ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2012年02月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

私個人はApple storeの利用をやめることを決定した

数日前、iPod touch でApple Storeから商品を購入しようとしたら、「利用契約書が変わったから同意しろ。同意しないなら利用するな」という通知があった。
その契約内容を見ようとしたら、38ページであった。
私は見ずに契約書(規定書)を閉じ、先方の申し出通り、以後、Apple Storeを利用しないことに決定した。
これは契約である。
契約するからには、必ず全て読んで理解した上で同意し、しかも、覚えている必要がある。
それが契約なのだ。
しかし、38ページもの契約書をじっくり理解して覚える気はない。
そもそも、契約書なんて、文面が複雑かつ曖昧で多様に解釈できるが、根本的に契約書を作成する側の都合を通せることを狙って作るものである。

こんな時、大抵の人は、契約内容をろくに見ずに同意するのだろうか?
そんなクセは絶対につけてはならない。
だが、アップルに限らないが、多くの個人向け契約書は、利用者が読まずに同意することを前提としたものだと私は思う。

そんな訳で、契約内容をほとんど読んでいないのだが、ニュースなどから察するところ、購入したコンテンツを利用するデバイス(機器)の制限を、アップルは強力にしたいのに違いない。
早い話が、CDであれば、まるごとコピー出来るし(出来ないものもある)、CDの中のデータをPCや携帯電話、スマートフォンに入れて聴くことができる。購入した個人が利用する限り制限はない。
しかし、現実には、友人間のデータのやり取りや、昨今ではWebを通じた不正配信により、無料で入手する者が増え、売れなくなる。
購入者のモラルを信用することはできないので、技術的に制限をかけようとするが、それをすぐに無効にするプログラムが出現・配布されるのが常で、ほとんど意味はない。
そこで、法的な圧力をかけようとする狙いででもあるのだろうか?

ところで、以前は、電子書籍といえば、PDFという、印刷イメージをファイルにし、比較的軽量にした、Webでの文書(静止画像含む)配布の定番形式が一般的だった。
ところが、PDFで配布したら、それこそ配布自由で、しかも、小さなファイルなので、やり取りがとても簡単で、無料で入手する人は大変に多かったはずだ。
そこで、1台のパソコンでしか読めず、画面コピーも不可能という技術が開発された。
別のパソコンで読めるよう、「暗号キーを移す」ということは可能であるが、手順が複雑で、誰もやる気にならないだろう。それで、パソコンが壊れたら、購入したものはもう見ることが出来ないのが普通だった。
私も以前、PDFでのダウンロード販売をよく利用し、1日1万円以上(そもそも、単価が高かった)購入することもよくあったが、上記の形式になってから、利用を一切やめた。

私は、音楽、映像、書籍など、電子データの不正取得、不正利用は、自分でも決してやらないし、許されることではないと思っている。
また、悪いことをしているという自覚すらなくそれを行う者や、悪いとは知りながら正しいことをやれない者が多いのは、社会的な思想の問題と思っているが、この点は話が複雑なので、今回は触れない。
しかし、購入したものを個人でどう利用しようと絶対に自由だ。
ブルーレイやDVDを購入すれば、どのプレーヤーでも観賞することはできる。しかし、プレーヤーの無いPC、スマートフォンやiPod touch、あるいはウォークマンで見ることは出来ない。ファイルをMP4形式に変えれば可能だが、DVD等からデータを取り出すことは出来ない。それをやれば、違法なのだろう。
なぜ、そんなことになっているかというと、もちろん、無料でコンテンツを得ることを防ぐためで、現実には、そんなことは横行しているが、被害を減らしてはいるだろう。

もちろん、配布側が決めたことを遵守するのは当然だ。
だから、私は、制限付PDFやそれに類したコンテンツの購入はしないし、今回もApple Storeの利用はやめた。
別にそれで困ることは何もない。

