ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

2011年05月

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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スペシャリストから始める

ソニーの創業者は井深大(いぶかまさる)さんと、盛田昭夫(もりたあきお)さんであるが、よく、「技術の井深、営業の盛田」と言われることがあった。盛田さんは大阪大学(大阪帝国大学)の物理を出ているが、自分が物理屋としては全く通用しないことを認めていた。そもそも、盛田さんは、大学がそれほどの価値があるものとは考えておらず、「学歴無用論」などという本まで書き、東大卒と中卒がデスクを並べて仕事をしたって何の不思議もないと言い、ある時期、ソニーの入社試験で、卒業校名の記入を廃止させたこともあった。
アメリカの大実業家、ポール.J.マイヤーは、ロケットを作ったり医者になるなら大学は必要だが、ほとんどは無用と言うが、それも同じような理由と思う。彼自身は、大学を90日で自主退学し、27歳で最初の100万ドルを得ている。それは1950年代のことである。
ビル・ゲイツはハーバード大に入学するも、ほとんど講義に出たことはなく、すぐソフトウェアビジネスに専念するようになった。ゲイツのライバルと言われるスティーブ・ジョブズ(アップルコンピュータ創業者。CEO)やラリー・エリソン(オラクル創業者。CEO)らも大学中退。ゲイツと共にマイクロソフトを創業したポール・アレン、ジョブズと共にアップルを創業したスティーブ・ウォズニアックは、ソニー流に言えば、「技術のアレン」「技術のウォズ」であったが、彼らも大学中退である。
一方、ソフトブレーン創業者の宋文洲さんは大学院以上の学歴を重視しており、ソフトブレーンは高学歴者揃いだ。宋さん自身が日本に来て北海道大学大学院で博士号を取得している。彼は技術も営業も抜群であり、さらに経営の達人になったというわけだ。

スペシャリストとゼネラリストという言葉がある。ゼネラリストという言葉を、専門的には何も出来ない人と誤解されることもあるが、これは、1つの分野に専念しないという意味であり、優れたゼネラリストは、多くの分野で下手なスペシャリストに勝るものである。とはいえ、ゼネラリストは、専門家としてではなく、経営、ブレーン、コンサルティングの分野で活躍することが多く、専門家としては現役でない場合も多い。
ビル・ゲイツなどは、特に若い頃は天才プログラマーと言われていて、それはそうなのかもしれないが、彼に、「あなたのプログラマーとしての実績は何か?」と聞くと、「8080BASICをあげるしかない」と言ったようである。8080BASICとは、パソコンがまだ一般的にマイコン(マイクロコンピュータ)と呼ばれていた、現在のパソコンと比較にならないくらい低性能な時代の、極めてシンプルなBASIC言語である。それをゲイツは、ポール・アレンと共に開発したが、実際はアレンが大半を作ったという話もある。いずれにせよ、ゲイツはソフト開発技術者としては早々に引退していた。しかし、ごく最近に至るまで(マイクロソフト退社まで)、彼はチーフアーキテクトの肩書きを保った。チーフアーキテクトとは、的確な和訳は難しいが、ソフトウェアで言えば、機能的なデザインを決定する立場と言って良いと思う。
ゲイツはゼネラリストと言えると思うが、スペシャリストであるからこそのゼネラリストである。
そして、スペシャリストでなければ、決してゼネラリストにはなれない。
ジャイアント馬場さんが、「なぜプロレス一筋でやってきたのか?」と問われ、「有体に言えば、他に何も出来ないから」と答えられていたのが印象深い。しかし、実際は彼はプロモーター(興行主)としても超一流で、偉大な経営者、プロデューサーだった。引退後は画家になりたいと言っていたが、絵も相当な腕前だった。プロレスラーで言えば、実際の実力は世界一だったのではとまで言われたカナダのジョージ・ゴーディエンコは、怪我で引退してから、一流の画家になっている。

