ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2013年03月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

どうすれば信念を持つことができるか

イエス・キリストは、「願いがあれば、既に叶えられたと思えば叶う」と言ったらしいが、それが成功の秘訣だと言う者もよくいる。元々は名高い成功哲学の通信講座だったという、チャールズ・ハアネルの『ザ・マスター・キー』でも、イエスのこの言葉が特に重要視されていた。
イエスのこの教えは、「叶ったと信じなさい」ということだが、一種のジョークとも取れる。なぜなら、信じられなければ叶わないし、人間は、自分の好きなように信じることなど出来ないからだ。
信じることが難しいと言っているんじゃあない。信じられないように遺伝子に組み込まれたことは、どうやろうと信じられないのである。
だから、願いを叶える秘訣は、叶うと信じられることを願うというだけのことである。
だが、こう思うかもしれない。
「いや、成長と共に、以前は信じられなかったことが信じられるようになるのではないのか?」
いや、そうではないのだ。
成長とは何の関係もない。
確かに、以前は信じられなかったことが、後で信じるようになることはある。しかし、そうなることも最初から遺伝子情報の中にあったことなのだ。

政木和三さんは、「願いがあれば、過去完了形で祈れば叶う」と言った。
政木さんは、嘘を言う人じゃない。
しかし、これもジョークだ。
過去完了形で祈ったら、心が落ち着かず、変な感じがしたら、それはお前の本当の願いじゃないという程度のことだ。
政木さんは、「願望を持つなら、一生かかっても達成できないような大きな願いを持て」と言ったが、そう言われて、王宮のような家を持ちたいと願うなら、ただの馬鹿だ。あるいは、単に幼いのである。
イギリスの偉大な作家H.G.ウェルズや、最も有名な精神科医だったジクムント・フロイトの夢は、おそらく、世界政府の成立だったのだろうと思う。
ウェルズは、著書の中でその構想をよく書いていた。また、フロイトは、歴史的なアインシュタインとの書簡(手紙)のやり取りの中で、「人類が戦争をやめることは、脳の構造上出来ないのだから、世界政府による統治しか方法はない」と書いて、おそらく、アインシュタインをがっかりさせた。
しかし、現在の国連は、無論、世界政府ではないが、それをかなり実現している。あのような組織に、主要国が金を出し合い、あれほど公正に善意で運営されていることは、キリスト級以上の奇跡だ。無論、強大な力でものごとを解決するといった、スーパーマンのような空想作品と同じに考えるなら、それも馬鹿者か幼稚な人間の考えだ。
人類も捨てたものではないし、もちろん、国連内には宇宙人とのコンタクティも多い。
ウェルズやフロイトは、一見、国連や世界政府のために何もしていないように見えるが、間接的、あるいは、物質的以外の部分で大きな貢献をしたのだ。

私に夢があるとすれば、それは世界家族のようなものだ。
アメリカに行きたければ、一応旅費だけは持って、何の用意もせずに出かける。着いて、休みたかったり、お腹が空けば、目の前にある家に入っていって座れば、家の人が、「やあ、千年振りくらいにはなるかな」と冗談を言いながら、1人分の食事を追加で用意してくれる。その扱いは、本当の家族と何ら変わらないし、実際、お互い家族だと思っているのだ。
アメリカの講演家で探検家、科学者だったベアード.T.スポールディングは、半世紀も昔に、それを普通に行っていたらしい。彼がアメリカ中を講演する中で、どこの家でもずけずけと入って行き、腰を降ろして食事の出来ない家は一軒もなかったという。
彼によれば、太古の時代はどこでもそうで、今もそんな場所がいくらかはあるらしい。家に施錠する習慣もないし、そんな必要は全くない。
荘子も述べたように、太古の人達には、自他の区別などなかったのだ。

