人生の知恵はどこから学ぶかというと、1番はやはり仕事であろう。
ただ、人気があって儲かるスポーツ選手やタレントの場合は、本人に余程の謙虚さと節制がないと、むしろ完全に目が眩み、普通の人よりはるかに馬鹿なものだ。実際、彼らの多くが、引退したり、落ち目になってしばらく経った後で、やっとそれに気付くのだ。
また、ニートなら、それは普通の人にはなかなかできないことなのだから、遊び呆けていないで、しっかりニートとして学ばないといけない。その心がけがあれば、一発逆転などわけもない。
私の場合、ニートの間に、人間には心があることを深く学べたと思う。また、毎日、行くところがあることの有り難さもだ。それだけで、世間ではそこそこうまくやれている。
植島啓司さん(宗教人類学者)のように、自分で命懸けでギャンブルをやる人というのは、そこから多くを学ぶのだと思うが、私はギャンブルは一切しない。
ところで、娯楽大活劇というものでしかないはずの西部劇映画には、鋭い学びを得られるものが多いのではないかと思う。
私の場合、最近では、『怒りの荒野』(1967)と『OK牧場の決斗』(1957)の2つが、特に素晴らしかったと感じている。
面白いことに、両方共、主役は2人と言って良い。彼らは、現代日本の作り物で偽者の「いい男」など話にならない本物のナイス・ガイである。
『怒りの荒野』は、イタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマとアメリカのリー・ヴァン・クリーフの競演だ。私は、ジェンマほど格好の良い二枚目男優は、後にも先にもいないと思っているが、クリーフの悪の魅力はそれを上回るほどに感じる。本当によい男は禿げたって全く構わないのだと分かる。
この『怒りの荒野』では、「ガンマン十戒」として有名な、ガンマンとして生き残るための十の教えが出てくる。「人に頼るな」「人を信じるな」から始まるが、私は、第6の「危険な時ほどよく狙え」を実際に、困難な状況でよく思い出し、何度も助けられた。これは、軽い言い方をするなら、「焦るな」「冷静さを失うな」ということになるのだろうが、この「危険な時ほどよく狙え」という言い方は、なんとも素晴らしい表現であると感動する。
『OK牧場の決斗』は、実話を元に制作され、やはり、二枚目俳優のバート・ランカスターと、こちらも二枚目とも言えるが、ややニヒル(暗い影がある様)で硬派な大俳優カーク・ダグラスの共演だ。ランカスター演じる名保安官ワイアット・アープと、ダグラス演じる元歯科医だが身を持ち崩した賭博師でかつ早撃ちガンマンのドク(ドクター)・ホリデイ(ジョン・ホリデイ)の奇妙な男の友情も良いものだった。尚、ダグラスは96歳の今も現役俳優で健康であるらしい。
『OK牧場の決斗』は、学びの宝庫だ。
この映画のスタージェス監督は、映画の出来が不満で続編の『墓石と決闘』(出演俳優は変わっている)を創ったといった話があるが、私は、勝手なことを言うと、それは違うと思う。両方の映画を見て感じたのは、スタージェスはものごとの異なる面の中での男の友情を描きたかったのではなかったのかと思う。『OK牧場の決斗』では、アープ兄弟とドク・ホリデイがクラントン一家との決闘で勝利してハッピーエンドで終った感があるが、『墓石と決闘』では、アープやホリデイが、クラントン一家殺害の罪で裁判にかけられるところから始まる。すでに立派な法治国家であったアメリカでは、どんな理由があろうと、決闘なんてものが認められるはずがないのである。『墓石と決闘』では、こういった現実面が前面に出てくる。
先にも述べた通り、『OK牧場の決斗』は、学ぶ処は多いが、いくつか取り上げる。
ホリデイはプロの賭博師で、街から街に渡り歩く際も、(実際はそうはいかないかもしれないが)荷物は、今着ている洒落た服と、内ポケットに入れたカードだけだ。
ホリデイが初めてアープに、賭けに乗ることを誘いかけた時、当然、お堅い保安官のアープは断る。ホリデイは「俺に投資しろ」と言ったのだが、これほどの悪名高い賭博師がそう言うからには、危険な賭けに乗れという意味しかない。アープでなくても、応じる方がおかしい。
しかし、アープは、ホリデイの自信満々な態度に魅かれたのではないかと思う。アープは、自分で、「馬鹿もいろいろやったが、これほどのはなかった」と言いながら、なぜかホリデイの申し出に乗ってしまう。これには、ホリデイも少々面喰った感もあった。そこには、男の友情も始まっていたのだろう。
アープはホリデイに「なぜ負けないと言えるのだ?」と問うと、ホリデイは「負けるはずがない」と言う。
その理由が良いのだ。
それを、2種類の字幕で見たが、「負けるのは命が惜しいやつだ」と「勝つことに目の色を変えるやつが負けるのだ」だった。