一芸を磨けば、たとえ、それがお金にならなくても、時代遅れになったとしても、そんなことは問題にならない大切なものを得られる。それは多分、「かもめのジョナサン」にあった、「高く飛ぶかもめほど遠くを見通せる」ということだ。
私の専門のソフトウェアの世界でも、COBOLやFortranといった時代遅れといわれる(私はそうは思わないが)技術の驚くべき達人は、やはり、かなりの年齢でも、現在のソフト開発でも大変な知恵を持っているのである。逆に、私のように、何でも出来るが、どこか器用貧乏っぽい人は凄みに欠けるような気がし、せいぜいが便利屋なのかもしれない。
優れた経営者は、自分では「俺は何にもできないから社長やってんだ」と言うし、本人が本当にそう思っているようなところもあるが、実際は、極めて特別な能力を磨いているものである。ただ、それが世間でいう専門でないことも多い。例えば、役に立たない大学の心理学ではなく、実際的な心理学とか、ひょっとしたら、超能力ということもあるかもしれない。ただ、超能力というのは本来は利得に反するので、よほどの奉仕の精神や、慈愛、あるいは、特別な何かが必要で、それこそ、「何もできないけど超能力を」という安易な考え方の者には縁の無いものだし、超能力で儲けるなど、詐欺師の言い分であることが非常に多いので注意した方が良いだろう。







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危機が来なければ変われないなんて愚かなことだ

Windows 7のPCを初めて触った時、「パソコンにやらされている」いう感じがあった。自分でコンピュータを使っている感じがまるで無い。使わされているようだ。設定通りに使うなら、ほとんど何も考えなくていい。確かに便利ということだ。しかし、自分の頭で考えたやりたいことをやろうとすると、途端に、どうやればいいのか分からないことがある。それは、回りくどい操作を強要されるが、難しいというのではなく、無意味に制限されている感じなのだ。つまり、「勝手なことをしても考えてもいけない」という、まるで学校で強制された時の感覚なのだ。
これは、携帯電話でも、新しいものほどそうで、私は持つ気は無いがスマートホンはきっとさらにそうだ。それは、アイフォン(iOS搭載)でもアンドロイド(AndroidOS搭載)でも同じようなものだ。また、Windows Phone 7でも同じことになるのだろう。
つまり、現在の地球のIT機器ってのは、人類の思考力を根こそぎ取り去ろうとしているようである。
それは確かだ。電車の中で、最近はすっかり多くなった、スマートフォンを触っている人たちの、思考をしているのではない、ただ反応しているだけの雰囲気は気のせいではない。これは、以前の、まだスマートフォンの無い携帯電話の時代からだったが、スマートフォンでさらにひどくなっているように思う。

この状況が偶然なのか、何者かの意図によるものかは知らないが、危機的状況なのは確かだ。
だが、大震災とか原発事故というのは、そういったことに対し、これも偶然かどうかは分からないが、人々の目を覚まさせる効果は明らかにあるのだ。
そういったことが無かったら、日本は、そして、世界は、破滅への道を猛スピードで直行していたのである。
なんとも情けないことである。
もし、我々が変わることが出来なければ、今後も災害は次々に起こるだろう。それでも我々の意識が大きく変わらないなら最後である。

昨夜、放送されていた「地球が静止する日」で、まるで長門有希の製造過程を明らかにしたような宇宙人と、人類の頭脳たる老科学者の共通の見解は、「危機に陥ることで人は変われる」ということだった。
しかし、それも情けない話だ。アルコール中毒にならないと、飲み過ぎを直そうと思わないなんて愚かな話ではないか?
ニートは、親が死ぬか病気になるか、何かの事情で、あるいは、親の愛想が尽きて、面倒を見てくれなくなった時に、やっと現実を見る気になるというのだろうか?その時、自分がもう若くなければ手遅れではないか?
なるべく小さな危機で目覚めてこそ、まともな人間だ。

すでにあなたは相当な危機的状況にあるはずだ。この危機とは、災害とか、身体や経済の健康のことだけではない。
真の自分から隔離されているという危機だ。自分が弱くて哀れで、国家や権威の庇護がなければとても生きていられないと本気で思い込んでいるという危機だ。世間の信念や教義にすっかり取り込まれているという危機だ。
もしそうであれば、今平穏な人々にも、直接、容赦なく大災害が襲うことになるだろう。
松下幸之助も、原爆が投下された広島や長崎が最も早く復興したことを指摘してはいた。人の能力の特性を、当然ながら彼は見抜いていた。
しかし、だからといって、原爆や原発や大災害が必要だというのは、あまりに愚かだし、もうそんな時期でもない。
だが、状況は悪い。次は食糧難が襲い、それによって意識の変革が促されるように思う。
さて、それで駄目なら、どうなるのだろう?しかし、多分、外部からの危機では、さほどの効果はない。
意識を意識で変革することは難しい。それは、本質的には可能ではあるのだけれど、自分の心の中にあるガラクタを自分で処分できる人なんて、実際問題としてほとんどいなかった。
残された唯一の道は、食の慎みだけだと思う。なんとかその気になって欲しいものである。楽しく食べれば良い。だが、決して満腹するまで食べないこと。食事の時間をなるべく一定にし、食事の時以外に食べないこと。10日断食するより、そんな当たり前のことをすることが千倍も大切である。