最初に、信じられることしか叶わないと述べ、信じられないことは、どうやったって信じることは出来ないのだから叶わないとも書いた。
しかし、探してみれば、信じられることも案外にあるのだ。
そして、信じる力を増大するには、信じられる人間になることだ。
ジャイアント馬場さんが亡くなった時、史上最高のプロレスラーだったルー・テーズが、「馬場さんはプロモーターとしても偉大で、約束したギャラは必ず払ってくれる誠実な人だった」と言っていた。
馬場さんは、約束は必ず守ったので、信頼が抜群だった。
そして、信じてもらえる人は、信じる能力も高いのである。
老子も、約束を守ることの重要性を述べていた。
何よりも、自分との約束を決して反故にしないことだ。
無理な約束はするな。しかし、腕振り運動を毎日やると自分に約束したら、石が降ろうが槍が降ろうが、必ずやるのだ。
自分との約束は神との約束である。
それを守れば、遺伝子の中の隠されたプログラムが起動して、信念の力は増し、あなたに不可能はなくなるのである。









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人間はいくつになっても力は増大する

世にある成功法則には、夢が実現した様子を鮮明に思い描けば叶うというものがよくある。
それは間違いではないとは思うが、問題は、どんな夢を思い描くかだ。
普通に人は、自分の願望をイメージするのに努力がいるし、義務感を感じてしまうのではないかと思う。
自然に集中できないような夢なら、それが叶うことはない。
そのことを思うと、胸が高鳴って仕方がないとか、逆に、深い安らぎを感じるような夢でなければ、それを叶えるエネルギーは起こらないのだ。
叶えたいと思った夢を心に描いても、やがて、退屈な感じがしてきたり、おっくうであったりするなら、思うことを止めた方が身の為だ。それこそ、大切な想像力を失ってしまいかねないからだ。
例えば、ただの平社員が、金持ちの成功した社長になった自分の姿を思い描いても、それはただの空想で、もっとはっきり言えば妄想だ。妄想を続けると、頭は悪くなり、直感が働かなくなり、あらゆる判断を間違えるようになってしまう。そんなことを続ければ、本当にどんな夢も叶えられなくなる危険がある。早く気が付いて、正しい方法で夢を叶えるべきである。

ジョセフ・マーフィーの説く潜在意識による成功法則では、たしかに、想像力を使って夢の実現をイメージすれば、そこに宇宙エネルギーとでも言うべきものが集まって、強制的にその心像が叶うと教えるのだが、マーフィーは、最初のインスピレーションの大切さも説いている。
「これが、神が私に与えた願望、指示、導きだ」と疑いもなく感じるアイデア・・・つまり、直感なのであるが、それが浮かばなければどうにもならない。
それが浮かぶようになるのは、浮かぶような生き方をしなければならない。
マーフィーが本当に教えたかったのは、それではないかと思う。
それが出来るようになるためには、意識的に神と調和しなければならない。
神とは、一言で言えば、完璧な正確さだ。原子の振動も、惑星の運動も、恐るべき正確さで行われている。
古代の賢者は、星を眺め、その厳密さに心を調和させて魔法の力を得たのだ。
ある宗教教団では、極めて正確な呼吸をすることで奇跡の力を発揮したり、厳密に構成された儀式を完全に行うことで宇宙エネルギーと同調し、いかなる願いも実現させた。
だが、我々には、禅の創始者であり最高の賢者であった達磨が伝えた腕振り運動がある。
これを、まずは数百回、極めて正確なリズムで行えるようにすれば、ある程度の願いを起こしても、楽々と叶えることができるようになる。だが、現状に安住せず、常に成長しなければ、自我が増大し、すぐに力は無くなる。若い頃は目を見張るような人が、年を取るとみすぼらしくなってしまうことは本当に多いのだ。しかし、人間の本来の全盛期は、紛れも無く60代以降なのである。ジョセフ・マーフィーが精神法則の世界的な教師として知られるようになったのは、『眠りながら成功する』を発表した60歳以降だったし、ジョージ・アダムスキーが宇宙人との接触を始めたのも、彼が著書によく書いているように、60歳を過ぎてからのことだった。それまでは、力を蓄えるべき青春時代に過ぎない。
あなたも、60歳を過ぎてから、いよいよ人類に大いに奉仕できるよう、準備をするべきと思う。









