集中力が偉大な味方だということはご存知と思う。
集中力を得れば、何でも上手くいくだろう。
頭も良くなるし、知能指数すら著しく向上する。
世間的に知られるような能力だけではなく、それらに比べれば、神秘的としか言いようの無い能力も顕れるだろう。
実際、集中力があれば、予知やテレパシーなど、超感覚的知覚(ESP)と呼ばれる能力も発揮する。
「私は集中力がなくて」と嘆く人は多いと思うが、それは妥当な悩みである。集中力がなく、心が散漫であれば力を発揮できず、何事も達成できない。
人の最大の能力は直観であるが、集中力と直観はほぼ等しいのだ。
だが、人々には、集中力に対する大きな誤解、偏見、迷信がある。
それは、集中力を得るためという膨大な書籍が存在することから分かる。
集中力を得ることが難しいことだという、愚かな思い込みがあるのだ。集中とは簡単なことなのだ。
大陸を渡って移動する蝶がいるが、それらの蝶が、どうやって出発する時期、そして、どこへ飛ぶかを、どうやって決めているのかは全くの謎だ。だが、蝶達が知るようなことを我々だって知ることができる。蝶達は集中によって、宇宙に偏在する英知と交流している。蝶や、あるいは、渡り鳥にとって、集中はごく自然なことだ。
我々も、簡単に、ごく自然に集中することによって、それ(英知)と一致すれば、あらゆることは正しくなり、そして簡単になる。
そして、集中することは難しくはない。
集中しなければならないのではない。散漫であることをやめればいいだけのことだ。
以前も書いたが、能力が高い人は、「できる」と考えているのではない。「できない」と考えないだけだ。
集中するのではない。散漫でないだけのことだ。
何が我々をかくも散漫にさせるのだろう?
それは、注意を払うべきでないことに注意を払うことだ。集中すべきでないことに集中しようとすれば、集中はその人間から消えてなくなる。
例えば、美食やエロチックなものに意志を向け、それを強化すれば、自然な集中は失われ、本来持っている力の数百分の1、数千分の1しか発揮できなくなる。
勉強するとしても、賢くなるためという本来の目的で勉強するなら良いが、試験の成績を上げるとか、受験に合格するための勉強では、集中はなくなり、直観は働かなくなる。学校での「ここは試験に出るから憶えておけ」という教師の愚かな言葉を決して聞いてはならない。試験に出るから憶えるのではない。知恵のために有益だからという理由で憶えるのだ。
岡本太郎は、授業中、両手で耳を堅く塞ぎ、神聖なる頭脳に教師の汚れた言葉が入ってくるのを赦さなかったが、彼は集中や、それによってもたらされる直感の重要性をよく分かっていたのだ。学校とは、貴い集中という宝を破壊するための場所なのだ。
しかし、世間には、食欲や性欲を煽るものに溢れている。そうやって儲けて、自分の食欲や性欲を満たそうとする連中を、地上の喧騒の中に放置し、我々は高く飛ばなければならない。集中は低いところにはない。地上は汚辱にまみれているが、空の高みには集中がごく自然に溢れている。
『バガヴァッド・ギーター』で、聖なるクリシュナが、外のものから感覚を引き上げよと言ったのは、そういった欲望を煽るものから目を逸らせということだ。
それは、日頃、食を慎むことで容易く出来るようになる。
逆に、食べたいだけ食べ、食べるべきでない時にはまで食べる者には見込みはない。電車の中で食べ物の袋を音をたてて破って、異臭をまきちらしながら口に食べ物を放り込む者を見れば、集中を無くした人間の惨めさが分かるのではないだろうか?