これほど人生の真理を表す言葉もないだろう。
ホリデイは、「俺は失うものは何もないし、命も惜しくない。だから負けないのだ」と言う。私は、これぞ男だと感激してしまった。
男に限らないかもしれないが、捨て身の人間ほど恐いものはない。
無論、いかに捨て身でも、実力がなければさほどのことはない。
「窮鼠(きゅうそ。追い詰められたねずみ)猫を噛(か)む」と言っても、勝つか負けるかというと、鼠はやはり負けるのだ。
だが、ホリデイは、1人でいる時も、いつもカードを手にして真剣に動かして腕を磨いていたのだ。自分の努力で、鼠でなくなることが必要だ。
我々も、こうでないといけない。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシに、「私は、時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねると、マハルシが「いつもがよい」と答えたのが印象的だ。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎が、「念仏を唱えるなら、生活しながら念仏するようでは駄目だ。念仏しながら生活しなければならない。生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活しなさい」と述べたのも、それに通ずるように感じる。
この心がけを持つ限り、私は一生豊かで、傷付くこともない。あなたもそうあるように。
尚、『OK牧場の決斗』と同じ、ワイアット・アープとドク・ホリデイの物語を映画にしたものは、1946年のジョン・フォード監督の屈指の名作(『駅馬車』と並ぶほどと言われる)の『荒野の決闘』(My Darling Clementine)がある。
実は私は、10年近く前、あるプロのイラストレーターのサイトで、そのイラストレーターがこの映画を大絶賛するのを見て、この映画のDVDを購入していたが、なんと、いまだ見ていない。
ただ、ディスクから発する最高の波動は感じていたので、10年近くも、いつも身近に置いていた。この映画が『OK牧場の決闘』だということも、直感だけで分かっていた。それは普通の人から見れば超感覚的知覚、いわゆる、超能力かもしれない。見るべき時期まで必然的に見なかったのだろう。いよいよ、今日見るつもりである。
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ただ、人気があって儲かるスポーツ選手やタレントの場合は、本人に余程の謙虚さと節制がないと、むしろ完全に目が眩み、普通の人よりはるかに馬鹿なものだ。実際、彼らの多くが、引退したり、落ち目になってしばらく経った後で、やっとそれに気付くのだ。
また、ニートなら、それは普通の人にはなかなかできないことなのだから、遊び呆けていないで、しっかりニートとして学ばないといけない。その心がけがあれば、一発逆転などわけもない。
私の場合、ニートの間に、人間には心があることを深く学べたと思う。また、毎日、行くところがあることの有り難さもだ。それだけで、世間ではそこそこうまくやれている。
植島啓司さん(宗教人類学者)のように、自分で命懸けでギャンブルをやる人というのは、そこから多くを学ぶのだと思うが、私はギャンブルは一切しない。
ところで、娯楽大活劇というものでしかないはずの西部劇映画には、鋭い学びを得られるものが多いのではないかと思う。
私の場合、最近では、『怒りの荒野』(1967)と『OK牧場の決斗』(1957)の2つが、特に素晴らしかったと感じている。
面白いことに、両方共、主役は2人と言って良い。彼らは、現代日本の作り物で偽者の「いい男」など話にならない本物のナイス・ガイである。
『怒りの荒野』は、イタリアの俳優ジュリアーノ・ジェンマとアメリカのリー・ヴァン・クリーフの競演だ。私は、ジェンマほど格好の良い二枚目男優は、後にも先にもいないと思っているが、クリーフの悪の魅力はそれを上回るほどに感じる。本当によい男は禿げたって全く構わないのだと分かる。
この『怒りの荒野』では、「ガンマン十戒」として有名な、ガンマンとして生き残るための十の教えが出てくる。「人に頼るな」「人を信じるな」から始まるが、私は、第6の「危険な時ほどよく狙え」を実際に、困難な状況でよく思い出し、何度も助けられた。これは、軽い言い方をするなら、「焦るな」「冷静さを失うな」ということになるのだろうが、この「危険な時ほどよく狙え」という言い方は、なんとも素晴らしい表現であると感動する。