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本質的な喜びを感じるのが良い鍛錬である

腕立て伏せや腹筋運動、あるい、スクワットというと、顔をしかめたり、苦笑したりする人が多いかもしれない。
つまり、これらは、やれば良いのだろうが、辛いもの、苦しいもの、少なくとも、面白くないものだという思い込みがあるのだ。
しかし、私は、最近、毎日、朝晩、これらをやるのが楽しみでならないのだ。
ただ、私も、ほんの少し前までは、先に述べた、世間一般の感覚と似たようなものを持っていた。
だが、それは、これらの運動のやり方が間違っていたからだ。
腕立て伏せや腹筋運動というと、誰もがすぐに、「何回?」と回数を尋ねる。
だから、芸能人にもよくあるが、見栄っ張りが、腕立て伏せなら数百回、腹筋運動も、数百回とか数千回とか言うのだ。
「腹筋運動は百回はやらないと効果が無いよ」などと、馬鹿なことを言うのも、よく見たり聞いたりする。
おかしいのは、ダイエット食品の宣伝で、「腹筋百回なんて僕には無理」みたいなものがあったりする。

映画『タイタニック』で、タイタニックの設計者が、ローズ(17歳のヒロイン)に船の巨大さについて、ちょっと力を込めて説明すると、この気品溢れる貴族の令嬢は「殿方って、どうしてサイズにこだわるのかしら」と言い、彼女の気取った母親達の顔をしかめさせ、目の前の学識と人徳の塊のようなタイタニック設計者の紳士はただ苦笑する。
同じように、世間の人達、腕立て伏せや腹筋運動、あるいは、スクワットについて言うのを、「殿方って、どうして回数にこだわるのかしら」と、知らないフリをした乙女が言うのかもしれない。

自分が腕立て伏せをしているのを、鏡で見たり、ビデオにでも撮って見ると、自分で思うより、はるかに背中が反っているものである。
これは、その分、負荷が弱まっているのだし、腹筋も緩んでいるのである。
身体が棒になったように、真直ぐにしてやると、腹筋に力が込められるのを感じるし、腕の負荷も大きい。
しかし、それは、適度な回数でやると、実に気持ち良いのである。
逆に、崩れた姿勢で、何十、何百と繰り返すと、精神的に疲れるのである。それはきっと、身体にも悪いから、そう感じるような作用が起こるのだろう。
ある芸能人は、毎日、腹筋運動を2千回やっていると言っている。しかし、腹筋運動が好きだという、ヨーロッパで活躍するサッカーの一流選手は、一度にやるのは20回だと言う。彼は、「僕は毎日やるのが良いと思っている」と言う。
運動というのは、特に、スポーツ選手でもない普通の人の場合は特にそうなのだが、短期間に激しくやっても良い効果はなく、むしろ、害が大きい。1年365日、1日も欠かさずやることが大切なのだ。
このサッカー選手の腹筋運動は、おそらく完璧なスタイルでやっているのだろう。
そして、誰もが、そのようにやるのが良い。ただし、無理な負荷をかけてはならない。
彼が20回なら、我々なら10回で良い。完璧さを心がけ、無理のない範囲でやれば、驚くほど楽しくやれ、また、毎日続けられる。
効果も目覚しく、良い筋肉が発達し、美しくなる。
腕立伏せは、百回以上出来ると言う者でも、完全な形でやらせれば十回も出来ない場合が多いのだ。
無論、どんな形でも、まがりなりに100回も200回もやれるのは、確かにある種の力はある。
私も200回以上はやれるのだが、完璧な形で15回だけやっている。このようにやると、力はすぐに付く。しかし、力が付いても、回数を増やすのではなく、さらに質を高める工夫をするのである。
また、私は、腕立伏せは、両手の間隔は閉じて(手の平の中心同士の距離は25cm)やるのが好きだが、1日1度は40cm以上に開いて行う。これにより、やや異なった部位の筋肉を鍛えることになる。

