昨今、暴力団との関わりということに対し、社会は極めて敏感になっていることはご存知と思う。
企業の社長が、過去に暴力団との関わりがあったことが分かると色々面倒なこともあるだろう。
ところで、私は、昔のことだろうが、暴力団と関わった経験のある人を何人か知っている。彼ら自身は、ごくまっとうというか、社会的に立派な方々なのであるが、どういう訳か、揃いも揃って、かつて交際したり、関わりになった組員の人々を悪く言わないばかりか、褒め称える人すらいるのである。
あらためて思いを巡らすと、これは我々にとって非常に有益なところがあるので、ちょっと話してみよう。
ある上場間近だった社長さんは、初めての上場の時というのはそういうものなのだが、証券会社との付き合いが多くなった。そうしたら、彼は、証券会社の人間とは妖怪のようなもので(色々な意味でだろうが)、それと比べれば、彼が一時期、関わりがあった組員の人達はまともな人間であったと言う。
また、あるIT企業の社長さんは、たまたまマンションの隣に越してきた男が、実は組員だと知り、困ったことになったと思ったら、ついに、飲みに誘われ、死んだ気で付き合った。ところが、その組員が素晴らしい人物で、また、紳士であり、その人柄に惚れ込んでしまう。
また、そんな社会的地位のある大人ばかりでなく、売春などをさせられた被害者である女子高生などが、案外に、組員の人達を悪く言わないということもある。
一応、私自身は、その方面の人達との付き合いは無いのだが、聞いていて、気付くことがあった。それは、現代の人間の問題というものを私に深く感じさせたのだった。
上に挙げた、上場間近だった社長さんは、たまたま証券会社の人達を引き合いにしたが、私が確信するところでは、組員の人を、普通の人より好ましく感じるのは、大いに有り得ることである。
昔から、その方面の人達というのは、人付き合いが上手いのだが、彼らは、心理学者などより、はるかに、実践的な心理学に通じているのである。
分かりやすくするために、ちょっと話を変えるが、昔、あるテレビ番組で、致命的に女性にもてない男性達を集め、彼らが、やはりあらかじめ集められた、きれいな女の子達と仲良くなろうとする企画があった。
その男性達は、イケメンでこそないが、容姿はごく普通で、服のセンスもそんなにひどくない。ちゃんと働いていたり、有名な大学の学生ばかりで、かなりな高収入の男性もいた。
しかし、彼らがもてない理由はすぐに分かった。
女性と話す時、自分のことを延々と話し続けるのである。いきなり自分の子供の頃や学生時代の話を始めたり、自分の趣味のことを長々話す。女の子の方は、それを、一応、カメラの手前、微笑んで聞いているが、どうやって切り上げて逃げようかと考えているのがよく分かる。
あのアンデルセンも、好きな女の子がいたが、さっぱりうまくいかなった。そりゃそうだ。彼がどんなアプローチをしたかというと、自分の自伝を書いて送ったのだ。
はっきり言って、お前は馬鹿だ、アンデルセン。
良いか、ハンス(アンデルセンの名)。女の子と仲良くなりたかったら、自分の自伝を読ませるのではなく、彼女の自伝を読みたいと熱心に頼むくらいでないと駄目なのだよ。
有能な組員というのは、自分のことなんて決して言わない。まあ、それは当然のような気もする。そして、相手の情報を熱心に収集しようとするのだ。必然的に、話をよく聞き、しかも、目的があるから聞き上手になる。
女子校生と話す時は、彼らは、とにかく黙って話を聞く。熱心に、そして、時折、同意を示すことを心掛けながら。
現代の人間は、親であってもこれをしない。
親は、自分の考え、自分の信念を子供に叩き込もうとする。子供にほとんど話させない。
子供が何に興味があって、どんな話を親に聞いて欲しいかなど、全く構わない。
学校の教師も、会社の上司もそうである。自分の立場にあぐらをかいて、「俺の質問には、イエスかノーだけで答えろ」「それ以外は、俺が何を言ってもイエスと返事をしろ」と言うのだ。
まさに、これらの人間と比べたら、組員の人間がまともな人間に感じるのは当然であり、現代の親や教師は、あの上場を控えた社長が言ったように、妖怪と言って間違いない。
ではなぜ、現代の人々は、そんな妖怪になってしまったのか?
