運命は決まっていて、絶対変えられなくても、あなたを800倍化するくらいは出来ると思っている。
今回は、そんな話だ。
まず思い出話だ。
私は、7つくらいの時の夏、道を歩いていたら、なんとも可愛らしい子猫に遭遇した。
ところが、そこに、特別に大きな犬が現れた。どこかの飼い犬だと思うが、飼い主が目を離したスキに外に出てしまったのかもしれなかった。
そして、その犬が、子猫に近寄って行くではないか。
凶暴そうな犬には見えなかったが、とにかく大きい。私はなりゆきを見守っていた。
犬は、子猫にどんどん接近する。いじめるつもりでもないようだったが、ちょっかいを出す気はあるようだった。
子猫は逃げるか、恐がってすくみ上がるかだと思った。
ところが、子猫は犬に真正面に向き合うと、つま先を立てて犬を睨みつけるではないか。
すると、なんと、犬が後ずさりして、その場を数歩離れた。
しかし、犬もすぐには引き下がらず、「なめられてたまるか」とでも言うように、再度、子猫に向かって行った。
子猫はまたもつま先立ち、目を吊り上げ、「フー!」と声を上げて一歩も引かない。
戦えば、話にもならないだろうが、子猫の気迫が勝り、犬を追っ払ってしまった。
なんとも印象深い出来事だった。
子猫の精神力も凄いが、後で、これが猫が、強い敵に逢った時の常套手段なのだと知った。つま先だって自分を不意に大きく見せ、目と声で驚かせるのだ。
つまり、これが、猫の奥の手、切り札なのである。
私は、「切り札」の重要性を感じた。
プロレスラーも指導する、ある強力な武道家は、若い頃、喧嘩の修行に励んでいて、喧嘩が強い男がいると聞くと、飛んで行って教えを乞うていたという。
彼は、ある、凄い喧嘩の達人のヤクザがいると聞き、さっそく、「勉強に」行った。喧嘩が強いなら、ヤクザでも何でも関係なかった。
会えば、小柄で貧相な体格の、もういい歳の男だった。
「先生のお噂を聞き、是非お逢いしたく、やって参りました」
すると、そのヤクザは、今から出入り(喧嘩のこと)だから、ついて来いと言う。
ヤクザの乱闘に付き合うなど、とんでもない話であるが、その武道家は、実戦で見られるとは願ってもないと、喜んで一緒に行った。
ついに決闘が始まり、敵のヤクザが襲ってくると、その喧嘩の達人は、素早い動きで、足から地面にスライディングすると、敵の1人の脛に強烈な蹴りを叩き込んだ。
凄い音がして、脚が折れたことが分かった。
これが、その「喧嘩の達人」の、奥の手だった。
なんとも馬鹿な奥の手であるが、私は思った。
その喧嘩の達人は、おそらく、人間として何の取り得もない、能力も才能もない、駄目な男だったのだ。普通だったら、それこそ、引きこもりで一生を過ごしたかもしれない。
ひょっとしたら、学校時代は、かなり屈辱的な想いを重ねていたのではなかっただろうかと想像してしまう。
この親近感を感じざるを得ない惨めな男が、このたった1つの必殺技を磨きに磨くことで、肩で風切って歩ける立場になったのだ。
私には、どうしても、彼を否定できないのだ。
梶原一騎さん原作の『愛と誠』という、傑作と言われる漫画作品がある。
それに登場する、高原由紀という、高校2年生の女子は、見かけは素晴らしい美少女であったが、実は学園の影のスケバン(ギャグでなく、シリアスでダークな)だった。
彼女は、捨て子で、孤児院で虐待され、ぐれて女子少年院に入れられたが、なまじ顔が可愛いというのでイジメの標的にされた。
すると、彼女は、投げナイフの猛訓練に打ち込み、達人の腕前になった時、皆を震え上がらせ、女王の座に君臨する。
色々問題のある作家だったが、自らも少年院を経験した梶原さんのお話は、説得力があった。
ジャイアント馬場さんのライバルでもあった、フリッツ・フォン・エリックという、超一流のプロレスラーは、「鉄の爪」のニックネームで有名だったが、彼の必殺技は、手で相手の顔や胃袋を掴んで締め上げるという、超シンプルな「クロー攻撃」と言われる技だった。彼の握力は人間離れしており、顔を長時間掴まれると、相手は出血して意識が遠のいた。
馬場さんは、エリックのクロー攻撃の後が頭に残っているとよく言っていた。エリックは、馬場さん相手の時は、特に燃えたようだった。
そのエリックも、元は大したことのないレスラーだった。しかし、握力が意外に強いことに気付き、野球のボールを持ち歩いて、いつでもどこでも、それを万力で握って鍛え、ついに必殺のクロー攻撃を完成した・・・と言うのは、本当か嘘か知らないが、そんなことはどうでもいい。大事なことは、この気構えだ。