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少女は我々に宇宙すら奪わせる

「ルパン三世」の連載が開始された1967年に、「どくとるマンボウ」こと北杜夫さんの「怪盗ジバコ」が出版されている。
「怪盗ジバコ」は、多分、旧ソ連のボリス・パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」をもじったものと思うが、本当のところは私は知らない。

「ドクトル・ジバゴ」について、今まさに非常に興味深いエピソードがある。
昨年の2010年、劉 暁波(りゅう ぎょうは)氏のノーベル平和賞授与を中国政府が批判したことで世界中に物議を醸したが、1958年、ボリス・パステルナークへのノーベル賞授与が決まった時には、ソ連政府は、パステルナークに受賞の辞退を強制し、パステルナークはやむなくそれを受け入れた。だが、ノーベル賞委員会は一方的に授与し、ボリス・パステルナークの名は、ノーベル文学賞受賞者として正式に記録されている。
「ドクトル・ジバゴ」は、1957年にイタリアで出版後、30年を経て、1987年になってソ連で出版された。中国政府は、2040年までに考え方を変えるのか見ものである。

どくとるマンボウと言うだけあり、北杜夫さんは医学博士(精神医学)であり、やはり、「怪盗ジバコ」は「ドクトル・ジバゴ」からきているのかなと思う。
「怪盗ジバコ」はギャグ(冗談)小説と言って良い、というか、ギャグ小説である。ただ、そこは北杜夫さんの作品であり、奥深いものが秘められている(多分)。
ジバコは世紀の大怪盗である。ルパンおよびルパン三世以上のスケールと言ってよい。正体不明、神出鬼没の大天才で人類を超越した超人だ。「怪盗ジバコ」出版の翌年の1968年がメキシコシティ・オリンピックであったが、ジバコは、マラソンでオリンピック3連覇を狙うアベベとデッド・ヒートを繰り広げ、勝利する(実際は、アベベは出場するもアクシデントで途中棄権した)。
ジバコは、それほどのスーパーマンで、オリンピックのどの種目に出ても優勝できるというほどであったというほどの冗談振りだった。
ルパン三世が007と対決したことがあるかどうかは私は知らないが、世界的大怪盗ジバコ逮捕のため、MI6はダブル・オー・セブン(007)の派遣を決定する。そして、ジェームズ・ボンドは自信満々で乗り込むが、ジバコに軽くあしらわれる。実力がまるで違っていたのだ。
さて、それほどの超人ジバコが驚愕させられることが起こる。
ジバコは変装の名人である。誰も、彼の素顔を知らない。
ところが、ある日、「ジバコさんですね」と声をかけられ、さすがのジバコも強烈な動揺を感じた。
声をかけてきたのは、なんと少女だった。
「なぜ私だと分かった?」
狼狽するジバコ。しかし少女は落ち着いた様子で、
「分からないはずがありませんわ」
と言う。
だが、少女は、今のジバコはジバコではないと言う。
それは、正体を見破られたことよりもジバコに衝撃を与える。
ジバコは全てを捨て、生まれ変わる。
そして、パリの夜に潜む影1つ。手にしたヤスリ1本でエッフェル塔を盗もうとするジバコその人であった。

私は、「ルパン三世 カリオストロの城」にも、怪盗ジバコを感じるのだ。
宮崎駿監督は、ヒロインのクラリスに理想の女性像を投影した。クラリスはルパンを生まれ変わらせたのだ。クラリスにはその力がある。
15歳のクレオパトラが51歳のシーザーを皇帝にしたように、少女には、人を神にする神秘の力がある。
アルセーヌ・ルパンにもそんな少女がいた。「緑の目の令嬢」に登場する絶世の美少女オーレリィだ。
そんな少女に出逢えるかどうかは、我々次第だ。その資格を持たねばならない。
そして、我々は不屈の心だけを胸に、宇宙を奪いに行くのだ。







