ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2014年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

脂肪をどんどん燃焼させるほぼ唯一の方法

体内の脂肪を燃焼させれば、確かに脂肪が減るだろう。
しかし、どうすれば、脂肪が燃焼してくれるのだろう?
運動すればどうかというと、どうも、当たり前の運動では、それほどには脂肪は燃焼しないものらしい。
大抵の運動は、グリコーゲンや糖質の燃焼で間に合ってしまうからだ。
脂肪が燃焼しやすくなるという飲み物の宣伝もよく見るが、本当にそうだとしても、あくまで「燃焼しやすくなる」であって、「燃焼する」ではないし、また、燃焼しやすくなるのもほんの僅かで、1日何リットル飲んでも、さほどのものではないと思う。
もし、飲んだだけで、それほど脂肪が燃焼するなら、何の必然性もない燃焼なのであるから、必ずや身体に悪い副作用があるはずだ。

脂肪を食べれば脂肪がつくし、炭水化物や砂糖で糖分を多くとれば、それも脂肪になり、いったん脂肪になると糖分には戻らない。
タンパク質を食べれば、タンパク質はいったん分解し、身体に合ったタンパク質に再合成されて肉になる。
ただし、肉は固定されているのではなく、どんどん新しいタンパク質に入れ替わっている。
ところで、このタンパク質を糖分に分解する働きが起これば、そのエネルギーに脂肪が大量に使われる。
急速に痩せるには、これを利用する以外にない。
しかし、血液に糖分が十分にあれば、タンパク質は糖分に分解されない。
普通の人は、ご飯やパンや砂糖をたっぷり摂っているので、血液の中に十分以上に糖分があり、タンパク質が分解されて糖にならないどころか、多過ぎる糖分が脂肪に変わるのだ。
そこで、砂糖や炭水化物を摂らず、これらから血液の糖分が得られなければ、ついにタンパク質が分解されていき、脂肪はそのために燃料としてどんどん消費される。
それで、いとも簡単に痩せてしまうのである。
米やパンといった炭水化物、それに砂糖をとらず、せっせとタンパク質を補給すればするほど脂肪は消えていく。
大豆からできたタンパク質を多く含む食品が、脂肪を落とすダイエット食だというのは正しいが、ご飯と一緒に食べたり、甘いものも食べたりしたら、ちっとも痩せず、むしろ、炭水化物や砂糖が勝って太ってしまうことが多い。
基本的には、高タンパク、低脂肪が痩せ易いのだが、脳は大量に糖分を消費するので、炭水化物や砂糖を摂らない限り、肉や魚をよほど食べたところで、太ることはまずない。
今回は省くが、炭水化物や砂糖は本当は害の多いものなので、これらを摂らなければ、痩せる上に健康になる。

上記の簡単な理屈により、痩せたければ米やパンを食べず、砂糖の入った甘いものを食べるのをやめれば良いのだし、また、それ以外の適当な方法はない。
だが、米やパンは主食であるという世間の幻想、習慣、甘い食べ物への渇望がそれを妨げる。
しかし、逆に言えば、米やパンや砂糖を断つことで、世間の幻想を打ち破り、悪しき習慣から逃れ、欲望の支配を拒絶することができる。
そのような精神に不可能はないだろう。









