ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年07月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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若さと健康の秘訣は腐らない食物

いつまでも若く、美しく、強くありたいと思うのは当然で、それを実現させるかのような宣伝をしている、食品、化粧品も沢山ある。だが、何かの健康食品を食べているからとか、何かの化粧品を使っているといった理由で、見違えるほど若返ったとか、驚くほど健康になったということは、おそらく全く無いと思う。
しかし、ただ1つ、その効果は強制的で、確実なものが食の慎みである。そして、それら健康食品や化粧品が高価であるのに比べ、食の慎みには1円のお金もかからないばかりか、大きなお金の節約になる。

明治時代の人であった長南年恵という女性は、生涯、少女のような外見を保ったと言われるが、彼女はほとんど食事をしなかったことが、あらゆる記録から確実であると言われている。
彼女の場合は特例であるが、少食、粗食であればいつまでも若い。
世間の常識では、栄養をたっぷり取ることが若さや健康の要因であるとされるが、世間的な栄養を取ることは老化、不健康、病気の原因でしかない。
私が、ずっと、そういった世間的に栄養十分な生活を送っていたところ、内臓を痛め、慢性的にだるく、すぐに風邪をひき、頭痛、腹痛も日常的で薬が手放せなかったが、食事を1日1回にし、当初は、ご飯半合と豆腐、漬物程度しか食べなかったところ、数ヶ月で全ての症状が消え去り、完全に健康になったばかりか、幼い頃から苦しんできたアトピー性皮膚炎と、数年来のメニエール氏病まで、何もせずに治ってしまった。
森美智代さんという方は、脊髄小脳変性症という難病にかかり、余命わずかと言われながら、甲田光雄医師の指導で、断食、少食療法を実施し、治るはずのないその病気が治ってしまったというが、甲田さんのところでは、そのような例はいくらでもあるようである。森さんは、その後も青汁といくらかのサプリメント以外は食べないという。
森さんのように、難病を治すといった場合は別として、断食や、青汁だけという極端な少食である必要はなく、食を楽しめば良いと思うが、現在の我が国では、美食、飽食が蔓延し、心身が健康な人はとても少ない。
だが、食を正常にすれば、健康はどんどん回復するし、女性であれば、驚くほど美しくなるのである。男性であっても、でっぷりとしたお腹が確実に引き締まり、それだけでも外見は雲泥の違いとなる。おそらく、中年以降の男性の半分以上が、お腹が異常にだぶついた、いわゆるメタボであると思う。それを解消するとされる薬もあるようだが、おそらく、ほとんど効果はあるまい。また、運動でお腹を引っ込めるなんてのも、現実的には不可能だ。運動で痩せるなら、必要な運動量は大変なものであるはずだからだ。しかし、食を慎めば、嫌でも痩せるのである。

何を食べるかであるが、私は、3年ほど、1日1食で粗食と言える食事を続けているが、その経験から、こんなことが言えると思う。それは、「腐らない食物が最良」ということだ。
野菜、果物というものは、本来は、枯れることはあっても、腐ることは無いらしい。現在売られている野菜等が腐るのは、農法に問題があるようだ。とはいえ、普通に売られているものでも、肉、魚に比べれば、野菜や果物ははるかに腐敗しない。
私は肉も魚も食べないが、魚であれば、干物などにすればかなりの間腐らないが、やはりそれは身体に良いと思う。
パンやチーズといったものも、ちゃんとしたものは、ほとんど腐らないようだが、スーパーで売っているようなものでも、やはり腐り難いのは間違いがない。
また、私はアーモンドやクルミを好んで食べるが、これらの消費期限はとても長い。アーモンドはボイル(ゆでる)したもの、クルミは生のものを食べている。これらは、極端にカロリーが高く、大量に食べれば太るだろうが、カロリーの割には、栄養の吸収が穏やかに進むせいで太らないことで知られているし、そもそも、全体的に食を慎んでいれば太るはずがない。
結局、私は、毎日、パン、野菜、果物、ナッツ、チーズの食事をすることに落ち着いた。量を適切にしているので、飽きるなどということは想像も出来ず、毎日、美味しく食べている。この食事は、「ヒマラヤ聖者の生活探求」(霞ヶ関書房)に登場する大師達のものと同じである。この本の著者は、14歳で大学を卒業した科学者で、採鉱の専門家であるが、調査隊の一員として東アジアを訪れた時に出逢った大師(悟りを開いた偉大な聖者)達の驚くべき生活や行いを記録したことを、親しい人達のために私的な書物にしたものが、広く読まれるようになったのが同書である。百歳をはるかに超えながら強健で50歳くらいにしか見えない男性や、その母親が、外見は20歳くらいの大変な美女であるといった話もよく出てくる。彼らは、肉は食べないが、決して苦行的な食生活ではなく、十分に食事を楽しんでいる様子も描かれている。もっとも、彼らは、素晴らしい食事を空間から出現させるのであるが・・・。食事だけで、それら大師達のようになれるわけではないが、やはり、正しい食事は全ての基本であると思う。
優れた食の法則に関しては、日本の古代の書と言われる「ホツマツタヱ」にも詳しく描かれている。