実際、エリックは、クロー攻撃以外は、これといった技もなく、ただ、パンチとキックばかりだった。しかし、そのパンチやキックが凄い迫力で、「ぶったおしさえすれば、後はクローで俺の勝ち」といったものだった。彼のパンチやキックのエネルギーは、クロー攻撃の自信から生まれているようにすら思えた。
心が揺るぎなく落ち着いている者というのは、ただ1つの「奥の手」を隠し持つことで、絶対の自信を内に秘めているのだ。
「本当に凶暴な者は、普段は普通の人よりずっと物静かだ」というのは、知っている人は知っていることだ。
しかし、奥の手は、上に挙げたような喧嘩や格闘技の技のようなものだけではない。
インドの聖者だって、弟子に与える必殺の一言をいつも探してやっているのである。
たった1つの言葉が、揺るぎない聖なる技になるのだ。
一応、仮の話としておくが、密教の秘法で、思念の力で相手の精神をかく乱させることの出来る者もいる。ただ、害意のない相手に使うと、自分に返ってくるので、使い方には余程気を付ける必要がある。私も適度にマスターしていて、効果も凄かったが、ある時期から使わなくなった。
法然の念仏や、岡田虎二郎の静坐も、間違いなく、無敵の切り札だったと思う。
法然は、遺書に、「私は念仏以外、絶対何も知らん」といった意味のことを書いていたものだ。
岡田虎二郎の弟子で、日航の社長や日銀の副総裁も歴任した柳田誠二郎さんも、「心を締める鍵を1つ持ちなさい。私にはそれが岡田先生の静坐だった」とよく言っていたらしい。
我々も、必殺の切り札、奥の手を1つマスターすれば、人生、恐れるものなしである。
ただ、自分の奥の手に巡り遭うことはなかなか出来ない。
しかし、他のものと違い、その気があるなら、運命は、それを用意しているはずだ。
だから、本気で得たいなら、恐れずに求めるべきである。
植芝盛平や中村天風の弟子で、隻眼(片目を失明していた)ながら、合気道の達人で神道神官でもある、佐々木の将人さんの『数霊のメッセージ』は、危ない秘法満載の本だが、残念ながら絶版である。いや、絶版の方が良いかもしれない。
しかし、ヒントはいたるところにあるだろう。
尚、最上の書を百回読めば、切り札を超えた切り札を得ることは間違いないと思う。
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今回は、そんな話だ。
まず思い出話だ。
私は、7つくらいの時の夏、道を歩いていたら、なんとも可愛らしい子猫に遭遇した。
ところが、そこに、特別に大きな犬が現れた。どこかの飼い犬だと思うが、飼い主が目を離したスキに外に出てしまったのかもしれなかった。
そして、その犬が、子猫に近寄って行くではないか。
凶暴そうな犬には見えなかったが、とにかく大きい。私はなりゆきを見守っていた。
犬は、子猫にどんどん接近する。いじめるつもりでもないようだったが、ちょっかいを出す気はあるようだった。
子猫は逃げるか、恐がってすくみ上がるかだと思った。
ところが、子猫は犬に真正面に向き合うと、つま先を立てて犬を睨みつけるではないか。
すると、なんと、犬が後ずさりして、その場を数歩離れた。
しかし、犬もすぐには引き下がらず、「なめられてたまるか」とでも言うように、再度、子猫に向かって行った。
子猫はまたもつま先立ち、目を吊り上げ、「フー!」と声を上げて一歩も引かない。
戦えば、話にもならないだろうが、子猫の気迫が勝り、犬を追っ払ってしまった。
なんとも印象深い出来事だった。
子猫の精神力も凄いが、後で、これが猫が、強い敵に逢った時の常套手段なのだと知った。つま先だって自分を不意に大きく見せ、目と声で驚かせるのだ。
つまり、これが、猫の奥の手、切り札なのである。
私は、「切り札」の重要性を感じた。
プロレスラーも指導する、ある強力な武道家は、若い頃、喧嘩の修行に励んでいて、喧嘩が強い男がいると聞くと、飛んで行って教えを乞うていたという。
彼は、ある、凄い喧嘩の達人のヤクザがいると聞き、さっそく、「勉強に」行った。喧嘩が強いなら、ヤクザでも何でも関係なかった。
会えば、小柄で貧相な体格の、もういい歳の男だった。
「先生のお噂を聞き、是非お逢いしたく、やって参りました」
すると、そのヤクザは、今から出入り(喧嘩のこと)だから、ついて来いと言う。
ヤクザの乱闘に付き合うなど、とんでもない話であるが、その武道家は、実戦で見られるとは願ってもないと、喜んで一緒に行った。
ついに決闘が始まり、敵のヤクザが襲ってくると、その喧嘩の達人は、素早い動きで、足から地面にスライディングすると、敵の1人の脛に強烈な蹴りを叩き込んだ。