『OK牧場の決斗』は、実話を元に制作され、やはり、二枚目俳優のバート・ランカスターと、こちらも二枚目とも言えるが、ややニヒル(暗い影がある様)で硬派な大俳優カーク・ダグラスの共演だ。ランカスター演じる名保安官ワイアット・アープと、ダグラス演じる元歯科医だが身を持ち崩した賭博師でかつ早撃ちガンマンのドク(ドクター)・ホリデイ(ジョン・ホリデイ)の奇妙な男の友情も良いものだった。尚、ダグラスは96歳の今も現役俳優で健康であるらしい。
『OK牧場の決斗』は、学びの宝庫だ。
この映画のスタージェス監督は、映画の出来が不満で続編の『墓石と決闘』(出演俳優は変わっている)を創ったといった話があるが、私は、勝手なことを言うと、それは違うと思う。両方の映画を見て感じたのは、スタージェスはものごとの異なる面の中での男の友情を描きたかったのではなかったのかと思う。『OK牧場の決斗』では、アープ兄弟とドク・ホリデイがクラントン一家との決闘で勝利してハッピーエンドで終った感があるが、『墓石と決闘』では、アープやホリデイが、クラントン一家殺害の罪で裁判にかけられるところから始まる。すでに立派な法治国家であったアメリカでは、どんな理由があろうと、決闘なんてものが認められるはずがないのである。『墓石と決闘』では、こういった現実面が前面に出てくる。
先にも述べた通り、『OK牧場の決斗』は、学ぶ処は多いが、いくつか取り上げる。
ホリデイはプロの賭博師で、街から街に渡り歩く際も、(実際はそうはいかないかもしれないが)荷物は、今着ている洒落た服と、内ポケットに入れたカードだけだ。
ホリデイが初めてアープに、賭けに乗ることを誘いかけた時、当然、お堅い保安官のアープは断る。ホリデイは「俺に投資しろ」と言ったのだが、これほどの悪名高い賭博師がそう言うからには、危険な賭けに乗れという意味しかない。アープでなくても、応じる方がおかしい。
しかし、アープは、ホリデイの自信満々な態度に魅かれたのではないかと思う。アープは、自分で、「馬鹿もいろいろやったが、これほどのはなかった」と言いながら、なぜかホリデイの申し出に乗ってしまう。これには、ホリデイも少々面喰った感もあった。そこには、男の友情も始まっていたのだろう。
アープはホリデイに「なぜ負けないと言えるのだ?」と問うと、ホリデイは「負けるはずがない」と言う。
その理由が良いのだ。
それを、2種類の字幕で見たが、「負けるのは命が惜しいやつだ」と「勝つことに目の色を変えるやつが負けるのだ」だった。
これほど人生の真理を表す言葉もないだろう。
ホリデイは、「俺は失うものは何もないし、命も惜しくない。だから負けないのだ」と言う。私は、これぞ男だと感激してしまった。
男に限らないかもしれないが、捨て身の人間ほど恐いものはない。
無論、いかに捨て身でも、実力がなければさほどのことはない。
「窮鼠(きゅうそ。追い詰められたねずみ)猫を噛(か)む」と言っても、勝つか負けるかというと、鼠はやはり負けるのだ。
だが、ホリデイは、1人でいる時も、いつもカードを手にして真剣に動かして腕を磨いていたのだ。自分の努力で、鼠でなくなることが必要だ。
我々も、こうでないといけない。
誰かが、インドの聖者ラマナ・マハルシに、「私は、時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねると、マハルシが「いつもがよい」と答えたのが印象的だ。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎が、「念仏を唱えるなら、生活しながら念仏するようでは駄目だ。念仏しながら生活しなければならない。生活しながら静坐するようではいけない。静坐しながら生活しなさい」と述べたのも、それに通ずるように感じる。
この心がけを持つ限り、私は一生豊かで、傷付くこともない。あなたもそうあるように。
尚、『OK牧場の決斗』と同じ、ワイアット・アープとドク・ホリデイの物語を映画にしたものは、1946年のジョン・フォード監督の屈指の名作(『駅馬車』と並ぶほどと言われる)の『荒野の決闘』(My Darling Clementine)がある。
実は私は、10年近く前、あるプロのイラストレーターのサイトで、そのイラストレーターがこの映画を大絶賛するのを見て、この映画のDVDを購入していたが、なんと、いまだ見ていない。
ただ、ディスクから発する最高の波動は感じていたので、10年近くも、いつも身近に置いていた。この映画が『OK牧場の決闘』だということも、直感だけで分かっていた。それは普通の人から見れば超感覚的知覚、いわゆる、超能力かもしれない。見るべき時期まで必然的に見なかったのだろう。いよいよ、今日見るつもりである。
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