であり、環境や他の生物が重要で、また、気が付き難いが確実に共存している微生物は極めて重要なのに、ほとんど何も知らないのだ。
また、我々は自分の頭についてもっと理解しなければならない。

さて、読み書き計算と論理思考に戻れば、論理思考を訓練するのに最適であって、有益なものがコンピュータープログラミングである。
この中には、構想を立て、手段を選択し、問題を分析し、矛盾を発見し、障害を回避する・・・などといった、実社会で生きる上に必要なことが全てが含まれているのだ。
これほどのものは、他にはない。
それに、現代の社会で、コンピュータープログラミングが存在しない場所はないと言って差し支えなく、社会を理解するためには、コンピュータプログラミングの訓練をすることが極めて有益、あるいは、必須なのである。

もし、コンピューターそのものを理解したいなら、アセンブリ言語や、少なくともC言語を学べば良いかもしれないが、コンピューターの基本に関しては概要を理解するに留め、実用になることができないと、社会的な特技にならないというだけでなく、我々は、実践で使うものしか本当には理解できないということを忘れてはならない。
多くの人の場合、C言語やJava言語、ましてや、アセンブリ言語を習得しても、役に立つことはなく、そして、役に立たないなら、本当には分からないのだ。
それならば、私がいつもお薦めする通り、ExcelやAccessのVBA言語を習得すべきと思う。
ExcelやAccess自体が、仕事や研究で極めて有益なスーパーツールであるが、VBAは、これらのツールの機能を直接操作できることが素晴らしいのである。
ExcelやAccessといった磨きぬかれてきたソフトウェアの機能をプログラミング言語でコントロールすることほど、本当にコンピューターを理解できる方法はないということに、ほとんどの人が気が付いていないのは残念である。
しかも、仕事にすぐに役立ち、仕事が楽で面白くなるという愉快なことが起こる。
そして、仕事や研究の幅が広がり、大きな成果への道も開かれる。
早く取り組んだ者が勝者になるが、さりとて、今後の時代には敗者はいない。
コンピュータープログラミングで本当の論理性を身に付けたなら、世界に他人はいないということが分かると思う。
そうなれば、外国語は、もっと楽に、時間もお金もかけず、自然に身につけられることなるだろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

まとまった食事をしない私の生活

私はずっと、炭水化物や砂糖などの糖質をなるべく食べない生活をしているが、ビスケットの中でもあまり甘くないクラッカーのようなものを少しは食べている。
具体的には、ナビスコのリッツクラッカーだ。
しかし、炭水化物や砂糖の入っていない食べ物は本当に少ない。
肉は嫌いではないのだが、やはり普段は食べる気にならない。
オバマ大統領も普段は大変な少食で、肉も食べないそうだが、会食の時はもちろん、家族と食事をする時も、ステーキを美味しく食べるらしい。
私も、楽しい会食の時であれば何でも食べるが、毎日、肉や魚を食べられそうにない。
フィッシュソーセージも買ってみたが、1本食べるとあまり気持ち良くなかったので、残りは近所の猫にでもやろうと思う。ひょっとしたら、猫が遊びに来てくれるようになるかもしれないしね。

それで、最近の私は、普段は食事というものはせず、ナッツを時々食べ、また、時には同時にクラッカーを食べている。
会社から帰ってからは、今日で言えば、ゆで卵と納豆を食べただけだ。
ただ、寝る前に、フランス人の健康法である赤ワインを飲みながら、チーズを少し食べる。
また、氷を解かした水の入ったタンブラーをいつも冷蔵庫に入れて、その水を飲んでいる。
(姪っ子にもらった、初音ミクのタンブラーだ)
氷を解かした水は、摂氏30度になるまでは氷の結晶が残り、これが生命力を非常に高める効果があることは科学的にも認められていて、渡り鳥が卵を産む時に寒いところに行くのも、雛を雪解け水で育てるためであるらしい。

後は、藤田紘一郎博士の言うように、腸内環境を整えれば、アレルギーも治るかもしれない。
藤田さんの方法とは違うが、また、EM1号でも薄めて飲もうかと思う。
私は実際、EM1号で、医者に見離された末期の癌を治してしまった人を知っているのである。
ただ、EM1号は、土壌環境改良用であって飲料用ではない。飲料用にはEM-Xというものがあるが、少々高いし、本当は、生きたEM菌であるEM1号の方が良いというのを聞いたことがある。
ただし、飲むにしても、あくまで自分でよく調べて納得してからにした方が良いかもしれない。
確かに、EM1号を飲んで事故が起こったという話は聞いたことがないし、EMに関する多くの著書がある医師である田中茂さんは、EM1号が無害であることを専門家に調査させて確認したことを以前の著書に書かれていた。
個人的にはEM1号を飲むことには何の不安もない。
あるいは、EM醗酵物質から作られていると言われるマザータッチ(洗剤)も全く無害らしいので、これを飲んでみるのも良いと思う。
私は、マザータッチは薄めて液体歯磨きとして使っているが、もう10年以上、虫歯になったことはない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