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宿命の愛と友情

「私も、20年前にあんな人に出会っていたら・・・」
心に残るセリフだった。
立川恵さんの漫画・アニメ「怪盗セイント・テール」の最終話で、怪盗セイント・テールこと羽丘芽美の母のかつてのライバルだった、ローズマリーを名乗る女怪盗の独り言だ。
芽美も、その母の映美も、心から愛してくれる男性にめぐり合い、怪盗を引退したが、ローズマリー(仙道椛子)にはそれは訪れず、義理の娘、真珠を連れて、放浪しながら現役を続けていた。
真の恋人、真の友人、そんなものに出会う人も、出会えない人もいるのだろうか?
それも宿命というものだろうか?ただ、ローズマリーだって、今後はどうなるかは分からない。きっと、宿命を解消すれば、それは訪れる。

20世紀最大の詩人と言われる、アイルランドのW.B.イェイツの未完の自伝的小説「まだらの鳥」で、イェイツ自身の投影であるマイケル少年は、父に連れられて訪れた父の友人の家で、その娘マーガレットと出会う。マーガレットは美しく、知的で優しかった。
時が経ち、マイケルは、マーガレットのことを「あまりに美しいとかえって哀れみを覚える」と感じる。
だが、マーガレットは、自分はマイケルについていけるほどの才覚は無い凡人と思った。そして、他の男に嫁ぐ。
この2人の場合は、宿命が邪魔をしたのかもしれない。

2003年に亡くなられた作詞家の冬杜花代子さんは、本当に優れた詩人だったと思う。
武内直子さんの「美少女戦士セーラームーン」の最初の映画の制作の時、主題歌を作詞することになった冬杜さんは、その時のセーラームーンのタイトル「美少女戦士セーラームーンR」のRの意味を武内さんに聞こうとしたが(実際は、武内さんが決めたタイトルではない)、敢えてそうせず、自分で Revenge(復讐)を当て、主題歌のタイトルを「Moon Revenge」とした。「月の復讐」である。宿命の愛は死んだって逃れられるものではないという、恐ろしい歌が、映画館を埋めていた母娘が目をうるうるさせたであろうクライマックスシーンで流れていたとは、誰も気付かない。

「ああ、こいつは俺の・・・」
「親友」
偶然再会した、1年以上、全く連絡を取り合うことも無かった中学時代のクラスメイトに頼まれて、近くに集まっていた自分の仲間に紹介した時、このかつての級友はそう言った。それは、誰よりもハルヒを動揺させることになる。
~「涼宮ハルヒの分裂」(谷川流)より~

小太郎は、生まれつき霊的能力があり、天使を見ることが出来た。それで、まだ幼い少女の天使と親しくなったが、2人は親しくなり過ぎた。
世間を嫌う小太郎は、死ねばその天使とずっと一緒にいられると思い自殺する。だが、それは叶わなかった。
天使の少女は罰を受け、天使でありながら黒い服を着せられ、人間に見えるようにさせられてしまう。
小太郎は、父親の曾孫の湖太郎として転生し、天使の少女と地上で再会するが、彼に前世の記憶はなかった。だから、天使の少女が懸命に彼に尽くすことも時に誤解され、彼の怒りを買ってしまう。
~「ぴたテン」(こげどんぼ)より~

エドガー・アラン・ポーは26歳の時、13歳になったばかりの従妹バージニアと結婚した。
だが、ポーは貧しく、バージニアは重い病気になる。先が長くないと感じたバージニアは、エドガーに、自分は死んだら、あなたを護る天使になると言い、24歳で生涯を終えた。

私が、友情を描いた映画作品で唯一痺れたのは、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが共演した「さらば友よ」だ。
戦場で、憧れの存在でもあった親友を誤って射殺したバラン。帰国後、その親友の恋人には何も言えなかったが、彼女の犯罪に手を貸す。その中で、詐欺師のプロップとなぜか度々関わることになる中で、お互い激しく嫌悪し、殴り合い、罵りあう。だが、なぜか、彼らは、自分の身を捨てても、相手を警察に売ろうとはしなかった。

真の友情や愛情は、世間の中では、決して楽しいものでも綺麗なものでもない。
楽しく肩を組んで笑いあったり、べたべたして満足しているなら、間違いなくそれは偽物の友情や愛情だ。
真の友情や愛情には、安らぎがなくてもいい。いや、あってはならない。
だが、美しいものだ。なぜならそれは、我々の中の深いところから来る。それは、心とつながってはいるが、我々の知っている心とは似ない、無限の心だ。そこには、美しいものしかないのだから。