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私の神頼みのやり方

今でも、人々は新年には神社やお寺に参拝するし、子供の七五三の宮参りなどはしない人の方が少ないと思う。
また、普段でも、何か困ったことや切実な願いがあると、神頼みをすることも多いだろう。
そこで、自由自在な人間である私のとっておきの神頼みのお話をしたく思う。どんな偉い人も言わなかった秘伝と言えると思う。

私なら、お金が欲しければ、ただ、「神様、お金を下さい」だけである。
別にどこにも行かないし、儀式もしなければ断食もしない。無理に何かをしたり、反対に、何かをやめたりもしない。生贄も貢物も差し出さない。
願い事を何度も言わないし、そもそも、声に出して言わない。本当は、想う必要すらない。ましてや、紙に書いたりなんかしない。
お賽銭なんかもしない。絵馬も作らない。もし、そんなことをしても忘れている。
「ツイてる、ツイてる」なんて唱えないし、「ありがとうございます」とも言わない。「皆様によきことが雪崩のように起こりますように」なんてことも言わない。
早い話が、卑しいこと、神様を見くびること、身の程を知らないこと、神様を信じていないことの裏返しみたいなことは一切しない。

願い事は忘れた頃に叶うと言うが、私は最初から憶えていない。
誰が願ったのかも知らない。
ただ、願い事や、願った者のことを憶えていたら、河の渦巻きを見るように、それを眺めている。

神頼みは、ついでなのだ。
人というのは、願ってみないと神様がいることが分からない。それで、神様がいることが分かれば、後は忘れてしまうのだ。
神様がいるなら、別に願う必要もない。願い事もない。
以前も書いたが、「究極の技とは技を持たないこと」、「究極の音楽の技法とは音楽を用いないこと」である。
そして、究極の神頼みとは、求めないことなのだ。







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私が肉食をやめて丁度3年が経過

私は、今はベジタリアン(菜食主義者)であるが、3年以上前は肉食が大好きで、魚もそんなに好きではなかったので、3日続けて肉を食べないということは全く考えられなかった。
ある時、マイケル・ジャクソンが、1日1食のベジタリアンだと知った時は、自分にはとても無理であるとは思ったが、マイケルに関しては、やはり特別な人は違うものだなあと思ったものだ。
ポール・マッカートニーもある時期からベジタリアンになったが、彼の場合、食肉にするために動物が殺されるのが嫌になったからだというのがその理由のようだ。
考えてみれば、食肉になる動物・・・牛、豚、羊、鳥・・・等は、皆、若く、人間で言えば、10代、20代で、時には、子牛や子羊の柔らかい肉を売り物にしている料理もあるので、人間でいえば、やはり幼稚園児とか小学生の可愛い子供の時期であろう。また、牛も豚も、飼ってみれば可愛いものらしく、犬や猫と変わらないが、犬や猫、ましてや、子犬や子猫を殺すことは考えにくい。それを、飢餓状態にあるならともかく、単に美味しいものを食べて楽しみたいという欲望のために殺すというのが耐え難いというポールの気持ちも分かると思う。
私が丁度3年前の今頃、2008年の7月末に、突然ベジタリアンになり、1日1食になったのは、これらの話を心の奥に憶えていたということもあると思う。そして、他にも、ベジタリアンの人達に関するエピソードは良いものばかりであった。

古事記、日本書紀以前の古典とも言われる「ホツマツタヱ」には、最高神アマテル(古事記等では天照大神にあたるが、アマテルは男神である)が、人々に食物について教える場面がある。アマテルは、臣である神々を全て自分の子供のように、民を孫のように愛しく思っており、可愛い子や孫に熱心に語り聞かせるように教えているのである。人間にとって良い食物は田畑で穫れる穀物であり、獣、鳥は決して食べてはいけないこと。獣の肉を食べると血を汚し、それが血に記憶され、また、肉が凝って縮み、空太りするなどと説く。人は肉をやめて正しい食事をすれば、死ぬ時に菊のような匂いがし、亡骸もすぐに神の形に変わっていくが、肉を食えば汚れ、死ぬ時も臭く、魂の緒が乱れ苦しむと言う。
尚、アマテルは神々や民を自分の子や孫のように思うのであるが、他の神々にも、民を子のように思わなければならないと言う。アマテルにとって、神々は臣であるが、考えて見れば、今でも、大臣のような者は、国民を自分の子供のように思うものでなければ務まらないし、政治家は国民の下僕として仕える気持ちでなければならないはずであるが、大臣達が傲慢で身の程知らずになり、政治家が「先生」になっているようでは国は治まらないものであるに違いない。
天皇陛下や皇后陛下の、国民を自分の孫のように愛おしむ姿は、大臣達、あるいは、企業で言えば社長や重役達に手本を示しているように思う。上に立つ者、立つ気のある者は見習うのが良いと感じるのである。