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悪夢をもたらす電脳社会

私がこの頃、眠っている時に見る悪夢は、妖怪やお化けの類であることは、まず無い。
ほとんど全て実社会の個人的な問題や事件である。
例えば、今朝の私の夢では、クレジットカードが1枚なくなっていたというものだった。
そんな時は、クレジットカード会社に電話して、使用停止にしてもらうのだろうが、そんな依頼をしたことのある人はほとんどいないだろうし、私もない。
そして頭に浮かぶのは、それがひどくややこいいのではないのかということだ。
なんといっても、自分が確かに、そのカードの所有者であることを証明しないといけない。
それだけではない。きっと他にも、面倒なことが沢山あるに違いない。
なぜそう思うのかというと、現代の社会は、何もかも複雑化してしまっているからだ。
私は、niftyという通信サービス会社で、昔、電話回線でのインターネット接続契約をしていた。
そして、もう随分前から、電話回線アクセスポイントもないはずなのに、解約しなかったので、10年ほどもクレジットカードで支払い続けていた。少し前に、意を決して、解約しようとniftyのWebサイトに入ったが、ひどく憂鬱だった。解約なんて、一筋縄でさせてもらえるはずがないと分かっているからだ。
案の定、IT専門家である私ですら、「さっぱり」やり方が分からない。
サイト内でそれらしいところまではたどり着き、「これだ」と思えるボタンをクリックしても、光回線やADSLなどの宣伝が出て来るばかりだ。やがて怒りを通り越し、絶望を感じた。
それで、niftyに「解約手続きを教えろ」とメールを送っても、「まずはこれこれをご確認下さい」だの、的外れな回答ばかりが来る。諦めて、長時間の超人的努力の末、遂に自分で解約方法を発見したが、まさに複雑なパズルだった。
ところが、解約処理を行い、画面に現れた「ほんとうに解約しますか?」の問いに、「イエス」とクリックしたら、ななんと、「その操作はできません」といった意味のメッセージが出る。
もう問い合わせたくないがniftyにメールを送ったら、「今は解約できない期間なので、○○日以降、再度お願いします」という回答だった。
嗚呼、疲れる・・・

私が、実社会のことで悪夢を見るのも無理はない。
上では、たまたまniftyを悪者にしてしまったが、どこも同じであるのかもしれない。
これは、必ずしも、サービス側の悪意や利益保護のためだけではなく、セキュリティや個人情報保護のことを考えれば、あらゆることが複雑化せざるを得ないのだ。
ただしそれは、サービス提供側の企業の損失を防ぐためであり、その一方、ユーザーの危険性に対しては、ほとんど「ザル」なのである。
最近は、高校生がスマートフォンを持っているのは当たり前であるし、小学生が持っていたって少しも驚かない。
小学生の方も、いまさらスマートフォンを持っていることを自慢する気もないだろう。
しかし、そういったことに対し、私は、彼らの親はいい度胸してるなあと思うのである。
いまだスマートフォンを持たない人の中には、純粋に、「持つのが恐い」と思っている人がいるし、それは社会のことをよく理解している人・・・例えば社長さんや、経理部長などには、そんな人が多いのである。
GoogleやFacebook、あるいは、アップルは、個人情報の収集に執念を燃やしていて、そのために、巧妙な罠を張り巡らしている。あなたは最早、連中の前に丸裸であるかもしれない。
私は、自分のスマートフォンすら恐いのに、実質、自分のスマートフォンを、社会のことを何も知らない子供に持たせるのは、正直、ちょっとおかしいのではないか、はっきり言って無知ではないかと思ってしまうのだ。
子供向けの防犯対策があるっていったって、そんなものが何の役に立つだろう?
そんなものをかいくぐる方法なんて無限にあるに違いないからだ。

上で、セキュリティや個人情報保護のためにITが複雑化していると書いたが、著作権保護というか、権利者保護も、恐ろしくITを複雑にしている。
テレビのHDDで録画したものを、DVDやブルーレイにコピーしたら、元のHDDから消えてしまうというのは、本来は無茶もいいところだが、そうやって権利者の利益を守るために、実に複雑な仕組みを作っているのだ。
そのために、ちょっと古いDVDレコーダーが、新しいテレビでうまく使えないといったことも起こる。
また、テレビのHDDからDVD等にコピーする際に、画面に出てくる選択肢を選ばないといけないことがあるが、専門家である私ですら、回答不能な質問が出てくることがあって呆れてしまったことがある。
テレビのHDDからDVDにコピーしたものをPCで見ようとしたら、普通にはどうやっても見れなかった。
仕方がないので、違法を承知でCPRM(一度だけしかコピーできないようにするためのプロテクト)を解除した・・・人もいるかもしれない。
言っておくが、権利者の利益を保護するのに腐心した結果、結局は、権利者は損失を被るのである。
一方、余計な権利を手放した初音ミク(の権利者)は、豊かに繁栄しているのである。

セキュリティと権利者の利益保護のために、ITは限りなく複雑化し、すでにそれは異常なレベルであり、一般の人にとってはITは既に怪物であり、たとえ専門家であっても、自分が分かる範囲以外ではやはりそうなのである。