これまで作ってきた、誤った心の傾向性のために、意志が散漫になることが多いかもしれない。
そのような時にどうするかも、『バガヴァッド・ギーター』に述べられている。
世俗の集中力を得るための書を読むより、『バガヴァッド・ギーター』を読むことには万倍の価値がある。前者は一時的で小手先の誤魔化しだが、後者は本質的で永続的だからだ。
最初は、呼吸を制御したり、身体の一点(例えば眉間)に集中したり、マントラや神の名を繰り返すなどが有益だろう。
そして、必要な心の力が得られたなら、「自分とは一体何なのか?」「私は誰か?」と自分に問うたり、存在するという感覚を意識すれば、自ずと集中に導かれるだろう。
ただ、注意しなければならないのは、それが無目的でなければならないということだ。
欲望を満たすため、つまり、金持ちになるとか、成功するとか、理想の異性を得るためとか、世俗的な能力を得るためにそれをするのではないということだ。そのような欲望を持っていれば、たちまち集中は破られ、愚かで惨めな散漫に戻るしかない。
だが、心配はいらない。集中の中にある英知は、あなたが必要なものなど、いちいち知らせなくても知っている。だから英知なのだ。それは、求めずとも得られる。
欲望から感覚を引き上げさえすれば良いのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
集中力を得れば、何でも上手くいくだろう。
頭も良くなるし、知能指数すら著しく向上する。
世間的に知られるような能力だけではなく、それらに比べれば、神秘的としか言いようの無い能力も顕れるだろう。
実際、集中力があれば、予知やテレパシーなど、超感覚的知覚(ESP)と呼ばれる能力も発揮する。
「私は集中力がなくて」と嘆く人は多いと思うが、それは妥当な悩みである。集中力がなく、心が散漫であれば力を発揮できず、何事も達成できない。
人の最大の能力は直観であるが、集中力と直観はほぼ等しいのだ。
だが、人々には、集中力に対する大きな誤解、偏見、迷信がある。
それは、集中力を得るためという膨大な書籍が存在することから分かる。
集中力を得ることが難しいことだという、愚かな思い込みがあるのだ。集中とは簡単なことなのだ。
大陸を渡って移動する蝶がいるが、それらの蝶が、どうやって出発する時期、そして、どこへ飛ぶかを、どうやって決めているのかは全くの謎だ。だが、蝶達が知るようなことを我々だって知ることができる。蝶達は集中によって、宇宙に偏在する英知と交流している。蝶や、あるいは、渡り鳥にとって、集中はごく自然なことだ。
我々も、簡単に、ごく自然に集中することによって、それ(英知)と一致すれば、あらゆることは正しくなり、そして簡単になる。
そして、集中することは難しくはない。
集中しなければならないのではない。散漫であることをやめればいいだけのことだ。
以前も書いたが、能力が高い人は、「できる」と考えているのではない。「できない」と考えないだけだ。
集中するのではない。散漫でないだけのことだ。
何が我々をかくも散漫にさせるのだろう?
それは、注意を払うべきでないことに注意を払うことだ。集中すべきでないことに集中しようとすれば、集中はその人間から消えてなくなる。
例えば、美食やエロチックなものに意志を向け、それを強化すれば、自然な集中は失われ、本来持っている力の数百分の1、数千分の1しか発揮できなくなる。
勉強するとしても、賢くなるためという本来の目的で勉強するなら良いが、試験の成績を上げるとか、受験に合格するための勉強では、集中はなくなり、直観は働かなくなる。学校での「ここは試験に出るから憶えておけ」という教師の愚かな言葉を決して聞いてはならない。試験に出るから憶えるのではない。知恵のために有益だからという理由で憶えるのだ。
岡本太郎は、授業中、両手で耳を堅く塞ぎ、神聖なる頭脳に教師の汚れた言葉が入ってくるのを赦さなかったが、彼は集中や、それによってもたらされる直感の重要性をよく分かっていたのだ。学校とは、貴い集中という宝を破壊するための場所なのだ。
しかし、世間には、食欲や性欲を煽るものに溢れている。そうやって儲けて、自分の食欲や性欲を満たそうとする連中を、地上の喧騒の中に放置し、我々は高く飛ばなければならない。集中は低いところにはない。地上は汚辱にまみれているが、空の高みには集中がごく自然に溢れている。
『バガヴァッド・ギーター』で、聖なるクリシュナが、外のものから感覚を引き上げよと言ったのは、そういった欲望を煽るものから目を逸らせということだ。
それは、日頃、食を慎むことで容易く出来るようになる。
逆に、食べたいだけ食べ、食べるべきでない時にはまで食べる者には見込みはない。電車の中で食べ物の袋を音をたてて破って、異臭をまきちらしながら口に食べ物を放り込む者を見れば、集中を無くした人間の惨めさが分かるのではないだろうか?
これまで作ってきた、誤った心の傾向性のために、意志が散漫になることが多いかもしれない。
そのような時にどうするかも、『バガヴァッド・ギーター』に述べられている。
世俗の集中力を得るための書を読むより、『バガヴァッド・ギーター』を読むことには万倍の価値がある。前者は一時的で小手先の誤魔化しだが、後者は本質的で永続的だからだ。
最初は、呼吸を制御したり、身体の一点(例えば眉間)に集中したり、マントラや神の名を繰り返すなどが有益だろう。
そして、必要な心の力が得られたなら、「自分とは一体何なのか?」「私は誰か?」と自分に問うたり、存在するという感覚を意識すれば、自ずと集中に導かれるだろう。
ただ、注意しなければならないのは、それが無目的でなければならないということだ。
欲望を満たすため、つまり、金持ちになるとか、成功するとか、理想の異性を得るためとか、世俗的な能力を得るためにそれをするのではないということだ。そのような欲望を持っていれば、たちまち集中は破られ、愚かで惨めな散漫に戻るしかない。
だが、心配はいらない。集中の中にある英知は、あなたが必要なものなど、いちいち知らせなくても知っている。だから英知なのだ。それは、求めずとも得られる。
欲望から感覚を引き上げさえすれば良いのである。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