ベジタリアンになるのは難しくはない。私は、今でも肉食を嫌悪する気はなく、確かに食べたら美味しいだろうなとは思うが、一方で、やはり動物が、そのために自分の知らないところで殺されるのは嫌だし(食べるならせめて自分で殺してやりたい)、肉が身体や心の汚れになるというのは、実感として感じていることもあり、少なくとも、他に食べるものがある限り、一生食べるつもりはない。
食事の量が適切である限り、肉を食べなくても十分に満足できることは間違いない。私は、パン、野菜、果物、ナッツ、チーズなどの、毎日同じものを食べているが、食事は非常に美味しく楽しいのである。以前はすぐに風邪をひき、頭痛、腹痛になることも多かったが、肉食をやめて3年は、実にそれが一度もなく完全に健康である。以前は10回がやっとの腕立て伏せも200回以上軽々と出来るようになる等、身体も強靭になり、当然、スリムで美しい体型になった。望まなくても幸運に恵まれるようにもなった。
水野南北は、「食が全て」と言い、人間の、運も健康も富も幸福も全て食の慎みのみで決まると断言したが、食は本当に重要であると思う。







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我々は、自分の異常な性欲や食欲に気付いていない

日本人の食欲、性欲は異常なまでに大きくなっている。
その原因は、我々の食欲や性欲を煽ることで儲けるビジネスのためだが、それは、もうとうに人の道を外れてしまっている。そして、それはさらにひどくなるばかりである。
規制は全く逆効果であることは明らかである。アメリカでは禁酒法でかえって闇酒、闇バーが蔓延り、わが国でも、明治政府が、男女の健康的な庶民の営みを規制すると、風俗営業という陰湿なものが取って代わり、不幸な少女や女性がおびただしい数になると同時に、裏社会に資金が流れた。そして、近年では、淫行条例で援助交際が急激に増えたが、それら全ての悲惨な失敗が、まるで教訓になっていないのである。

最近、性欲があまりないという若い男性を異常視することがあるようだが、そんな男性が正常なのである。普通と思われている男性が異常性欲者なのである。
また、現在の世間で、非常に少食で珍しい人のように言われる人が実は正常で、普通の食欲と思われる者は明らかに食べ過ぎだ。ましてや、食欲旺盛とされる者なら、おそらく異常なほど食べているのである。

クモが好きな人はあまりいないかもしれないが、これを極端に嫌う人がいると思う。
この何の害もない小さな生き物を、それほどに恐れ嫌悪するのは、自然な本能ではなく、原因があるのだ。例えば、身近にいた大人がクモをひどく恐がるのを、小さい時から見ていた等である。
我々の性欲や食欲も、極端なクモ嫌いの人のクモに対する反応と似たようなものである。つまり、作られた異常性だ。
実は私が、元々がクモがひどく嫌いで、いかに小さなものでも、クモを見ると激しい動悸が起こるほど動揺し、叫び声を上げ、狂ったような状態になったものだった。だが、現在は、いかに大きなクモを見ても、「まだこんなのが見れるのだな」と感激するほどである。実際、大きなクモを見なくなった。
これは、私が自分の心をよく観察し、心の正体を見破り、心に勝手な反応をさせないようになったからである。
高所恐怖症も同じだ。高い所が恐いというのは正常な本能であるが、恐怖症とまでなると、それにはやはり何らかの原因があるのだ。

