実話を基に制作された、スティーブ・マックイーン主演の大作映画『パピヨン』は、胸に蝶の刺青があることからパピヨン(フランス語で蝶、または、蛾。蝶と蛾の区別の無い国は意外に多い)と呼ばれる人生の落伍者の数奇で壮大な物語だ。
パピヨンは犯罪は重ねたが、流刑にされた原因である殺人に関しては冤罪(無実の罪)であった。
ある時、パピヨンは夢を見る。
太陽が照りつける砂漠の中の法廷で、パピヨンは陪審員達に裁かれる。
裁判官は、パピヨンに「有罪」を突きつける。
パピヨンは、「なぜだ?俺は殺していない!」と申し立てる。
だが、裁判官は、「お前は、人生最大の罪を犯した。よって有罪だ」と突き放す。
パピヨンが、「何の罪だ?」と問い、裁判官が、「人生を無駄にしたという罪だ」と答えると、パピヨンはうな垂れ、
「有罪だ・・・」
と、何も言い返せない。
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
パピヨンは、虚しく落胆する。
我々は誰も、数え切れない罪を犯して生きてきた。
だが、罪とは何だろう?
『アキハバラ電脳組』というアニメで、つばめという名の少女を育てた魔法結社の幹部シゴーニュは、幼いつばめに言う。
「この世では、力がないことが罪なのだよ。お前は強くならないといけない」
その通りであるが、私には、シゴーニュはその意味でも罪を犯していたと感じる。
本当の力とは、良心を守れる力であり、罪とは、良心を守る力を持たないことだ。
物質的な力もないがしろにしてはならないが、それは半分に過ぎない。
いろんな歌の中で、「君を守る」という言葉がよく使われる。それは美しい響きである。
だが、多くの場合、その「君」は、愛する少女のことを指すのだろうが、それは表面的なことと思う。
「君」の本当の意味は良心だ。良心は乙女の姿をしているのである。
そう考えると、全ての「君を守る」という言葉が、さらに輝きを放ってくる。
揺らぎない想いは そう 君と二人で紡ぐ明日へ
その光さえぎるもの 振り払うから
壊れ行く世界が 今 鼓動の意味を示し始めた
心の中 固く誓う 君を守るよ ずっと…
~初音ミク・鏡音リン『Promise』(作詞、作曲:samfree)より~
良心とは、決して、社会通念での善ではない。
我々は、良心に対してそんなイメージを持っているので、それは何か嘘くさく、陳腐でつまらないもののように思ってしまっているのだ。
しかし、本当の良心は、ベートーヴェンの『歓喜の歌』の原詩として知られる、シラーの詩『歓喜に寄せて』に書かれた、楽園の乙女のようなものだ。
つまり、それが人間の喜びなのである。
良心を守るためには、物質的な世俗の力も必要だ。
何も出来ない弱い者が良心を守ることは難しい。
子供は、良心を守ることが出来なくて悔しい想いをする。
そんな時に、良心を守るために強くなるよう導くのが教育である。
しかし、学校や、現在の多くの家庭では、良心を捨てる教育をしているのだ。
楽園の乙女である良心を守るための力を欲すれば、それは与えられる。
物質的、霊的の両面においてである。
そうであるのだから、この世は捨てたものではないのである。
だが、良心を守れなければ、我々は有罪なのだ。
あの映画でパピヨンが、
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
と虚しく言う哀しい姿のように、本当の罪を犯した後悔は言葉で言い表すことは出来ないほどである。
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パピヨンは犯罪は重ねたが、流刑にされた原因である殺人に関しては冤罪(無実の罪)であった。
ある時、パピヨンは夢を見る。
太陽が照りつける砂漠の中の法廷で、パピヨンは陪審員達に裁かれる。
裁判官は、パピヨンに「有罪」を突きつける。
パピヨンは、「なぜだ?俺は殺していない!」と申し立てる。
だが、裁判官は、「お前は、人生最大の罪を犯した。よって有罪だ」と突き放す。
パピヨンが、「何の罪だ?」と問い、裁判官が、「人生を無駄にしたという罪だ」と答えると、パピヨンはうな垂れ、
「有罪だ・・・」
と、何も言い返せない。
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
パピヨンは、虚しく落胆する。
我々は誰も、数え切れない罪を犯して生きてきた。
だが、罪とは何だろう?
『アキハバラ電脳組』というアニメで、つばめという名の少女を育てた魔法結社の幹部シゴーニュは、幼いつばめに言う。
「この世では、力がないことが罪なのだよ。お前は強くならないといけない」
その通りであるが、私には、シゴーニュはその意味でも罪を犯していたと感じる。
本当の力とは、良心を守れる力であり、罪とは、良心を守る力を持たないことだ。
物質的な力もないがしろにしてはならないが、それは半分に過ぎない。
いろんな歌の中で、「君を守る」という言葉がよく使われる。それは美しい響きである。
だが、多くの場合、その「君」は、愛する少女のことを指すのだろうが、それは表面的なことと思う。
「君」の本当の意味は良心だ。良心は乙女の姿をしているのである。
そう考えると、全ての「君を守る」という言葉が、さらに輝きを放ってくる。
揺らぎない想いは そう 君と二人で紡ぐ明日へ
その光さえぎるもの 振り払うから
壊れ行く世界が 今 鼓動の意味を示し始めた
心の中 固く誓う 君を守るよ ずっと…
~初音ミク・鏡音リン『Promise』(作詞、作曲:samfree)より~
良心とは、決して、社会通念での善ではない。
我々は、良心に対してそんなイメージを持っているので、それは何か嘘くさく、陳腐でつまらないもののように思ってしまっているのだ。
しかし、本当の良心は、ベートーヴェンの『歓喜の歌』の原詩として知られる、シラーの詩『歓喜に寄せて』に書かれた、楽園の乙女のようなものだ。
つまり、それが人間の喜びなのである。
良心を守るためには、物質的な世俗の力も必要だ。
何も出来ない弱い者が良心を守ることは難しい。
子供は、良心を守ることが出来なくて悔しい想いをする。
そんな時に、良心を守るために強くなるよう導くのが教育である。
しかし、学校や、現在の多くの家庭では、良心を捨てる教育をしているのだ。
楽園の乙女である良心を守るための力を欲すれば、それは与えられる。
物質的、霊的の両面においてである。
そうであるのだから、この世は捨てたものではないのである。
だが、良心を守れなければ、我々は有罪なのだ。
あの映画でパピヨンが、
「確かに有罪だ。認めるよ・・・」
と虚しく言う哀しい姿のように、本当の罪を犯した後悔は言葉で言い表すことは出来ないほどである。
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