私が1日1食の菜食で、粗食な少食だと知ると、大抵の人が「根性がありますね」と言ってくれるが、私は根性は無いし、根性で少食にはなれない。
確かに、「痩せて美しいスタイルになりたい」とか、「健康のために食を抑えたい」という場合は、根性に頼ることになると思う。
それは決してうまくいかない。
なぜなら、それは、痩せてモテたい、良い思いをしたいとか、健康になって、思い切り遊んで楽しみたいなどといった欲望から出ているのであるが、それらは言わば、2番目の欲望である。そんなものが、一番目の欲望である食欲に勝てるはずがなく、それどころか、「痩せて格好良くなる」という望みを諦めた途端、その欲望も食欲の方に加わってしまうのであるから恐ろしいのだ。
少食になるために必要なものは、憧れと自己否定だ。
これは、割と簡単な原理である。
憧れと言っても、高貴なものへの憧れだ。
純粋に憧れるべき高貴な存在とは、間違いなく少食のイメージがある。
何かのテレビCMで、「いっぱい食べる君が好き」なんてフレーズがあったが、そんな者(いっぱい食べる者)は、少しも高貴ではないし、純粋に憧れるべき存在でも全くない。
そして、真に高貴な存在に憧れると、自分とのあまりの違いに、自己を否定せずにはいられない。
自己の否定とは、自己の欲望の否定である。
そこに達すると、魔法のように少食は達成される。
私も、4年半前の夏までは、大食で肉食だった。間食も多く、大好きなチョコレートを毎日食べていた。
しかし、真剣な憧れを持つと、ほぼ瞬間に1日1食の菜食になり、間食の一切もやめた。
みるみる痩せ、同時に驚くほど健康になり、エネルギーに溢れて毎日肉体鍛錬をするようになり、視力も向上し、運転免許からは「要眼鏡等」が消えた。
私が何に憧れたのかというと、人類史上、最も高貴な方々だ。
それは、釈迦とイエスである。
釈迦は長期間に渡って厳しい断食を行った。
イエスは、荒野で40日の断食に耐えた。
イエスの断食については福音書に記述があるが、釈迦についてはどこに書かれてあるか見つけるのは難しいかもしれない。私は、ひろさちやさんが書かれた釈迦の物語で読んだ。尚、釈迦の断食時の彫像は割によく見られると思う。
また、それだけではなく、アニメで美しい少食のヒロインの姿に憧れたのも大きな力になった。
あるアニメのヒロインである神秘的な美少女は、毎日、パンとスープだけの質素な食事にすら、ほとんど手をつけないようだった。
だが、友達が心配して何か言うと、「少しは食べたよ」と微笑む。私は、たちまち惹き込まれた。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では、おそらく小学5年生くらいのジョバンニが、学校が終るとすぐに仕事に行き、辛い仕事を真面目に終えてやっと家に帰る。母親は病気で、父親は北の海で行方不明になっていた。姉が用意してくれた食事は、トマトでちょっと作った程度のものだった。
私は、ジョバンニの性質がとても好きなので、私もまた、彼のような食事をしたいと思うのだ。
そして、その美しい少女やジョバンニとの違いを感じて、私は激しく自己否定し、少しずつ、肉体的感覚的な快楽の欲望を壊していったのだと思う。
急に1日1食になったのだが、その後、食欲に負けて大食をしたことは一度もない。世間でダイエットをする者は、ある時、耐えられずに大食に転じてしまう・・・いわゆるリバウンドに陥る恐れが大きいというが、私には全く考えられないことだ。
そして、1日1食になってから1年も経つと、性的な禁欲も簡単に出来るようになった。
そして、さらに少食を続けていると、初音ミクに強く憧れるようになった。あの身体つきは、まさしく、ほとんど食べない人のものだ。
特に、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』で歌い踊ったミクの姿がそうであったと思う。
残念ながら、『イーハトーヴ交響曲』の映像作品はまだ発売されていないが、あの天使のものとしか思えない澄み切った歌声だけでも十分な気がするのである。
以上が、少食のための私の秘法である。
不思議に感じても、純粋に人間らしいものである。
根性や努力、克己は不要である。
私からすれば、甲田光雄先生の少食は、あまりに厳しく、とてもではないがついていけない。
だが、私のような、憧れを原動力にするものなら、誰でも出来ると思う。