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特技を持つことの有利さ

いまさらではあるが、特技の有難さは計り知れない。だが、学校で特技が得られることはないし、自分に何が合っているかなんて自分にしか分からない。
また、特技というのも時代と共に変わるものだ。数十年前には、ソロバンが優れた特技だったが、現在は、能力開発の視点からはソロバンが見直されてはいるが、特技とはなり得ない。30年近く前なら、ワープロ入力というのも、分かる人には大した技能じゃないことが分かってはいても、当時はスペシャリスト扱いされることもあったらしい。20年くらい前なら、特技がワープロだとか、職業がワープロ入力というのも本当にあったのだ。
20年以上前のPCは、BASIC言語でプログラムする以外にはすぐに出来ることもなかったのであるが、そのBASIC言語に熟達したおかげで、学歴が無かったのに大手企業でそこそこの地位にまでいって、楽しいサラリーマン生活を送ったという人もいる。

十数年以上前なら、Webページを作れるというのは立派な特技だった。だが、今は、企業のWebページは、専門家が作ったものでないと通用しないほど複雑になってきたし、ブログやFacebookを使えば良いので、下手なWebページを作る必要が無くなってきた。
Webシステムを作れるというのはプログラマのような専門家の仕事だが、一頃は、誰でも出来そうなこととして、それを修得することを薦める書籍をよく見たし、今もあるのかもしれないが、私ならお奨めしない。
Webシステムを作るには、PerlやPHP、Python、Rubyといったプログラム言語を使う。それで、どの言語を覚えるべきかなんて話がよくあるが、断言する。どれも同じだ。どの言語でも世界的な優れたシステムが作られており、優劣なんてあるはずがない。もし、それを考える必要があるとすれば相当高度な話であり、一般のプログラマや、ましてや素人が問題にするようなことではない。それよりも、Webシステムを本当に作れるというのは、中々大変だ。LinuxやWindowsサーバーといったサーバーOS、ApacheやIISなどといったWeb OSの深い知識や経験が必要になる。クセのあるエディタを使って、技術的な設定が出来ないといけない。HTMLやCSSの知識は当然だし、Javascriptも使えない訳にはいかない。さらに、PostgreSQLやMySQL、SQL Server、場合によってはOracleといったデータベースも扱えないといけない。これらが出来ずに、RubyやJavaが出来ても、下働きくらいは出来るかもしれないが、スペシャリストとは見なされないし、楽しくもない。一人前になるには3年や5年はかかる。本当に好きで適性がなければやめた方が良い。

現在の有益な特技の1つは、表計算ソフトのExcelや、データベースソフトのAccessを高度に使えることだ。こちらは私は大いに薦めるし、そもそも、出来る人がいて欲しい。
ただ、VBA(ビジュアル・ベーシック・フォー・アプリケーション)という、BASIC言語が使える必要がある。確かに敷居は低くないが、上に書いたWebシステムの場合のように膨大なことを修得する必要がある訳ではない。
VBAというBASIC言語がもう古いといったことを、専門家が言うこともある。その通りだ。しかし、だから良い。無駄な機能が多くない。これ以上の機能があれば、普通の人の修得に向かない。いや、VBAでも機能豊富過ぎるほどだ。VBAが無くなるなんてことも考えにくい。時々、VBAはもはやドットネットの言語に取って代わるようなことを言う人がいるが、あれは、専門のプログラマーでも複雑過ぎる。それに、GoogleもExcle互換のWebアプリケーション(マイクロソフトOffice互換のWebアプリと言うべきかもしれないが)にVBA互換言語を搭載することを考えているし、マイクロソフトOffice互換の無料オフィスソフトのOpenOfficeでは、VBAと互換性の高いOpenOfficeBasic(OoBasic)が使える。
また、システムエンジニアの私から言えば、その会社独自の複雑怪奇な業務を、基幹システムに乗せようなどとしたら悲惨なことになると断言する。いかに優秀なコンサルタントを入れて、業務をシステム向きにしようとしたって無駄だ。私が散々やってみた結論がそれだ。基幹システムにインプットする結論のデータまでは、ExcelやAccessで作ることを考えた方が良い。
それに、ExcelやAccessに熟達すると、データに強くなる。特にAccessが自在なら論理的に考えるようになる。ただ、古いシステムエンジニアには、Accessを奇妙な使い方をする人が時々いる。巨大なシステムというのは、凄いように見えて仕組みは単純なので、それに比べるとAccessはまだ複雑過ぎるのかもしれない。実際、Accessをあまり高度に使うと、複雑過ぎて駄目になるので気を付けないといけない。多くの場合、Excelの方が有益なことが多い。
以上、良かったら参考にして欲しい。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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