人生に必要な自信をどう育てるか

小学生の頃までは、特に人生で初めて行うようなことが沢山ある。
絵を描くことだけなら、初めて描いた時のことはもう憶えていないかもしれないが、初めて色鉛筆で描くとか、初めて絵の具で描くとかは、ある程度、思考力が発達してからのことが多いと思う。
初めてペーパーテストを受けたり、初めて跳び箱を飛んだり、走り高跳びをやったり、一人でお使いに行ったりと、いろいろな「初めて」がある。
そんな全ての初めてが人生に大きな影響を与えるに違いない。

そして、初めて何かをやる時、自分はそれをうまくやれるという態度を取れること、ちゃんとできるはずだという気持ちを持てることが大切であるはずだ。
できるという自信を持って取り組む子はうまくいくが、自信がなく、こわごわやる子は良くない結果になることが多いだろう。
自信がある子は、たとえ最初少し失敗しても、そんなことは気にせず、「うまくいくまで諦めない」。
改めて考えると、子供が初めて何かをやる時の、親や教師のあり方のなんと重要なことだろうと思う。
よく、「誉めて育てる」とか言うが、もう大きくなっていたり、まして、大人になっている相手にはほとんど何の意味もない。
子供の時、初めて何かをする時、最初に少し失敗があっても、「気にしなくていいよ」「もう一度やってみよう」「なかなか良かったよ。次は大丈夫」と励まし、うまくいった時に誉めてやればその子は自信を持ち、次のチャレンジにも意欲的、積極的になる。
ところが、子供が失敗すると、冷たく貶(けな)したり、笑い冷やかし、挙句、怒ったり、馬鹿呼ばわりして子供を戸惑わせ、恐怖を感じさせてしまう馬鹿な親が多いのである。
劣等感が強過ぎて、自分の子供ですら、うまくやれないと嬉しがる親や、子供に対して支配欲が強く、ずっと子供を自分の奴隷にしておきたい親がそうである。子供に自信がなければ、その子は一生、自分に服従すると思っているのだ。
無論、そんな親に育てられた子供は不幸である。
そして、学校の教師にだって、そんな手合いは決して少なくないのだ。
私も、初めて学校の図書館を利用した時、少し手順を間違えると、初老の女教師が目の前に仁王立ちになり、私をにらみつけて、「何やってるの!」と凄んで見せたことがあった。しかも、その日は1日中、私の失敗をあげつらい(ささいな非などを取り立てて大げさに言うこと)、お前は本当に馬鹿だと言い続けたものだ。
その女教師は、常にそうで、自分が気に入らない子供に対しては、それが趣味であるかのように(実際に趣味なのだろう)、同じようにしていたのだ。
私は1年生だったが、6つ7つの子供にも、実はそんなことはよく分かり、すっかりお見通しなのである。

インドで生まれて育ったベアード.T.スポールディングは、4歳の時、大学予備校に入学し、教師に初めてアルファベットを見せられて、「どう思う?」と聞かれ、ベアードが「分からない」と答えると、教師は、「そんな態度とはさよならしなさい。自分にはちゃんと分かっているという態度をとりなさい」と言ったという。ベアードは、そのことを忘れず、守り続けたおかげで、14歳で名門カルカッタ大学を失業できたという。