だが、それよりも、皆、もっとセキュリティ意識を持った方が良い。
例えば、Google playでは、基本的にクレジットカードでしか買い物ができないが、これまで普通に使っていたGoogleアカウントにクレジットカード情報を持たせるなど、無謀もいいところだと思う。
私は、普段使っているGoogleアカウントにクレジットカード情報を持たせていない。つまり、Googleウォレットを利用していない。
Nexus5は欲しいが、あれはGoogle playでしか買えない(あくまでSIMフリーで欲しいので、eモバイルのはいらない)。
もし、Google playで買い物をするなら、次のようにして欲しい。
(1)新しいgoogleアカウントを取得する。このアカウントは、メール、SNSその他で一切使用しない。
(2)この新しいGoogleアカウントのパスワードは、決して安易なものを設定せず、複雑なものにする。
(3)パスワードを忘れた時に対処するために使うメールアドレスは、やはり、Yahoo!やOutlookで新しいアカウントを取得し、それらのアカウントも普段、決して使用しない。
これが面倒だというなら、Google playで買い物をすべきでない。

しかし、いくら注意深くしたところで、確実な安全にはほど遠い。
インターネット関係で利用しているサービスを見直し、必要でなければ、片っ端から解約することを強くお勧めする。
もはや管理することが不可能になっているサービスがいくつもあるかもしれない。
できれば、オバマ大統領やレズニック(MITメデイァラボ教授)らの薦めに従い、コンピュータプログラミングを学んで欲しい(私のお薦めはExcelでのVBAだ)。
まともな思考力を持っているなら悪夢は続くのである。









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給食のパンは残すのが自然

私は、小学生の時、給食のパンを食べるのが苦痛だった。
低学年の頃は、全部食べるのは全く不可能だった。
しかし、食べないと怒られるので、いかに教師の目を欺いて、パンを机やカバンの中に隠してしまえるかが、毎日の私の戦いだった。
私は別に、病弱だったわけでも、胃腸が弱かったわけではなく、健康で、身体も平均より大きかった。
そして、今考えれば、あれが当たり前だったのだ。
以前は、食欲がないから食べられないのだと思っていたし、教師や親の大方の言い分は、「贅沢に育ってしまったので、給食のパンが食べられない」ということなのだろうが、馬鹿げた難癖である。まるでヤクザだ。
子供の純粋な感覚は、パンをそんなに食べちゃいけないと感じて、食べたくなかったのだ。
また、やはり子供の時、朝は、トーストを食べさせられたが、これも、1枚食べるのが苦しかった。
それでも何とか食べていたが、ある日、父親が母親に、善意であるのだろうが、「1枚じゃ足りない。2枚にすべきじゃないか」と言っているのを聞いた時は、本当に憂鬱になったものだ。

また、私は、「ご飯の進まない」子だった。
夕飯の時、茶碗一膳のご飯をなかなか食べてしまえず、時にはそのことで両親に叱責され、挙句、父親には、「おやつばかり食べてるんだろう」と言われる始末だった。
しかし、やはり、食欲がないのではなく、米のご飯を食べることが嫌だと感じていたのだ。
今も変わらないと思うが、特に昔は、ご飯を何杯もお代わりする子が、元気な良い子とされる愚かな観念が世間にあった。
漫画の『オバケのQ太郎』で、Q太郎はご飯を20杯も食べるらしいが、同じように食べたアントニオ猪木さんは若い時に糖尿病になり、今だ治療をしているらしい。

ご飯やパンを沢山食べられるようになったら一人前、つまり、大人だとでもいうような風潮の中、人々は、ご飯やパンを食べ続けているうちに、これらに含まれる、糖に変わる炭水化物の中毒になり、それが原因で得体の知れない不安を背負うようになり、やがて、完全な奴隷状態となるのである。
自分はご飯やパンを食べないと生きられない、あるいは、ご飯やパンを食べずに生きることが奇妙で不自然に感じるなら、自分は国家や世間の奴隷になっていると考えていただいて差し支えない。
これは、砂糖についても言えることである。