スクワットも同様で、以前は、乱れた姿勢で200~300回行っていたが、今は、完全形を心がけている。
いずれの運動も、体重以外の付加は決して使わない。
スクワットでは、かかとをつけたまま、膝と床が水平になるまでゆっくり曲げ、いったん停止する。
そこから、「もったいぶった」感じで、真直ぐ上に、一定速度で良い姿勢を保ったまま完全に直立するようにする。
これを、30回程度で、多くとも百回までとする。

ポイントは、「ゆっくり」「美しい形」「一定速度」であろうか。
これが心身に良いのは、上に述べた通り、楽しくて仕方がなくなることからも分かるのである。
運動が辛く苦しいなら、それは何か間違っているのだろう。
スポーツ競技の鍛錬なら、いわゆる「身体をいじめる」苦しいようなものも必要かもしれない。
しかし、合気道の達人、佐々木の将人(ささきのまさんど)さんは、著書で、合気道の訓練に関しては、それはやはり間違いだと述べている。
良い鍛錬は、たとえ、汗がしたたるようなものでも、やはり楽しいはずなのだ。それは、快楽的な楽しさではなく、心身の本質の喜びなのだ。
あまりに楽しいので、世間の遊びなどは馬鹿らしくてやっていられなくなる。無駄なお金をばらまいて、その楽しさは単なる感覚的な快楽であり、身体にも心にも悪く、魂まで穢すのが世間の遊びだと思う。
さらに、もっと楽しくて、神的効果のある腕振り運動もあるし、魂に良いマントラの唱え方や本の読み方もある。ある意味、マントラも読書もスポーツである。
無論、私も全部出来る訳ではないが、共に学び合うために、これから徐々に書いていこうと思う。









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天職をどう見つけるか?

天職というものがあるのだろうか?
あるとしても、それは案外に大雑把なものかもしれない。
世の中の仕事は、売るか、作るか、サービスするかしかない。
何かの研究をするという仕事もあるかもしれないが、それも、ちょっとだけ特殊な形のサービスや物作りであるに違いない。
何も生み出さず、誰の役にも立たないことであれば、仕事とはいえない。
よって、天職を見つけたければ、売りたいのか、作りたいのか、サービスをしたいのかを、まず考えないといけない。
そして、レベルが上がれば、売ることと、作ることと、サービスすることは、実は全部同じであることが分かるようになる。
本来は、売る人は作るのであり、サービスするのである。
それが出来るようになって、ようやく、後進の指導が出来るようになる。
自分は作るだけの人だと思っていると、高度なことは出来ないし、他人の指導なんてできない。
確かに、仲介屋というものがあり、作り手に買い手を紹介して(あるいは買い手に作り手を紹介して)結び合わせ、手数料を稼ぐ。それは、サービスと言えるが、販売の一部を代行しているのだし、広い視点で製作にも関わるようになれば、さらにビジネスは広がるだろう。
投資家という人達もいる。
だが、それは、事業者に必要な資金を提供するサービスだし、間接的には、製造や販売を行っていると言える。そして、そのような意識がない限り、良い投資家ではなく、そんな者が仕事をしてもうまくいかないし、誰も幸福にしないだろう。
実際、投資家というのは、作ることと売ることの達人が行うべき仕事だ。
売るという意識を持って作り、サービスするという意識を持って売り、あるいは、サービスしなくてはならない。
研究もまた、素晴らしいものを作り、人々に役立つ製品として売るという意識で行うべきである。
売ることを、下々の仕事だと思うのは、とんでもない間違いだし、逆に、優れたセールスマンが言うような、どんな仕事もセールスであるといった極端論に与(くみ)するつもりもない。
売ること、作ること、サービスすることは等しく重要である。