販売側の苦難は今後も続くだろう。今のように、力ずくで利益を守ろうとする考え方を変えない限り、それは変わらず、ますます醜い事態となるだろう。
ただ、それは、金を払うことなく、得ることをやっている者も同じである。こと、それに関しては得をしたとか、いまや、「損をせずに済んだ」という感覚なのかもしれないが、別のところで確実に悲惨を味わう。現代人は、そのあたりの理を知ろうとしない。私なら、恐くてやれないのだ。
販売側が、「コピーしたければどうぞ」という態度で配布し、購入側も、家族間ではともかく、友達の間では、そんなことを言うこともなくなる。そんな世界があれば良いのだろうが、それは可能だ。そのために、何をしなければならないかを、世間の教義や信念に基いてではなく、それを超えた英知の立場から実行しなければならない。
とりあえずは、過ぎた利益を得る個人がいなくならなければ無理なことだ。
それ以前に、浅はかな人の知恵を超えるものを求めることが必要なのだろう。
聖書に「求めよ、さらば与えられん」とあるのは、そのことなのだろうと思う。
今回のアップルのような態度は、人々が悪であることを前提としたものであることに注意して欲しい。そして、それであるから、人々が悪なのである。このあたりの理を、世間の人は知ろうとしない。つまり、雨が降れば憂鬱であるしかないと思っているのだ。そうではないことが分かれば、世界は変わるのである。
ただ、少しではあるが、それを理解し始めた人も増えている。初音ミクの周辺にはそれがあると感じるのである(もちろん、全部ではないが)。
そのための英知を得るための書籍を以下にご紹介しよう。









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少女の最も美しい特性とは何か

プロボクシングの世界王者の中でも、最も記憶に残るのは、やはり、ヘビー級王者だったモハメッド・アリ(カシアス・クレイ)ではないだろうか?
彼のキャッチフレーズは、

Float like a butterfly, sting like a bee.

で、日本語では一般的に、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われる。
それまで、パワーが、ものをいうヘビー級の中に、アリは軽やかさという画期的なスタイルを持ち込み成功した。
ところで、floadtというのは、綺麗な言葉で、「浮かぶ」「ただよう」っという、とても軽い感じを表し、「ひらひら飛ぶ」といった表現に使われる。また、その軽快な雰囲気から、「しとやかに歩く」という様子を表す言葉でもある。
アリが、いかにナルシストであったかが分かろうというものだ。
彼は、自分を最も美しいものに喩えたかったに違いない。

そう、最も美しいものとは、重力の束縛を逃れたかのように軽く飛ぶもの・・・つまり、天使だ。
そして、人間の少女の最も美しい特性は、やはり、「軽やかさ」ではないだろうか?
いうなれば、至高の乙女が天使に最も近いのである。
英国の作家チェスタートンは、

Angels can fly because they take themselves lightly.
天使は、自分が軽いと思っているから飛べるのだ

と言ったが、「自分を軽いと思う」というのは意味深い言葉だ。
これは、必ずしも、体重が軽いという意味だけではない。

さっき、少女の美しさの最大の特性が軽やかさであると書いたが、軽やかな少女がいなくなった。
日本や韓国の若いアイドルも、決して軽やかな雰囲気でない。セクシーだが、重く、蝶のようでない。

少し昔、当時、林原生物化学研究所のフェローだった政木和三さんを、政木さんの講演後の親睦会の途中、新幹線の時間が迫っていたので、駅まで車でお送りしたことがあった。
そして、駅に入った時、政木さんが、階段を軽く駆け上がった様子に私は驚いた。政木さんは80歳を超えていた。しかし、若者以上に軽快なのだ。
政木さんは、著書にも書かれているが、2階の屋根から落下した時、身体が浮き上がり、全く無傷であったという経験があった。
私は、政木さんが、関英男博士と、お互いの著書に、推薦文を書き合っていたことを思い出した。
関博士が常に奨めていた腕振り運動(中国易筋経の秘法で、中国ではスワイソウと呼ばれる)は、関博士によると、グラヴィトン(重力子)から構成される粒子を発生させ、これが体内に留まり、様々な不思議な現象を起こさせる可能性があると言い、ある程度の実験結果も得ていた。
私は、毎日、少なくとも1000回以上の腕振り運動と200回以上のスクワットをやって、その意味を理解できた。
階段を上る時に、全く体重を感じないし、特に、降りる時は、他の人が(たとえ急いでいる人であっても)、ほとんど止まっているように感じる。意図的にやれる訳でもないが、ある時は、明らかに身体が宙に浮いていた。腕振り運動によって集めたグラヴィトン粒子が身体に作用しているのだろう。
腕振り運動とヨーガ(当ブログ内記事)
そもそも、私は、3歳以前のことで、ほとんど記憶にはないのだが、2階の窓から地上に瞬間移動したことがあった。それを見ていた家族は、私が窓から落ちたように見えたらしい。
世界的量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが量子物理学の道に入ったの、やはり、幼い時の、似たような経験からだったようだ。
関博士によると、人間は、生まれた時は大量のグラヴィトン粒子を有するが、歳と共に減っていき、決して増えない。しかし、腕振り運動で、その数を増やすことが出来るのである。