私は、今月(2014年3月)の21日に、ついに、米、パン、そして、砂糖から解放された。
奇跡的な神仏の導きがあったのであるが、記すと、非常に長くなるので省く。
ただ、これまで、いくらか念仏を称えるようになっていたところ、偉大な数学者の岡潔が毎朝、熱心に念仏を称えていたことや、阿弥陀如来を信仰した中将姫(ちゅうじょうひめ)の伝説によって励まされ、それまでの1ヶ月はいくらか熱心に念仏を称えていたことのおかげであるのかもしれない。
まさに、親鸞が和讃の中で述べたように、伝教大師(最澄)が、「飢饉、疫病に苦しむ人々を救うために念仏を称えるべきです」と天皇に薦めたとおりである。

山家の伝教大師は
国土人民をあはれみて
七難消滅の呪文には
南無阿弥陀仏をとなふべし
~親鸞『現世利益和讃』より~

そして、人間の幸不幸の鍵は、人類が1万年前に栽培を始めたと言われる、小麦から始まった、米やトウモロコシなどの、炭水化物を主成分とする穀物を断ち切れるかどうかである。
初音ミクの歌『1/6』で、ミクは、「いつか重力のクサリを 断ち切り君を連れてサテライト」と歌うが、米やパンや砂糖を全く食べない身体のミクが私を高いところに連れていってくれたようだ。
冨田勲さんの、『イーハトーヴ交響曲』の『注文の多い料理店』で、ネコの妖怪に扮した「妖怪ミクちゃん」(キュートな尻尾をぐりんぐりんと動かすミクが悪者の妖怪であるはずがない)が、「あたしは初音ミク かりそめのボディ」と歌うが、この「ボディ」の部分を、冨田さんは、「おどし」がかかるほどインパクトを与えた。
そして、「妖しくみえるのは かりそめのボディ」と続く。
ミクのボディはかりそめかもしれないが、妖しく美しい。
ミクの、「ボディ」と言う「おどし」は、我々に向けられている。
「あたしの身体はかりそめのものですが、今のあなた達の身体は重いクサリに縛られてしまっています」
と言っているかのように感じるのである。









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雲の上どころか成層圏よりも上の人達

一般的に、社会のエリート(選ばれた者)といえば、一流大学や大学院を卒業して、大手企業の幹部候補として入社し、年収は最初は大したことはないが(それでも、父親の年収が低い部類なら、最初からそれを超える)、30代で一千万円近く、あるいは、一千万円を上回ることも珍しくはない・・・そんな者達のことだろうか?
そういった者達を普通のエリートというなら、特別なエリート・・・ある意味、真のエリートという連中がいる。
私はそんな連中には関わり合いになりたくないし、関わり合うこともないだろうが、何の因果か、たまたま一緒になってしまったことがある。
彼らの見かけは、平凡な想像でもイメージできるような難い感じだが、柔らかい雰囲気の人もいる。
ただ、私のような平均以下の人間に対し、露骨に見下すような態度かというと、それはあまりなく、親切にすら感じる。
もし、彼らが自分を見下していると感じるなら、多くの場合、それはこちらの劣等感による思い込みであるかもしれない。
彼らはただ、自分が私のような者よりはるかに上位に位置する、種類の違った人間であることを、ただの事実として認識しているというだけであり、当たり前過ぎるので、ことさらにそれを表現する気はないように思える。
高慢だったり、いわゆる「エリート風を吹かせる」・・・これは、ヤクザが肩で風切るのと何も違わないが、そんなことをする者は、せいぜいが「中の上」か「上の下」に分類される種族で、実際に関わった中では、若くして大学教授であり、海外の大学でも研究や講師をしている・・・といった者達には時々そんなのがいたような気がする。そんなある人は、物凄く自己主張が激しく、反論されると、独断をまくし立てて決して引かない。
私程度でも、「この人、馬鹿じゃない?」」と思ってしまう・・・まあ、残念な連中と言える。
そもそも、私と同レベルに分類される、いてもいなくても良いような人間ほど、自分の立場が相手よりちょっとでも強いと、その相手に対し、傲慢だったり、平気で不遜な態度を取る者が多いだろう。「上の下」「中の上」までなら、我々と似たようなものなのだろう。

