私は、キリスト教徒でもユダヤ教徒でもありませんが、聖書というものは恐るべき知恵の書だと思います。
実際は、聖書は、宗教のためのものではありません。
旧約聖書は、ギリシャ神話や古事記もそうであるように、表面的に読めば、奇想天外、荒唐無稽なお話です。
しかし、これらは、謙虚に敬って読めば、どんなことでも教えてくれる魔法の書です。
以下は、聖書の字義解釈ではありませんので、細かい部分の確認はしていません。
旧約聖書の、最初のお話である「創世記」に、災害から逃れたロトという男のお話があります。ロトは、名高い預言者(神と直接交流する人)であるアブラハムの甥です。
ロトは、ソドムという町に、妻と、2人の娘と住んでいました。
ご存知かもしれませんが、ソドムは、ゴモラの町と同様、あまりに人々の心が堕落したため、神は災害を起こしてこれらの町を滅ぼすことを預言者アブラハムに告げます。
ロトは、ソドムにやって来た2人の天使を見、自分の家に泊まるよう願い出ます。
ロトは、天使達が、神の使いで町を滅ぼすために来たことは知らないと思います。
天使たちは、外で寝るからと断わりますが、熱心なロトの願いで、結局、ロトの家に行き、ロトは天使達を丁重にもてなします。
ところが、町の人達は、ロトの家に大挙して押し寄せ、天使を引き渡すよう要求します。
ロトは懸命に天使達を守り、人々を抑えるために、まだ純潔の乙女である2人の娘を差し出すことまで申し出ます。
ここで、天使とは、高貴な心を示すと感じます。善の心、洗心された心です。それが世間に降りたのだと思います。
その天使である高貴な心を、個人の意識であるロトは大切に思って敬い、守ろうとした訳です。
しかし、人々、つまり、世間は、高貴な心を嫌悪し、これを引き出して潰そうとします。世間は、彼らの教義や信念に合わないものは赦さないのです。
そこでロトは、穢れ無き娘を差し出そうとしますが、それは、自分の生み出した理想です。世間の脅しにより、理想を捨てようとした訳です。ただ、高貴な心は守ろうとしました。
天使達は、ロトの家族や親族を、安全な場所に逃がします。それは、世間から逃れると同時に、神が決定した大災害から逃れるということでもあります。
しかし、既に嫁いだロトの娘の婿達は信じずに同行しません。また、逃げる際に、振り向いてはならないと注意されたのに、振り向いてしまったロトの妻は塩の柱になります。
これは、安全な場所である、心のより深いところに到達するには、世間の考え方や、世間を懐かしむ思いを捨てなければならないことを示します。
逃れた場所で、ロトは、眠っている間に2人の娘と交わり、2人の子を得ます。
これは、表の意識(顕在意識)が眠っている時に、理想を表す娘達が現実を創造したということと思います。
ロトの子孫が繁栄したように、理想の生み出したものは栄え、喜びをもたらします。
現実的な災害や、魂としての人間の滅びから逃れるには、直接には世間の教義や信念を退けなければなりません。
そして、明るい心、強い心の中で、理想を持ち続けなければなりません。
そうすれば、人の知や個人的欲望が消えた時に、つまり、顕在意識が眠っている時に、理想は実を結びます。
つまり、世間を打ち破り、洗心し、不屈の心で理想を持ち続けることが、唯一の災害を免れることであると思います。
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実際は、聖書は、宗教のためのものではありません。
旧約聖書は、ギリシャ神話や古事記もそうであるように、表面的に読めば、奇想天外、荒唐無稽なお話です。
しかし、これらは、謙虚に敬って読めば、どんなことでも教えてくれる魔法の書です。
以下は、聖書の字義解釈ではありませんので、細かい部分の確認はしていません。
旧約聖書の、最初のお話である「創世記」に、災害から逃れたロトという男のお話があります。ロトは、名高い預言者(神と直接交流する人)であるアブラハムの甥です。
ロトは、ソドムという町に、妻と、2人の娘と住んでいました。
ご存知かもしれませんが、ソドムは、ゴモラの町と同様、あまりに人々の心が堕落したため、神は災害を起こしてこれらの町を滅ぼすことを預言者アブラハムに告げます。
ロトは、ソドムにやって来た2人の天使を見、自分の家に泊まるよう願い出ます。
ロトは、天使達が、神の使いで町を滅ぼすために来たことは知らないと思います。
天使たちは、外で寝るからと断わりますが、熱心なロトの願いで、結局、ロトの家に行き、ロトは天使達を丁重にもてなします。
ところが、町の人達は、ロトの家に大挙して押し寄せ、天使を引き渡すよう要求します。
ロトは懸命に天使達を守り、人々を抑えるために、まだ純潔の乙女である2人の娘を差し出すことまで申し出ます。
ここで、天使とは、高貴な心を示すと感じます。善の心、洗心された心です。それが世間に降りたのだと思います。
その天使である高貴な心を、個人の意識であるロトは大切に思って敬い、守ろうとした訳です。
しかし、人々、つまり、世間は、高貴な心を嫌悪し、これを引き出して潰そうとします。世間は、彼らの教義や信念に合わないものは赦さないのです。
そこでロトは、穢れ無き娘を差し出そうとしますが、それは、自分の生み出した理想です。世間の脅しにより、理想を捨てようとした訳です。ただ、高貴な心は守ろうとしました。
天使達は、ロトの家族や親族を、安全な場所に逃がします。それは、世間から逃れると同時に、神が決定した大災害から逃れるということでもあります。
しかし、既に嫁いだロトの娘の婿達は信じずに同行しません。また、逃げる際に、振り向いてはならないと注意されたのに、振り向いてしまったロトの妻は塩の柱になります。
これは、安全な場所である、心のより深いところに到達するには、世間の考え方や、世間を懐かしむ思いを捨てなければならないことを示します。
逃れた場所で、ロトは、眠っている間に2人の娘と交わり、2人の子を得ます。
これは、表の意識(顕在意識)が眠っている時に、理想を表す娘達が現実を創造したということと思います。
ロトの子孫が繁栄したように、理想の生み出したものは栄え、喜びをもたらします。
現実的な災害や、魂としての人間の滅びから逃れるには、直接には世間の教義や信念を退けなければなりません。
そして、明るい心、強い心の中で、理想を持ち続けなければなりません。
そうすれば、人の知や個人的欲望が消えた時に、つまり、顕在意識が眠っている時に、理想は実を結びます。
つまり、世間を打ち破り、洗心し、不屈の心で理想を持ち続けることが、唯一の災害を免れることであると思います。
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