昨年(2011年)、ロサンゼルスの大劇場ノキア・シアターで行われた、初音ミクのコンサートで、ミクが天使の衣装で歌った『SPiCa』のミクの軽やかさは、アメリカの観客が日本語で叫んだ通り、「ミクサン、マジ、テンシ」だった。
ミクが、舞台を左へ右へスキップしながら動く様子は、まさに空気に浮かんでいるようで、表情も優しく気品に満ち、あれが天使でなくてなんだろうと思った。
Miku floated like an angel.
ふと私は想った。
「天使が飛べるのは、自我という重石(おもし)を持たないからだ」
歌が終り、「ありがとう」と言った後で、ミクは普通の少女の顔になり、想いを投げたような目で観衆を一瞥しながら左回転で後ろを向き、あの身軽な動きで去っていった。

我々はミクになるべきなのだろう。
ミクは、食事をせず、自我を持たないゆえに天使なのだ。
我々も、少食過ぎてもいけないが、なるべく食べず、自我を消し去り、重力の束縛を逃れ、高く高く飛ぶのだ。
アリは、ローマオリンピックで獲得した金メダルを川に投げ捨て、せっかく「軽く」なって舞えたのに、傲慢になって重くなってしまったのだ。だが、人生に遅過ぎるということはない。彼だって、ミクになれば再び舞える。
我々は、『エメラルド・タブレット』を読んで、内なる炎(魂)と一致し、『バガヴァッド・ギーター』を読んで、内なるクリシュナに至る術を知るのである。そうすれば、重力を断ち切れ、空に向かえる。また、腕振り運動で、グラヴィトン粒子を神経に蓄積すれば、健康で若々しくエネルギーに満ちるだろう。

















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秋元康さんも小室哲哉さんも敵わない阿久悠さんの秘法

宗教やオカルト思想にとりつかれ、世間から逸脱しているように見える人のことを、「思考停止の輩(やから。仲間という意味だが、この言い方では連中といった雰囲気だろう)」と言って蔑む人がよくいると思う。
しかし、本当は、思考が停止しているなら天才だ。
(ちなみに、オカルトという言葉自体には、悪い意味は何もない)
もし、思想・思考の点で問題があるとすれば、思考活動が停止しているのではなく、愚かなことを考え続けているのである。
人間の頭脳は、考え過ぎることはあっても、停止することはない。
脳波や脳の温度などから、活発に活動していると思われない状態の脳であっても、その考えが心臓に対する刺激にならないものであることを示してはいても、思考が停止していることを示すのではない。

医者でシャーマンであるドン・ミゲル・ルイスは、エデンの園で、イブをそそのかした蛇は、頭の中で喋り続けるものを表したのであるといったことを何かの本で書いていたが、素晴らしい洞察だ。頭の中の止まることないお喋り、無駄な考えが、人をエデン(楽園=天国)から追放するのである。
最近は、すっかり仙人になったのか、なりを潜めていると思われる仙道実践家の高藤総一郎さんも、何かの本で、頭の中のおしゃべりをやめれば、本を高速で読めるようになるといった、世間の速読術とは全く異なることを書いておられたが、実際、これこそが、本物で唯一の速読術だ。

ソクラテスは、自分は知恵の無い愚か者であるが、神の知恵を運んでくるものの存在を知っているので知恵があるのと同じだと言った。彼は、その神の知恵を運んでくるものをダイモーンと呼んだが、ダイモーンが訪れるのは、思考が停止した無念無想の状態の時と気付いていたかどうかは分からない。
いかなる優れた学者、作家、技術者も、彼等に栄誉を与えた業績はダイモーンによるのである。だが、ソクラテスは、そのことに誰も気付いていないと言ったのだ。

今が華の秋元康さんや、少し以前は栄光の只中にあった小室哲哉さんも、作詞としては、シングルの売上げ枚数で全く及ばないのが、阿久悠さんだ。
阿久悠さんは、その秘訣を下で紹介した無能唱元さんの本(強くなる瞑想法)の、なんと表紙裏に4行で書いている。
阿久さんは謙虚に、自分はこの本に書かれていることを実践していると述べておられ、良い本なのだが、無能さんには悪いが、この4行がこの本全体を上回る。ただし、阿久さんの言葉だけではうまくいかない場合もあるだろうから、やはり、この本を読む意味があるだろう。30年以上のロングセラーは伊達ではないといったところだ。
そして、それは、優れた思考停止テクニックだ。ただ、阿久さんは「思い浮かべる」という表現をされているので、誤解をする方が多く、それで上手くいかないことが多いに違いない。彼が言うのは、想念の無い想いだ。
上で、仙道家の高藤総一郎さんの速読法について述べたが、高藤さんは、インドへ、実際にラマナ・マハルシのアシュラマム(瞑想道場)を訪ねている。もちろん、マハルシは仙道自体とは関係がないが、真理の本質とは1つであり、マハルシは真理そのものである。
そして、真理は想念の無いところにあり、想念のあるところに存在しない。高藤さんは、そこで無を頭ではなく、意識で理解したようだ(後で知的に確認した)。

