ジャッキー・チェンの父親は、俳優を志すジャッキーにペンキ塗りの技能を修得させたと聞いたことがあります。俳優なんてそうそうなれるものではないので、食べていくために、何か手に職を付けさせたかったのでしょう。
ジャイアント馬場さんが初めてアメリカに行った時も、なかなか試合に出してもらえなかった頃はペンキ塗りをやっていたらしいですが、試合でもらうお金より、よほど多く稼げたと言います。
彼らは、ペンキ塗りを本業とは思っていなかったでしょうし、共に志す道で運良く成功しましたが、もしかしたら、それぞれ、「武道好きのペンキ塗りのおじさん」「東洋から来た巨体のペンキ塗り」になっていたかもしれません。
そうなっていたら、彼らのことですから、さぞや技能を極めた熟練のペンキ塗りになっていたことでしょう。

今はそうではないかもしれませんが、当時は、低いレベルの技能でもペンキ塗りの仕事が多かったのだと思います。
そして、仕事なんていうものは、そういった、ある程度簡単に修得でき、そこそこのお金が稼げるという程度のもので良いのだと思います。
私はコンピュータソフト開発なんて仕事をしており、IT時代ということもあって気取った仕事に見られることもありますが、ジャッキーや馬場さんのペンキ塗りのようなものだと思っています。
いや、そうありたいと思っています。
そんなに嫌でもないけれども、そんなに面白い訳でもない。楽しいという程ではなくても、苦痛で病気になるほどでもない。
それで、なんとか収入を得られれば良しとするのです。
私は、仕事に対する思い入れやプライドなんて、まあ、全くありません。もしそのようなものを持っている人がいるとしたら、全く稼げない芸術家くらいのものだと思います。

企業では、仕事こそ自分そのものであると社員の頭に叩き込む、つまり、そういった思想や信念を社員に持たせようとします。
しかし、そんな風に考える必要はありませんし、また、考えてはいけません。
仕事が自分の存在意義になると、心は蝕まれ、心と一体である身体は病み衰えていきます。いや、むしろ、心の病が身体の症状として現れ、それが警告になることが多くあります。
胃腸の調子が悪かったり、頭痛がしたりから始まり、身体や精神の深刻な障害に発展するかもしれません。
癌にでもなれば大変ですが、ポリープでも現れたら、仕事に対する考え方を改めた方が良いかもしれません。

アインシュタインは物理学を趣味と考えていました。そのため、いかに名声を得ても、自分を重要人物だとは全く考えていませんでした。もし彼が、物理学で大きな成果を得なかったとしても、彼は特に気に病みはしなかったはずです。
彼は、大学を出てからは特許局に勤めていましたが、デスクの大棚を引き出して、そこでこっそりと物理学の研究をしていました。それでも、クビにならないだけの仕事はしたのでしょう。
仕事なんて、そんなもので良いと思います。
たとえそう思っていなくても、ほとんどの人は、仕事に対し、持てる能力の3割も使っていません。多くの人を観察してきた経験からもそう確信しています。
能力のもっと多くを仕事に注ぎ込む人は成功し、高収入を得ます。ただ、その場合は、失うものもかなりあります。
しかし、いずれの道を選ぶかは個人の自由です。
仕事に多くの力を注がないからといって気に病む必要はありません。最初から、「俺は仕事には3割の力しか使わない。ただし、3割は給料の対価としてちゃんと使おう」と決めて堂々とすれば良いのです。
会社の望むような滅私奉公をする必要はありませんし、してもいけません。せっかく神にもらった大切な心身を損なうことの方が罪です。







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