それは、自分にしか興味が無いからだ。
人間は自分への関心が高まるほど、他者への関心は無くなる。
ではなぜ、自分への関心がかくも高まったのかというと、欲望のためだ。世間では、儲けるために、人々の食欲や性欲を煽る連中がいっぱいだ。
欲望は、それを満たしたいという自我を肥大化させる。自我とは、自分にしか価値を認めないのだ。
人間は、真に幸福になるためには、自我を出来るだけ捨てなければならない。
悟りを開くとは、自我を完全に消し去った状態なのだ。
現代人は、悟りと全く反対の方向に突っ走り、当然ながら、悲惨な状態に至って苦しみ喘いでいるのだ。
どれほど金を得、どれほど美しい女をものにしても、そんなものは所詮、苦痛と惨めさしかもたらさない。
自分以外、全て師とか言うだろう。
暴力団が師と言うのも何であるが、現代はそんなことも必要な状況であるということだ。
豊臣秀吉は(彼も暴力団のボスと言えなくもない)人たらしの名人と言われ、どんなに難しい人物でも、秀吉と共にいると、離れられなくなるほど、彼に魅せられた。
秀吉には結構、ひどい目に遭わされた伊達政宗すら、秀吉が死んだ時には悲しみに暮れたが、政宗自身、それを不思議に思った。若い頃の政宗は、まだ自己顕示欲が強く、武将としての力量や持って生まれた条件は秀吉を上回っていたかもしれないが、天下を取れなかった。
秀吉は、自己を自在に滅却できたのだ。彼の貧しい生まれや育ち、そして、賢明な母が、そんな知恵を彼に与えたのだ。
あなたの親や、学校の教師、そして、職場のボスは、手前勝手な価値観をあなたに押し付けたことだろう。
しかし、あなたはそうであってはならない。自己を消し去り、悟りを開くのである。
自分を手放すことさえ出来れば、今は、誰でも悟りを開ける時代なのである。
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企業の社長が、過去に暴力団との関わりがあったことが分かると色々面倒なこともあるだろう。
ところで、私は、昔のことだろうが、暴力団と関わった経験のある人を何人か知っている。彼ら自身は、ごくまっとうというか、社会的に立派な方々なのであるが、どういう訳か、揃いも揃って、かつて交際したり、関わりになった組員の人々を悪く言わないばかりか、褒め称える人すらいるのである。
あらためて思いを巡らすと、これは我々にとって非常に有益なところがあるので、ちょっと話してみよう。
ある上場間近だった社長さんは、初めての上場の時というのはそういうものなのだが、証券会社との付き合いが多くなった。そうしたら、彼は、証券会社の人間とは妖怪のようなもので(色々な意味でだろうが)、それと比べれば、彼が一時期、関わりがあった組員の人達はまともな人間であったと言う。
また、あるIT企業の社長さんは、たまたまマンションの隣に越してきた男が、実は組員だと知り、困ったことになったと思ったら、ついに、飲みに誘われ、死んだ気で付き合った。ところが、その組員が素晴らしい人物で、また、紳士であり、その人柄に惚れ込んでしまう。
また、そんな社会的地位のある大人ばかりでなく、売春などをさせられた被害者である女子高生などが、案外に、組員の人達を悪く言わないということもある。
一応、私自身は、その方面の人達との付き合いは無いのだが、聞いていて、気付くことがあった。それは、現代の人間の問題というものを私に深く感じさせたのだった。
上に挙げた、上場間近だった社長さんは、たまたま証券会社の人達を引き合いにしたが、私が確信するところでは、組員の人を、普通の人より好ましく感じるのは、大いに有り得ることである。
昔から、その方面の人達というのは、人付き合いが上手いのだが、彼らは、心理学者などより、はるかに、実践的な心理学に通じているのである。
分かりやすくするために、ちょっと話を変えるが、昔、あるテレビ番組で、致命的に女性にもてない男性達を集め、彼らが、やはりあらかじめ集められた、きれいな女の子達と仲良くなろうとする企画があった。