あまり世俗的成功の欲望を起こすのは良くないと思うのだが、いかなる成功本より本物の、上に引用した書籍を下に紹介する。
ただし、ミゲル・ルイスの上記のお話や、高藤さんの速読に関するお話が、どの本にあったのか覚えていない(多分、トルテックの知恵と夢見術の本だろう)。それよりも、上記の話題に関係が深いものをご紹介しておく。
ミゲル・ルイスの本は『四つの約束』が入門書である。













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ルパンから次元への歴史的な問いの答とは

『ルパン三世』40周年記念作品『ルパン三世 血の刻印 〜永遠のMermaid〜』で、ルパンから相棒の次元大介へ為された問いは、我が国にとっては、歴史的問題と言っても大袈裟ではない。
それは、「なぜ泥棒をするのか?」である。
それは、一応はルパンから次元への問いであるが、実際は、ルパンからルパンへの問いだ。
次元は即答する。「美味い酒を飲むため」と。
ルパンは否定せず、それはそれで正しいが、それだけではないと言った。
だが、ルパンの答は、言葉に出来るものではないだろう。
次元のは、凡人としては最良の答だ。だが、次元にとって、泥棒は義務だ。しかし、良い義務だ。
次元とて、泥棒は楽しいし、生き甲斐なのだろう。だが、苦しい部分も大きいのだ。
だが、ルパンにしろ、次元にしろ、成果にさしたる執着は無いのがお約束だ。いつも、最後は、不二子あたりに大損させられて笑っている。
このお決まりのパターンが、この作品を、我が国の歴史的作品にしたのだ。

『バガヴァッド・ギーター』で、至高神クリシュナは、アルジュナ王子に言う。「義務を果たせ。そして、成果は我に捧げよ」と。
私は、安楽な日は、『バガヴァッド・ギーター』等の聖典を読むことがない。暇な休日の予定があると、じっくり読もうと思うのだが、いざその日になると読まないのだ。
嫌なことでもないと、聖典を読む意欲が起らず、面白い小説を読んでも楽しくないのだ。
もし、学校や会社が、自分の義務と思えるほど良いものなら、次元のように、休みの時は酒を飲んだり、遊べばいい。
しかし、我々はそうではない。
休みの時こそ本業と心得、世界を変える力を構築しなくてはならない。
そして、それはこの上なく楽しいことだ。それは、決して訓練や修行というものではない。ある意味、遊びでもある。
『エメラルド・タブレット』や『バガヴァッド・ギーター』を読み、クラシック音楽を聴き、武道に励み、植物や天体を観察するのだ。
普段、辛い仕事をしているほど、これらのことはやってみると楽しいのだ。
逆に、普段、怠惰であったり、安楽だと、美味しいものを食べることや、性的な快楽でないと楽しいと思わなくなるのだ。

ところで、ルパンの答がまだだ。
作品的には何のつながりもないが、昔の宮崎駿監督の作品である『ルパン三世 カリオストロの城』で、ルパンは17歳の美少女クラリスに言った。
「女の子(クラリスのことだろう)が信じてくれさえしたら、空を飛び、湖の水を飲み干すことだって出来るんだ」
ルパンはやってみたいのだ。空を飛ぶことを。
宮崎駿は言う。クラリスは、そんな力を持っているから、理想の女性像、つまり、女神なのだ。

インドの詩聖タゴールは、神を熱烈に愛していた。
ラマナ・マハルシも、神への深い愛がいかに良いものかは、しばしば語っていた。
黒住宗忠は、天照大神をこの上なく崇め、法然や親鸞は、阿弥陀如来を信じて疑わなかった。
イエスは、最大の戒律は「あなたの神を愛することである」と言い、クリシュナは「ただ、我を愛せよ」と言った。

