神話、昔話、伝説などは、裏読みをすると、面白かったり、真意が解ったりすることもあります。
いえ、それどころか、裏読みをしない限り、それらに本当の価値はないのかもしれません。
舌きりすずめのお話では、欲のないおじいさんは、すずめから小さなつづら(ツツラフジという植物で編んだかごのこと)をもらいましたが、その中には素晴らしい宝が入っていました。
私は、5つの時、幼稚園でこのお話を聞いた時、はっきり憶えているほど印象に残ったおじいさんの言葉があります。それは、「わしは年寄りだから小さいのでいい」です。
おじいさんは、すずめに、「大きなつづら、小さなつづら、どっちが良いか?」と聞かれて、そう答えたのです。
小さいとはいえ、金銀、小判などが入っていたのですから、それなりに重く、背負って運ぶことは、おじいさんにはこたえたはずです。
そして、中に何が入っているかは、おじいさんは家に帰って開けてみるまでは分かりませんでした。
すずめは、本当はこう言ったのかもしれません。
「ここは地獄じゃ。荷を負わねば帰れぬぞ」
そこでおじいさんは、
「わしは年寄りなので、小さいので勘弁してくれぬか?」
と言い、すずめも、
「お前は私を可愛がってくれたので、まあ、良いじゃろう」
と了承したのです。
おばあさんは、そんなおじいさんに対し、
「そんなファイトの無いことでどうする!私なら・・・」
と言って出かけて行き、大きなつづらをもらいました。
その大きなつづらには、確かに沢山の金銀財宝が入っていました。
しかし、おばあさんには、その重みに耐える器量がなく、身を滅ぼしたのです。過ぎた宝は、伝承の通りオバケのようなものです。
おばあさんは、多くの宝を資金に、人類救済活動をしたかったのかもしれませんが、そこに私心や虚栄があったのかもしれません。
おじいさんは、その後、だんだんと力を付けて、次々に大きな宝を手に入れ、偉大な人物となって、人々を救い、自らも幸福に過ごしたことでしょう。五百歳くらいまでは生きたのではないですか?
「人生とは、重い荷を背負って坂道を登るようなものだ」とういう有名な言葉を残した徳川家康は、小姓(身辺の世話をする係の少年)に、「身の程をわきまえろ」と教えました。
過ぎた宝は、身を滅ぼしますが、分相応の宝であれば良いものです。
そして、宝は、最初は重荷という姿をしています。
イエス・キリストは、「重い荷物は神様に預けろ」と言いました。大きな荷物は神でなければ背負えません。
ただ、イエスは、手ぶらで進めとも言っていません。それなりの荷物は持てと言ったと思えてなりません。
我々が人生で出逢う苦難は、「軽い荷物」です。
重いのは、かたじけなくも神様が荷ってくれますので、与えられた荷物を文句を言わずに運べば、神様は褒美をくれます。
ハイキングの時、良い父親は、子供にそれなりの荷物を持たせます。それを文句を言わず、ましてや、笑って運ぶ子供には、褒美をやらずにはいられないはずです。イエスは神を父と呼びましたが、そこらの事情は神様も同じと感じます。
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いえ、それどころか、裏読みをしない限り、それらに本当の価値はないのかもしれません。
舌きりすずめのお話では、欲のないおじいさんは、すずめから小さなつづら(ツツラフジという植物で編んだかごのこと)をもらいましたが、その中には素晴らしい宝が入っていました。
私は、5つの時、幼稚園でこのお話を聞いた時、はっきり憶えているほど印象に残ったおじいさんの言葉があります。それは、「わしは年寄りだから小さいのでいい」です。
おじいさんは、すずめに、「大きなつづら、小さなつづら、どっちが良いか?」と聞かれて、そう答えたのです。
小さいとはいえ、金銀、小判などが入っていたのですから、それなりに重く、背負って運ぶことは、おじいさんにはこたえたはずです。
そして、中に何が入っているかは、おじいさんは家に帰って開けてみるまでは分かりませんでした。
すずめは、本当はこう言ったのかもしれません。
「ここは地獄じゃ。荷を負わねば帰れぬぞ」
そこでおじいさんは、
「わしは年寄りなので、小さいので勘弁してくれぬか?」
と言い、すずめも、
「お前は私を可愛がってくれたので、まあ、良いじゃろう」
と了承したのです。
おばあさんは、そんなおじいさんに対し、
「そんなファイトの無いことでどうする!私なら・・・」
と言って出かけて行き、大きなつづらをもらいました。
その大きなつづらには、確かに沢山の金銀財宝が入っていました。
しかし、おばあさんには、その重みに耐える器量がなく、身を滅ぼしたのです。過ぎた宝は、伝承の通りオバケのようなものです。
おばあさんは、多くの宝を資金に、人類救済活動をしたかったのかもしれませんが、そこに私心や虚栄があったのかもしれません。
おじいさんは、その後、だんだんと力を付けて、次々に大きな宝を手に入れ、偉大な人物となって、人々を救い、自らも幸福に過ごしたことでしょう。五百歳くらいまでは生きたのではないですか?
「人生とは、重い荷を背負って坂道を登るようなものだ」とういう有名な言葉を残した徳川家康は、小姓(身辺の世話をする係の少年)に、「身の程をわきまえろ」と教えました。
過ぎた宝は、身を滅ぼしますが、分相応の宝であれば良いものです。
そして、宝は、最初は重荷という姿をしています。
イエス・キリストは、「重い荷物は神様に預けろ」と言いました。大きな荷物は神でなければ背負えません。
ただ、イエスは、手ぶらで進めとも言っていません。それなりの荷物は持てと言ったと思えてなりません。
我々が人生で出逢う苦難は、「軽い荷物」です。
重いのは、かたじけなくも神様が荷ってくれますので、与えられた荷物を文句を言わずに運べば、神様は褒美をくれます。
ハイキングの時、良い父親は、子供にそれなりの荷物を持たせます。それを文句を言わず、ましてや、笑って運ぶ子供には、褒美をやらずにはいられないはずです。イエスは神を父と呼びましたが、そこらの事情は神様も同じと感じます。
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重い荷物は、大変にキツイものです。私の場合は、物理的な荷物が重たく常にPC3台や印鑑等大切な物を持ち歩いています。
数年前からhttp://www.gangstalker.info/
上記のような集団ストーカーという被害にあっており仕方無く重たい荷物を持って歩いています。
私は、人生で3度、ビジネスを成功させる事が出来ました。2度のビジネスは、まだ儲かっている内にそのビジネスから撤退しました。その理由は、これ以上儲けるとマイナスが上回る事を感じたからです。
これからは、漫画「おぼっちまくん」に登場する
びんぼっちゃま(貧保耐三君)のように
「おちぶれてスマン」という人生の体験をするのだと思います
それも又。面白いと思っています。