ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年10月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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晩年にやっと人になれた超人的武道家達

我が国の決闘の中で、最も知られているものは、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘ではないかと思う。
ところで、この巌流島の決闘も含め、剣の道を極めんとする、武蔵の生涯を、奇妙に美化する風潮がある。
武蔵は、13歳の時、初めての決闘を行って相手を殺し、その後、幾たびも決闘を繰り返し全勝したとある。戦国時代であり、武蔵は、戦にも何度も、一平卒(下っ端の兵士)として参加し、「自分より前を走る者はいなかった」と、自分の勇猛さを自画自賛する。
その武蔵の生涯の集大成として書かれたのが、『五輪書』だ。これには、戦いに勝つテクニックや、その心構えが細々と書かれ、身体を張った実践者が書いた生々しい実用性が評価され、海外でも、一部に人気がある。
だが、武蔵の生涯がどれほどのものだったのだろう?
上にも述べたが、それが美化して語られることが多く、武蔵の崇拝者も多いかもしれない。
困ったことに、武蔵の物語は、我々は、冷静に考える前に語られてしまっており、気が付かないうちに崇高なもののように思わされてしまっていることが多いのだ。
その、迷信を覚ますためにも、あえて言い切れば、武蔵の生涯は、あまりに馬鹿げた、悲しくも愚かな修羅の道でしかない。
私は、今、武蔵がいれば、彼もそう言うと確信しているのだ。

武蔵は、小次郎と決闘をした29歳の時以降、その足取りが全く残されていないという。当時、29歳といえば、もうかなりの晩年だ。体力も衰え、1対1の勝負ならともかく、剣豪の誉れ高い武蔵を倒すために、多勢で押し寄せてこられれば、武蔵も自信がなく、こそこそ隠れて過ごすしかなかったのではと思う。
そして、武蔵は安住の地を求め、士官を希望する。だが、有名な剣豪でありながら、武蔵は、どの藩からも拒否される。当然ながら、武蔵は武芸師範の地位を求めたが、武蔵の、実用本位ではあっても、心が無い武芸は関心を持たれなかった。既に戦国の世ではない。武芸は、戦いのものであると共に、心を磨くためのものであるという認識が広まっていた。武蔵は、指揮官も出来ると宣伝したが、武蔵にそんな経験は無く、少し話せば、人を見る目を持つ者が誤魔化されることはない。武蔵に出来ることは、ただ、個人の能力で敵を切るだけだ。
さらに、どの藩も、武蔵の人間性を問題にした。人間として、1つの能力でしかない武芸の力をことさらに誇る武蔵が、人間関係を乱すことは確実と思われた。
だが、数を当たれば、武蔵を採用する藩もついに出た。だが、それまで武蔵を拒絶した藩の見る目は正しかった。武蔵は、過去の自慢話ばかりする、嫌われる惨めな老人だった。
武蔵の本当の修行は、そんな晩年であった。
そして、武蔵も、いくらかものが分かってきた。養子に迎えた息子には、武芸を教えず、学問をさせた。息子は立派な人物となり、藩の要職についたといわれる。

昭和の巌流島の決闘と言われたものに、力道山と木村政彦の決闘があった。1954年のことである。
日本のプロレス王、力道山と、全日本柔道選手権13連覇の無敵の柔道家であった木村政彦の対決は日本中の注目を集めた。木村も当時はプロレスラーであり、決闘とは言っても、あくまでスポーツの試合で、日本ヘビー級王座決定戦として行われた。
この試合についての真実は、諸説あって、本当のことは分からない。しかし、最近も、非常に詳細に書かれた分厚い本が出ており、いまだ、その関心の高さはあるのだろう。
それで、事実らしいことは、この試合は引き分けの約束が出来ていたということだった。大きな利害が絡めば、力道山と木村だけの意志ではどうにもならないことも出てくるだろう。
だが、結果は、力道山が木村を完膚なきまでに叩きのめし、病院送りにしている。なぜそんなことになったか、はっきりしたことは誰にも分からない。木村自身、著書『鬼の柔道』で、当時のことを少し触れており、また、テレビで語ったこともあったと思うが、それも木村の推測でしかない。
木村は、史上最高の柔道家の名誉を失ってしまった。
だが、彼は、後に指導者として素晴らしい働きをし、尊敬されるようになった。
なんだか、木村政彦に、宮本武蔵が重なって感じる。戦いに勝ち続けたことではなく、それを捨て、己を省みた時に、本当の道が見えたのだ。

決闘などというものは、人間のやるものではない。
西洋の騎士道では、実は、決闘においても、大人の余裕を失うのは恥ずべきことで、どこか遊びに感じるところがあるものだ。
力道山と木村政彦の決闘のずっと後、アントニオ猪木は何度もジャイアント馬場に対決を申し入れたが、馬場は全て無視した。もし、馬場が応じたとしたら、また、力道山と木村政彦の時のような馬鹿げたことがくり返されたかもしれない。彼らは武道家ではない。プロスポーツ選手であり、沢山の利害関係の中でビジネスをするプロモーターだ。当然、そうなったはずだ。馬場は、「そんなことは猪木だって分かっているはずだ」とよく言っていたようだ。

スポーツの試合でも、あまりに勝敗にこだわるのは、いかがなものかと思う。
サッカーの試合や、フィギュアスケートの競技大会の報道を見ると、利得を貪り、権威を得ようと血眼になる、浅ましく卑しい修羅の世界しか見えてこない。
我々に大人の余裕、遊び心がまるでなく、猿のように欲望を満たそうとする中で、子供達への影響も深刻なものになっている。
この現実世界に、修正の余地は既に無く、いったん壊すしかない。釈迦やイエスも予言した世界は来るのだろう。だが、恐れることはない。どんな世界でも安全でいることはできるのである。









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関税撤廃は動機が大切だ

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関しての報道を見ていると、これでは、進歩した宇宙人は、当分は我々を対等なパートナーとして認めてはくれないだろうなあと思う。
根本的な視点が前時代的なのである。

農家は、海外から安い穀物が入ってきたら、自分達の作っているものが売れなくなるから反対と言い、輸出業者は、関税のために自由な競争ができないから、TPPに参加して関税を撤廃すべきと言う。

これらの発想は宇宙的で無い。
宇宙には、そもそも貨幣が存在しないが、いくらか宇宙的に近い発想で言うと、こうなる。

農家は、「関税が撤廃されたら、海外の人々が日本の製品を安く買えるし、我が国でも、お金が無い人も食べ物を楽に買えるようになるから、良いのではないか」と考え、輸出業者は「関税がなくなれば、我々は楽になるが、農家の方々が困るかもしれないので、すぐには賛成でない」と考えるべきなのだ。

こういった考え方が出来れば、例えば、「関税がなくなっても、穀物は従来通り、国内の農家から買うが、所得の少ない人の分だけ外国から買いましょう」とか、輸出業者も、「儲かったお金は、農家と輸出先の国の産業の発展のために回しましょう」といった、本来は当たり前のことをするようになる。これが夢物語と思えるうちは、いくら儲けても地獄を作るだけなのだ。

本質的なことを言えば、関税は無いのが正しい。大阪のものを大阪で売れば無税だが、高知で売れば課税されるというのがおかしいと感じることが、国と国の間でも同じだと思えないと、地球はもう終わりになる。宇宙人と交流する前に滅ぶのである。
進化した宇宙人は、むしろ、地球人の考え方が理解できないのだ。貨幣のない宇宙に関税などあるはずがない。そして、宇宙では、何においても、利益というものは、皆で分かち合うものとしか考えないのである。

関税の撤廃自体は賛成であるが、TPPでそれをやってはいけない。なぜなら、善意でやる訳ではないからである。それでいえば、TPPに対して、日本は反対で良い。
だが、関税はいかなる国でも無くすべきである。そして、その動機は善意でなければならない。その方法を考える頭を、人間は神から与えられてる。現状では、あまりに難しく、非現実的に思えるかもしれないが、やろうと思うことが大切なのだ。それが、宇宙の英知を自分のものにする方法なのである。
アインシュタインは、子供の時、軍隊の行進を見て思ったそうだ。「きっと、神様が間違えて連中の頭をくっつけたんだ」と。
そして、現状では、神様に、人類に間違えて頭をくっつけたという恥辱を与えているのである。そんな生物を、宇宙の人々が歓迎しないのは仕方がないだろう。









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誰もが神童(天使)だったし、それは必ず取り戻せる

「10歳で神童、15歳で天才、20歳過ぎればただの人」という言葉を聞いたことがあると思う。そして、なんとなく、そんなものだと思っている人もいるかもしれない。
もちろん、天才の偉業は、ほとんどが二十歳どころか、もっと年齢が高くなってから為したものであるから、それは当てはまらない。
ならば、なぜ、このような言葉がかくもよく知られているのだろう。
それは多分、2つの理由からだ。
1つは、自分の周りに、子供の時は、天才の輝きがあったのに、その人を大人になってから見たら、平凡な人間になってしまったなあと感じることがよくあるからだと思う。天才といっても、特に何が出来るという訳ではないかもしれない。しかし、その人が、子供の時はあんなに眩しかったのに、大人になったら、ただのつまらない人間にしか見えないことを残念に思うところがあるのだと思う。
もう1つの理由は、自分自身、子供の時は、自分を素晴らしいものだと感じ、世界が自分を中心に回っていると思っていたのに、ものが分かってくると、自分も、他の人と同じ、ただのつまらない人間だと思うようになるからだ。

フロイトによると、子供が自分を高く評価するのは、幼児の頃、大人が全部面倒を見てくれるので、自分を王様か神様に感じるからで、成長してから、そんな感覚を思い出して尊大になることを、幼児性退行と言って、悪いことであると言っているようだ。
でもねえ、自分に関しては、ある部分ではなるほどと思うけど、他の子供だって、特別なものに感じることが、それでは説明できない。そして、自分だって、ただ王様扱いされたという思いだけではない、もっと崇高な何かがあったはずなのだ。
「10で神童・・・・」を別な言い方では、「10で天使、15で聖女、40で魔女」となるらしい。これも、単に若い乙女として可憐なだけではない。もっと何か別の輝きがあったはずだ。「萌え」という、アニメの美少女に夢中になる人だって、単なるロリコンではなく、神聖で敬虔なものを感じているはずなのだ。

結論を言えば、誰でも子供の頃は神童であり、天才なのである。
それが、世間の教義や信念を叩き込まれ、それを受け入れてしまった時に、ただの人になるのだ。
大人だって、つまり、ただの人になった後でも、世間の妄信を捨てれば天才になる。
フランス国歌ラ・マルセイエーズを創ったのは、平凡な日曜音楽家だった。彼は、何かのきっかけで精神が異常に高揚し、法悦のようなものを感じて、一瞬、世間の迷信を追い払い、一晩だけ天才になったのだ。

谷川流さんの『涼宮ハルヒの憂鬱』は、そんな意味でも、非常に興味深い作品だ。
ハルヒは、小学6年生のある日まで、自分を特別な人間だと感じていた。
しかし、あることがきっかけで、自分が平凡な人間であると思い知り、メランコリー(憂鬱)に落ち込む。
普通の人は、もっとゆるやかに凡人化するが、ハルヒは、まだ心が純粋な時に、急激にそんな現実を、強制的に突きつけられたので、ショックが大きかったのだ。
それで、ハルヒは現実を拒否する。面白いことは待っていてもやってこない。私はただ待っているだけの女でないことを世界に訴えよう。ハルヒはそう決意する。

このまま滅ぶか、運命に抗うか
全ては汝次第だ
~「レイアース」より。魔神ウインダムが鳳凰寺風(ほうおうじふう。中学3年生の少女)に語った言葉~

誰も、心の奥では、ハルヒのようでいたいのだろう。
そして、事実、誰も、天才などという言い方では表せない、至高の存在なのである。
ニサルガダッタ・マハラジは、師に、「あなたは至高の実在だ」と言われ、その言葉を忘れなかっただけで、別に修行などしなかったが、解脱を果たし(悟りを開くこと)、宇宙の英知と一体化した。それは誰でも出来ることであるという。
エマーソンは、いかなる偉人、英雄の話を読む時も、自分の物語として読まなくてはならないと言う。
イエスは「私は世間に勝ったのだ」と言った。イエスは、内なる神、精霊、宇宙の英知と一体化した神人、すなわち、キリストだった。そして、やはり、誰もが元々がそうだし、自分のようになれると言ったのである。我々の真の姿はキリストであることを忘れてはならない。









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ハングリー精神は猿の特性でしかない

よく、「成功するにはハングリー精神が必要」ということが、昔からまことしやかに言われているが、私は全く信じない。
小さなことで、ちょっとの間上手くいっただけで天下を取った気でいるような人には、ハングリー精神でやってきた人もいるかもしれない。しかし、スケールの大きな成功者は、どちらかというと、豊かな家庭の出であることの方が多いかもしれない。
早い話が、成功と、スタート時の豊かさ、貧しさは何の関係もない。成功の要因は、そんなものとは全く別のことだ。

ではなぜ、ハングリー精神なんて嘘が流行っているのかというと、言うまでも無いだろう。低い立場にある者を馬車馬のように働かせるためである。
ハングリー精神でがんばっている人というのは、心が狭くなりやすい。悪い条件の中で、苦しみながらがんばっている人というのは、恵まれたところからスタートし、さほどの努力もせずにいい思いをしている人を見ると、妬んだり、自分を哀れんだりして、人間関係がうまくいかなくなる者が多いのである。

ハングリー精神や克己心を信条とすると、ずっと惨めな奴隷である。
スポーツ選手でもそうなのである。万年2軍なんて人達はハングリー精神の塊のような人だらけなのだ。
まず、今の恵みを思うことだ。
そして、不要なものを持とうなんて思わないことだ。
これらを実行すれば、いいように働かされることが無くなる。
今持っているものを祝福し、つまり、ありがたいと思い、不要なものを求めずにいれば、心が豊かになり、いやでも成功するのである。
欲深さ、浅ましさ、賎しさが貧乏を作るのである。

猿が坪の中に手を突っ込んで、手が抜けなくなっている姿を見たことがないだろうか?
猿は、坪の中のリンゴを掴んだまま、それを離せずに、手が抜けなくなってしまうことがあるのだ。
だめだと思ったら手を開いて、リンゴを離すのが人間であるが、猿並の人は案外に多い。
ハングリー精神を持った人間がそうなのだ。
坪の中のリンゴなど、さっさと諦めろ。リンゴなんかどこにでもあるのだ。
また、坪を壊そうなんて馬鹿をやってもいけない。それが、最大のハングリー精神という狂気である。
ハングリー精神でやっている者は、猿のような自分に気付かないといけない。
そして、既に恵まれていることを知らないといけない。いままで生きてきただけで資本(もと)は取れているのである。後はおまけだ。おまけは、あれば嬉しいが、無いのが当たり前だ。そういうつもりでいれば、運もやってくるだろう。









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防御の詩の奇跡

太田裕美さんの『しあわせ未満』という歌の中に、

ついている奴 いない奴
男はいつも2通り
(作詞は松本隆さん)

という歌詞があるが、私は、一度聴いただけで、そこのところを憶えていた。
多分、本当にそうだと思っているからだろう。
どこかの国で、列車に乗っていて、トイレに行ったら使用中だったので、別の車両のトイレに行ったところ、元いた車両が爆撃され、危うく命拾いしたという人の話を読んだことがある。
たまたま偶然だろうか?
私には、そう思えない理由がある。私が昔住んでいた団地の前に、交通量の多い車道があった。決して真似しないで欲しいが、私は、7つくらいの時、物陰から目をつぶって飛び出せば、車は来ないと決めて、いつもそうしていた。姉が何度か目撃して、非常に恐れたようだ。私は、死ぬか大怪我をしていても不思議はないが、本当に車は一度も来なかった。
そんなことがあったので、私は、運というものにとても興味を持った。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』の最終巻である5巻は、簡潔にまとめられた秘法の書のようなものだ。素直な人なら、これだけで十分だろうが、1~3巻の著者の体験記録を読み、4巻の、著者の講演録を読めば、より実感が強いかもしれない。
この第5巻に、F.H.ローソンなる、イギリス人の驚異的な人物のお話がある。第一次世界大戦で数百人の部下を率い、最も困難な任務にあたりながら、負傷者の1名も出さなかったという。著者のベアード.T.スポールディングは、イギリスに直接彼を尋ねたが、彼等の前で惨劇寸前の事故があり、著者の目の前で、ロースンは奇跡を起こして、死んでも当然だった者を全くの無傷で救った。
私は、この話に感激しながら、正直、信じ切っていなかったかもしれない。
ところが、ジョセフ・マーフィーの『人生は思うように変えられる』という本に、このF.H.ローソンが引用されていた。マーフィーは、ローソンの著書を読んだもののようだ。そのローソンの本では、第2次世界大戦で、イギリスのウイットルゼイ大佐率いる一連隊が5年間戦って一人の死者も出さなかった話が述べられているようである。
ローソンは、ウイットルゼイがなぜそんなことが出来たのかの秘密を明かしているが、それは、聖書の詩篇91を連隊の全員が暗記し、規則的にくり返し祈ったことである。マーフィーのその本によると、この詩篇91番は「防御の詩篇」と呼ばれるもののようだ。
マーフィーは、常に豊かでいたいなら23番を、そして、常に安全でいたいなら、91番をいつも読むように薦めているようである。
奇跡の力らしいものに守られて生き延びたらしい私も、その効果はあると思う。
下に、私も保有する、詩篇付きの小型新約聖書をご紹介しておく。良い翻訳と思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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