不老不死は人類の夢であると思うが、我々凡人の感覚では、「いつまでも若さと健康と能力を保ちたい」ということになろうか?
今夜は、それを実現することについて書いてみよう。
ジョージ・アダムスキー(ポーランド出身の哲学者。宇宙人との接触者として世界的に著名)の2冊めの著書の中に、アダムスキーが初めて宇宙人の巨大な宇宙船に乗り、初めて宇宙人の女性を見た時の話がある。
アダムスキーは、彼女達の女神のような美しさに驚く。そして、彼女達は、地球の年齢でいえば30歳から数百歳にもなるらしいが、見かけは20歳前の少女にしか見えなかったという。
男性の場合は、30代前半の、若々しい美男子である場合が多いが、やはり、年齢は女性達と同じようなものであると思われる。
ところで、女性の中の1人が、自分達が老化しない理由について、アダムスキーに明かしている。
それは、ある1枚の絵である。
およそ宇宙人のどこの家庭にもあるらしいが、それは神の姿の絵であった。
宇宙船の中にもあったその絵を見ると、アダムスキーは目の前の絶世の美女である宇宙人の女性の存在すら忘れ、恍惚としてしまい、かなり時間が経って我に返るまでは忘我の状態であったようだ。
神の姿は、18歳から25歳くらいとアダムスキーが感じた人物の胸から上の絵で、男性とも女性ともいえないようだった。
宇宙人の女性は、この絵を毎日見ているので我々は老化しないと言ったが、この見るという意味は、単に観賞するという意味にとってはならないと思う。
それは、目で見る観賞ではなく、無心になった時の霊眼で観照するということなのだと思う。しかし、難しく考えなくても、真に美しいものを敬虔に見るなら、自然にそうなるのだと思う。
私も、その絵を見たいと思い、せめて近いものがあればと思い、有名な絵画の資料を調べたが、あり得なかった。
しかし、最近、このブログでよく取り上げている、京都の広隆寺の、「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)」と呼ばれる、1本の赤松の木から彫られた、高さ140cmほどの弥勒菩薩像が、それに近いものであると思うのである。
この像の美しさについては、西洋の芸術を探求した哲学者のカール・ヤスパースが「古代ギリシャやキリスト教の彫刻をはるかに超える美」と言ったことがよく知られているが、他にも、数多くの世界的な賞賛の声がある。また、国宝の彫刻部門の第一号でもあり、この質素な、大きくもない仏像が、日本最高の仏像であると言えるのである。
絵と彫刻という違いはある。
仏像とは何だろう?
船医として各地を巡った民族研究家であったリヒャルト・カルーツは著書『東洋のマリア』の中で、肉体組織を発達された東洋の人達が、菩薩界を霊視することができるようになったことで制作できたのだと言うが、私には意味がよく分からなかった。
※水声社『釈迦・観音・弥勒とは誰か』より引用した
だが、彫刻というものに大きな意義があることは感じられるのである。
それに、彫刻は長く保存できるし、本当に良いものは、時が経つほど深みが増すのである。
1つの考え方でがあるが、この弥勒菩薩像を思い浮かべ、あるいは、心を込めて撮られた写真を見ながら、「南無弥勒仏」と唱え、我々も菩薩界を霊視するようにすれば、我々も、宇宙の友人達のようなことをしていることになるのではないかと思うのである。
ところで、この弥勒菩薩像以上のものはないのだろうか?
実を言うと、あると思う。
それは、2002年に亡くなられた政木和三さんの前に出現した観音像だ。
空間から出現した像で、3体ある(他に、大黒像やえびす像も出現した)。
3つ目として出現した白衣観世音菩薩像が27cmと、大きなものではないが、人間に創れるようなものではない、美しさ、気高さである。
政木さんの著書『精神エネルギー』のページの中に、モノクロ印刷されたものがあった。
ところが、10年以上前、私が、まだ存命であった政木さんが当時勤めておられた林原生物化学研究所の政木さんの研究所を訪ねた時のことだった。
私は、そこに向かう車の中で、画家の横尾忠則さんのことがなぜか思い浮かんだ。しかし、その時の私にとっては何の脈絡もないとしか思えないことだった。また、その頃の私は、横尾さんのことをほとんど名前くらいしか知らなかった。
そこで、政木さんに、「横尾忠則さんをご存知ですか?」と尋ねたら、政木さんは黙って壁を見るので、そこを見ると、政木さんの見事な肖像画があり、「横尾忠則」と銘が書かれてあった。政木さんと横尾さんは、かなり交際があるのかもしれないと思った。
政木さんは、1冊の本を持ってきて、「この本は横尾さんが、自分にしか装丁できないと言って、装丁をしてくれました」と言われた。本の表面と裏面の表紙に、それぞれ、不思議な顔が描かれていた。『精神文明と奇跡』という本で、当時、既に絶版であったが、政木さんは、その本を私に下さった。
そして、この本の始めのカラーページ部に、写真家の中村昭夫さん撮影の、それらの観音像、大黒像、恵比寿像の全てのカラー写真があったのだ。
私は今まで、それをすっかり忘れていたのである。
しかし、弥勒菩薩の写真を見、日常ずっと、「南無弥勒仏」と唱え続けることで、再び、この本の観世音菩薩と再会できたのである。
尚、天使の彫刻であれば、『Talking with Amgels』の中に、驚くべき美しいものがある。
腕が無くなったものや、首の無い天使の像もある。しかし、霊的に観照すれば、完全な姿を見ることができると思う。