もし、自分が作る立場であれば、それを売る人に敬意を持ち、役立とうと思えば、一層の向上がある。そして、さらに、自分が作るものが、どれだけのサービスを提供するかを考えなければならない。
天職というのは、仕事の種類のことではなく、作ること、売ること、サービスすることを、全て、エネルギーと見なし、その調和を計ることが出来ることであり、それが出来れば、いかなる仕事も自分の天職である。
音楽家にはなれなくても、人々に音楽を届けることは出来るし、音楽家に奉仕することも出来るだろう。
それにより、音楽というエネルギーの中に自分もいることになる。
今はまだ稀だが、政木和三さんのように、ある日突然、一度も練習をしたことがないピアノを、超一級の腕前で弾けるようになる人がいる。私が知っているある画家にもそんなことが起きたし、私は、この2人に、「あなたにも出来る」と言われたが、それはつまり、誰にでも出来ることなのだ。
政木さんは、純粋な生命エネルギー(精神エネルギーと言っても良い)の中心に入っていったのでそんなことが出来たのだが、それは、本来、抽象的なことではなく、実際的で具体的なことである。しかし、人々があまりに物質主義に陥っているので、それが分からないのだ。
「魂がある」とか「神は存在する」という当たり前のことを言うだけで、おかしな人と言われるのだが、そんな考え方の者には、本当に大切なことは何も分からないし、非常に限定された体験しか出来ないだろう。
1つヒントを言うなら、政木さんは、子供の頃、長い間、毎日、腹式呼吸の練習を続けた。それにより、正確なリズムと一体化したのだ。
神とは完璧な正確さである。それは、原子の振動から、惑星の運行を見ても分かる。
意識して完全なリズムに調和すれば、生命力の中に入っていける。そうすれば、あらゆることが天職になるだろう。

尚、最近よくご紹介しているジョセフ・マーフィーの本の中でも、最も純粋なマーフィーの教えが学べ、私も特に好きな『あなたも金持ちになれる』の新装版が出た。お金も生命エネルギーの化身である。それが分かれば、誰でも金持ちになれるだろう。









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夢の実現の対価

アメリカの有名な成功プログラムでは、「願望とは、神が貴方に与えたものである。よって、それは必ず叶う」と言うものが多いと思う。
そして、それはその通りだと私も思う。
ところが、以前、何かのテレビCMで見たが、小学生の子供達が、
「プロのサッカー選手になります」
「みんなを感動させる歌を歌う歌手になります」
と、誰に入れ知恵されたのか、このような断定形で夢を話す。
それは叶うかというと、これをまさに「子供の夢」と言う。
しかし、そのCMでは、馬鹿なことに、「夢は叶う」などと言っていたと思う。
それは、「俺はポルシェ911が欲しい」「AKB48の誰それを彼女にしたい」「あたし、エビちゃんのようなモデルになりたい」というのも同じだ。
そして、有名な人気サッカー選手が、「大きな夢を持て」とか言い、君も自分のような者になれると期待させるようなことを言う。

上に述べたテレビCMで、「大きな夢」を語る小学生達の様子は、ちっとも美しくはなかった。醜悪ですらあった。
つまり、どこかに間違いが潜んでいるのだ。
夢が悪い訳ではないし、子供に夢は必要だ。しかし、あれは良くない夢の見方なのだ。
いかに子供でも、そこははっきりさせないといけない。
子供だから何でもありだなどという世間の誤った風潮により、自己中心的な子供が蔓延し、小学生の女の子が、おかしな小学生モデルみたいなことをやりたがるのである。