その男性達は、イケメンでこそないが、容姿はごく普通で、服のセンスもそんなにひどくない。ちゃんと働いていたり、有名な大学の学生ばかりで、かなりな高収入の男性もいた。
しかし、彼らがもてない理由はすぐに分かった。
女性と話す時、自分のことを延々と話し続けるのである。いきなり自分の子供の頃や学生時代の話を始めたり、自分の趣味のことを長々話す。女の子の方は、それを、一応、カメラの手前、微笑んで聞いているが、どうやって切り上げて逃げようかと考えているのがよく分かる。
あのアンデルセンも、好きな女の子がいたが、さっぱりうまくいかなった。そりゃそうだ。彼がどんなアプローチをしたかというと、自分の自伝を書いて送ったのだ。
はっきり言って、お前は馬鹿だ、アンデルセン。
良いか、ハンス(アンデルセンの名)。女の子と仲良くなりたかったら、自分の自伝を読ませるのではなく、彼女の自伝を読みたいと熱心に頼むくらいでないと駄目なのだよ。
有能な組員というのは、自分のことなんて決して言わない。まあ、それは当然のような気もする。そして、相手の情報を熱心に収集しようとするのだ。必然的に、話をよく聞き、しかも、目的があるから聞き上手になる。
女子校生と話す時は、彼らは、とにかく黙って話を聞く。熱心に、そして、時折、同意を示すことを心掛けながら。
現代の人間は、親であってもこれをしない。
親は、自分の考え、自分の信念を子供に叩き込もうとする。子供にほとんど話させない。
子供が何に興味があって、どんな話を親に聞いて欲しいかなど、全く構わない。
学校の教師も、会社の上司もそうである。自分の立場にあぐらをかいて、「俺の質問には、イエスかノーだけで答えろ」「それ以外は、俺が何を言ってもイエスと返事をしろ」と言うのだ。
まさに、これらの人間と比べたら、組員の人間がまともな人間に感じるのは当然であり、現代の親や教師は、あの上場を控えた社長が言ったように、妖怪と言って間違いない。
ではなぜ、現代の人々は、そんな妖怪になってしまったのか?
それは、自分にしか興味が無いからだ。
人間は自分への関心が高まるほど、他者への関心は無くなる。
ではなぜ、自分への関心がかくも高まったのかというと、欲望のためだ。世間では、儲けるために、人々の食欲や性欲を煽る連中がいっぱいだ。
欲望は、それを満たしたいという自我を肥大化させる。自我とは、自分にしか価値を認めないのだ。
人間は、真に幸福になるためには、自我を出来るだけ捨てなければならない。
悟りを開くとは、自我を完全に消し去った状態なのだ。
現代人は、悟りと全く反対の方向に突っ走り、当然ながら、悲惨な状態に至って苦しみ喘いでいるのだ。
どれほど金を得、どれほど美しい女をものにしても、そんなものは所詮、苦痛と惨めさしかもたらさない。
自分以外、全て師とか言うだろう。
暴力団が師と言うのも何であるが、現代はそんなことも必要な状況であるということだ。
豊臣秀吉は(彼も暴力団のボスと言えなくもない)人たらしの名人と言われ、どんなに難しい人物でも、秀吉と共にいると、離れられなくなるほど、彼に魅せられた。
秀吉には結構、ひどい目に遭わされた伊達政宗すら、秀吉が死んだ時には悲しみに暮れたが、政宗自身、それを不思議に思った。若い頃の政宗は、まだ自己顕示欲が強く、武将としての力量や持って生まれた条件は秀吉を上回っていたかもしれないが、天下を取れなかった。
秀吉は、自己を自在に滅却できたのだ。彼の貧しい生まれや育ち、そして、賢明な母が、そんな知恵を彼に与えたのだ。
あなたの親や、学校の教師、そして、職場のボスは、手前勝手な価値観をあなたに押し付けたことだろう。
しかし、あなたはそうであってはならない。自己を消し去り、悟りを開くのである。
自分を手放すことさえ出来れば、今は、誰でも悟りを開ける時代なのである。
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