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今夜は、それを実現することについて書いてみよう。
ジョージ・アダムスキー(ポーランド出身の哲学者。宇宙人との接触者として世界的に著名)の2冊めの著書の中に、アダムスキーが初めて宇宙人の巨大な宇宙船に乗り、初めて宇宙人の女性を見た時の話がある。
アダムスキーは、彼女達の女神のような美しさに驚く。そして、彼女達は、地球の年齢でいえば30歳から数百歳にもなるらしいが、見かけは20歳前の少女にしか見えなかったという。
男性の場合は、30代前半の、若々しい美男子である場合が多いが、やはり、年齢は女性達と同じようなものであると思われる。
ところで、女性の中の1人が、自分達が老化しない理由について、アダムスキーに明かしている。
それは、ある1枚の絵である。
およそ宇宙人のどこの家庭にもあるらしいが、それは神の姿の絵であった。
宇宙船の中にもあったその絵を見ると、アダムスキーは目の前の絶世の美女である宇宙人の女性の存在すら忘れ、恍惚としてしまい、かなり時間が経って我に返るまでは忘我の状態であったようだ。
神の姿は、18歳から25歳くらいとアダムスキーが感じた人物の胸から上の絵で、男性とも女性ともいえないようだった。
宇宙人の女性は、この絵を毎日見ているので我々は老化しないと言ったが、この見るという意味は、単に観賞するという意味にとってはならないと思う。
それは、目で見る観賞ではなく、無心になった時の霊眼で観照するということなのだと思う。しかし、難しく考えなくても、真に美しいものを敬虔に見るなら、自然にそうなるのだと思う。
私も、その絵を見たいと思い、せめて近いものがあればと思い、有名な絵画の資料を調べたが、あり得なかった。
しかし、最近、このブログでよく取り上げている、京都の広隆寺の、「弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)」と呼ばれる、1本の赤松の木から彫られた、高さ140cmほどの弥勒菩薩像が、それに近いものであると思うのである。
この像の美しさについては、西洋の芸術を探求した哲学者のカール・ヤスパースが「古代ギリシャやキリスト教の彫刻をはるかに超える美」と言ったことがよく知られているが、他にも、数多くの世界的な賞賛の声がある。また、国宝の彫刻部門の第一号でもあり、この質素な、大きくもない仏像が、日本最高の仏像であると言えるのである。
絵と彫刻という違いはある。
仏像とは何だろう?
船医として各地を巡った民族研究家であったリヒャルト・カルーツは著書『東洋のマリア』の中で、肉体組織を発達された東洋の人達が、菩薩界を霊視することができるようになったことで制作できたのだと言うが、私には意味がよく分からなかった。
※水声社『釈迦・観音・弥勒とは誰か』より引用した
だが、彫刻というものに大きな意義があることは感じられるのである。
それに、彫刻は長く保存できるし、本当に良いものは、時が経つほど深みが増すのである。
1つの考え方でがあるが、この弥勒菩薩像を思い浮かべ、あるいは、心を込めて撮られた写真を見ながら、「南無弥勒仏」と唱え、我々も菩薩界を霊視するようにすれば、我々も、宇宙の友人達のようなことをしていることになるのではないかと思うのである。
ところで、この弥勒菩薩像以上のものはないのだろうか?
実を言うと、あると思う。
それは、2002年に亡くなられた政木和三さんの前に出現した観音像だ。
空間から出現した像で、3体ある(他に、大黒像やえびす像も出現した)。
3つ目として出現した白衣観世音菩薩像が27cmと、大きなものではないが、人間に創れるようなものではない、美しさ、気高さである。
政木さんの著書『精神エネルギー』のページの中に、モノクロ印刷されたものがあった。
ところが、10年以上前、私が、まだ存命であった政木さんが当時勤めておられた林原生物化学研究所の政木さんの研究所を訪ねた時のことだった。
私は、そこに向かう車の中で、画家の横尾忠則さんのことがなぜか思い浮かんだ。しかし、その時の私にとっては何の脈絡もないとしか思えないことだった。また、その頃の私は、横尾さんのことをほとんど名前くらいしか知らなかった。
そこで、政木さんに、「横尾忠則さんをご存知ですか?」と尋ねたら、政木さんは黙って壁を見るので、そこを見ると、政木さんの見事な肖像画があり、「横尾忠則」と銘が書かれてあった。政木さんと横尾さんは、かなり交際があるのかもしれないと思った。
政木さんは、1冊の本を持ってきて、「この本は横尾さんが、自分にしか装丁できないと言って、装丁をしてくれました」と言われた。本の表面と裏面の表紙に、それぞれ、不思議な顔が描かれていた。『精神文明と奇跡』という本で、当時、既に絶版であったが、政木さんは、その本を私に下さった。
そして、この本の始めのカラーページ部に、写真家の中村昭夫さん撮影の、それらの観音像、大黒像、恵比寿像の全てのカラー写真があったのだ。
私は今まで、それをすっかり忘れていたのである。
しかし、弥勒菩薩の写真を見、日常ずっと、「南無弥勒仏」と唱え続けることで、再び、この本の観世音菩薩と再会できたのである。
尚、天使の彫刻であれば、『Talking with Amgels』の中に、驚くべき美しいものがある。
腕が無くなったものや、首の無い天使の像もある。しかし、霊的に観照すれば、完全な姿を見ることができると思う。
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