チン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』という本(真に優れた成功哲学の本だ)で、スーパーモデルになりたいという女性の話があった。
これは、上に挙げた蛯原友里さんのような人気モデルになりたいというのとも共通することが多い。
まず、甘い食べ物はほとんど我慢しなければならない。
こってりとした食べ物もほぼ全て駄目で、味気ない繊維質の食べ物に替え、しかも、量はこれまでの半分だ。モデルの低体重は、普通の人の「痩せている」とは全然違う。
友達との他愛ないお喋りや、楽しい噂話ともお別れだ。レッスンや勉強が忙しくて、そんなことをしている暇はない。
買い物も諦め、いつでもオーディションを受けることができるよう、パートタイムで出来る給料の安い仕事をいくつも抱え、しかも、収入の大半を目的のために注ぎ込まねばならない。
つまり、夢を叶えるには、かなりの犠牲が必要なのだ。
これを知った時、その女性は、自分はスーパーモデルの器でないと理解する。
そして、自分に相応しい目標を見つける。

子供だって、夢を叶えるには犠牲が必要であることを教えないといけない。
犠牲を払えない夢とは、本当の夢ではなく、ただの欲望なのだということを教えるのに、早過ぎるということはない。
初恋より先に教えて良いことだ。
そして、「犠牲を払ってでもやりたいと思うことが、絶対に誰でもある」と教えるのだ。
アーマンド・ハマーは、7歳の時、「私よりも立派な人達のために役に立ちたい」という願いを持ち、それを毎日神に祈ったという。
実をいうと、むしろ、子供の方が、本当の夢というものを見つけ易いのだ。
それを、オリンピック選手だのアイドルだのと煽って邪魔してはならない。
オリンピックからレスリングが外されそうになり、有名なレスリングの金メダリストが「ある子供から、自分も金メダルを取りたいという夢を聞いた。叶えさせてうやりたい」といったことを記者会見で述べていたが、それなら、オリンピックから外した方がその子のためと私は思った。

石原さとみさんのような人気女優と結婚したいなんて男も多いだろうし、それ自体は正常なことと思う。
しかし、巷の馬鹿げた願望達成術には、そんなことすら可能といったものがある。あるいは、石原さとみさんそっくりの彼女を得ることができるとか言うのだろう。まあ、ちょっと似た人なら可能かもしれないが、客観的に見れば、本物とは比較にならないものだ。それで言うなら、「あばたもえくぼ」、女性はみんな石原さとみで、エマ・ワトソンだ。
もし、本物の石原さとみさんや、それに限りなく近い女性と結婚したいなら、それなりの格が必要になる。彼女が「普通の人と結婚」といったところで、「年商50億のIT企業の青年社長」とか、「卓越した外科医」とかであり、年収500万円のサラリーマンということはありえない。
まずは、大きな犠牲を払い、それなりの格を得なければならないのだ。それができないなら、所詮、ただの欲望であるということだ。

達成できる目標に大きさは関係がない。つまり、いかなる大きな目標であれ、神が本当にあなたに与えたものであれば達成可能であることを説くジョセフ・マーフィーの著書にもこんな話が書かれていた。
ある若くて美しい女性が、女優になりたいと思っていた。
だが、マーフィーは、彼女に、子供っぽい夢を卒業しなければならないことを厳しく教えた。
彼女は幸い理解し、勉強して有能な事務員になった。そして、勤務している会社の青年社長と幸福な結婚をする。
彼女が本当に、女優になるためにいかなる犠牲も払う覚悟があるなら、それは彼女の本当の夢かもしれない。
いかなる犠牲も払うという意味は、「全ての欲望と引き換えでも」という意味だ。
お金、賞賛、羨望、優越感、ロマンス、温かい家庭・・・目標が大きければ、これらは全て諦めないといけない。
無論、真の目標のためのお金は必要だし、それが神の与えた本当の願いである限り、必ずや得られる。
言い換えれば、巨大な財とは、人々や世界に奉仕するためにだけあるのだ。
間違って得れば、それは災厄である。そうであることは、人類の歴史で、例外は一例もない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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