いじめる者といじめられる者の違いは、多数派と少数派ということである。それ以外に、特に違いはない。
つまり、変わっているといじめられるのだ。
キリスト教徒の中では、イエスの教えに詳しければ賞賛される。また、イエスの教えを信仰する限り、それが自分の価値になる。
ところが、そこに少数の仏教徒が入ると、仏教徒はいじめられる。仏教の価値が認められてしまったら、キリスト教徒達の価値が減ってしまい、下手をしたら失ってしまう。それを恐れて排除する行為がいじめだ。
変わっている者の価値を認めたら、普通の者は価値を失う。しかも、それが本物の価値でないことは本人達も薄々気付いてはいるので、それに触れられたくないことで不安を持っている。その不安がいじめをエスカレートさせる。逆に、変わっている方に本物の価値があると感じられれば、不安は恐怖に変わる。自分の価値がゼロになるという恐怖だ。そうなると、いじめは激烈となる。
「火星人地球大襲撃」というSF映画があるが、地球人類をはるかに超える文明を持つ火星人がなぜか滅んでしまっていた。
その原因は、異質な勢力が登場してきた時、それを排除しようとして失敗したからだ。
声優で歌手の水樹奈々さんの自叙伝「深愛」を読んだが、水樹さんは、幼い頃から演歌の特訓に大半の時間を使っていたので、普通の子達が楽しむポップミュージックやテレビドラマのことが分からない変わった子だった。それは十分ないじめられる理由になるし、実際、いじめられたようだ。
身体が不自由な人間は少ないというだけで、身障者がいじめられるというのは事実だ。
森山風歩さんの自叙伝「風歩」には、筋ジストロフィーのために歩き方がおかしいという理由で、風歩さんは学校で、優等生や教師すら参加した過酷ないじめに遭う様子が書かれている。
その場所で使われない方言を使う者も、異質として排除される。
「わたしのいもうと」という実話を元にした絵本では、小学生の女の子が引越し先で、地方訛りの話し方がきっけかけで、無視という最も効果的な方法で排除されてしまう。
ところで、先にあげた「火星人地球大襲撃」という映画で、なぜかは分からないが、異分子を排除しようとする気持ちを持たない者達が少数ながらいるということが語られていた。普通の人達は自意識を失って幻覚に支配されるのに、なぜか、そんな者達は平静を保てる。なぜそんな者達が存在するかは説明されなかったが、それは制作者の鋭い洞察だ。
人類のDNAの変化なのかもしれないが、実際、異分子を排除しようとしない人間も増えてきている。まだその数は少ないかもしれない。そういった者達自体が少数派なので、なかなか表には出てこないかもしれない。
そして、異分子を排除したがる旧人類は、数が多いまま一気に滅びるかもしれない。かつて、ネアンデルタール人が謎の絶滅をしたように。
異分子を排除しない新しい人類の特徴は少食だ。だが、私のような古いタイプの人類でも、自ら食を慎むことで、DNAを変化させることができるように感じる。
これが、やがて訪れるアセンションかもしれない。
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つまり、変わっているといじめられるのだ。
キリスト教徒の中では、イエスの教えに詳しければ賞賛される。また、イエスの教えを信仰する限り、それが自分の価値になる。
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変わっている者の価値を認めたら、普通の者は価値を失う。しかも、それが本物の価値でないことは本人達も薄々気付いてはいるので、それに触れられたくないことで不安を持っている。その不安がいじめをエスカレートさせる。逆に、変わっている方に本物の価値があると感じられれば、不安は恐怖に変わる。自分の価値がゼロになるという恐怖だ。そうなると、いじめは激烈となる。
「火星人地球大襲撃」というSF映画があるが、地球人類をはるかに超える文明を持つ火星人がなぜか滅んでしまっていた。
その原因は、異質な勢力が登場してきた時、それを排除しようとして失敗したからだ。
声優で歌手の水樹奈々さんの自叙伝「深愛」を読んだが、水樹さんは、幼い頃から演歌の特訓に大半の時間を使っていたので、普通の子達が楽しむポップミュージックやテレビドラマのことが分からない変わった子だった。それは十分ないじめられる理由になるし、実際、いじめられたようだ。
身体が不自由な人間は少ないというだけで、身障者がいじめられるというのは事実だ。
森山風歩さんの自叙伝「風歩」には、筋ジストロフィーのために歩き方がおかしいという理由で、風歩さんは学校で、優等生や教師すら参加した過酷ないじめに遭う様子が書かれている。
その場所で使われない方言を使う者も、異質として排除される。
「わたしのいもうと」という実話を元にした絵本では、小学生の女の子が引越し先で、地方訛りの話し方がきっけかけで、無視という最も効果的な方法で排除されてしまう。
ところで、先にあげた「火星人地球大襲撃」という映画で、なぜかは分からないが、異分子を排除しようとする気持ちを持たない者達が少数ながらいるということが語られていた。普通の人達は自意識を失って幻覚に支配されるのに、なぜか、そんな者達は平静を保てる。なぜそんな者達が存在するかは説明されなかったが、それは制作者の鋭い洞察だ。
人類のDNAの変化なのかもしれないが、実際、異分子を排除しようとしない人間も増えてきている。まだその数は少ないかもしれない。そういった者達自体が少数派なので、なかなか表には出てこないかもしれない。
そして、異分子を排除したがる旧人類は、数が多いまま一気に滅びるかもしれない。かつて、ネアンデルタール人が謎の絶滅をしたように。
異分子を排除しない新しい人類の特徴は少食だ。だが、私のような古いタイプの人類でも、自ら食を慎むことで、DNAを変化させることができるように感じる。
これが、やがて訪れるアセンションかもしれない。
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