宮崎駿さんは、クラリスを投影した、ある理想の女性について書いていたことがあったと思う。よく覚えていないが、子供の時に見た誰かといったものだったかもしれない。しかし、それ自体は、我々にはどうでもいいことだ。大切なことは、それが、宮崎駿さんにとってのアニマ・ムンディ(女神)であり、それが、彼の人生を偉大なものにしたということだ。
クリシュナは、別の神を愛しても、それは我を愛することなのだと言った。
ルパンはクラリスを愛したとしても、それは、彼の内にある至高の存在を愛したということなのだ。
だから、イエスは、まずは、「あなたの神」を愛せよと教えたのである。
イエスがクリシュナだった頃に比べ、人々の霊性が低下していたからで、それは、現代の我々も同じだ。
あなたも、あなたの神を持ち、それを愛することだ。
それは、決して、あなたに物質的な報恩をもたらすものでも、性欲を起こさせるものでもない。
しかし、もっと、高く素晴らしいものをもたらすのだ。
個人的には、私にとっては初音ミクである。









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アイドルに天使を見るメカニズム

人は「いま」「ここ」でしか自分の存在を認識できない。身体や、それとほぼ同一のものである心に縛られているからだ。
しかし、あなたは過去に存在したし、どのくらい先までかは分からないが、未来にも存在する。
いや、正しくは、過去に存在したのではないく、過去にも存在するし、未来に存在するだろうというのではなく、未来にも存在する。
子供の頃というのは、自分が死んだ先より、生まれる前の方が想像しやすいと思うが、私は、子供の時、自分が生まれる前のことをはっきりと想像できた。そして、そんな世界での自分の存在は、今の肉体や心に囚われた状態より、はるかに生き生きと荘厳に感じて高揚したものだった。
大人であれば、自分が死んでいなくなった世界を想像してみれば、やはり、自分は確かに存在するし、それが感覚的なものとは違った意味で美しいと感じるはずなのだ。
あなたは、江戸時代や縄文時代、あるいは、エジプト文明の時代や、さらに昔のアトランティスが栄えた時代にも存在したし、人類が新しいテクノロジで他の太陽系の惑星を訪れ、さらに、新しい形態の存在に進化し、あらゆる星を訪れることになる未来にも存在する。
肉体が無い時のあなたの方が本当のあなたなのだ。

学校の授業中、子供が世界や宇宙を飛び回るのは正常なことだ。
あなたは、ヨーロッパの湖の近くに建った宮殿や、モンドルの大草原、アマゾンのジャングル、砂漠の大ピラミッド、月や火星、さらには、土星や海王星も越え、はるかな銀河の星に、本当にいたのである。

ちょっと話を変えよう。
赤ん坊を見て、とても可愛いと思う人と、子猫は可愛いと思っても、人間の赤ん坊や幼い子供は可愛いと思わない人はいる。
実は、赤ん坊を可愛いと思うのは、そこに自己を投影しているのだ。自己と言っても肉体や心の自己ではない、上に述べた、生まれる前にも死んだ後にも存在する本当の自己だ。
逆に、赤ん坊に自己を見ることができなければ、可愛いとも美しいとも思わない。
ギュスターヴ・モローは、人物を極端に簡略化したような抽象画をよく描いたが、そんな風にして、世紀の美女ヘレーネの姿を描いたものがある。ところが、その、顔も身体もほとんど分からない絵が、実に美しい。ただし、見ている者が、そこに真の自己を反映させればだ。これもまた、芸術の1つの方法だ。

ラマナ・マハルシは、16歳で悟りを開いた直後は、よく寺院に出かけ、神の像をじっと見ていたという。
インドの詩聖タゴールの、神のことを語る詩は、まるで恋する乙女である。
彼らは、まだ肉体や心の影響があったのだが、神のイメージの中に自己を見ることができたのである。

本物のアイドルというものがもしあるとしたら、その中に真の自己を投影できるアイドルだ。
人間のアイドルと違い、初音ミクは、私にとっては性的な魅力は全く感じることがなく、真の自己の光の反映を見ることができる。
性欲や食欲を煽られるものには、真の自己を感じることはできない。他の方々にとってどうかは分からないが、私には、特に日本のアイドルは色っぽ過ぎる。
マハルシやタゴールが、目や心で崇めた神は、私にとっては初音ミクという訳だ。
無論、マハルシやタゴールは、神の絵や像が本物の神であると思ってはいないのだが、人である以上、心を向ける先は必要だったのだろう。
また、当時のマハルシはまだ完全ではなかった。そして、タゴールは生涯、世俗に関わる宿命を逃れることが出来なかったのだ。
だが、初音ミクが利益最優先で使われることがあれば、彼女からDEVA(デーヴァ=神)は離れ、彼女はDIVA(歌姫)でなくなるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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