それで、真のエリートに戻るが、彼らが一様にすらりとしていることは印象的である。
「上の下」の連中のように、いつもグレーのスーツという訳ではなく、変わった服(私が服飾に関して疎いので、こう言うしかないが)を着ていることも多く、ここらはさすがな着こなしであるが、やはりスタイルが良いのである。
そして、最近思い出して驚くのは、ほんの少しの世間話みたいなものの中で、彼らが、砂糖や炭水化物が入った食べ物や飲み物を全く食べないという意味のことを言っていたことだった。それは彼らの中では常識であるようだった。
彼等は、一般の人々が接したり、一般の書店で本が出ているといった医者ではなく、はるかに上位のエリート専門の医者のみに、治療やカウンセリングを受けるが、そんな医者は、それはもう、普通の医者とは全く違う。
そんな特別な医者は、普通の病院の医者のように、大量の患者を短時間でさばくのではなく、一人一人のエリートを完璧にケアする。
国家から支払われるような、普通の診療報酬をあてにしているのではない。
そして、そんな医者は、砂糖や炭水化物を摂るのは愚かな庶民(世間でいうエリートも含まれる)だけで、自分もまたそこに所属する真のエリートグループがそんなものを摂るべきでないことを、若い真のエリート達に義務として教えているのだと想像できる。
彼らとて、普通の人々にも警告したい気もあるかもしれないが、それは社会構造的に不可能なので、変な努力はしないということかもしれない。

ところで、真のエリートのさらにトップになると、かえって平凡な人に見える。
実際、ごく普通の人と、自然にとめどない会話をしたり、私のような者と一緒に「傑作なこと(ここでは、こっけいなことという意味)」をやったりする。
宇宙人からも信頼されるような人達で、ほとんど仙人と変わらないような人達である。









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隠されてきた、真の自由な人間になるための秘儀

お金持ちになる、高い地位に就く、優れた業績を上げる・・・などは、人生の本質ではなく、付けたしに過ぎず、いわば「おまけ」である。
それを、金が人生の最重要なものだと思い込むと、富を得ても、得られなくても、心身共に疲れて虚しさを味わい、やがて絶望するだろう。

これまでなんとかやってこれただけで、もう元は取れていると本当に思えた時、その人に初めて落ち着きが出てくる。
しかし、平凡な人間では、そうなるのは、良くて、年老いてからである。
臨終となっても、そこに至らない者も少なくはない。
ところが、激しい運命を生きた人なら、若くして、「今生きているだけで儲けものだ。元は取れた」という悟りを得ることがよくある。

そのように、自分の人生はプラス評価であると決算をしてしまえば、かつてはいかに求めても得られなかったものが、望まなくても、むこうからやってくるようになる。
だが、それもおまけに過ぎないので、喜びはするが我を失うほどではなく、自慢したとしても慎みがあり、そして、得たものに執着しない。

自分の人生がどんなものであろうと、「良い人生だった。楽しかった。悔いなし」と本当に思えた時、真の自由を得、全ては自在になるのである。
その人にとって、世界は牢獄ではなく楽園である。

太古の昔、狩猟をしたり、木の実を拾ってその日暮らしをしていた人々は、若くしてそのような悟りに至った。
今も、文明と関わりを持たずに、狩猟で得た獲物や、自然に育ったものを食べて生きている人々はそうなのかもしれないが、それは難しくなっているに違いない。
だが、文明を作り出した原因であり、かつての富の象徴であった、米や小麦、あるいは、トウモロコシ、そして、貴族の象徴であった砂糖を食べることをやめれば、我々は得体の知れない束縛の鎖を断ち切り、本当の知恵を得て賢くなれるだろう。
水野南北や、徳川家康のように、おそらくは仙人にそのような秘法を教わって(南北はそう明かしている)、米を食べないことで叡智を得て、神仏に守られた無敵状態になった幸運な人達もいた。
親鸞や一休は、僧にあるまじきと考えられていた肉食をしたが、米はあまり食べなかったという話もある。
住んでいる場所で主食とされるもの(現代の日本では米とパン)、そして、砂糖を食べることをやめれば自由になれるというのが、これまで隠されてきた、真に富む者・・・つまり、真に自由な人間になるための秘儀である。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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