上にも述べた通り、我々の性欲、食欲の過剰さは、それで商売をする者達が、長年に渡り、人々の性欲や食欲を煽って増大させ続けたためである。
何かの本で、男性教師が好みのタイプの女子生徒に性欲を感じるのは自然だと書かれていたものがあった。それを書いたのは女性教師だった。この本の場合は女子高校生についての場合であり、10代後半の肉体的には立派な大人であることから、著者の女性教師も心の広さを示したつもりかもしれないが、この著者も含め、それは全く異常である。教師が生徒にそのような関心を持つはずがない。
教師と女子高生の恋愛というなら全く問題ない。しかし、単なる性的興味やセクハラとなるとあり得ない話である。ましてや、今は、中学校や小学校でもセクハラがもう日常のことになっているようである。恋愛というなら、大人の男性と女子中学生なら正常と言える。しかし、我々は、恋愛と性欲の区別が付かないほどになっているのだ。それは、異常に増大させられた性欲のためである。
CLAMPの人気漫画「カードキャプターさくら」で、小学4年生の少女、利佳に、男性教師が真面目に婚約指輪を渡す場面がある。利佳はとても喜ぶ。彼女は、憧れ以上に、この男性教師を愛していたし、教師の方もそうだった。主人公さくらの母親は、高校1年生の時、赴任してきた25歳の教師だった父親とすぐに結ばれたのだった。だが、これらも、本来、何もおかしなところはない。ただ、利佳が特別な精神性を持った少女であったということを除いて。

男性の性欲の減少のせいで、結婚しなくなり、少子化が進んでいるなどという話が一部にあるが、全く馬鹿な話である。結婚制度やそれに関わる法律に問題があるのであり、むしろ、異常性欲が少子化の原因になっているように思える。
クモ恐怖症や先端恐怖症、高所恐怖症や閉所恐怖症を、精神療法などと全く異なる正しい方法で解消するように(医学的な精神療法に効果があるとは思えない)、異常性欲、異常食欲を克服することで我々は自己の支配力を得、幸福への道を進める。
そのためには、まず、食の慎みを持ちたいものである。食を慎むことに成功すれば、後はそんなに難しいことではない。
尚、高所恐怖症や、クモ恐怖症などになる精神の不思議に関しては、筒井康隆さんの「時をかける少女」(角川文庫版)に同時収録された、「悪夢の真相」に興味深く描かれている。







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超演技力

お金がないなら、お金があるフリをすればいいし、働いていないなら、働いているフリをすればいい。
学校や職場が面白くなければ、楽しい学校や職場に行っているフリをすればいいし、彼女がいないなら、ものすごい美少女のGFがいるフリをすればいい。

だがみんな、悲しいまでに演技が下手なのだ。
狂人のフリが出来るだろうか?
吉田兼好は、『徒然草』で、「狂人のように道を走り回れば狂人だし、悪人の真似して人を殺せば、そりゃ悪人だよ」と言ってるが、金持ちの真似して高級外車でも注文したら、あっという間に超貧乏だ(笑)。
※『徒然草』の該当部分の原文は「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。」
それよりも、『閑吟集』にある通り、「一期は夢よ(この世は夢だ) ただ狂え」である。
つまり、「この世は所詮が夢」という気楽さ、達観というか悟りが無いから演技が下手なのだ。

立派に働いてリア充(リアルライフが充実している状態)してる夢の中で、将来の不安など持たないものだ。
金持ちになった夢の中で、もっと金が欲しいなんて思ったりしない。
最高の彼女がいたら、そこらを歩いてる女の子になんか興味はないし、アダルトゲームなんぞに用はないさ。

政木和三さんと話してたら、本当に夢の中のことのように思うことがあった。
政木和三さんが、「私はね、お金なんかちっとも欲しくないんです」と楽しそうに言うのを聞いたことがある。しかし、どんどん入ってきて困るのだそうだ。「なんでサラリーマンが税金を1億も収めないといけないんですか」と嘆く演技は抜群だった。そして、奥さんに聞こえないように、「女なんかいらないですよ。でも、私に身を任せる女が常時百人はいるんですよ」と苦笑しながらコソコソ話してたものだ(堂々と話すことじゃあない)。
アントニオ猪木さんは政木さんと交流があったそうだが、あの人の壮大さも、まさに夢のようだ。猪木さんの事務所に泥棒が入り、250万円の現金が盗まれた時、猪木さんは激怒してこう言った。「なんで俺が居る時に来ないのだ。俺がいたら500万やる。猪木の事務所はたった250万しか無かったって思われたらカッコ悪いじゃないか」。まさにスケールが違う。

気楽で楽しい波動に包まれた演技は瞬間で現実を創造してしまうものだ。だから、この世は、夢であり、芝居のようなものだ。
「よき戦いとは、少人数で真剣に演じる劇に似ています」
「燃えよドラゴン」でのリーのセリフだ。真剣とは堅苦しいことではない。誠実だが、緊張せず、自由で優雅なものである。
リーは、こう続けた。
「私は緊張せずに戦いに備えます。敵?敵はいません。私がいないのですから」
尚、下にご紹介する、ひろさちやさんの「空海入門」は素晴らしい演技指導書だ。仏陀の真似をして仏陀になったという視点での空海のお話であるのだから。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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