私が初めて、コンピューターのアセンブラ言語(最も直接にコンピューターに指示を出せるので、最速にコンピューターを動かせるプログラム言語)の勉強をした本には、著者は、読者を勇気付けるために、「自信さえあれば結果は自ずとついてくる」と書いていた。つまり、難しいと言われているアセンブラ言語の学習にも、「自分には分かるのだ」という自信を持つことが大切なのだということだ。
そのおかげかどうか分からないが、私はさして苦労せずにアセンブラ言語を習得できたし、その後も、様々なプログラミング言語をマスターできた。
私は、このブログでよく、マイクロソフトのExcelやAccessに内蔵されているVBA言語をマスターすることをお薦めしている。
比較的、習得が容易で(実際は、どのプログラミング言語も同じだが)、しかも、ExcelやAccessの素晴らしい機能やユーザーインターフェースを自由自在にコントロールできるVBAの便利さ、強力さは、やってみなければ分からない。
優れた教育研究者、学習心理学者が指摘するように、プログラミング言語を学び活用すれば頭が良くなり、仕事や研究の効率は驚くほど高くなり、当然にして、仕事や研究の幅も広がるので、人生を質の高いものにする道が開けるだろう。
もちろん、真摯(真面目で熱心なこと)な態度が必要であるが、それと同時に、「自分には当然にしてちゃんとできる」という態度を持って取り組めば、VBA言語を速やかにマスターすることを通じて、あらゆる可能性が開かれるはずである。

先程の、ベアード.T.スポールディングのエピソードが書かれた『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻は、単独で読んでも良く、驚くべき貴重な内容が満載されている。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

お金を賢明に使うことが難しい国

昔からお金持ちによく言われたことがある。
それは、お金は、稼ぐより使う方が難しいということだ。
以前はその意味が分からなかったし、信じてもいなかったと思うが、確かにそうだろうなと思う。
大金を手にしたら、いくら賢明に使おうと気を引き締めたって、私にはそれができる自信がない。
高級車を買うとか、豪遊をしようとは思わないだろうが、それよりも自己満足のために使ってしまうことになりそうだ。

アインシュタインは、アメリカに亡命してからは、そこそこに収入があったようだが、それを誰とでも大らかに分け合ったらしい。
彼が、自分のためにはさほどのお金を必要としなかったことは本当だったと思う。
十分に買えるお金はあったが自動車を買わず、それどころか、職場である研究所まで、バスの停留所の何区間分も歩いて通っていたらしい。
同じ職場の人が、自分の自動車に乗るよう勧めても断っていたらしい。
まあ、単に頑固だっただけなのかもしれないが、歩くことは、身体にも頭にも良いことは間違いない。
彼は、靴下も履かず、いつもよれよれの服を着て、洗濯石鹸で髭を剃っていたとも言われている。
彼が実際にはどんな人だったのかは分からないが、お金への執着からは確かに解放されていたのだろうと思う。

だが、現代の我々は、生きていくだけで多額のお金がいる。
家を持っていなければ、そこそこの部屋に住めば、一人で住むのだって、都心でなくても少なくとも毎月5万円は必要だし、保健等、断りきれずに入ってしまったものの毎月の支払いは、重なって相当な額になっている。それでもまだ、我々に毎月新たな金を払わせようとするハイエナのような連中が沢山いる。
スマートフォンを普通に持てば、月に7千円はかかるし、1万円以上払っている場合も珍しくはない。
いったい、毎月いくら払っているのか、ちゃんと把握していない人も多いに違いない(私もよく分からない)。
政府の経済対策というのは、国民のそういった毎月の支払いをますます増やそうとするものだ。
慎ましく、支出をできるだけ減らそうとする国民は政府に歓迎されていないはずだ。
そして、たとえよからぬ商売でも、国は税金を沢山納めてくれればそれで良いのである。
そのためには、ろくでもないことにでも、沢山払ってくれる者達が必要だ。
明治時代の軍備拡大のための大きな収入源は性風俗店からの税金収入であったという話もあるが、本当のことではないかと思う。

我が国は、イタリアのように、フィアット500(あるいは同等な小型車)に25年乗れば免税にするといったことは政府は決して検討せず、あくまで、新しい車を買う「立派な国民」に特典を与えようとするのだ。

そんな中で、我が国では、お金をどんどん使う人のイメージが高くなるよう、マスコミも、大企業の宣伝も強力に働きかけている。
そして、生きるだけでお金が沢山いることも実感しているので、余裕のある者は、親しい人がお金に困っていたら放っておけないのだ。
見栄と愚かな同情心を持つことになってしまい、我が国では、お金を持つと、それを賢く使うことが難しい。
私の親戚にも、大して持ってもいないのに、親しかった人の息子達がお金に困っているのを見過ごせず、大金を貸して(結果的にやって)しまった人もいた。
ところで、見栄や同情心で使ったお金は誰も幸福にしないし、自分も満足できない。
自分が、お金を賢明に使う器でないと分かったら、人にあげたくなるほどのお金を持たないのが身の為である。
お金持ちになる予定であるなら、是非、政府や大企業の思惑などは跳ね除け、お金を賢く使えるよう、精神を磨いておくことだ。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード