日本の民族的古典といえば、古事記と日本書紀であるが、これよりも古く、日本の古代文字である神代文字(かみよもじ)で書かれたホツマツタヱというものがある。
ホツマツタヱは、古事記や日本書紀と類似してはいるが、内容は大きく異なる。
ところが、ホツマツタヱは江戸時代あたりに書かれた偽書であるという説も有力であるらしい。
私は、まさかそんなことはあるまいとは思うが、実を言うと、そんなことはどうでも良いと思っている。
仮に偽書であったとしても、これほどの優れた内容の大書を書くのは恐るべき才能だし、それを書いた者は、間違いなく天啓を得て書いたのだと思っている。
絵画においても、有名な画家の絵が模倣されることはよくあったが、その全てが価値の無い偽物という訳ではなく、オリジナルの作者の手法をヒントにした独自の絵画と見なされることもよくある。
また、絵画のことだけではないが、模倣品が本物を上回ることもある。
私は、もし偽書だとしても、ホツマツタヱは、古事記、日本書紀を超えるものだと思う。ただし、そうは言っても、古事記や日本書紀に価値が無いと言うつもりも毛頭無い。もとより、古事記も日本書紀も、正確な歴史書ではなく、重要なことを神話の形で象徴的に表現したのであり、それは、ギリシャ神話や旧約聖書と同じである。
ギリシャ神話は伝承の寄せ集めなのだが、神々の誕生と世界の創世については、ヘシオドスの叙事詩「神統記」が、その後の、トロイア戦争を描いたホメーロスの叙事詩「イーリアス」、その続編「オデュッセイア」が最も正統なものと考えて良いと思う。また、神々について、ホメーロス風の詩で詠った「ホメーロス風賛歌」というものもあるが、これらは無名の詩人達の作品と言われ、著者について、全く分かっていない。
それなら、「ホメーロス風賛歌」は偽書ということになるかもしれないが、その素晴らしさから世界的な価値が認められており、これを非常に重要視している研究者も多い。
それでいえば、やはりホツマツタエは、偽書というか、後の世の創作であるとしても、やはり、その内容により、優れたものと見なすべきと思う。
私は一昨年、神道の祝詞である大祓詞(おおはらえのことば)を5千回程唱えたことがある。1回唱えるのに少なくとも3分以上はかかり、休日は1日百回以上唱えたが、そのためには、6~7時間かかった。
神道家の葉室頼昭さんの著書の指示の通り、意味は全く考えず、ただ、言葉として唱えた。
政木和三さんも、仏教のお経は意味が大切だが、祝詞には意味は無く、唱えることが大切だと言っておられた。
5千回唱えても、私は、正確にソラで憶えることは出来なかった(憶えようという気もなかったが)。
ところが、音としいては、心身に沁み込んでいたのではないかと思う。そして、古事記を読んだ時より、ホツマツタヱを読んだ時の方が、我が内なる大祓詞とよく共鳴するのである。その感覚で、ああ、ホツマツタヱは本物であると感じたのである。
また、私の好きな女神に稚日女尊(わかひるめのみこと)という、瑞々しい日の女神という意味の神がいる。
稚日女尊は、古事記にはその名が現れず、日本書紀にわずかに登場する。
稚日女尊を主神として祭る神戸生田神社では、稚日女尊は、天照大神の妹神であるとしている。
ホツマツタヱでは、天照大神は男神で、アマテルである。そして、稚日女尊は、イザナキ、イザナミの長女で、アマテルの姉であり、生まれた時に、ヒルコ(日霊子)と名付けられた。古事記では、ヒルコ(水蛭子)は、奇形の未熟児として生まれたので、舟に乗せて捨てたとされる。ホツマツタヱでは、ヒルコ(日霊子)が生まれた時、イザナキ42歳、イザナミ33歳の厄年であったので、決まりに従って、舟に乗せていったん捨て、それをすぐにカナサキが約束通り拾い、連れ帰って育てたのだ。
ヒルコは成長してワカヒメ(和歌姫)となり、歌の達人となって、歌の力で優れた働きをした。
ホツマツタヱを読むと、やはりワカヒメは非常に重要な存在であり、彼女についての記述がほとんど無い古事記や日本書紀はやや不足と思われ、よりもホツマツタヱは本物に違いないと感じるのである。
ホツマツタヱは、我々日本人が自分を知り、その意識の奥深くに住む神を呼び覚ますきっかけとなるに違いない。
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ホツマツタヱは、古事記や日本書紀と類似してはいるが、内容は大きく異なる。
ところが、ホツマツタヱは江戸時代あたりに書かれた偽書であるという説も有力であるらしい。
私は、まさかそんなことはあるまいとは思うが、実を言うと、そんなことはどうでも良いと思っている。
仮に偽書であったとしても、これほどの優れた内容の大書を書くのは恐るべき才能だし、それを書いた者は、間違いなく天啓を得て書いたのだと思っている。
絵画においても、有名な画家の絵が模倣されることはよくあったが、その全てが価値の無い偽物という訳ではなく、オリジナルの作者の手法をヒントにした独自の絵画と見なされることもよくある。
また、絵画のことだけではないが、模倣品が本物を上回ることもある。
私は、もし偽書だとしても、ホツマツタヱは、古事記、日本書紀を超えるものだと思う。ただし、そうは言っても、古事記や日本書紀に価値が無いと言うつもりも毛頭無い。もとより、古事記も日本書紀も、正確な歴史書ではなく、重要なことを神話の形で象徴的に表現したのであり、それは、ギリシャ神話や旧約聖書と同じである。
ギリシャ神話は伝承の寄せ集めなのだが、神々の誕生と世界の創世については、ヘシオドスの叙事詩「神統記」が、その後の、トロイア戦争を描いたホメーロスの叙事詩「イーリアス」、その続編「オデュッセイア」が最も正統なものと考えて良いと思う。また、神々について、ホメーロス風の詩で詠った「ホメーロス風賛歌」というものもあるが、これらは無名の詩人達の作品と言われ、著者について、全く分かっていない。
それなら、「ホメーロス風賛歌」は偽書ということになるかもしれないが、その素晴らしさから世界的な価値が認められており、これを非常に重要視している研究者も多い。
それでいえば、やはりホツマツタエは、偽書というか、後の世の創作であるとしても、やはり、その内容により、優れたものと見なすべきと思う。
私は一昨年、神道の祝詞である大祓詞(おおはらえのことば)を5千回程唱えたことがある。1回唱えるのに少なくとも3分以上はかかり、休日は1日百回以上唱えたが、そのためには、6~7時間かかった。
神道家の葉室頼昭さんの著書の指示の通り、意味は全く考えず、ただ、言葉として唱えた。
政木和三さんも、仏教のお経は意味が大切だが、祝詞には意味は無く、唱えることが大切だと言っておられた。
5千回唱えても、私は、正確にソラで憶えることは出来なかった(憶えようという気もなかったが)。
ところが、音としいては、心身に沁み込んでいたのではないかと思う。そして、古事記を読んだ時より、ホツマツタヱを読んだ時の方が、我が内なる大祓詞とよく共鳴するのである。その感覚で、ああ、ホツマツタヱは本物であると感じたのである。
また、私の好きな女神に稚日女尊(わかひるめのみこと)という、瑞々しい日の女神という意味の神がいる。
稚日女尊は、古事記にはその名が現れず、日本書紀にわずかに登場する。
稚日女尊を主神として祭る神戸生田神社では、稚日女尊は、天照大神の妹神であるとしている。
ホツマツタヱでは、天照大神は男神で、アマテルである。そして、稚日女尊は、イザナキ、イザナミの長女で、アマテルの姉であり、生まれた時に、ヒルコ(日霊子)と名付けられた。古事記では、ヒルコ(水蛭子)は、奇形の未熟児として生まれたので、舟に乗せて捨てたとされる。ホツマツタヱでは、ヒルコ(日霊子)が生まれた時、イザナキ42歳、イザナミ33歳の厄年であったので、決まりに従って、舟に乗せていったん捨て、それをすぐにカナサキが約束通り拾い、連れ帰って育てたのだ。
ヒルコは成長してワカヒメ(和歌姫)となり、歌の達人となって、歌の力で優れた働きをした。
ホツマツタヱを読むと、やはりワカヒメは非常に重要な存在であり、彼女についての記述がほとんど無い古事記や日本書紀はやや不足と思われ、よりもホツマツタヱは本物に違いないと感じるのである。
ホツマツタヱは、我々日本人が自分を知り、その意識の奥深くに住む神を呼び覚ますきっかけとなるに違いない。
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