凄い音がして、脚が折れたことが分かった。
これが、その「喧嘩の達人」の、奥の手だった。
なんとも馬鹿な奥の手であるが、私は思った。
その喧嘩の達人は、おそらく、人間として何の取り得もない、能力も才能もない、駄目な男だったのだ。普通だったら、それこそ、引きこもりで一生を過ごしたかもしれない。
ひょっとしたら、学校時代は、かなり屈辱的な想いを重ねていたのではなかっただろうかと想像してしまう。
この親近感を感じざるを得ない惨めな男が、このたった1つの必殺技を磨きに磨くことで、肩で風切って歩ける立場になったのだ。
私には、どうしても、彼を否定できないのだ。
梶原一騎さん原作の『愛と誠』という、傑作と言われる漫画作品がある。
それに登場する、高原由紀という、高校2年生の女子は、見かけは素晴らしい美少女であったが、実は学園の影のスケバン(ギャグでなく、シリアスでダークな)だった。
彼女は、捨て子で、孤児院で虐待され、ぐれて女子少年院に入れられたが、なまじ顔が可愛いというのでイジメの標的にされた。
すると、彼女は、投げナイフの猛訓練に打ち込み、達人の腕前になった時、皆を震え上がらせ、女王の座に君臨する。
色々問題のある作家だったが、自らも少年院を経験した梶原さんのお話は、説得力があった。
ジャイアント馬場さんのライバルでもあった、フリッツ・フォン・エリックという、超一流のプロレスラーは、「鉄の爪」のニックネームで有名だったが、彼の必殺技は、手で相手の顔や胃袋を掴んで締め上げるという、超シンプルな「クロー攻撃」と言われる技だった。彼の握力は人間離れしており、顔を長時間掴まれると、相手は出血して意識が遠のいた。
馬場さんは、エリックのクロー攻撃の後が頭に残っているとよく言っていた。エリックは、馬場さん相手の時は、特に燃えたようだった。
そのエリックも、元は大したことのないレスラーだった。しかし、握力が意外に強いことに気付き、野球のボールを持ち歩いて、いつでもどこでも、それを万力で握って鍛え、ついに必殺のクロー攻撃を完成した・・・と言うのは、本当か嘘か知らないが、そんなことはどうでもいい。大事なことは、この気構えだ。
実際、エリックは、クロー攻撃以外は、これといった技もなく、ただ、パンチとキックばかりだった。しかし、そのパンチやキックが凄い迫力で、「ぶったおしさえすれば、後はクローで俺の勝ち」といったものだった。彼のパンチやキックのエネルギーは、クロー攻撃の自信から生まれているようにすら思えた。
心が揺るぎなく落ち着いている者というのは、ただ1つの「奥の手」を隠し持つことで、絶対の自信を内に秘めているのだ。
「本当に凶暴な者は、普段は普通の人よりずっと物静かだ」というのは、知っている人は知っていることだ。
しかし、奥の手は、上に挙げたような喧嘩や格闘技の技のようなものだけではない。
インドの聖者だって、弟子に与える必殺の一言をいつも探してやっているのである。
たった1つの言葉が、揺るぎない聖なる技になるのだ。
一応、仮の話としておくが、密教の秘法で、思念の力で相手の精神をかく乱させることの出来る者もいる。ただ、害意のない相手に使うと、自分に返ってくるので、使い方には余程気を付ける必要がある。私も適度にマスターしていて、効果も凄かったが、ある時期から使わなくなった。
法然の念仏や、岡田虎二郎の静坐も、間違いなく、無敵の切り札だったと思う。
法然は、遺書に、「私は念仏以外、絶対何も知らん」といった意味のことを書いていたものだ。
岡田虎二郎の弟子で、日航の社長や日銀の副総裁も歴任した柳田誠二郎さんも、「心を締める鍵を1つ持ちなさい。私にはそれが岡田先生の静坐だった」とよく言っていたらしい。
我々も、必殺の切り札、奥の手を1つマスターすれば、人生、恐れるものなしである。
ただ、自分の奥の手に巡り遭うことはなかなか出来ない。
しかし、他のものと違い、その気があるなら、運命は、それを用意しているはずだ。
だから、本気で得たいなら、恐れずに求めるべきである。
植芝盛平や中村天風の弟子で、隻眼(片目を失明していた)ながら、合気道の達人で神道神官でもある、佐々木の将人さんの『数霊のメッセージ』は、危ない秘法満載の本だが、残念ながら絶版である。いや、絶版の方が良いかもしれない。
しかし、ヒントはいたるところにあるだろう。
尚、最上の書を百回読めば、切り札を超えた切り札を得ることは間違いないと思う。
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