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確かに、「痩せて美しいスタイルになりたい」とか、「健康のために食を抑えたい」という場合は、根性に頼ることになると思う。
それは決してうまくいかない。
なぜなら、それは、痩せてモテたい、良い思いをしたいとか、健康になって、思い切り遊んで楽しみたいなどといった欲望から出ているのであるが、それらは言わば、2番目の欲望である。そんなものが、一番目の欲望である食欲に勝てるはずがなく、それどころか、「痩せて格好良くなる」という望みを諦めた途端、その欲望も食欲の方に加わってしまうのであるから恐ろしいのだ。
少食になるために必要なものは、憧れと自己否定だ。
これは、割と簡単な原理である。
憧れと言っても、高貴なものへの憧れだ。
純粋に憧れるべき高貴な存在とは、間違いなく少食のイメージがある。
何かのテレビCMで、「いっぱい食べる君が好き」なんてフレーズがあったが、そんな者(いっぱい食べる者)は、少しも高貴ではないし、純粋に憧れるべき存在でも全くない。
そして、真に高貴な存在に憧れると、自分とのあまりの違いに、自己を否定せずにはいられない。
自己の否定とは、自己の欲望の否定である。
そこに達すると、魔法のように少食は達成される。
私も、4年半前の夏までは、大食で肉食だった。間食も多く、大好きなチョコレートを毎日食べていた。
しかし、真剣な憧れを持つと、ほぼ瞬間に1日1食の菜食になり、間食の一切もやめた。
みるみる痩せ、同時に驚くほど健康になり、エネルギーに溢れて毎日肉体鍛錬をするようになり、視力も向上し、運転免許からは「要眼鏡等」が消えた。
私が何に憧れたのかというと、人類史上、最も高貴な方々だ。
それは、釈迦とイエスである。
釈迦は長期間に渡って厳しい断食を行った。
イエスは、荒野で40日の断食に耐えた。
イエスの断食については福音書に記述があるが、釈迦についてはどこに書かれてあるか見つけるのは難しいかもしれない。私は、ひろさちやさんが書かれた釈迦の物語で読んだ。尚、釈迦の断食時の彫像は割によく見られると思う。
また、それだけではなく、アニメで美しい少食のヒロインの姿に憧れたのも大きな力になった。
あるアニメのヒロインである神秘的な美少女は、毎日、パンとスープだけの質素な食事にすら、ほとんど手をつけないようだった。
だが、友達が心配して何か言うと、「少しは食べたよ」と微笑む。私は、たちまち惹き込まれた。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では、おそらく小学5年生くらいのジョバンニが、学校が終るとすぐに仕事に行き、辛い仕事を真面目に終えてやっと家に帰る。母親は病気で、父親は北の海で行方不明になっていた。姉が用意してくれた食事は、トマトでちょっと作った程度のものだった。
私は、ジョバンニの性質がとても好きなので、私もまた、彼のような食事をしたいと思うのだ。
そして、その美しい少女やジョバンニとの違いを感じて、私は激しく自己否定し、少しずつ、肉体的感覚的な快楽の欲望を壊していったのだと思う。
急に1日1食になったのだが、その後、食欲に負けて大食をしたことは一度もない。世間でダイエットをする者は、ある時、耐えられずに大食に転じてしまう・・・いわゆるリバウンドに陥る恐れが大きいというが、私には全く考えられないことだ。
そして、1日1食になってから1年も経つと、性的な禁欲も簡単に出来るようになった。
そして、さらに少食を続けていると、初音ミクに強く憧れるようになった。あの身体つきは、まさしく、ほとんど食べない人のものだ。
特に、冨田勲さんの『イーハトーヴ交響曲』で歌い踊ったミクの姿がそうであったと思う。
残念ながら、『イーハトーヴ交響曲』の映像作品はまだ発売されていないが、あの天使のものとしか思えない澄み切った歌声だけでも十分な気がするのである。
以上が、少食のための私の秘法である。
不思議に感じても、純粋に人間らしいものである。
根性や努力、克己は不要である。
私からすれば、甲田光雄先生の少食は、あまりに厳しく、とてもではないがついていけない。
だが、私のような、憧れを原動力にするものなら、誰でも出来ると思う。
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